橘遠保




「香川県の歴史(県史シリーズ37)」(S46.12.28,市原輝士・山本大著,山川出版社)より

真部氏が橘遠保の末裔であるとする根拠はなんであろうか。

橘遠保自身の系図にも諸説あるようだが・・・。

詫間町は香川県内随一の真鍋姓の多い地域であるが、真鍋の足跡がまったく見つからない。なぜか?・・・ 庄屋でもなく目立たず百姓をしながら、手堅く地道に子孫を増やしていたのだろうか。


「新香西史」(S40.5.30,本田忠雄編集,香西町公民館発行)によれば、
次のとおり、真部氏は、橘遠保ではなく橘好古から出たとなっている。




<仮説として>

真部氏と真鍋氏はまったく起源を異にするのではないだろうか。真部は橘から出て、真鍋は真鍋島藤原氏を起源とする、というのはどうだろう。

藤原純友を捕らえた橘遠保から真部氏が出たのなら、今治市に真部氏がたくさん分布するのもうなずける。

また、讃岐では、たまたま同じ「まなべ」と読む真鍋と真部が、特に第三者から見て混同されていったのではなかろうか。「生駒藩家臣団知行所一覧」では真鍋(=眞鍋)と真部(=眞部)の混同が見られる。


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