道教と仙学 第3章

 

 

3、仙人の境界

 

 

 道教は、礼教のような世間的な法ではなく、仏教のような出世間的な法でもない。それは世間的な法と出世間的な法を結んだ線上にあっ て、中国の現実社会の欠陥を補足するものであり、世俗生活の理想の延長だった。だから、道教の仙人の世界と封建宗法社会という現実世界は 互いに補完し合う関係になっている。世俗生活に不満を持つ人々は、現実を超えた仙人の世界を探し求め、そこで本来は抵抗し拒否することの できない自然や社会などの外的な力の圧迫を超越し補完した。

 仙人は自然の力の束縛を超越し、社会の力の制限も受けない。彼らは「あるいは雲の中に飛び上がり、羽根なくして飛ぶ。あるいは竜に乗 り雲に乗り、天宮に赴く。あるいは鳥や獣に化し、大空を飛び回る。あるいは河や海に潜り、名山を飛び翔る。あるいは元気を食す。あるいは 霊芝を食す。あるいは人間界に出入りして誰にも気づかれず。あるいは身を隠して誰にも見られない」(《神仙伝・彭祖伝》)。仙人は自然界 で気ままに遊ぶだけでなく、世俗社会の専制の政治体制にも束縛されず、最高権力者の君主にもどうすることもできない。《神仙伝》には漢の 文帝が仙人の河上公と見えたことが記述されている。漢の文帝は、「大空の下に王の土地でないところはなく、大地の果ての浜辺まで王の臣下 でない者はいない」と言って、儒家の政治観念で河上公に頭を下げさせ臣下であることを認めさせようとした。しかし、河上公はその言葉を聞 くと空中に昇り、「上は天に至らず、中は人に煩わされず、下は地に住まない」と言い放ち、公然と専制君主の権力に挑戦して柔順な臣下であ ることを拒否した。ついには漢の文帝は「下車して礼をなし」て彼に道を求めた。道士の見方からすれば、「道」は君主の権力より高位にある ので、当然、仙人は君主の権力を超越している。また、仙人は人々が互いにいがみ合うという災禍や名を争い利を奪うという煩悩を捨て去って いる。仙人の世界は中国の現実世界を補完するものであり、その補完していく過程で宗教的な理想へ変化していった。道士たちは、人々が現実 社会で終生追い求める欲望と理想的な生活を天上に投影し、これらの理想と欲望を仙人というフィルターを通して浄化・変換しながら、仙人の 世界で永久的に満足できるものにした。このために、仙人の世界はキリスト教の天国や仏教の極楽世界と違い、現世利益を否定せず、禁欲主義 が宗教的な基盤にもなっていない。仙人の生活は、実際には現実世界が基盤になっている。それは現実世界を宗教的に補完するものであり人々 の欲望の幻想的な延長である。数千年の間、仙人の境界は意を得られない知識人たちの宗教的な理想だった。仙人たちは逍遥自在で、比べるも のがないほど幸福で、十分に宗教的な魅力を備えている。人生で渇望する自由は、精神の解脱という仙人の特徴によって満足できるし、人生で 渇望する平等は、誰でもが仙人に成れるという原則によって満足できる。人生で渇望する健康長寿については、仙人に成れば、長生久視して老 人から若者に戻ることができるし、食や色という欲については、仙人に成れば、九芝の饌を食し玉女を侍らせることができる。楽しく遊び災禍 を免れたいという人生の願望については、仙人に成れば、六合の外、なにもない郷で遊び、天上の音楽を聞くことができるし、また鬼神を使役 する神通力と法術も使える。仙人は「清廉で柔順な敦圄に乗って飛び、方の外に馳せ、宇の内に休み、十の太陽で照らして風雨を使い、雷公を 臣とし、夸父を役し、 妃を妾とし、織女を妻とし、天地の間に満足できないものがあるだろうか?」(《准南子・俶真篇》)。これこそ真に 「快活な神仙」である。

 中国の家長制の封建宗法社会は恐らく世界で最も人々を抑圧した社会制度であるが、中国で生まれ育った道教は世界で最も人の欲を肯定す る宗教である。これは決して偶然ではない。一般的に、なにがしかの宗教が社会に広く伝播していくのは、必ずそれがその社会で最も必要とさ れるものを提供するからであり、人々はそうしたものによって自己のむなしさを補完するのである。道教の仙人世界は中国の現実社会の欠陥を 補い、仙人を求める人々の心理を調和し、宗教感情を育み、彼らが終生追い求める目標になった。しかしもう一つはっきりさせておかなければ ならないことは、仙人の世界は結局現実を超えた彼岸の世界であり、直接的には世俗的な欲望を認めなかったことである。さもなければそれは 現実の社会とは区別がないことになる。もし道教が人々の世俗的な欲望を単純に肯定しているだけなら、君主・官僚・権力者・富豪というよう な世の中で享楽をほしいままできる人々が、なぜわざわざ神仙を捜し求めたのだろうか。道教は、まず最初に現実社会の世俗的な欲望を否定 し、否定していく中でその世俗的な欲望を浄化・昇華していく。それから、現実を超えた彼岸の世界でこれを飛躍させ、仙人の世界の中で新た に肯定する。道教は、世間の栄華富貴・金銭美色・高官重権はすべて頼りないものであり、仙人の路を通るための障害や負担になると人々に教 えている。世俗生活の快楽には後悔や悲哀が隠されている。楽しみが極まると悲しみが生じ、これに災禍が伴い、人はどんどん落ちぶれ早死に する。世俗生活の栄華富貴や情欲にまかせた快楽を放棄しさえすれば、人々は自己の思想を浄化・昇華し、仙人の境界に飛躍して、永久に快く 楽しい神仙の生活を享受できる。この思想の浄化・昇華・飛躍の過程が、仙道を修行し道を体得する過程である。辛抱強く修練しさえすれば、 道を体得して仙を得ることができ、そして仙人の真の快楽と幸福を享受することができる。道教の中には地仙と呼ばれるものも作り出された が、地仙に成った人は世の中で栄華富貴を享受しても何の差し支えもないのである。地仙は仙人の品格を備えてしまい、享楽にふけってもいつ でも自己を超越することができる。だから、彼は凡人のように災禍や悲劇に陥ることはなく、道教の教義にしたがって他人に仙を教えることも できるのである。

 仙人の世界は本来は宗教的な理想の世界であり、現実社会で人々がそれを実現することはできない。しかし、道教の仙人の世界は、死後に 赴くキリスト教の天国ではなく、臨終までに菩薩のような人生を送った人が迎えられる仏教の極楽世界でもない。それは人類の現実世界からさ ほど遠いものではない。中国の原始社会の先人たちは仙人の世界は実在しているものであると信じ、仙人に関するすばらしい伝説をたくさん残 した。春秋戦国以降、浮世を見限った知識人たちは自分の命運を掌握しようとやっきになり、いばらの道を切り開くような苦難の道を経て仙人 の境界への路を進んでいった。そして、彼らは修仙の方術、仙人の伝説、道の信仰や哲学を創造・発展させ、中国の仙学の体系は次第に完全な ものになった。道士たちは修仙を宗教的な目標にしてからは、歴代の仙学の大家を輩出した。彼らにとって修仙は理想の彼岸の世界と現実の世 界を結ぶ一本のトンネルであり、仙人の境界は、現実社会の人々が修練することによって実現しえる目標だった。方仙道や黄老道や後世の道教 の道士たちは、修仙は技術的な問題であると考えてきた。後世に発展した内丹仙学では、仙人の路を進むことは人体内で大規模な作業を行うこ とである。数千年にわたる修仙の実践から、道士たちは不老不死説が安直で粗雑な説であると次第に考えるようになり、彼らは老荘哲学の真人 の学説に回帰した。王常月は《龍門心法》の中で次のように説いている。「不死であるものが凡身であるわけがなく、長生するものは汚れた性 質のものではない」。「不死であるものは自分の法身であり、長生するものは自身の元気である」。「道は人にあり、法は同じく身にある」。 このように、仙学は、道教の不老不死説から生死を超越した真人という道家の説に転換し、真人と仙人は同じものであると考えられるように なった。このような仙人の境界は、思想を最大限に解放させ絶対的に自由にするものであり、それによって現実社会と人生を超越した道の高み にまで達するのである。「長生は肉体の生死のことではなく、元神がとこしえに留まることである」。現実社会の人々でも、厳しい修練によっ て仙人の境界に到達することは可能であり、少なくとも精神の上では完成しえるものである。それが完成すると、肉体的にも道と合し神を通わ すことを追求する。このように、仙人の境界は、人生で最高に芸術的な境界であり、至真・至善・至美の生命価値を最も具体的に表現できる真 人の境界である。修仙は自身と道との一体化を追求し、大自然の始まりの本質と合致することである。最大限に人体の潜在能力を開発すること によって道を体得し真と合することのできた者が、世間でいう仙人あるいは真人なのである。

 中国の歴史の中で、大志を抱く才知ある古代の士が、数千数百年の努力を経てこの仙人の路を少しずつ進んでいった。秦以前の荘子の中に すでに真人についての記述がある。彼らは「眠っているときに夢を見ず、覚めているときに憂いなく、ものを食べてもうまいとはせず、呼吸は 深々としている」(《荘子・大宗師》)。彼らは生死や存亡を同じものであると考え、「上は造物者と遊び、下は生死を超えて終わりや始まり のない者を友とし」、「ひとり天地の精神と往来し」、「静かにひとりで不可思議な真理に身を寄せている」(《荘子・天下》)。荘子はこの ような真人の芸術的な境界を提唱し、同時に「心斎」・「坐忘」などの修道方法をはっきり示した。「肉体は枯れ木のようで、心は冷えた灰の ようである」というようにして「純粋な気を保つこと」を提唱し、また、「至道の精髄は、奥深くてはっきりせず、至道の極みは、暗く黙して いる。見ることなく聞くことなく、意識を内に守って静かにしていれば、肉体は自然と正常になる。必ず静かに清らかにし、あなたの肉体を疲 労させず、あなたの精を動揺させなければ、長生することができる」(《荘子・在宥》)と説いている。荘子は道を聞いた女偊の口を借り次の ようにも言っている。「私はそれでもなお慎重に告げると、三日たってから世界を忘れることができた。世界を忘れてしまったので、私はまた 慎重にしていると、七日たってから万物を忘れることができた。万物を忘れてしまったので、私はまた慎重にしていると、九日たってから生き ていることを忘れることができた。生きていることを忘れてしまったので、明け方の大気のような澄みわたった境地に達することができ、明け 方の大気のような澄みわたった境地に達したので、その後絶対的なものを見ることができ、絶対的なものを見たので、その後過去と現在の差異 をなくすことができ、過去と現在の差異をなくしたので、その後死なず生まれないようになった」(《荘子・大宗師》)。老荘哲学の真人学説 は比較的系統だっている。しかし、後世の神仙家は伝説の長生不死の仙人を追い求め、道教の中に仙人の彼岸の世界を構築した。魏・晋の時代 には神仙道教が形成され、神仙は実在し、修練を積めば仙人になることができ、仙人になれば長生することができ、法術には効力があると堅く 信じられていた。方術を修習し長生を獲得した者が神仙であると考えたのである。魏・晋の人の遊仙詩を見ると、彼らが実際に仙人の路を追求 したが、結局は仙人の境界までの距離はまだ遥かに遠かったことがうかがえる。郭璞の《遊仙詩》は次のように言う。「薬を採るために名山に 遊び、それによって年老いたことを救う。玉滋液を呼吸すれば、妙なる気が胸中に満ち溢れる。仙に登り竜駟を撫で、早く奔雷[駆ける雷]を 操り乗る。鱗裳は電曜[稲妻の光]を払いのけ、雲蓋が渦巻く風に付き従う」。このように、仙人は神話の色彩を帯び、遊仙は彼らの理想と なっていた。唐末・五代以降、内丹仙学が成熟すると、仙人の境界は改めて老荘の真人学説に回帰し、内丹家の南五祖・北七真が活神仙である と考えられた。呂洞賓・陳摶・張伯端・張三丰の詩詞、白玉蟾の《快活歌》は、自分が仙を得た後の逍遥快活なありさまを生き生きと描いてい る。仙人の境界は彼らにとって現実だったのである。呂洞賓は、「朝には北海に遊んで蒼梧に暮らし、袖の中の青蛇は胆気が粗い。三酔は岳陽 の人は知らず、朗らかに洞庭湖を飛び過ぎる」と詩に書いている。彼はまるで古代の仙人の境界に到達してしまったようである。披雲真人の 《迎仙客》の詞は次のように言っている。「水は深く清らか、山の色はよく、天下の是非はまったく通用しない。竹の窓ははっきりせず、茅屋 は小さいが、その中は本当に楽しく人間の道に向かうものはない」。「柳の木陰の辺り、松の影の下に、背骨をしっかり立てて縁を休む。心猿 を鎖につなぎ、意馬を捕まえ、明月清風はただ長生の話を説く」。彼は、山林に隠れ住み、心と道を一つにすれば、本当の趣がそこにあること を教えている。清代の道士劉一明も内丹の修行が完成した時に詩を書いている。「知り得たことによれば、本来、人は俗世間に住むには俗世間 から出ることが必要である。衣は破れ靴には穴が開いても大いなる道を修めれば、貧乏で狭い路地に天の真を楽しめる。三千世界は心の中に帰 し、一つの牟尼を北辰[北極星]に運ぶ。隠れたり現れたりして来歴を人は知らないが、胸中には別の四季の春がある」。つまり、内丹仙学は 仙人の境界へ通じる階段であり、大丹を修め完成すれば、世に留まっていながら仙人に成り、仙人の境界に到達するのである。

 

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