「藤原信成」


真鍋島の真鍋先祖継図に出てくるキー人物、大納言藤原信成とは誰か? 真鍋のルーツを調べる上で、この人物を特定することはきわめて重要である。


 ★「系図纂要」岩澤愿彦監修(名著出版)をもとに藤原朝臣姓の系図をたどってみると、「信成」は次のとおり、約10名存在する。
 以下に、藤原鎌足から各「信成」に至る系図を示す。
 また、信成に子,孫がある場合はその男子をすべて示す。
 信成,その父,祖父の官位・生存年も分かるものは示す。


1)藤原鎌足−不比等−
房前(北家)−眞楯−内麻呂−冬嗣−忠平−師輔−兼家−道長−頼通−師實−師通−忠實−忠通−基實−基通−家實−兼平−基忠−冬平−冬教−師平−冬通−冬家−房平−政平−兼輔−忠冬−信房−信平−信政−信清−信友−信有−信明−信成−信充・房府・信敬−信敬・信任−
   ◆信有・・・豐松,左兵衛督,侍従,(1739-1793)
   ◆信明・・・友之丞,左兵衛督,侍従,(1743-1775)
   ◆信成・・・豐松,左兵衛督,侍従,信有の子→信明養子,(1767-1800)

2)藤原鎌足−不比等−
武智麿(南家)−巨勢麻呂−眞嗣(貞嗣)−高仁−保蔭−道明−尹文−永頼−永信−永業−仲實−仲隆−信成−政光・信全−成光・行光−
   ◆仲實・・・宮内少輔,正五位下,安木權守,寛治六年(1092)依日吉社訴配流,(1071-1108)
   ◆仲隆・・・二條關白勾當,(1130年頃?)
   ◆信成・・・本高信,崇徳院蔵人,従五位下

3)藤原鎌足−不比等−
宇合(式家)−藏下麿−繩主−貞本−正峯−在興−正倫−合茂−敦信−明衡−明業−周衡−信成
   ◆明業・・・養子(菅原明任の子),相模守,従五位下,(1100頃?)
   ◆周衡・・・駿河守,従五位下
   ◆信成・・・(無冠)

4)藤原鎌足−不比等−
房前(北家)−魚名−藤成−豐澤−村雄−秀郷−千時−千清−正頼−頼清−頼俊−行俊−惟季−盛俊−盛家−盛親−盛俊−盛繼(七郎左衛門)−盛繼−親家−家清−重清−義清−清長−信成−信正・信廣−信照・信武・信之・信直・某・信充・信雪・信直・信元・信通・乘眞−
   ◆義清・・・甚彌,甚太郎,右京進,三州碧海郡上野城主 属徳川氏,( -1537)
   ◆清長・・・弥二右衛門,継居上野城,( -1565)
   ◆信成・・・内藤三左衛門,豐前守,従五位下,(1546-1612)

5)藤原鎌足−不比等−
房前(北家)−眞楯−内麻呂−冬嗣−長良−國經−忠幹−文信−惟風−惟經−知綱−知信−爲忠( -1136)−爲業−範玄−覺範−慶範−信成−頼經・頼眞・頼安
   ◆覺範・・・興福寺,法橋
   ◆慶範・・・東大寺,法印
   ◆信成・・・東大寺,僧都

6)藤原鎌足−不比等−
房前(北家)−眞楯−内麻呂−冬嗣−良門−利基−兼輔−守正−善理−資國−國仲−盛重−盛景(1160頃?)−信盛ー信久−信茂−信兼−信宗−信成
   ◆信兼・・・左衛門尉
   ◆信宗・・・左衛門尉
   ◆信成・・・左衛門尉

7)藤原鎌足−不比等−
房前(北家)−眞楯−内麻呂−冬嗣−良門−高藤−定方−朝頼−爲時(920-986)−説孝−頼明(1000年頃?)−憲輔(1050年頃?)−朝憲−信成−仙實
   ◆憲輔・・・蔵人,備前守,従四位下
   ◆朝憲・・・蔵人,陸奥守,従五位上
   ◆信成・・・(無冠?)

7')藤原鎌足−不比等−
房前(北家)−眞楯−内麻呂−冬嗣−良門−高藤−定方−朝頼−爲時(920-986)−説孝−頼明−憲輔−朝憲−行憲−信成−信定・光成・行房・仙實・信全−忠輔・信宗・尊慶・光家・光定・忠房−
   ◆朝憲・・・蔵人,陸奥守,従五位上
   ◆行憲・・・本説輔,白川院判官代,従五位下
   ◆信成・・・蔵人,従五位下
    これは7)と同一人物か?(実兄「行憲」の養子になったのでは?)

8)藤原鎌足−不比等−
房前(北家)−眞楯−内麻呂−冬嗣−良房−基經−忠平−師輔−兼家−道隆−隆家−經輔−長房(1029-1099)−家信−信房−信成−信定
   ◆家信・・・養子(忠實の子),治部大夫,主殿頭,正五位下
   ◆信房・・・左馬權頭,正五位下
   ◆信成・・・蔵人,右馬頭,下總守,従五位上

9)藤原鎌足−不比等−
房前(北家)−眞楯−内麻呂−冬嗣−良房−基經−忠平−師輔−兼家−道隆−隆家−經輔−師信−經忠−信輔−親信−親兼−信成−親成・信氏・任快・親源・信辨−良親・教快・信定−
   ◆親信・・・三木,中納言,正二位,(1137-1197)
   ◆親兼・・・備前權守,權中納言,正二位,(1172-1246)
   ◆信成・・・左中将,三木,備前權守,正三位,(1197-1262)
   この信成は、水無瀬家の始祖となっていく。

9')藤原鎌足−不比等−
房前(北家)−眞楯−内麻呂−冬嗣−良房−基經−忠平−師輔−兼家−道隆−隆家−經輔−師信−經忠−信輔−信隆−信清(坊門)−忠信−信成
   ◆信清・・・三木,右衛門督,權大納言,内大臣,正二位,(1159-1216)
   ◆忠信・・・三木,左衛門督,權大納言,武家命遷越後國無流罪宣旨,( -1255)
   ◆信成・・・養子(親兼の子),三木,正三位
   これは上記の9)と同一人物である。

10)藤原鎌足−不比等−
房前(北家)−眞楯−内麻呂−冬嗣−良房−基經−忠平−師輔−兼家−道長−長家−忠家(1033-1091)−忠實−家信−信房−信成−保成
   ◆家信・・・主殿頭,従五位上
   ◆信房・・・右馬權頭,従五位上
   ◆信成・・・蔵人,下總守,従五位上
この家信は、上記8)へ養子にいった「忠實の子」と同一人物か? もしそうならそれ以降の信房・信成も同一人物ということになるが、官位・信成の子などの記載はよく似ていて、少し違う。


以上、「系図纂要」には「信成」という名前の者は9〜10名出てくるが、「藤大納言信成白河院ヨリ五代」に相当するものはいない。

しかし、9')の人物は、義父が大納言である。
また、「白河院ヨリ五代」というのを1200年前後と仮定すると、2),3),7),8),9),10)あたりの人物が近い。

ということから、9')の人物は、条件に合わないまでも、近い人物ではある。


        「公卿補任」にもこの人物は記載されている。