天霧城家臣の真鍋氏


「香川県史 第2巻 通史編 中世」(H1.3.31 香川県編集発行)によれば、道隆寺への寄進者に真鍋修理亮家久という名が見える。真鍋修理亮は道隆寺の近くに住んでいた(田んぼを持っていた)ということであろうか。
永正15年(1518)は戦国時代の真っ只中である。また「秋山・真鍋・多田・河田氏は、他史料(秋山家文書)にも名前が見え、香川氏の家臣であることがわかる。」とある。秋山家文書に出てくるということは、下高瀬に住んでいたのか。香川氏はもちろん天霧城主である。



「道隆寺温故記」(これは写本か?)


「真鍋庄修理亮家久」となっているが、真鍋の庄に住む修理亮という意味なのか、それとも真鍋庄の所有者か。


「香川叢書第一」(S14.10.14発行)に「道隆寺温故記」の翻刻が掲載されている。







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