「三代物語」


寒川郷 長尾荘
 

○大永六年(1526)十二月四日寒川丹後 十河右京進景滋に及び、津柳にて戦ふ。寒川氏の将 額孫右衛門 神前雅楽助と曰く。之れ津柳合戦と謂ふ。詳しき事 演史に在り。之を畧す。
     …(中略)…
 元亀三年(1572)寒川丹後 大内郡を三好長治に献ず。是に於いて 前山昼寝城に従ひ、十河存保に與す。合好 阿州中富川之役に戦死す。
弟有り 光永と曰ふ。  倍臣と為るを耻じて仕えず。薙髪(ていはつ=剃髪)を浄慶と號す。其の旧臣 額孫右衛門 香川郡中間郷に移り、農(=桑)を業とす。乃ち浄慶を迎え之を父事す、正保二年(1645)十一月廿日没す。壽八十有餘 絶えるに臨み歌を為す。曰く
   老いの浪八十字なり来て彼の岸へ御法の舟に棹をさすかな   (浄慶 辞世の歌)
     …(後略)…

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