柱者建天地也
柱とは天地を建てるものである
若椀若盂。若瓶若壷。若甕若盎。皆能建天地。兆亀数蓍。破瓦文石。 皆能告吉凶。是知天地万物成理。一物包焉。物物皆包之。各不相借。以我之精。合彼之精。両精相搏。而神応之。一雌一雄。卵生。一牝一牡。 胎生。形者彼之精。理者彼之神。愛者我之精。観者我之神。愛為水。観為火。愛執而観因之為木。観存而愛摂之為金。先想乎一元之気。具乎一 物。執愛之。以合彼之形。冥観之。以合彼之理。則象存矣。一運之象。周乎太空。自中而升為天。自中而降為地。無有升而不降。無有降而不 升。升者為火。降者為水。欲升而不能升者。為木。欲降而不能降者。為金。木之為物。鑚之得火。絞之得水。金之為物。撃之得火。鎔之得水。 金木者。水火之交也。水為精。為天。火為神。為地。木為魂。為人。金為魄。為物。運而不已者為時。包而有在者為方。惟土終始之。有解之 者。有示之者。
椀・盂1・ 瓶・壷・甕2・盎3のようなものは、す べて天地を建てることができる。兆亀4・数蓍5・破瓦6・文石7は、すべて吉凶を 告げることができる。これらは天地万物を成り立たせる原理を知っている。一つ一つの物はこの原理を包含している。物という物はすべてこれを包 含し、どれかがどれかから借りてくるということはない。自分の精があちらの精と合し、両者の精が掴み合って神がこれに応じる。一羽の雌8と一羽の雄9では卵が生まれ、一 匹の牝10と一匹の牡11では胎児が生ま れる。形12はあち らの精13であり、理14はあちらの神15である。愛する のは自分の精であり、観じるのは自分の神である。愛することは水であり、観じることは火である。愛することが執着して観じることの原因になる のが木であり、観じることが存在して愛することに吸収されるのが金である。まず一元の気を思い、一物を備える。これをしっかり愛してあちらの 形に合わせ、これをぼんやり観じてあちらの理に合わせれば、象が存在するのである。一運の象が、太空を周れば、中から昇るのが天であり、中か ら降りるのが地である。昇って降りないことはなく、降りて昇らないことはない。昇るのは火であり、降りるのは水である。昇ろうとして昇ること のできないのは木であり、降りようとして降りることのできないのは金である。木の変化した物としては、これをきりで穴をうがてば火が得られ、 これを絞れば水が得られる。金の変化した物としては、これを強くたたけば火が得られ、これを溶かせば水が得られる。金と木は、水と火が交わっ たものである。水は精であり、天である。火は神であり、地である。木は魂16であり、人である。金は魄17であり、物であ る。めぐって已まないのが時間である。包み込んで存在するのが方向である。ただ土だけが始めから終わりまで、これを解くものを有し、これを示 すものを有する。
天下之人。蓋不可以億兆計。人人之夢各異。夜夜之夢各異。有天有地。有人有物。皆思成之。蓋不可 以塵計。安知今之天地。非有思者乎。
天下の人は、億兆でもってしても計ることはできないだろう。人々の見る夢はそれぞれ異なり、夜な夜な見 る夢はそれぞれ異なるが、夢の中にも天があり地があり、人があり物があり、これらのすべてを思ってしまうことは、塵18で もってしても計ることはできないだろう。今の天地は、思いを有するものではないことがどうしてわかるだろうか。
心応棗。肝応楡。我通天地。将陰夢水。将晴夢火。天地通我。我与天地。似契似離。純純各帰。
心は棗19に 応じ、肝は楡20に 応じ、自分は天地に通じる。陰へ行けば水を夢見、晴れへ行けば火を夢見、天地は自分に通じる。自分と天地は、くっついているようで離れている ようであり、混じることなく純粋にそれぞれに帰着する。
天地雖大。有色有形。有数有方。吾有非色非形。非数非方。而天天地地者存。
天地は大きいが、色や形を有し、数量や方向を有する。われは色でないものや形でないもの、数量がないも のや方向がないものを有し、そして天の天・地の地が存在している。
死胎中者。死卵中者。亦人亦物。天地雖大。彼固不知。計天地者。皆我区識。譬如手不触刃。刃不傷 人。
胎の中で死んだ者や卵の中で死んだ者は、人でもあり物でもある。天地が大きくても彼は決してそのことを 知らない。天地を計ることは、すべて自分が区切り識ることである。たとえば手が刃に触れなければ、刃は人を傷つけない。
夢中。鑑中。水中。皆有天地存焉。欲去夢天地者。寝不寐。欲去鑑天地者。形不照。欲去水天地者。盎不 汲。彼之有無。在此不在彼。是以聖人不去天地。去識。
夢の中にも鏡の中にも水の中にも、天地が存在する。夢の天地を消し去ろうとする者は、眠らないようにす る。鏡の天地を消し去ろうとする者は、形を鏡に映さないようにする。水の天地を消し去ろうとする者は、盎に水を汲まないようにする。あちらの 有無は、こちらによるものであちらによるものではない。それで聖人は天地を消し去ろうとせず、識21を消し去る。
天非自天。有為天者。地非自地。有為地者。譬如屋宇舟車。待人而成。彼不自成。知彼有待。知此無 待。上不見天。下不見地。内不見我。外不見人。
天は自ずから天なのではなく、天であるとする者があるのである。地は自ずから地なのではなく、地である とする者があるのである。たとえば家屋・船・車などは、人がそれを必要とするから成り立っているのであり、それらは自ずとは成り立たない。あ ちらにはあちらを必要とするものがあるが、こちらにはこちらを必要とするものがないことを知れば、上には天を見ず、下には地を見ず、内には自 分を見ず、外には他人を見ない。
有時者気。彼非気者。未嘗有画夜。有方者形。彼非形者。未嘗有南北。何謂非気。気之所自生者。如 揺箑得風。彼未揺時。非風之気。彼已揺時。即名為気。何謂非形。形之所自生者。如鑚木得火。彼未鑚時。非火 之形。彼已鑚時。即名為形。
時間を有するものは気であり、あの気ではないものは、夜で区切ったことはない。方向を有するものは形で あり、あの形でないものは、南や北を有したことはない。気ではないものとは何か。たとえばうちわを振って風を起こせば、気が自然に生じる。そ れを振る前には風の気でなかったものが、それを振っている時には気と名付けられるものになるのである。形ではないものとは何か。たとえば木に きりで穴をうがって火を起こせば、形が自然に生じる。それにきりで穴をうがつ前には火の形でなかったものが、それにきりで穴をうがっている時 には形と名付けられるものになるのである。
寒暑温涼之変。如瓦石之類。置之火即熱。置之水即寒。呵之即温。吹之即涼。特因外物有去有来。而 彼瓦石無去無来。譬如水中之影。有去有来。所謂水者。実無去来。
寒・暑・温・涼の変化は、瓦や石などの類を火の中に入れれば熱くなり、水の中に置けば冷たくなり、ハ アーと息を吹き付ければ温かくなり、フウーと息を吹けば涼しくなる。ただ外の物が行ったり来たりすることによるだけで、その瓦や石は行ったり 来たりしない。たとえば水の中の影は、行ったり来たりしても、水というものは、実際には行ったり来たりはしない。
衣揺空得風。気嘘物得水。水注水即鳴。石撃石即光。知此説者。風雨雷電。皆可為之。蓋風雨雷電。 皆縁気而生。而気縁心生。猶如内想大火。久之覚熱。内想大水。久之覚寒。知此説者。天地之徳。皆可同之。
衣服が揺れれば空には風が起こり、フウーと静かに息を出せば物には水が生じる。水に水を注げば音をたて、石に石をぶつければ光が出る。この説を知るもの は、風・雨・雷・電22を 起こすことができるのである。さて風・雨・雷・電は、どれも気をきっかけとして生じ、気は心をきっかけとして生じる。たとえば内に猛烈な火を 長い間想像していると、熱くなるのを感じ、内に大量の水を長い間想像していると、寒くなるのを感じる。この説を知るものは、天地の働きと同じ ことができる。
五雲之変。可以卜当年之豊歉。八風之朝。可以卜当時之吉凶。是知休咎災祥。一気之運耳。渾人我。 同天地。而彼私智。認而已之。
五色の雲の変化から、その年の豊作・凶作を占うことができる。八方位の風の向きから、その時の吉凶を占 うことができる。この吉・凶・災厄・吉祥を知るのは、気の運行だけである。他人と自分をごたまぜにし、天地をいっしょにすると、あの私的な智 が認識するだけである。
天地寓。万物寓。我寓。道寓。苟離于寓。道亦不立。
天地は仮託であり、万物は仮託であり、自分は仮託であり、道は仮託であるが、もし仮託することがなかっ たら、道も立てることができない。
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