「茨城県土浦市真鍋町」

 土浦町と真鍋町が対等合併して土浦市になっただけあって、真鍋は広く、現存する地名だけでも、真鍋1〜6丁目、東真鍋町、西真鍋町、真鍋台、真鍋新町があるが、「真鍋」という地名の由来については次の資料のように、定かでないようである。

 ★この地名の由来は、「真鍋」姓とは関係がないようである。


「土浦町内誌」永山 正著(土浦市教育委員会)より



「土浦市史 民俗編」(土浦市役所発行)によれば、
真鍋の「マ」はアイヌ語で湖沼のほか狭間、船着場、水溜りなどの意味をもち、「ナベ」は「ナメ」の転で滑らかであるとの意味を持っている。 したがってこの「マナベ」は、水辺で平坦な土地という意味とも考えられる。また、「ミナベ」(水辺)の訛とする説もある。いずれにしても水辺に関する地名であろう。


なお、単なる偶然だろうが、土浦藩は飛地領として、現在の大阪府大東市・八尾市・堺市・岸和田市・和泉市・岬町を領有しており、 岬町の淡輪に陣屋を置いて、貞享元年から明治2年までおよそ190年和泉の支配を続けた(「土浦市史」より)。 淡輪は和泉國の真鍋氏ゆかりの地である。


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