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さよなら向ヶ丘遊園モノレール 見学会
- 2001.3.24〜25

2001年、突如幕を降ろした向ヶ丘遊園モノレール。そのお別れイベントが、向ヶ丘遊園正門駅で行われました。

[撮影 : Nikon COOLPIX 990]

経緯

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川崎市多摩区の遊園地、向ヶ丘遊園。来園者アクセスとして小田原線の向ヶ丘遊園駅と遊園正門の間を戦前から走っていた「おとぎ列車」が道路整備のため廃止され、代わりに1966年4月、モノレールが開業した。営業キロは1.1km。「未来の鉄道」としてモノレールが注目を浴びた時期でもある。

「モノレール」と呼ばれる交通機関には大きく二つの形式、跨座式と懸垂式がある。当時跨座式の中でもゴムタイヤを使用するアルウェグ式、東芝式などが並立したが、ここで導入されたのはロッキード式であった。「ロッキード」とは、全日空が導入した「トライスター(とそれにまつわる疑獄)」で知られる航空機製造会社。同方式はそのロッキード社が開発した、鉄車輪と鉄レールを用いる方式である。

同年、兵庫県姫路市の手柄山に同方式が導入された。しかしこちらは年月を経ず休廃止となっている。以来向ヶ丘モノレールは唯一のロッキード式として運行を続けてきた。


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車両は開業当初から1編成2両のみの在籍であった。閑散期の2月に運休して検査を行うのが常だった。しかし2000年2月、そのいつもの点検で車体台車に亀裂が発見され、運休は4月まで延期、それもまた全般にわたる細部検査が必要と11月末まで伸ばされた。

その結果、車両・施設各部の老朽化が進み、その修理にかかる費用がかさむこと、輸送人員も落ちこんでいたこと等から、小田急ではモノレールの廃止を決定。2001年11月末の廃止を当時の運輸省に申請した。「さよなら運転」も行えない、あまりに突然の終幕だった。

その後、路線の経緯、輸送の実績、代替交通機関(バス)もすでに整っていることなどから、廃止時期を早めても沿線への影響がないとして、廃止時期を1月末に繰り上げる申請が国土交通省に認可され、申請通り2001年2月1日付で廃止となった。そして1年後の2002年3月末には遊園自体も――


お別れイベント、の前に

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24日10時半ごろに向ヶ丘遊園に着くと、会場に長い列。が、よく見るとグッズ販売に並ぶ人だった。メインとなる車両見学は時間指定の整理券配付。あっさりともらえたが、入場はかなり先の12時すぎ。

まだ時間がある。ただぼーっと待っているだけではつまらないので、せっかくだから遊園に入ってみることにした。このイベントに合わせて発売された「さよなら向ヶ丘遊園モノレール・パスネット」を提示すると、入園料が半額の大人500円になった。


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「花と緑の遊園地」と銘打つだけあって、花が多い。これからはもちろん桜だ。正面の大階段の上から見下ろすと、モノレールの線路が見える。隠れた桜の名アングルだったことに今更ながら気づかされる。

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園内には鉄道資料館がある(入場無料)。資料館の建物は新松田の駅舎を移築したもの。これが開業当初の駅舎の基本スタイルで、5駅に建てられたうちの向ヶ丘遊園駅北口が、今も駅舎として使われている。

中には信号・標識、鉄道模型などが展示されている。NSEの客室座席なども置かれている。資料館の脇にはED1000形電気機関車が静態保存。遊園地の閉園以降、ばら園など施設の一部は残るようだが、これはどうなるだろうか。


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おだやかな春の一日、行楽客がほどよく入っている。さすがにきょうは鉄道ファンがちょっと多いけど。

園内にも「汽車」があった。その名も「フラワートレイン」。桜並木の下を走っているから、これから一年で一番美しい時期を迎えるわけだ。