道教と仙学 第3章

 

 

1、道教の神仙信仰

 

 

 道教の教理と教義には常に神仙信仰が含まれていた。国外の学者は、道教の神仙は雑多で欧米のキリスト教のような唯一神の観念に当てはめるのは非常に難しいと感じている。実際、道教という得体の知れない物の中には中華民族の形成・発展や国情・民情などのさまざまな秘密が隠されている。道教の神仙信仰も中国の国情・民情と深いつながりがある。道教にはおよそ数百種の神がいる。古代の母系氏族社会の自然崇拝・トーテム崇拝・女性崇拝・祖先霊魂崇拝というような原始宗教の名残があり、天を敬い祖先を崇めた周代の礼教の延長もあり、万物有霊論から生み出されたさまざまな守護神や職能神もある。統治階級の意志によって国家の政体を模倣して設けられた善悪を監督し命や過ちを司る管理神もあり、国家によって封じられた名のある人や民間で敬われていた賢者が久しく祭祀されてきたものもある。中国は封建宗法専制を実行してきた農業大国であり、その神霊体系は古い天神崇拝が主軸になっている。人々は天災・人災におびえながら生活し、世の中の妖魔や悪鬼があちこちで自分の生存を脅かしていると感じ、多くの守護神を作り出さないわけにはいかなかった。現実の社会の中では、一般大衆だけでなく朝廷の大臣・官吏や知識人でも自身の吉凶禍福を予測することは難しく、自分の頭上に災いが降りかかるかもしれないという恐怖から、ひたすら神霊に祈った。ついには皇帝も天神の守護を失うことを恐れて敬虔に昊天上帝を祭祀した。だから、道教の中に神霊や法術や災いを消し禍を避けるための禁忌が出現したことは少しも不思議なことではない。これらの多くの神霊が道教に溶け込むには、それらを「道」の信仰の下にまとめる必要があった。道教に「三清」や「四御」の尊神が出現したのは、中華民族の伝統的な天神崇拝を「道」の信仰の下にまとめるためだった。

 

 (1) 道の信仰と「三清」・「四御」の諸尊神

 「道」の信仰が道教の根本的な信仰であり、これが道教と呼ばれるゆえんである。成立して間もない頃の道教は、社会で久しく祭祀されてきた神々を取り込み、その後も次々に有力な神霊を吸収していった。甚だしくは、本来仏教に属していたはずの観世音、および関帝なども道教に引き入れた。これは道教の神霊体系が成立するために必要だったことは間違いない。そうでなければ道教の神々を信奉する人はいなかったはずである。中国が古くから残してきた神霊信仰は雑多であるが、一つの特徴がある。それは一貫して天神崇拝がその主軸になっていることである。だから、道教が多くの神々を取り入れていくには、古い天神崇拝の伝統と「道」の信仰を統一しなければならなかった。道教の教理と教義は、「道」の信仰と天神崇拝を統一するための理論なのである。

 道教の早期の経典である《道徳経》や《太平経》から後世の道教経典に至るまで、道教経典ではすべて「道」を天を生じ地を生じ万物を生み出す宇宙の本源であるとみなし、これが天神崇拝の明確な根拠になった。呉は《玄綱論》の中で、「道とは何か。虚無の系、造化の根、神明の本、天地の元である」と書いている。《太上老君説常清静経》は、「大いなる道に形なく、天地を生み育む。大いなる道に情なく、日月を運行する。大いなる道に名なく、万物を長じ養う」と述べている。このように、天も道から生まれたものであるから、自然と天神崇拝は「道」の信仰に帰属することになった。

 道教の創世説も「道」の信仰から派生した。《太上老君開天経》によると、天地が生まれる以前の宇宙のはじめの状態は、形も象なく、陰も陽ない道の虚無の境界だった。その後、「洪元」の世になるが、虚空はまだ分かれず、清濁もまだ分かれていない。「混元」そして「太初」世紀を経て、清濁が分かれ、天地は分かれ始める。「太初」が終わると、「太始」がこれに続く。太始は万物の始めであり、万物の中で人が最も貴いものとなった。これ以後、まだ純朴の「太素」世紀、五岳四涜が生まれた「混沌」世紀が続き、ここまでが上古の時期に属する。続いて「九宮」・「元皇」などの中古の時期が続く。道教の教主太上老君は、道の化身であり、歴劫を師とし、下に降りては人間に道を伝え、最も早い時期に道教を代表する神仙となった。

 道教の創世紀は、三十六天の天界が派生したことも説いている。その中には欲界・色界・無色界の「三界二十八天」が含まれているほか、三界の外の八天(四梵天・三清境と最高の大羅天)も含まれる。欲界には六天があり、人々が性交によって胎生し、姿形を備え情欲を持つ現実世界である。色界には十八天があり、人々は変化によって生まれ、姿形はあるが情欲はなく、およそ道士たちが修練する世界である。無色界の四天では、人々に色欲はなく、その姿を知覚することはできないが、真人だけはその姿を見ることができる。実際にはここは修練の精神の境界である。三界を越えた所に四梵天があり、ここが人々の言う天である。ここでは生死や災禍はなく、修道の完成した人が帰属する場所である。それを越えて行くと、三清境がある。その最も高いところが玉清境の清微天、その次が上清境の禹餘天、その次が太清境の大赤天である。三清境は道教が理想とする仙人の境界であり、道教の三清の尊神が住む場所でもある。最高の大羅天は、「道」の象徴である。大羅天で生み出された玄・元・始の三が、三清天に変化する。始気は清微天の玉清界と化し、元気は禹餘天の上清境と化し、玄気は大赤天の太清境と化す。

 早期道教では太上老君を信奉したほか、漢のはじめの方仙道の「太一」神の信仰を踏襲し、また天・地・水の三官も祭祀した。東晋の時期には上清派が元始天尊を太上老君の上に置き、その後、符派の太上大道君(霊宝天尊)が出現し、次第に道教の三清尊神が形成されていった。元始天尊は道を神格化したものであり、自然の気を受け継いで常に存在し、天地が開闢するたびに人に道を伝える。道教は仏教の天地が衰え壊れていくという劫数説を取り入れ、「元始天王」の信仰と仏教の「世尊」の観念を元始天尊の形象に取り込み、元始天尊は道教の最高神になった。そのほかに霊宝天尊(太上大道君)があるが、これは霊宝派の作り出した尊神で、道徳天尊(太上老君)と同列である。元始天尊は清微天の玉清境に住み、霊宝天尊は禹餘天の上清境に住み、道徳天尊は大赤天の太清境に住む。三清境は洞真・洞玄・洞神の三洞経書と対応し、三洞道経は三清天尊の説くところによって分けられたと言われている。六朝以降、元始天尊は常に道教の最高神だった。唐代には太上老君を尊び、老子の一が三清と化したと説かれたが、唐代の道教でもやはり元始天尊が最高神だった。宋代の皇帝は玉皇大帝を担ぎ出し、玉皇大帝を民間の最高神としたが、道士たちはやはり玉皇大帝を三清尊神の下に置いていた。三清の尊神はすべて元始天尊の化身であると説くこともあるが、実際には道教の至上神の形は少しずつ変化している。

 三清の下に四御があるが、これは天地の事物を司る四大天帝である。最初の玉皇大帝は、宋の徽宗によって「昊天玉皇上帝」に封じられ、昊天金闕至尊上帝とも呼ばれ、天道を総合的に司る神である。その次の中央紫微北極大帝は、玉皇大帝を助けて天地の経緯・日月星辰・四時気候を司る神である。その次の勾陳上宮天皇上帝は、玉帝を助けて南北極と天・地・人の三才を司り、また人間の兵器軍装を主宰する神である。その次の后土皇地祇は、陰陽の生育・万物の美・大地山河の秀を司る女神である。道観の中には四御殿があり、四御の尊神を祭っている。四御神の信仰はほぼ古代の天神崇拝を踏襲したものである。

 このほかにも、道教の中には十方諸天尊・三官大帝(天・地・水の三官)・南極長生大帝・東極太乙救苦天尊・斗母(北斗星)・五曜二十八宿などの日月星辰の神など、非常に多くの神がいる。

 

 (2) 仙の信仰と諸仙真

 道教の神の多くは人が想像によって作り出したものであるが、仙は修練を積んだ人が原形になっている。仙人は道を得た人なので、仙を信仰することは道を信仰することでもある。道教は生を重視し死を嫌い、「自分の命は自分にあり天にはない」と主張している。だから道を修めるには、この道教の教義にしたがって生を養うことからはじめことが多い。《太上老君内観経》は、「道は見ることができず、生によってこれを明らかにしていく。生は不変なものではないが、道によってこれを守る。生をなくすことは道が廃れることであり、道が廃れることは生をなくすことである。生と道を一つに合することが、長生不死である」と言っている。また《老君妙真経》は、「人は常に道を失うが、道は人を失わない。人は常に生を去るが、生は人から去らない。ゆえに生を養う者は慎み道を失わないようにし、道を為す者は慎み身を失わないようにする。道と生を互いに守らせれば、生と道は互いに保たれる」と言っている。このように、生を修めることは道を修めることであり、道を得ることは長生することであり、道と一体になった人だけが長生久視の仙人なのである。だから、生の修練は仙を追求することであり、道を信仰することでもある。

 道教の倫理化に従って、善悪の応報という宗教観念から、善を行い徳を積むことや戒律を守り経典を読むことも登仙のための手段となった。善を行い徳を積むことや戒律を守り経典を読むことも「道」の要求であり、生の修練にも直接影響する。《老子想尓注》は、「道は生を設けて善を賞し、死を設けて悪を威す」と言っている。また《太平経》は、「道に努め善を求めると、寿命を延ばし、長生することができる」と言っている。道教の神霊は道を修行する人々を監督し、善を行うと寿命を延ばし、悪をなすと寿命を縮める。そして、戒律を守り善を行うことを怠らない人は、天神に迎えられ仙に昇る。だから、戒律は宮観道教の基礎になり、善を勧める多くの書物が社会的に流行し、忠臣・孝行な人・賢人・善良な人も仙人として名を列ねた。

 道教の仙真は、道を体得して仙になった人である。これらの人々は不思議な力を持ち、仙人の伝記に記載され、後世の修道者の手本となった。道教の仙人の伝記には、劉向の《列仙伝》、葛洪の《神仙伝》や後世の《洞仙伝》、《続仙伝》、《三洞集仙録》、《歴代真仙体道通鑑》およびその《続編》などがある。また女仙の伝説を記録したものとしては《城集仙録》や《歴代真仙体道通鑑後集》がある。有名な仙真には、黄帝・西王母・王喬・赤松子・王玄甫・三茅真君・南五祖・北七真および民間で盛んに伝えられた八仙(鍾離権・呂洞賓・鉄拐李・張果老・曹国舅・韓湘子・藍采和・何仙姑)などがある。

 道教には十洲三島の伝説がある。そこには仙草霊芝が生え、宮閣楼台があり、仙童玉女がいて、諸々の仙真が遊び休息する。中国の名山大川にも、風景秀麗な洞天福地があり、道教の仙真がそこで修練した。その中には王屋山洞・委羽山洞・西城山洞・青城山洞・句曲山洞・林屋山洞・括蒼山洞などの十大洞天や、霍桐山洞・東岳泰山洞・南岳衡山洞・西岳華山洞・北岳常山洞・中岳嵩山洞・峨嵋山洞・廬山洞・四明山洞・武夷山洞・九嶷山洞などの三十六小洞天がある。七十二福地の多くは昔の仙人が道を得た場所であり、道士の修練に最も適した場所である。七十二福地には地肺山・蓋竹山・君山・竜虎山・閤山・鶏籠山・桐柏山・天柱山・中条山・濾水・北山などがある(*1)。

 

 (3) 道教の俗神

 そのほかにも道教には、民間の俗神の信仰から発展した神霊があり、道教と中国の民間の風俗・習慣が密接に結び付いていることを反映している。そうした民間の俗神には皇帝に認定され、国家が正式な神として廟を建てて信奉するようになったものもある。関聖帝君・真武大帝・文昌帝君などがそれである。そのほか、道教の教義から作り出された神や仏教を真似て作られた神もある。たとえば「五顕霊官」・「四値功曹」などである。そのほか雷公・雨師・薬王・瘟神・城隍・土地・門神・竈君・財神・福神・碧霞元君・天后媽祖などの俗神が全国で祭祀されている。道教は天地間の八方・四時・五行の神々を祭祀するだけでなく、人の身体を小天地であるとみなし、四肢・七竅・五臓・六腑にも身神と呼ばれる神がいると考えている。《黄帝内景経》では、身神の名前を黙読することが修練の秘訣となっている。その訣は次のように書かれている。

道に至るには煩わしいことはなく真を存することに決まっている。

泥丸百節にはみんな神がいる。

髪の神の蒼華は字を太元という。脳の神の精根は字を泥丸という。

……

胆の神の龍曜は字を威明という。

六腑五臓は神の精を体とし、すべて心の内で天の道理を運用し、

昼夜これを存すれば長生することができる。

 むかし民間では、北方の人々は毎年泰山に赴いて香を焚いて碧霞元君を拝み、南方の漁民は廟を建てて天后媽祖を祭った。道士は王霊官を護法大神として奉じ、張道陵を降魔護道天尊として祭った。また道教には 都大帝の鬼神の体系もある。これはあの世の亡者の魂に関する事柄を司り、秦広王・楚江王・宋帝王などの十殿閻王がいる。そのほか《封神演義》・《西遊記》などの小説の斉天大聖・二郎神・姜太公などもいる。歴史的に有名な包拯・範仲淹・秦叔宝・劉猛将軍・鍾馗、巫覡が神を降ろす時に造る蒋子文などは、すべて道教の俗神として人々に祭祀されている。

 

 

注釈

*1 道教の118カ所の洞天福地の地名を今日考察するには、銭安靖氏が中国大百科全書の「仙境」の項目を書いている時に調査した資料によると、曾召南・石衍の《道教基礎知識》(四川大学出版社1988年版)がある。洞天福地は15の省に及び、浙江・江西・湖南・江蘇・陜西・四川に多い。

 

 

次のページへ

第3章のトップへ

道教と仙学の目次へ

 

仙学研究舎のホームページへ