ごみにまみれて '99/07

Last update: 99/07/23

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●高月&内藤本 (99/07/23)

 出版社が企画して、高月先生のマンガと内藤先生の文章を組み合わせた本を作ろうという話が持ち上がってきました。高月先生の紹介で、どうも私が手伝いをすることになりそうです。本の素材としてはこれほど見事なものはないんで、手伝わせていただけるだけでも光栄なのですが、これだけ素材がいいのにちゃんとしたのができなかったら、きっと私のせいになるんですね(^^;)。責任重大です。

 最初は、内藤先生がいろいろな本や雑誌に書いた内容をそのまま整理しようという話だったのですが、内藤先生の文章というのが非常に深い内容が多く、行間を追加しないといけないものばかりであり、どうもかなりの部分の文章を書かないといけないようです。

 今日打ち合わせをしてきたのですが、さらにやっかいなことには、内藤先生の主張する話の筋道が、一般に環境問題の本や環境教育で行われている流れと大きく異なっていることがわかってきました。たいていの本は、各種の環境問題の現状を理解してもらい、仕組みを説明し、では今の自分たちに何ができるのか、という話で終わっています。将来にどんな社会ができるのかといった話が最後にまとめとして論じているものもありますが、あくまでもまとめ的であったり、話が独立してあります。ところが内藤先生の話はそこが全てになってくるんですね。個別の環境問題がどうのこうのではなく、その根底にある、そもそも産業革命以降の社会が何だったのか、生きていくにあたってどういう倫理があるのか、循環とは何か、環境問題に思想がどう影響をあたえているのか、など生き方や社会のありかたを考えるのが重要という視点です。先生の話をきいていると、講演などでもずばりとそこから始めていくのが内藤流のようですね。全く見事です。

 高月先生の絵の説明なら十分自分にもできそうだと踏んでいたのですが、内藤先生のこの論にそって作るとなるとかなり至難の業かも知れず、かなり悩んでしまった次第です。CASAで進めている環境教育教材作成も、個別の問題についての理解と行動を視野に入れたもので、環境倫理や社会のありかたについてはあくまでも補助的に示唆する程度で重視はしていません。いずれは各環境問題のつながりのなかで、倫理などを正面切って問うような教材も必要なんだろうけれど、とりあえず温暖化の教材ができてからだろうと先送りにしていたのですが、今回の内藤先生の話はまさにその部分なんでしょうね。今年中にそうした勉強もし直さないといけないのかもしれません。温暖化については語れることがあっても、まだ文化については全く語れませんから、間に合うかどうかちょっと心配です。


●収支 (99/07/16)

 あまりに状況が悪すぎて書けなかったのですが、実は今までまともな収入がありませんでした。育英会の奨学金からわずかずつ積み立てていたお金を元手に、ひのでやエコライフ研究所を設立したわけですが、収入がないということはすなわち貯金が徐々に目減りしていくのをひたすら眺めてきたという次第です。4ヶ月で貯金がほぼ半分になってしまいましたから、このままいくと10月頃にGiveUpかな・・・・などと考えていたわけですね。そろそろ下宿を引き払って、適当な橋(当然その下に住むわけですけれどもね)を探す準備をしておいたほうがいいかもしれませんね。結局たいした仕事はできなかったけれど、ひのでやエコライフ研究所も短い命だったなあと・・・・・。

 まあもともと、収入のあてがないまま始めたわけではなく、それなりにお金が出せると言われて引き受けた仕事もいろいろとありました。サラリーマンと違って大変なところは、毎月きちんと決まった収入があるわけではないというところなんですね。仕事はしてもそれが振り込まれるのはずっと先、というものがほとんどです。今まで収入がなかったのも、まあいわばそんな理由からです。

 逆に言えば、入るときには入るわけでして・・・、この数日で、今までの貯金の目減り分を補って、なお余るくらいの収入が一気に入ってきてしまいました。つい数日前までは行く末を案じながら自分がやってきたことは間違いだったのかと自責の念に頭をかかえていたのですが、お金がはいると、世の中も捨てた物ではないなと思えてくるから不思議ですね。普通のサラリーマンとしては少ない収入でしょうが、ちゃんと食っていくだけはどうにかなりそうです。しかしそう喜んでいられるのもつかのま、来月はまた収入が期待できないし・・・なかなか自営業は大変です。1年を通して収支を見る必要があり、月ごとに一喜一憂していたら身体が持たないかもしれません。

 経営がうまくいっているかは、どう判断したらいいのかわからないのですが、まあ今年一年は生きていけるでしょうから、食べることは心配せずに思いっきり「いい仕事」に励んだらいいんでしょうね。そう考えると、気が楽になります。


●2000年(Y2K)問題 (99/07/06)

 最近ようやく2000年問題が一般的に語られるようになってきました。コンピュータが2000年を1900年と誤認して誤作動を起こす可能性があるというものです。まあ今頃騒ぎ出しても遅いような気もするんですけれどもね、何も知らないで事が起こるよりはましでしょう。原子力発電所が突然停止するとか、ロシアや北朝鮮のミサイルが誤動作をして発射されるとか、水道や電気が何週間も止まるとか、まことしやかに語られています。まあ起こらないとは言い切れないのですが、友達の中には「大阪など大都市は危険だから、今から田舎へ帰って畑をたがやす準備をしてくる」などと言う人も出てきてしまっています。2000年になる直前の12月末あたりにパニックにならなければいいのですけれど(^^;)。

 私はどちらかというと2000年問題を引き起こす(?)側におり、気象協会でプログラム開発を多少担当しているのですが、昨年ころから2000年問題に対応できているかどうかチェックしてくれ、という話がもちあがってきました。やっかいなのは私が最初からプログラムするのではなく、すでにできあがっているプログラムに改良を加えていく仕事だったことですが、それらのプログラムの多くはもののみごとに年号を2桁で作ってありました。他人のプログラムだから勉強になることも多いのですが、逆に腹がたってくることも多いものです。

 2桁で表現していたのが悪いのだから、4桁に直したら動く、と言えばそれまでなのですが、現状はなかなかそうはいかないものです。ネットワークで連動しているプログラムなので、もしデータ仕様を変えようとしたら、大型計算機から何からすべて設計を変えないといけなくなり、手に負えません。読み替えを使って小手先で対応しようというのは、たとえ問題の先延ばしだと非難されたとしても、しかたないところです。きっと2038年まで使われることはないでしょうしね・・・・(という先延ばしの考え方が2000年問題の根本原因の一つなんですが)。とりあえず「単体では2000年になっても正しく動く」というレベルまでは作ることができましたが、もしネットワークを経由して年号が変になったファイルが送られてきたときに対応できるかどうかは保証できません。きっと送信側で対応してくれるだろうと祈るしかないのですが、そこが2000年問題の怖いところなんですね。

 コンピュータのプログラムが動いていると言われると、全くトラブルなく動いているものばかり想像するかもしれませんが、実際はそんなことはありません。トラブルがあるからこそ、たくさんのプログラマーがいるわけですし、表面化していないトラブルは山ほどあります。

 先日、関西地方で夜中に豪雨があったのですが、自分の作ったプログラムがちゃんと稼働しているか気象協会の担当の人にメールを送ってみました。大雨の時には気象協会の職員は待機になるので返事があるだろうと待っていたところ、みごと午前3時頃にメールが帰ってきました。話によると、私のプログラム自体は正常に動いているらしいのですが、雨量データを取得して送信するプログラムが故障してしまったために、雨量が表示できていないそうです。土石流被害を防止するために自治体に納入したものですが、この肝心な時にトラブルを起こすというのは、なかなか楽しいことをしてくれるものです。幸い該当自治体には土砂災害は起こらなかったようですが、もし起こっていたら大問題でしょうね。

 結局、どのような状況が起こるのか分からないために、とりあえず動かしてみて問題が発見されたらその場で対応する、ということは少なからずあります。何度もこうしたことを経験して、安定した(枯れた)システムができあがるという仕組みになっていますから、場数を踏んできたプログラムほど重宝されるわけです。2000年の問題はその点ではプログラムにとって始めての経験であり、慎重にならざるを得ないところです。

 どんなシステムでも多かれ少なかれトラブルを起こす可能性は否定できませんし、対応は最大限がんばってほしいのですが、逆に市民に対して必要以上に「危険をあおる」というのも考え物ではないかなと思います。多少のプログラムバグはどのシステムでも経験してきていることでしょうから、変な動きをしたとしてもすぐに対応することは可能でしょう。少なくとも、電気や水道などについては一時的に止まっても復旧すれば元通りになりますし、手動操作でもどうにかできるはずで何週間も全く使えないことは考えにくいです。電話の場合には、システムが複雑なので何とも言えませんが、時々プログラムミスによる停止が新聞紙面を飾っているものの、遅くとも数日で復旧はしています。問題は一瞬の判断ミスが破滅を導く原子力発電所や、ミサイル関係、飛行機などでしょうが、これはどうしようもないですね(^^;)。担当者にがんばって対応してもらうしかないでしょう。

 2000年問題の話は、最近は「地球村」という環境団体がかなり声を大にしていいはじめています。地球村の講演会というのが一般的に危機感をあおる傾向が強いのと、そこから情報を仕入れたと思われる友達が「田舎に帰る」と言い出しているのを見ると、かなり真剣に語っているようですね。この団体の人たちは以前から、主催者である高木さんに陶酔している雰囲気があって近寄りがたかったのですが、これをきっかけに変な動きにならないかちょっと心配です。小さな団体なら悪影響も小さいでしょうが、まがりなりにも全国に会員が1万人以上いるらしく、その多くが講演会の内容を素直に聞き入れてしまう方々なので、できたら慎重になって欲しいと思います。日本の対応の遅れを非難するのはもっともなのですが、危険だから都市を脱出せよと市民に向けて発するのは、何の解決にもならないのではないでしょうかね。それだけならどこぞの宗教団体が言っていることと何ら変わりないような気もします。なぜ環境団体がそんなことを言うのか、私もよくわからないんですけれどもね。

 コンピュータの誤作動も怖いのですが、その前に起きるパニックのほうが怖いような気もします。


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