「平家物語」
お立寄り数
源平合戦
では、真鍋氏は平家側について、一ノ谷の戦い、屋島合戦へと転戦したらしい。まなべ四郎五郎兄弟が一ノ谷の合戦で活躍している様子が「
平家物語
」と「
源平盛衰記
」に記述されている。
★この兄弟は、平家物語では「眞名邊四郎五郎」となっており、備中國小田郡真鍋島(現在の岡山県笠岡市真鍋島)の住人と考えられている。真鍋島にはそのころ「真鍋荘」があり、平氏の荘園であった。
「平家物語」の順番で行けば、水島合戦→下津井の戦い→一の谷の戦い→藤戸合戦→屋島の戦い、と転戦していく。最初の
水島合戦
は真鍋島とも近いが、平家物語に書かれているとおり、真鍋四郎・五郎は水軍ではなく木戸の守備に配置されている。
「信長公記」に書かれているように、織田信長の時代には和泉の真鍋水軍がいたことがわかるが、それは戦国時代の1500年代。果たして源平合戦の寿永の頃(1180年頃)に真鍋水軍があったかどうかははなはだ疑問なので、唯一平氏が勝利した水島合戦に真鍋島出身者も参加していたかどうかはわからない。
「平家物語」日本古典文学大系33(岩波書店)より抜粋