道教と仙学 第3章
2、道教の科儀および斎醮など
道教の組織形態・管理制度・宗教活動には、具体的には清規・戒律・威儀・斎法・建醮などが含まれる。清代には、全真道の王常月が「天仙大 戒」を伝えて《龍門心法》を書き、正一道の婁近垣が《黄籙科儀》を編纂した。これらは後世の道教が厳しく戒律を守り、斎醮科儀を重視していた 風潮を反映している。
道教は道・経・師を三宝としている。修道者は三宝に帰依し、厳格に戒律を守らなければならない。全真道には初真戒・中極戒・天仙戒などの 「三堂大戒」がある。道教が成立した時から道士の思想や行為を制約するさまざまな戒律があった。《道蔵》に記載されている戒律は非常に多く、 三戒・五戒・八戒・十戒・二十七戒・《老君説一百八十戒》・《三洞衆戒文》・《道門十規》・《重陽立教十五論》などがある。その内容は、生物 を殺さないこと、肉や酒を飲み食いしないこと、嘘を言わないこと、盗みを働かないこと、淫らなことはしないこと、父母や師に背かないこと、君 主に逆らわないこと、道法を中傷しないことなどである。戒律のほか、道観内にも守るべき規律があり、起床して課業をしなかったり声をあげて殴 り合った道士や戒律に違反した道士は、跪香・遷単・杖逐・火化処死などの処罰を受ける。
道士の行・住・坐・臥は、特に斎醮などの宗教活動では、すべて威儀の様式が規定されている。《正一威儀》には道士の法服・法具・食器・居 場所・寝具・飲食・師との関わり・受戒・懴悔・礼拝・焼香・燃灯・鳴磬・読経・奉斎・章奏・醮請など、132カ条の威儀が規定されている。そ の中には出家伝度儀・伝授経戒儀・三天行道儀・住観威儀・行止威儀・沐浴儀・服飾儀などがあり、目覚めた時、下単の時、手を洗う時、食事をは じめる時、沐浴の時には呪文を唱えなければならない。道士の服飾には大褂・得羅・戒衣・花衣などがあり、頭巾か冠を着け、白布襪・雲覆あるい は青鞋を履く。法器には宝剣・令箭・令旗・敕令牌・天蓮尺・鎮壇木などがある。鐘・磬・鐺・鈴・鼓などのような楽器も法器と呼ばれる。
道教で第一に斎を修めることを学び、斎によって自己の身・口・心の三業を制約する。その斎法には設供斎・節食斎・心斎などがあり、心斎を 重んじる。設供斎は徳を積んで罪を消し去り、節食斎は神を和ませ寿命を保ち、心斎は精神を洗い清める。道教の斎法は、陸修静以降に完備し、多 様化した。斎法には、金籙斎・玉籙斎・黄籙斎・上清斎・明真斎・指教斎・塗炭斎・三元斎・八節斎・自然斎などの名称があり、三官斎・九真斎・ 五臘日斎などの雑斎もある。後世の道教では斎法と醮が次第に法事として一つにまとまり、祈禳・抜苦・謝罪・煉度亡霊に用いられた。
斎醮は道教の主要な宗教活動である。斎は神を祭る前に自己の身・口・心を清める儀式だったが、のちに懴儀と醮が加えられるようになった。 懴は罪や過ちを懴悔することで、醮は神を祭って祈願することである。斎と醮の合わさったものが斎醮である。醮儀はほぼ設壇・上供・祝香・昇 壇・念咒・発爐・降神・迎駕・礼懴・賛頌・復爐・送神という具合に進行し、高功・都講・監斎・侍経・侍香・侍灯などの道士によって取り行われ る。道士は醮壇に入ると、まず自分の身神を想像し、衛霊咒を念じ、法鼓を鳴らす。それから爐を開く時に、内丹を応用して自分の身神を外に招き 出して法事を行い、復爐の時になったら身神を体内に戻す。これは存思の手法の一種である。道士は法事の中で自分の生年月日と法位を神に伝え、 音楽を奏で花を散らし、歩虚詞を読む。儀式は盛大かつ厳格である。後世の道教では壇醮の種類が非常に多くなり、道観はこれによって信者を集め 宮観の経済を発展させた。壇醮の法事には祈禳・度亡・延生・放戒・祭天・解星・鎮宅・金刀断索(縊死者を渡す)・起伏尸(溺死者を渡す)・解 冤結・招孤魂・寿星灯・延生灯・請経・受籙・上供・送葬・送鬼・浄宅・経懴などがある。道教の斎醮の儀式の中で、道士は神々を賛美する詩文に 抑揚をつけて読むが、これには歩虚韻調が配される。またこれに笙・簫・琴・弦・鑼・鼓などの楽器で伴奏され、文学的・音楽的な価値を備えてい る。
中国が発展してきた2000年余りの間に、道教には道官制度と道団の組織形態が形成され、宮観の経済も自ずと体系だっていった。朝廷が道 教を管理して封じた大真人・知集賢院道教事・道正・宮観提点などの道官のほかに、道観内には方丈・監院・都管・都講・都厨などの教務・財務管 理の職務があった。道観には田畑・使用人および斎醮の法事などの宗教活動・布施・寄付金などによる経済収入があり、化主・庄頭・庫頭・帳房・ 監修・典造・公務・茶頭・園頭・磨頭などが財務を管理し、教団は社会経済的な実体を持っていた。道観の教団には宗教活動の上では無論、経済管 理・組織制度・治安維持の上でもその職務を専門に司る人がいて、非常に秩序だって相互に監督し、一つの小社会を形成していた。寺院の僧侶が 「一着の袈裟でも事することは更に多い」とぼやくのと同じように、出家して道士になることは、相互に軋轢を起こす世俗社会から宗教信仰を調合 して薄めたもう一つ別の社会に入ってしまうことにすぎなかった。それも結局は現実社会の構成部分なのである。