高松城下の侍屋敷


国立公文書館デジタルアーカイブに「讃州高松地図」があります。
この高松城下町に、「真部」姓がちらほら記載されています。

「讃州高松地図」の全体図 (「南」のマーク辺りが栗林公園)


城下部分の拡大図


拡大図(真部治三郎)


拡大図(真部宇治右衛門)

これらの人物は「三代物語」に記述されている真鍋弥助祐主の後裔か。

上記地図の記載文字は、上記国立文書館のホームページから→四国→香川県とたどって、絵図を拡大すれば読めます。

 − 讃州高松地図(「国立公文書館デジタルアーカイブ」の解説文)−
森幸安が寛延から宝暦(1748-63)にかけて書写、収集した地図類です。幸安は元禄14年(1701)年京都に生まれ、後に大坂の高津に移り住み、京や大坂の町を自ら歩き、書写した地図を交合したといわれています。また、その収集の範囲は日本各地の地図はいうに及ばず、日本全図や世界地図まで及び、当館所蔵分のみで222鋪を数えます。地図の余白には、その地図に関わる情報が、漢文で細かく書き記されています。これらの地図は、明治11年(1878)内務省地理局が購入し、同23年内務省より当時内閣記録局の所管であった内閣文庫に移管されたものです。
宝暦7年(1757)に書写された現在の香川県高松市の市街の絵図です。高松城より南に広がる城下には、住人の変化に応じた付箋が貼られています。


上図の左下の付箋にも「真鍋新平」と読めそうな名がある。上記の真部とは別系統の人物か?


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