道教と仙学 第3章
4、仙人の路
数千年以上にわたって、道を修めようとする士たちが仙界の門へ入るためのさまざまな道術を研究してきた。これによって、金丹・仙薬・ 黄白・房中・守一・行気・導引・吐納・胎息・存想・辟穀・内視・降神・禁咒・符籙・変化・祈祷・遁甲・風角・星算・八卦・六壬・補養・気 功などのさまざまな方技術数が発展した。道はある種の技術がなけらば達成できないものなので、道家の学では古くからある種の技術によって 道を体得してきた。その術もまた雑多である。内丹仙学が修仙の主流になると、道士は内丹が仙人になるための唯一の方法であると考えるよう になり、内丹仙術以外のの方術は九十六種の外道、三千六百の旁門に帰納された。しかし実際には「旁門」も「門」であり、「左道」も「道」 であって、修練する人がどのような目的と思想を持っているかを見ているにすぎない。道教では、「正しい人が邪道を行けば、邪道も正に帰 す。邪まな人が正道を行けば、正道も邪に帰す」と言われるが、これがつまりその道理のことを言っているのである。また、内丹仙学は師を捜 し求めて秘訣を得ることが難しいので実際に効果が現れるのは遅く、旁門左道は至るところで人々を招き寄せているのでその効果が現れるのは 早い。世の人は往々にして目の前の利をむさぼり、誤って旁門に入ってもそれが正当な内丹仙学であると考えてしまうので、道教の書籍では邪 門の淫らな術を斥けることに力を入れている。《性命圭旨》では、左道の邪術の主立ったものとして次のように述べている。「その中には炉の 火を好む者があり、彼家を好む者があり、頭のてっぺんを見る者があり、臍を守る者があり、眼球を動かす者があり、印堂を守る者があり、臍 輪を摩擦する者があり、夾脊を揺する者があり、睾丸を包む者があり、轆轤を回す者があり、三峰採戦の者があり、乳を食し炉に対する者があ り、息を止め行気を行う者があり、屈伸して導引を行う者があり、三丹田を巡らす者があり、双提金井の者があり、晒背臥氷の者があり、餌芝 服術の者があり、納気咽津の者があり、内視存想の者があり、穀物を食べるのをやめる者があり、寒さを忍び汚いものを食す者があり、精や気 を動かす者があり、鼻を意識して呼吸を調える者があり、妻と離れ山に入る者があり、定観鑑形の者があり、熊や鳥のように経絡を伸ばす者が あり、霞を食し気を服す者があり、長時間座って横にならない者があり、七煉魔を打つ者があり、禅定して語らない者があり、斎戒して味を断 つ者があり、仙境に夢遊する者があり、上帝を拝する者があり、秘密の呪文で邪を駆逐する者があり、見聞転誦の者があり、自分の精を食し還 元する者があり、尾閭をつまんで関を閉ざす者があり、小便から秋石を作る者があり、女性の経血を採って紅鉛を作る者があり、陽を助けるた めに胎盤で紫河車を作る者があり、関を開くのに黒鉛で雌雄の剣を鋳造する者があり、目を閉じ心を暗くして八段錦を行う者があり、古いもの を吐いて新しいものを納め六字気を行う者があり、壁に向かって竜を降ろし虎を伏そうとする者があり、軽はずみに鳳や鸞に乗ろうと考える者 があり、精を呑み華を飲んで日月に従う者があり、罡を歩き斗を踏んで星辰をうかがう者があり、卦爻の序によって朝に蓄え暮れにごまかす者 があり、黄白の術を行うために茅を燃やし火を弄ぶ者があり、長生不死を願う者があり、白日飛昇しようと思いをはせる者があり、思いにとら われ変わろうとしない者があり、空しく流され返らない者があり、戒・定・慧を守って解脱しようとする者があり、貪り・怒り・愚かを取り除 き清らかであろうとする者があり、生きて西域を超えることを願う者があり、死んで天国に登ることを願う者がある」。以上に挙げた修道の方 術は、実際に先人たちが伝えてきた道術の百分の一にも満たない。それらには身体を健康にし寿命を延ばす効果があるが、正当な内丹仙術では ない。現代の気功は、気功師自身が開発した功法が多いように思われがちだが、実際には古代の修練方法が変化したものにすぎない。
自然科学と社会科学は、もともと最上層部で通じ合っている。一つの学問に専念し努力を重ねると、人類の知恵の中枢に突き当たり、一つ のことが百のことに通じるようになる。学問をするのではないが、優れた才能を持つ者は、専ら心を研究し、それが熟すと巧妙さを生じ、巧妙 さから優れた効果を得て極致に到達し、神を超えて化に入ることができた。その成果は、普通の人の目には仙術として見える。世の中の多くの 技芸には、どれも普通の人が到達し難い境地があるが、気力を費やすことを惜しまず、誠実であればそこに到達し、道と一つになることができ る。このことからわかるように、道士が仙人の境界に到達するにも定まった方法はない。内丹仙学は彼らが数千数百年にわたる経験を総合した ものでしかない。道教の中にはさまざまな方法がある。
(1) 自然無為・清静超俗の仙人
人に生まれると、世の中の至るところで権力・色・名誉・利益に誘惑され、一生涯これらを得ることに心血をそそぐ。李斯は宰相の位に就 き、富貴栄華を享受したが、腰斬の刑に処されることになると、「もし私が若返ることができたとしても、再び黄色い犬を引いて蔡の東門に 出、ずる賢いウサギを追いかけることが、どうしてできるだろうか」とその子供に言った。明の崇禎帝の朱由検[明朝最後の皇帝]は天子で あったが、首をくくって死ぬ前にはその娘に「お前はなぜ私の家に生まれたのか」と言って嘆いた。世間で権力を得て高い位に就くことも、頼 りないものであることを知るべきである。ましてや一般のずる賢い政治家は、高い位を得るすべもないのに、わずかな名誉や利益を得ようとし て、それぞれ思いをめぐらせて暗闘し、世間に是非を問いながら、他人も自分も害していく。実に俗は耐え難いものである。仙道を修行する人 は、まず最初に世俗を看破し、物欲のために苦労することなく淡泊を心に抱くことができなければならない。そうすれば自然無為・清静超俗の 境界に到達することができる。道家や道教の祖師である老聃や荘周が、この清静無為派の仙人に属する。魏・晋の時代の道士である孫登や郭文 は、世情を詳細に吟味して看破し、深い山に隠居した。彼らは自然無為によって道を修め、清静によって仙を求めた。清静淡泊は修仙の大要で ある。
(2) 養形・駐顔と男女双修
道教は生きたままで道と合して一つになることを主張しているので、仙道を修行は生を養うことからはじめる。仙人は、ほとんどが少年の ように美しく生き生きとした容姿をしている。《参同契》は「道に陰陽がなければ、天元[万物が生育するもと]に背いている」と述べてい る。道教では男女間の情愛や性生活について何はばかることなく言及し、それを修道の仙術として取り扱うようになった。だから、健身術・養 生術・駐顔術・美容術・房中術などは修仙のための道術に含まれる。どのように身体を保養するか、どのように服薬・洗浴・按摩などによって 皮膚や容貌を美しくみずみずしくするか、どのように男女の性生活を調整して身体を強健にしかつ幸福や利益を得るかについては、道書の中に 多くの記載がある。彭祖は、仙は房中術などによって身体を養って得るものであると説いている。唐代の書物には生文簫のことが記されてい る。彼は西山に遊んだ時、一人の美しくほっそりした少女に出会い、お互いに愛慕の情が生じて結ばれて夫婦になった。少女は実は仙人の呉彩 鸞で、大仙人呉猛の娘だった。彼女は文簫と結婚したので12年の間人間に格下げされたが、その後、西山に帰って修練し、夫婦ともども仙界 へ登った。また、漢末の劉晨と阮肇は天台山に入って薬草を採っていて道に迷い、山中の仙境へ迷い込んだ。彼らはそこで二人の仙女に出会 い、仙府の中へ招かれた。仙府の中は非常に美しく劉・阮と二人の仙女はその中で美酒を飲み、仙桃を吟味し、胡麻飯を食べ、それぞれ対に なって結ばれ、存分に楽しんだ。劉と阮の二人は仙女と半年の間同居したが、やがて故郷に帰りたいと思った。二人の仙女は彼らを引き留めよ うとしたが思いは止まず、劉と阮は郷里に帰った。二人が故郷に帰ってみるとその様子はすっかり変わっていた。彼らがそこを出てからなんと 数百年の時間が過ぎていたのである。このように優美な神仙の話は道教の仙人の風格や仙術の特徴を反映している。全真道の孫不二仙姑は詩に 次のように書いている。「蓬島はもどるには同伴者が付いていくことが必要で、一人では碧岩の頭に上ることは難しく、もし物寂しいく修練す るとすれば、弱水にも都合のよい舟は少ない」。
(3) 服餌・仙薬と金丹術
中国では古くから草木などの薬物によって病気を治療し、ある種の薬物には身体を健康にし寿命を延ばす効果のあることが知られていた。 道士は石菖蒲・霊芝・白朮・菊花・枸杞・人参・鹿茸・黄精・首烏などを服用することによって養生し、道教の中に服餌派が形成された。なに がしかの薬物と人の体質が合っていると、大きな効果を生じ、それが仙薬と呼ばれた。仙薬の中で最も影響が大きなものは、道士が人工的に精 製した金液還丹である。中国の金丹術の起源は、古代の冶金製造業であり、職人たちの冶金技術が方士たちの煉金術(黄白術とも言う)に変化 し、さらに煉金術から煉丹術へと発展した。黄白術は安価な金属から黄金や白銀を精製する技術であるが、実際に作り出した薬金・薬銀の多く は銅合金だった。道士は薬金や薬銀を服用すれば寿命を延ばせると考え、のちにそれらは修道の資金作りに使われた。煉丹術は西漢の時代にす でに伝わりはじめ、方仙道では金液還丹を服用することが仙に昇るためのステップであると考えられていた。魏・晋の時代の金丹術(煉金術と 煉丹術を含む)は《黄帝九鼎神丹経》と《太清金液神丹経》が主流で、隋・唐に至って発展はピークに達した。その後衰退して、内丹術に取っ て代わられると、金丹術は外丹術と呼ばれるようになった。唐代の外丹の多くは水銀・鉛・ヒ素の酸化物・硫化物および水銀の塩化物である。 唐以後も外丹術は依然として伝える人がいて、清末にも《金火大成》(1874年に初刊、のちに《金火集要》と改めて重刊)が出版された。 内丹術は唐代から形成され、多くの外丹の術語を借用し、竜虎・鉛汞・鼎炉などの術語によって人体の精・気・神の運行の様子を表現した。宋 代以降、外丹術は地元丹法と呼ばれるようになり、内丹の術語と理論を借用したので、外丹書も精・気・神などの術語によって煉丹の過程を記 述するようになった。つまり、中国の金丹術は常に内丹術と混じり合い、どちらも仙学の範疇に属していた。その目的は丹を煉る炉の中で模擬 的に道家の宇宙論を展開し具象化した「道」を作り出すことであり、それを服用して道を得て仙人になることだった。それ自体は巫術の特徴を 備え、その化学実験の成果は副産物にすぎない。道教の歴史上の魏伯陽・葛洪・狐剛子・張果などは、丹を煉った仙人として尊敬されている。
(4) 多彩な気功の煉養術
「気功」は、道教ではもともと「気法」あるいは「気術」と呼ばれていた。後世の武術家がその術を取り入れて気功と名付けたので、気功 という名称が広く使われるようになった。現代の気功の範囲に属する道教の各種の煉養方術を総合すると、形・気・神を鍛練する三種類の功法 に大別できる。身体を鍛練する煉養形体の功法には、導引・按摩・叩歯・咽津・站木庄・五禽戯・八段錦・鳴天鼓・禹歩などのさまざまな格好 の動功がある。これらの導引の動作の中にも行気や存思を配合することが必要である。気を鍛練する煉気類の功法には、行気・服気・閉気・吐 納・胎息・布気・辟穀・六字気・気禁・服日月光華・服元気・餐霞・飲露・服紫霄などの多様な鍛練方法がある。神[意識]を鍛練する煉神類 には守一・存神・心斎・坐忘・定観・瞑想・内視・守竅・日月星辰や仙境の存思などの功法が含まれる。数千年にわたって、方士や道士は生涯 をかけてこれらの多彩な功法を習練し、老荘哲学を実際に自分の心身で体験した。王玄甫は返観内照の術を三十年余り修練したので、自分の体 内の五臓を透視することができ、暗闇の中でも本を読み字を書くことができた。これがおそらく道家の「五臓を治し、精神を洗う」ということ であり、優れた知恵が顕現する仙人の境地だろう。気功も修道者が仙人の路を進んでいくための橋渡しである。
(5) 術数の学と預言家
術数の学は天干・地支・陰陽・五行・九宮・八卦・六親・星辰・神 などの符号によって時間・方位を系統立てて表示し、人や事の吉凶を 推算し、未来の吉凶や命運を占う予測の技術である。道教の中で盛んに行われている術数の学には、京氏易・梅花易数・五行易などの各種の易 卜のほか、国運を占う太乙数、命運を占う河洛理数・四柱推命術(子平術)・紫微斗数などや、さらに六壬課・奇門遁甲・相術・星占術・堪輿 術の類もあり、枚挙にいとまがない。術数の学は陰陽五行の学説や天人感応原理が柱となっている。早くは春秋戦国の時代にその風潮が形づく られ、騶衍の学派が発展した。漢代には讖緯・易経象数学・星命学があり、楊雄が《太玄》を著した。唐代の道教には占験派があり、宋代の邵 雍は《皇極経世》や《梅花易数》を著した。明代には河洛理数・太乙数・果老星宗・鉄板数の類が行われ、清代には《図書集成》や《四庫全 書》に堪輿学・大六壬神数・奇門遁甲などの術数の書が収められ、《協紀辨方》が編集された。術数学は中国の伝統的な学術の大きな流れの一 つである。それが社会の中で数千年にもわたって伝わってきたことには、必ずその存在理由がある。術数学が道教の中で発展しえたのは、明ら かに修道者が個人や仲間の命運を掌握しようと努めたからである。それは「自分の命運は自分にあり天にはない」という理念に一致していた。 歴代の術士が当たるかどうかをその存在の根拠として研究を重ね、社会で実践されていったので、術数学は知らず知らずのうちに科学へ近づい た。だから、古代から伝わってきた術数を迷信として簡単に斥けることはできない。それらを科学的な観点から改めて鑑別しなおす必要があ る。魏・晋の時代の管輅や郭璞、唐・宋の時代の李淳風・李虚中・徐子平・邵雍などは、術数によって世に名を知られ、先見の明のある預言家 であると言われた。
(6) 自然を超越した能力を追求する方士
修道の士は自然の力や社会の力による束縛を打破するために、身体の潜在能力を開発することを特に心掛けた。中国の古人はかなり早い時 期から人体に巨大な潜在能力が隠されていることを知っていたようで、それを開発することによって普通の人にできないようなことをしてい た。道教の法術は、ほとんどが古代原始宗教の巫覡[呪術師]が伝えた巫術から変化したものであり、その目的は自然を超越した能力を追求す ることにあった。明代の王世貞の《列仙全伝》の記載によると、玉子(章震)は長桑子を師と拝して道を学び、風や雨を起こし、口から五色の 雲を吐き、眼は千里を見、急速に飛び上がって変化し、咒水によって人の病気を治すことができた。弟子の太玄女(顓和)もさまざまなものに 変化することができ、起死回生で多くの人を救った。道書の中にはこのような自然を超越した能力について非常に多くの記載がある。これらの 自然を超越した能力を持った方士には、人体の潜在能力を開発することによってそのような力を身につけた者もいれば、道教の法術を研究する ことによってそのような力を身につけた者ものもいる。現実社会や自然界を超越すれば、神通力や法術が備わり仙人の境界へ入っていけるとい う話は、理屈に合わないでたらめな話であると道士たちは考えている。
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参考 : 玉子(《神仙伝》より)
⇒ 参考 :太玄女
(《神仙伝》より)
(7) 消災治病・祈福勧善の道士
道教が封建社会の中で倫理型の宗教へ成長していくにつれて、人のために災いを消し病気を治療することや福を祈り善を勧めることも仙人 の門へ進んでいくための手段となった。唐代の広陵の平民李珏の説くことによると、よく父母につかえて道を厚くし、終生善を行い徳を積んで 自己の道徳的品性を修練していけば、仙人の境界に到達することができる。民間の道士が人のために災いを消し病気を治療し福を祈ることも徳 を積むことであり、戒めを守り経を読むことも道士個人の道徳的品性を修練することになる。それらによって、彼らは速やかに仙人の基準をク リアーすることができるのである。
以上の種々のいわゆる「仙人」の話の多くは、道教の荒唐無稽な話が大きく変化していったものである。