張伯端著・劉一明注解 《悟真直指》より
神坂雲太郎・神坂風次郎 訳
敲竹喚亀呑玉芝,鼓琴招鳳飲刀圭。
近来透体金光現,不与凡人話此規。
竹を叩き亀を呼んで玉芝を食らい、琴を弾いて鳳を招き刀圭を飲む。
しばらくして体いっぱいに金色の光りがあらわれるが、凡人にこの掟を話してはならない。
悟元子注:
竹爲虚心之物,敲之則應;琴爲有音之物,調之則和。亀爲養氣之物;鳳爲文明之物。玉芝爲柔嫩長壽之物;刀圭爲精醉不雑之物。亀、刀
圭皆属陽,鳳、玉芝皆属陰。金丹之道,虚心實腹兩件事,其外再無別法。
人心虚,則道心生而腹實,如「敲竹喚亀」也。腹即實,以道心之剛,制人心之柔,如「亀呑玉芝」也。眞知現則霊知静而心明,如「鼓琴招
鳳」也。心既明,以霊知之性,養眞知之情,如「鳳飲刀圭」也。道心眞知,人心霊知,虚實相應,剛柔如一,常應常静,圓陀陀,火灼灼,浄裸
裸,赤灑灑,透體玲瓏,内外光明,入於從容中道聖人之域。此係竊陰陽、奪造化、轉乾坤、扭氣機、先天而天弗違之道,安可與
凡人話之乎?
『竹』は中心の空虚な物で、これを叩けば音が鳴る。『琴』は音を発するもので、これを調整すれば調和する。『亀』は気[生命力]を養う物
であり、『鳳』はあでやかではっきりした物である。『玉芝』は柔らかくて長寿の物であり、『刀圭[薬さじ]』は雑じりけのない純粋な物であ
る。『亀』と『刀圭』は陽に属し、『鳳』と『玉芝』は陰に属する。金丹の道は、心を空虚にすることと腹を充実させることの二つの事であり、そ
れ以外の方法はない。
人心[人間的な心]が空虚になれば、道心[根源的な心]が生じて腹が充実する。これは「竹を叩いて亀を呼ぶ」ようである。腹が充実して、道
心[根源的な心]の剛さが人心[人間的な心]の柔らかさを制することは、「亀が玉芝を呑む」ようである。真知[真正な知]が現れれば霊知[霊
妙な知]は静まって心がはっきりする。これは「琴を弾いて鳳を招く」ようである。心がはっきりして、霊知の性[霊妙な知の本質]によって真知
の情[真正な知の動き]を養成することは、「鳳が刀圭を飲む」ようである。道心の真知[根源的な心の真正な知]と人心の霊知[人間的な心の霊
妙な知]が、虚実に相応し、剛柔一体のようになり、常に応じていながら常に静まっていれば、真ん円く、火のように明るく、赤裸々で、透き通っ
てはっきりしていて、内も外も光り輝き、ゆったりと落ち着いた中道[有・無、断・常などの二つの極端な対立した世界観を超越した立場。また、
快楽主義と苦行主義の両極端を離れること]の聖人の域に入る。これが陰陽を盗み、造化[天地の万物を創造し化育すること]を奪い、乾坤[易の
乾卦と坤卦。天と地に対応する]を転じ、気機[気の働き]をねじり、天に先んじてしかも天に違わざる道である。どうして凡人とこれを話せるだ
ろうか。