〔はやて〕開業の余韻もまだ残る2003年3月。大盛況・JR東日本パスを握っての東北雪景色めぐりは、オフシーズンとは思えない新幹線の混雑に、思わぬ大雪にも遭って……
西日射す一ノ関駅をフルスピードで通過する〔はやて(+こまち)〕 [Nikon D100, AF Nikkor ED 18-35mm F3.5-4.5D (IF)] |
突然決定・東北私鉄ゆき - 山形鉄道 -
東京 8:36-(105B〜105M:つばさ105号)-10:58 赤湯 11:02-11:51 荒砥 12:13-13:08 赤湯 13:54-(116M:つばさ116号)-14:43 福島 14:56-(55B:Maxやまびこ55号)-15:47 くりこま高原
賑わう新幹線ホームのとなりにひっそりと着いた 寝台特急〔あさかぜ〕(東京) |
2003年3月8日朝、相も変わらず賑わう……というより喧騒が渦巻くと表現したい、東京駅の新幹線ホームに立った。〔つばさ105号〕に乗って山形へ向かう。
手にするは「JR東日本 完全民営化記念 お客様感謝月間」の目玉商品として発売された「JR東日本パス」。全線有効で1日8,000円、2日12,000円という破格値のうえ、指定席も2または4回使用可能とあって特に新幹線指定席へ予約が殺到、本来ならオフシーズンのこの時期に「希望の列車の予約が取れない場合も」などと駅に貼り紙されるまでになった。3月の前半はあまりすることがないから、これを使って東北の私鉄をすこしでも回っておこうかと思っていたのに、この状態では……と尻込みしていたのだった。
それが数日前の夜、たまたまCyber Stationでつばさ号に「△」を発見したからさあ大変、あわてて「えきねっと」で予約したところ「取れました」というメールとともに、その空席も「×」になった。翌朝帰りの列車も確保して、急遽計画を立てたのだった。
そんな状況だから当然〔つばさ〕自由席乗車口は長蛇の列で、全車指定の〔はやて・こまち〕もデッキに多くの立客。パス自体の発売は制限されていないので、ほとんどの乗客がパスを持っていたように思えた。結果、大宮で指定席にも立客が入り込む状態になった。大宮に入ってきた上り〔つばさ〕も通路まで人でいっぱい。
関東平野は晴れて暖かかったが、東北に近づくにつれて曇りだし、やがて雪景色となる。一瞬に変わる風景を見るのも、新幹線ならではの車窓の楽しみといえる。福島で在来線に降り、板谷峠にさしかかれば地表は一面真っ白、山形県側では木々の枝まで白く染まっていた。赤湯には予定通りの到着で、通路の立客をかき分けて下車、山形鉄道・フラワー長井線に乗り換える。1,435mm軌間の奥羽本線とは分断された1,067mmの線路に中型のディーゼルカーが待っていた。
山形鉄道 (荒砥) | 荒砥駅 |
米沢盆地を走る山形鉄道は旧国鉄(JR)長井線を転換した第三セクター。フラワー長井線という名称 (正式名称) は、沿線が花の産地であることにちなむとか。風が強いのだろう、集落の周りには杉などが風よけに植えられて、駅でも見られる。茶色くなっているのはもう花粉を一杯にためた状態で……。
終点・荒砥(あらと)駅は駅舎をコミュニティセンターとして建て替え、駅前の整備もしている。最近よく見る光景で、地域の拠点として再生しようという動きは評価するが、「駅」という雰囲気というか重みがなくなっていくのはなんとなく寂しくもある。
〔Maxやまびこ〕と〔つばさ〕連結 (福島) |
もと来た道を福島まで戻り、〔Maxやまびこ55号〕に乗り継ぐ。まだ自由席も多かったが、2階席に空席を見つけてかなり遅めの昼ごはん。仙台でかなりの下車客があったが、それを上回るほどの乗車客がホームに待っていた。
ローカル私鉄の苦闘 - くりはら田園鉄道 -
くりこま高原 16:13-(バス:栗夢号しゃとる)-16:28 沢辺 16:32-17:00 細倉マインパーク 17:08-17:52 石越
次は「くりでん」――くりはら田園鉄道 (石越〜細倉マインパーク) 。くりこま高原からバスで途中の沢辺へ向かう。
くりこま高原駅はその名前とは裏腹に、平原のまん中に忽然と姿を見せる。別にここだけの話ではなく、全国的に「高原」という名のつく駅は高原の中にあったりはしないのだが。1990年に地元請願によって開設した新駅で、栗駒山方面アクセスの拠点駅とされているが、今はシーズンとはいえないにしても、寒風の強い駅前は閑散としている。仙台まで30分という足のよさを活かし、「パークアンドライド」の拠点として整備しているようで、それなら土日に人影が少ないのもうなずけるところだ。
栗夢号しゃとる (くりこま高原) | タブレットの交換自体は今や珍しくなったが…… (沢辺) |
新駅の設置場所はくりでんとの交差部も検討されたらしいが、結局志波姫(しわひめ)町の中心に近い場所に決まり、両者は無関係の鉄道であった。連絡バスが走り出したのは1997年になってからである。走るのは「栗夢(くりむ)号しゃとる」という、レトロ調のデザインを内外にほどこしたどちらかと言えば観光用車だが、乗客は「乗り鉄」目的の人だけ……。
15分で着いた沢辺駅は有人。くりでんの運転はいまも非自動通票閉塞、つまりタブレット交換をしていて、交換駅の構内には現役で働く腕木式信号機まで見られる。窓口で買うきっぷはこれも貴重な存在の硬券だった。記念に隣駅までのきっぷも求めホームに出ると、入ってきた列車に乗客の姿は無かった。
栗原電鉄時代の電機と貨車が留置されている (細倉マインパーク) |
くりはら田園鉄道は元の名を栗原電鉄といい、終点の細倉鉱山で採掘される鉱石の運搬を基盤としていた。閉山後、経営を譲り受けた地元と宮城県で再建、1995年に第三セクターとして再出発した。
合理化のためディーゼルカーを導入して旧来の電車を廃止する一方で、非自動閉塞に硬券の窓口販売などは残っており、中途半端というかどっちつかずの印象が拭えない。旧細倉鉱山は「細倉マインパーク」という観光施設になり、くりでんも細倉駅を移設して細倉マインパークと改称してアクセスを図ったが、失礼ながらいまどきその程度で客足が伸びるわけもない。
赤字体質が一向に改善されないため、宮城県が「2001年度以降の補助金を打ち切る」と表明、これは2003年度まで延長されたが、2003年10月までに運行の継続について結論を出すよう求めた。事実上の廃止通告。くりでんは2003年、つまり今年、存廃について重大な局面を迎えることになる。
車内に「くりでんの将来を考えるシンポジウム」などのポスターが貼られていたり、おもに鉄道ファンむけに「くりでんサポーターズクラブ」を設立して支援を求めるなど、危機感というものは確かに感じられる。しかし、いくら話をしたりカネを出したりしても、乗客(貨物)のない鉄道は正しい鉄道の姿とはいえない。
休日に一回乗ったくらいで言うのは乱暴にすぎるが、ひいき目に見てもこの鉄道の将来はかなり厳しい。今の状態では、架線どころかレールまで外されてしまいかねない。じゃあ、といってバスに転換したとしても、またその先に存廃問題が浮上するのは目に見えている。並行して走る道路にも車の姿が少ないというのが、その先を暗に示しているような気がしてならないのだ。
折り返し石越(いしこし)ゆきは、始発の細倉マインパークでは実質無人だったが途中駅で少しずつ乗り込み、ちょうど雲の向こう側で陽が落ちた頃に石越に到着した。1面1線の無人駅だった。
くりでんの始発駅・石越 わずかな乗客が降りると静まり返る |
予定外の〔はやて〕初体験 - 東北新幹線 -
石越 17:58-(543M)-18:20 一ノ関 18:35-(83B:やまびこ83号)-19:18 盛岡 19:26-(3023B:はやて23号)-20:04 八戸
広い駅構内の片隅にワンマン電車が停車 (一ノ関) [Nikon D100, AF Nikkor 50mm F1.4D] |
こちらは有人駅のJR石越から東北本線701系で一ノ関に向かい、新幹線へ乗り継いだ。〔やまびこ83号〕は仙台始発の各駅停車。時間帯からして通勤新幹線と思われ、平日は普通車の全車が自由席。土休日は2両ほど指定席になるが乗客そのものが少ないので、どの車も空きに空いている。適当に3列席に掛けた。
車両はリニューアル改造を受けていない200系12両編成で、すでに懐かしさが漂う。デッキに冷水器が残っているのも国鉄的だ。ビュフェも連結されているが既に営業列車はなく、こちらはデジタル式の速度計が無人の空間に速度を示しつづけていた。今般〔つばめ〕が営業を廃止して、列車設備(時刻表にコーヒーカップの印)としてのビュフェは不定期列車〔ゆふいんの森〕に残るだけとなった。こうなってくるとそろそろ車販の有無を時刻表で知りたくなる。最近は[弁]マークもアテにならないことが多く、構内・車内にいる限り食糧事情は悪くなっているような気がするから、つい予防的に買い込んでしまうことだ。
簡素なアナウンスが流れて終点・盛岡に到着。ここから、新幹線と引き換えに経営分離された東北本線――IGRいわて銀河鉄道・青い森鉄道を経由して八戸(はちのへ)に向かう予定だった。とうに暗闇に包まれている時間であるが、転換前に通った同じ線路なので、夜でも構わなかったのだ。
ところがこの数日、東日本で強い冬型の気圧配置のため太平洋側を中心に大雪が続き、岩手・青森県の鉄道が軒並み不通・遅延になっていた。JRでは山田線・岩泉線・釜石線・八戸線が不通になっていることは確認できたが、こちらはどうなのか? ひとまず改札を抜けてIGRの出改札口へ急いだが、やはり いわて沼宮内(いわてぬまくない)〜八戸間で終日運休にされていた。
今日は八戸に泊まることになっていて、新幹線ででも行けるならば行くしかない。指定席枠はすでに使い切っていたが、盛岡〜八戸(秋田)は立席前提で使えることを確認し、〔こまち〕を切り離したばかりの〔はやて23号〕にすべり込んだ。この列車には、八戸延伸のため増備した大窓のE2系1000番代が充てられていた。
乗ってしまえば速いもので、特に徐行区間もなく30分あまりで八戸着。あらためて新幹線の威力を感じる。慌ただしくコンコースへ向かう下車客は東北本線へ向かおうとするのか、それともバス・タクシーか? 列車は折り返し上り最終となる仙台ゆき〔はやて74号〕となる。駅前に出ると、タクシーのりばには長蛇の列。この時期にしては異様ともいえる雪のうずたかさと踏み固められた氷状の雪に、足元の「耐雪装備」がすこし不足だった。
大雪の八戸に到着 乗客が去ったのち冷気が深く沈む |