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02/11/02
 

 amazon.co.jp ができてから、紀伊国屋のオンライン書店のほうはしばらくご無沙汰してしまったのだが、少し前に、久しぶりにのぞいてみたら、洋雑誌とフランス語書籍も買えるようになっていた。洋雑誌は、定期購読ではなく、一冊単位なので、雑誌のサイトで内容を確認して、読みたい号だけ買えるのでありがたい。フランス語書籍も、SFのペーパーバックなどもあり、かなり強力な品揃えのようだ。もっとも、amazon の方も、ドイツ語書籍の取り扱いをはじめたようなので、そのうちフランス語も登場するのかもしれない。


02/10/31
 

 DynaBook についてきたマウスがへたってきたので、この際、光学式マウスというやつにしてみようかと、マイクロソフトの Optical Mouse Blue を購入。マイクロソフトのマウスは、「茄子型」のあまりよくない思い出がある。横幅が広すぎる気がしたし、比較的すぐにへたってしまった(ポピュラスをやりまくったせいではあるが)。さわった感じもつるっとしていやだった。今度の青いマウスも心なしか茄子の面影があるのでちょっと迷った。モバイル用の小さいのの方が、接続コードも短くてよさそうだったが、USB専用なので断念。USBは増設してあるが、本体に直接差さないと動作しないものも結構あってややこしいので、マウスもそこに加わるのは困る。
 で、店頭でうじうじ考えたわりには、ま、いいかと青いのを買ってきた。持った感じは茄子よりはいい。オプティカルマウスを使ったことがないので、他のにくらべていいかどうかはわからないが、今までの状況より改善されたことは確か。
 ただ、パソコンをスタンバイにしている間、光りつづけているのが少々気になる。マウスにさわったら復帰するのが「スタンバイ状態」なのだから仕方がないのだと思うが。


02/10/16
 

 歴博秋季特別展「古代日本 文字のある風景」を見た。土器や鉄剣(の複製)などもあったが、基本的に文字ばかり。こういう展覧会もめずらしい。実物の雰囲気も重要かもしれないが、広い場所に並べるより、本にでもしてゆっくり読めるようにしたほうが、と思わないでもなかった。

 則天文字について、中国で短期間使われたものが、日本の地方にまでいきわたったことが、漢字文化の浸透の深さと速さの象徴であるかのように理解していたのだが、今回の説明によると、地方までいきわたったというより、地方で盛んに用いられたという。そう言われると、妙に日本的な現象のように思われる。

 この展覧会そのものは、各地を回るらしいが、当地の併設展として、最近発見された「加賀郡ボウ示札」を中心とした地元の出土品が展示されていた。なんといっても驚いたのは、8世紀か9世紀の墨書土器として、近所のバス停の名前が黒々と書かれたものがあったこと。そんなに古い地名だったとは。

 

 冥王星軌道の外側に発見された天体の名前。

 「カリフォルニア州南部の先住民族が使う「創造神」という単語」で「クワオアー」(cnn、10/13)
 「インディアン神話で創造力を意味する」「クァオア」(東亜日報日本語版、10/8)
 「米先住民の神話に登場する、万物が誕生するきっかけを与えた存在」で「クワーオワー」(アサヒ・コム、10/8)

 さてどれが定着するのだろうか。「クワオアー」が言いやすくてよさそうだが、そういう問題ではないか。


02/10/02
 

 『Windowsユーザーのための DOS/コマンドプロンプト入門』という本を読んだ。「テキストファイルとは何か」とか「MS-DOS上ならコマンド1つでディレクトリを作成」できるとか書いてあった。昔、「今にこういう本が出るぞ」とチャットで話していたことがあるような気が。

 

 「琉球ドーナツ」というものを見かけたので購入。「サーターアンダギー」の別名らしいが、「サーターアンダギー」のほうが通りが良いのでは?


02/09/20
 

 果汁100%のオレンジジュースのパックに、「「オレンジ」の成分が含まれています」と書いてあった。大豆、卵、ピーナツなどが生産ラインの関係などで微量でも混入する可能性を明記することが重要なのはわかるが、オレンジジュースにオレンジの成分が含まれていることを表示する意味とは?

 

 人質事件を描いたアメリカの小説を読んでいたら、waco という動詞らしきものが何度か出てきた。前後関係からすると強行突入のような意味らしいのだが、辞書に出ていない。おそらくテキサス州 Waco であった Branch Davidian の立てこもり事件で、銃撃戦となったことからきているのだろうと思うが、なんでも動詞にしないでほしいものである。


02/08/21
 

 久しぶりに書店の楽譜売り場に立ち寄り、「生ギター一本でポピュラー名曲」の類をいろいろ見た。ほとんどの本がCD付きになっているのでちょっと驚く。シリーズもので「初級編」「入門編」「基礎編」と三冊並んでいるのがあった。どの順番に練習するのだろうか?

 

 「鉄杵磨成繍花針」という言葉を見つけ、彦根市の「磨針(すりはり)峠」と何か関係があるのだろうかと調べてみた。磨針峠の伝説は、修行をやめようかと迷っていた青年僧(のちの弘法大師ともいう)が、鉄の斧を磨いて針にしようとしている老婆に出会い、その根気に感じて考えを改めるという話だが、「鐵杵磨成」で中文サイトを検索すると、「磨針溪」という場所での、詩人李白のこととして、ほぼ同じ話が書いてあったりした。磨針峠と同じく、仏教関係の話で、修行者はアサンガとなっているものもある。
 大漢和には、「鐵打房梁磨繍針」(「梁」の字は木へん)が出ているが、特に由来は書かれていない。

 「石の上にも三年」にも似ているが、テンションが違う感じもする。西洋には、"A rolling stone gathers no moss."の、伝統的な方の用法があるが、OED2では、、転職をくりかえす人は金持ちになれない、の意味としているので、かなり雰囲気は違ってくる。

 「『転石苔むさず』ということわざは洋の東西にあるが解釈が違う」とは一体何のことかという問題(松楓庵さんの「とぜんそう」8/16分)があったが、東西で「似たことわざの発想の違い」なら、あると言えるかもしれない。


02/08/19
ヴォルテールの「名言」

 『2ちゃんねる宣言』を開いたら、巻頭にいきなり、

 「私は君の考え方には反対だ。だが君がそう考える自由はあくまで守る」(ヴォルテール)

とあった。ヴォルテールはそんなことは言っていないのでは? たしか、比較的最近、朝日新聞がこの「名言」を引用したところ、読者からツッコミが入ったように記憶しているが、その記事は保存していないので詳細はわからない。「ヴォルテールの言葉」として引用しているページは多数ある。英文を示しているところもあるので、今度はその英文で検索してみた。このページによると、Beatrice Hall という人が、その著書の中で、ヴォルテールの態度を端的に表わす言葉として書いたものとなっている。その英語が「原文」と思われるが、

Je suis de l'avis de Voltaire qui a dit ceci : "Je peux ne pas être d'accord avec ce que vous dites, mais je défendrai toute ma vie votre droit de le dire ".

と仏訳してしまったページもあるので、なおさら話はややこしい。

 『2ちゃんねる宣言』の引用は、「書いてあることをむやみに信用してはいけない」という教訓も含まれていると考えると、まことにこの本にふさわしい。

歌詞の話の続き

 massangeanaさんの「いろいろ」によると、伊藤武雄の「麦畑」の歌詞は戦後すぐの頃だそうで、やはり大和田建樹のほうが古いようだ。

 「こっそりキス」で思い出したが、ゴールデンハーフによるカヴァーで知られる「24,000回のキッス」の歌詞にも、昔から疑問が提示されている。「一秒のキッス」を「一日つづけ」て、二万四千では、計算が合わないのではないか?

 アドリアーノ・チェレンターノによる原曲を調べてみたら、いくらか謎が解明された。
 "mille carezze all'ora all'ora" (一時間ごとに千回のキス)とある。だから、一日では二万四千回となる。つまりは"ogni secondo"(すべての瞬間)キスしつづけている。ogni secondo を「毎秒一回」と解釈すると計算が合わなくなるが、そうはっきり書いてあるわけでもない。食事や睡眠などはどうでもいいらしい。mille は漠然と「たくさん」と解釈したいようなところを、文字通り「千」と考えて、一日なら二万四千、としたところが原詩の面白さなのだろうけれど。


02/07/27
もと歌と替え歌

 先日、朝日新聞連載の五木寛之のコラムで、「誰かさんと誰かさんが麦畑−−」「チュッチュチュッチュしているいいじゃないか」という「替え歌」の話が出ていた。「替え歌」ではなくて、これが「もと歌」だったはずだが、と検索してみると、結構「こっちがもと歌!」と注釈しているページもあって、あちこちで時々話題に出てきていると思われる。私が記憶している歌詞は、「誰かと誰かが麦畑/こっそりキスしたいいじゃないか/私にゃいい人ないけれど/……」だったが、「チュッチュ……」というのは「ドリフ版」と思われる。

 原詩は:

If a body meet a body comin' thro' the rye,
If a body kiss a body, need a body cry?
Every lassie has her laddie, nane, they say, ha'e I
Yet a' the lads they smile on me, when comin' thro' the rye.

 サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』のタイトルもこの歌と関係がある。nane 以下のフレーズは意味を確認しないまま記憶していたが、今調べてみると、they say I have none. の意味だった。「誰かと誰か……」はかなり原詩に忠実な訳詞と言える。もっともこの原詩も曲者であって、もともとスコットランドの民謡なのでバージョンはいろいろあったが、普及しているものは「蛍の光」の原詩の作者でもあるロバート・バーンズによると言われている。しかし、バーンズの詞は少し違ったものらしい。また普及版のほうにもいろいろ細かいバージョンの違いがあるようだ。

 大和田建樹の「夕空晴れて秋風吹き……」は、替え歌としてあまりにも典雅であるので、こちらが「もと歌」と思われるのは無理もない。それに、日本語の詞としてこちらが古いのなら、これが「もと歌」と言っても間違いではないかもしれない。が、「誰かと誰か」の方も上記ドリフ版の説明によると結構古そうである。その作者は伊藤武雄という人らしいが、「二人が会うのは麦畑/仕事の休みに話します」という脱力な大変奥ゆかしい「訳詞」も伊藤武雄の作として本にのっており、この辺の事情もよくわからないが興味をそそる。


02/07/14
 

 唐突だが、ハワイアンソング「タ・フワフワイ」についてある疑問が浮かび、気になる。「日本語より音韻の単純な言語」があることが、なぜか日本人にはうれしいらしく、しばしばそのように紹介されているハワイ語には、タ行もサ行もないので、「サンフランシスコ」が「カパラキコ」、「チケット」が「キキキ」になったりするはずであるのに、なんで「・フワフワイ」なのだろう。
 フワフワイまたは huahuai で検索してみると、英語のページでは"ka huahuai"がいくつもヒットする。日本語のページでは「タ・フワフワイ」ばかりで、一番の歌詞の t音をすべてk音に変えたものを二番の歌詞のように書いているものもある。言語学辞典をみると、ハワイ語には t音が「ない」のではなく、k音はもともとは t音であったとされ、t のように発音されることもあるらしいので、そのように発音された場合を忠実に書き写したものであろうか、と一応推測する。
 「Gojira とか Godzilla とか書いてあるけど、-ra なのか-la なのか、はっきりしろ」と言われても日本人は困る、みたいなものなのだろうか。

 「タ・フワフワイ」はウクレレ漫談の「あ〜やんなっちゃった」のもと歌として有名で、なんとなくお気楽なイメージがあるが、本当は戦いの歌 war chant であると言われており、実際勇ましい男声合唱を聴いたことがある。ところが、このページの歌詞を見ると、どう見てもラブソングだ。謎は深まる。


02/06/05
東京で買ったものなど

 以前から使っている「ブックストッパー」の予備を伊東屋で購入。これは洗濯ばさみに重しがついたようなもので、本のページを閉じないようにおさえておくためのもの。便利なのだが、クリップ部分がプラスチックなので、毎日使っていると、どうしてもこの部分が傷んで折れてしまう。で、今回は二個買っておこうと思ったのだが、同じ売り場に「ページホルダー」なるものがあり、こちらは開閉部分のバネが金属なので、両方を一個ずつ買った。ただしページホルダーの方は、大きい本には向かないようだ。これらの商品については、このページに紹介がある。

 CD 「レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサ/アランフェス協奏曲」は、前から捜していたもので、販売元の山野楽器まで行って入手。いわゆる「歴史的録音」であり、なんとなく予感がしたので、ヘッドフォンを使わずにスピーカーをつないで聴いたのだが、正解だった。同じ1950年代頃の録音でも、ノイズが少なく、十分音楽を楽しめるものもあるが、この録音は、「音楽」と「資料」の中間にあって、限りなく「資料」に近い。ただ協奏曲のあとに入っている小品集は比較的きれいな音で楽しめた。作曲・編曲や、弟子たちの活躍では良く知られている人だが、その演奏はどんなものか聴いてみたかった。しかし、少々想像力を要する盤であった。

 CAMEDIA C-3030ZOOM (中古)も入手。今まで使っていた CASIO QV-70 と比べると桁違いの性能なのはいいが、形状や撮影する時の音が、いかにもカメラという感じなので、ちょっとメモするような気軽な撮り方はできそうにない。ともかく、Dynabook 付属のスマートメディアアダプタに、やっと出番が訪れた。


02/05/31
 

 久しぶりに東京に帰ったら小田急ハルクがビックカメラになっていたので驚いた。昔のこのての店のイメージと違って妙にひろびろと明るく、きれいなパックに入ったパソコンパーツが整然と並んでいるところはお菓子売り場のよう。これなら私も組み立てて見ようかなどと不穏な考えを起こさせる。USB小物のありそうなところは危険なので近づかないようにした。各種AIBO の実演を見た。初期デザインのがいちばん、犬らしいような気がするのだが。


02/05/17
 

 16日の朝日新聞「特派員メモ」は「グスマオの理由」という題で、東ティモール初代大統領となる「グスマオ」氏の名前の表記は「グスマン」とすべきではないかという読者の指摘があるが、現地では「グスマオ」のように発音されているので、この表記となっているということが書いてあった。
 読者の指摘、というか、アサヒ・コムの巨泉の有閑悠閑に、「朝日ではグスマオ氏と誤記されている。ブラジルの大都市がサンパウロ(サオパウロでなく)なら、グスマンが当然だろう。どちらもポルトガル語である」と書いてあったので、私も何気なく、そうかと思っていたのだ。ただ、このポルトガル語の二重鼻母音(ão)の綴りは、かなりよく知られていると思われるので、それを単純に間違えるとしたら、相当にひどいミスであるはずだが? と、かすかな疑問もあったのだが。

 固有名詞を「ポルトガル語である」と決めつけたのが「誤解」のもとで、固有名詞は固有名詞なのであり、東ティモールはポルトガルではないのだった。
 googleでは「シャナナ・グスマン」が392件、「シャナナ・グスマオ」が133件。「グスマオ」の表記は朝日だけ、というわけでもないようだ。で、ご本人はどう発音しているのだろうか?


02/05/02
 

 「葉桜なのに入園料は変」 弘前さくらまつりに不満続出というニュースを見かけた。弘前公園は「さくらまつり」の期間中有料になるが、今年は異常に早く桜が咲いて散ってしまったので、 葉桜になっているにもかかわらず入園料をとるという事態になった。入園料の徴収は市条例によっているため、簡単に変更もできず、自然が相手なので対応が難しい、ということのようだ。
 桜が咲いている間だけ無料になる兼六園とはまったく逆だが、どうも弘前の方が常識的なような気がする。兼六園の無料期間はかなりフレキシブルで、桜が咲きかけて止まってしまった年などは、ずいぶん延長していたが、あれは条例などは関係ないのだろうか。もっとも、今年は、広坂通りの桜まつりだけは葉桜になってしまったらしい。


02/04/03
金沢城公園

 金沢城公園は、最近有料になったのかと思っていたが、門のところまで行ってみたら、別に料金を徴収している様子もないので入ってみた。桜が満開の時期だけの措置かもしれない。再建された建物などは有料のようだったので、タダのところだけ見た。
 以前、大学キャンパスとして使われていた時には、何なのかわからなかった石垣などにも説明のパネルが設置され、石のすき間から出ていた木の根なども整理されたようだ。以前は宿泊所として使われていたような気がする古い建物には、「旧第六旅団司令部」という札が立てられていた。

 兼六園の方へ行ってみると、(なんとかの券をお持ちの場合は)「団体料金で入られます」と、現在では珍しい「ら入り(?)言葉」の看板があった。「入れます」だと「いれます」と読まれるおそれがあるからかもしれない。


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