ごみにまみれて '99/06

Last update: 99/06/08

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●福井の蛙 (99/06/20)

 大学の教養部のころにゼミでお世話になった高橋先生に呼ばれて、福井県立大学へでかけてきました。以前書いた「温暖化を防ぐ快適生活」の講義をしてほしいということでした。ゼミ生は約15人。出席を取っているのでほとんど全員が出てくるが、なかなか質問も出ない静かなゼミだという話で、ちょっと心配していたのですが、どうにか無事にお仕事をすますことができました。反省点ですが、「家庭でどのようにしたら省エネになるのか」は思いっきり語れるのですが、「なぜ省エネをするべきなのか」については自分でもまとめきれていないのがよくわかりましたね。相手がどこまで理解しているのかわからないと、余計にどこから話を始めていいのか、この話のつながりを理解してもらえるのか、心配になってしまい、どんどん泥沼にはまってしまいます(^^;)。ひとつでも「この話の流れならみんな理解してもらえる」というものがあったら楽なんですけれどもね。

 さてゼミはともかく、前日から先生のお住まいにおじゃましていました、酒など酌み交わしていました。京都の町中は所狭しと家が並んで息苦しく、本当はもっと緑の多い所に住みたいと考えていたところだったのですが、この先生のお宅は窓をあけると見事な蛙の合唱。真っ暗でどこまでが田圃なのかよくわからなかったのですが、小川のしぶく音も聞こえてきて、懐かしさについつい聞き惚れてしまいました。そう、考えてみれば、京都には田圃がないんですよね。

 今頃の季節は、静岡の田舎では、蛙がうるさいほど鳴いています。雨蛙のはずなんですが、ケロケロといったかわいい声ではなく、集団になるとゲロゴロガログロといった圧迫感のある音になります。田舎に電話をかけると蛙の声がうるさくて聞き取りにくいこともありました。しかし不思議なもので、この声をきかないと、梅雨だという気分にはなれず、ここ10年ほどは梅雨が実感できないままに夏を迎えてしまっています。誰かが「田舎は決して静かではない」と言っていましたが、音量を測定したらそれは明らかだと思います。確かに京都の町中の下宿のほうがはるかに静かですが、逆に生き物(人)がいるのに音がしないというのは落ち着かないですね(ちょっと気味悪いこともあります)。

 朝になって見渡してみると、マンション正面は田圃ではなく休耕地になっていました。昨晩は暗くてわからなかったのですが、蛙の鳴き声は結構遠くから聞こえていたようです。しかし先生の話によると、蛙の合唱が聞こえるのも、農薬が散布される直前までだということで、あとしばらくのことだそうです。やっぱり農薬でかなりが死んでしまうんでしょうかね。


●研究所さがし (99/06/08)

 学生というのは日曜日が休みなのですが、先生や締め切りに追われることがないために意外と日曜日のほうが仕事が進むんですよね。まあ作業のお休み日というよりは、精神的な圧迫からのお休みといったところです。

 自宅で作業をしていると、学生以上に曜日感覚がわからなくなってしまうものです。逆に土日のほうがイベントが重なっていて準備しなくてはいけないことが多いですね。土曜日は近くの保育園に遊びに行くと決めていたのですが、ここ2ヶ月間毎日用事でつぶれてしまっています。というわけで今日は、ちょうど梅雨の中休みということで、お休みということにしました(^^)。

 どこか遠出をしてでも山へ行きたかったのですが、口座開設などの用事をすませているとお昼を回ってしまったので、お弁当を持って近場の大文字山へ登ることにしました。観光客にはあまりなじみはないのかもしれませんが、銀閣寺の入り口のところから登山できるようになっており、片道20分くらいで京都市が一望できる見事な眺望が開けます。ちょっと人が多いのが難点ですが、裏山があるとはこんなにいいものかと感動できるスポットのひとつです。

 今日の目的は単なる森林浴ではなく、ゆっくり本が読めてノートパソコンで作業ができる静かな場所はないか探すことでした。基本的にノートパソコンと本が入った鞄一つあればどこでも研究できますから、どこか適当な場所があればそこを移動研究所として使えないかなと考えているところです。特に京都の夏は暑いですから、一日中下宿に居ることは耐えられないでしょうし、山の中の涼しいところがあったらそこで作業してもいいんではないかとたくらんでいます。あまり持ちたいとは思わないのですが、携帯電話を使えば山の中だって連絡がつき、業務にも支障をきさないで済むでしょう。

 いままでよく利用してきたのは、南禅寺の裏の疎水沿い、吉田山の山頂、下鴨神社などがあるのですが、ちょっと人通りが多いのが難点でした。でも気持ちがいいから、ついつい日没までのんびり本を読むことができるんですよね。

 さて問題の大文字山。お盆に五山の送り火をする大の字の部分は、見晴らしはいいのですが直射日光が暑く人も多いので、研究所としてはいまいちです。ただ今日登ってみたところ、みごとに空気が澄んでいて、京都市内が北から南まで一望できたほか、大阪の高層ビル街までが眺められました。何度か登っていますが、大阪市が見えたのは始めてです。都市近郊の山というのはどこも同じなのかも知れませんが、意外と都市の騒音がよく聞こえてきます。小鳥のさえずりに混じって、ゴーという桃色雑音(ピンクノイズ)が聞こえてくるのには、ちょっと恐ろしいものがあります。

 静かさと森林に囲まれた雰囲気といった点では、大文字山の登山途中が良さそうです。途中に尾根沿いの道に分かれる場所があり、ここから東山縦走ができるのですが、そちらの道に入ってみることにしました。するとまあ、まさに森林浴するためにあるような平らな雑木林が広がっているではありませんか。平日のためか人通りはまったくなく、小鳥のさえずりに囲まれ、落ち葉のじゅうたんにしきつめられた、明るい林。迷わずここにしようと決めて適当な木の根本に腰掛け、本を広げました。

 ところがなかなかうまくはいかないものですね。小さな羽虫から、蟻から、たくさん虫がやってくるのです。広げた本の上をちょこちょこ歩き回ったり、ちょっとくすぐったい感じで、彼らはそんなにじゃまではないんですけれどもね。しかし、ついには藪蚊がやってきて、これには困りました。藪蚊を追い払おうと本を置き、足の裏などを探ってみたのですが、さすがすばしっこくどこかに隠れてしまっているようです。あまり使いたくないのですが虫除けは必需品かもしれないですね。今日は残念だけどゆっくりできないなあ、と思いながら本を開くと、なんと先ほど本の上の歩き回っていた羽虫が何匹も挟まれて標本になっていました。先ほどまでコミカルに本の上を歩き回っていたのに、なんてかわいそうなことをしてしまったんだと、かなりショックでした。

 結局大文字山ではたいして本も読めず、街へと降りてきました。そのまま哲学の道をくだり、環境問題にも積極的に取り組んでいる法然院へ。ここも静かでいい場所なのですが、大文字山から下ってくるとやはり車の臭いなどが気になります。また観光客がしきりに写真を撮っているので、なかなか落ち着いて本を読めませんでした。

 やっぱり大文字山は捨てがたいものがあります。今度は虫除けを準備してまたチャレンジしてみたいと思います。どこかのコマーシャルにでも出てきそうな雑木林の中で、一日中、本とパソコンを広げて、どんな視点の研究ができあがるんでしょうか、楽しみです。


●私はいったい何をしているの? (99/06/06)

 若い頃というのは、どうも移ろい気があっていけないですね。もうすこし、どっしり腰を据えて取り組めたらいいのにと、常に思います。

 大学を出て2ヶ月が経ち、ひのでやエコライフ研究所のほうも、予定通り作業を進めています。おおさかパルコープのとりあえずの集計も済み、今年の夏の準備も着々と進んでいます。あまり先が見えていませんが、「家庭での省エネ」についてのサポートシステムも枠組がどうにか見えてきたようです。商売できるような質のものを作るために、工夫を重ねているところです。

 お金のほうは残念ながら、収入なしの状態で当面は進めていく必要があるのですが、作成したパソコンプログラムの納入も済ませており、どうにか今年1年食いつないでいくだけの資金にはなりそうです。ぜいたくを言わなければ、パソコン一つと図書館さえあれば、橋の下だって研究はできますからね。お金はあんまり心配はしていないです。

 当初の予定外のこととしては、CASA(地球環境と大気汚染を考える全国市民会議)で環境教育のワーキンググループをマネージするようになり、慣れないことで頭を悩ませています。ただ「なぜ環境行動が導かれるか」といった研究のテーマには合致しており、面白い事例にあたったと密かに喜んでいます。

 また大学の間は夜は研究室にでかけていたのでできなかったのですが、今は下宿兼研究所にいることが多いために、毎日欠かさずNHKのラジオ英会話と、ビジネス英会話を続けています。ラジオ英会話を毎日やるなんて、中学3年以来ですから・・・・10年ぶりなんですね。長い間英語に苦しめられてきましたが、毎日聞いていると楽しくてしかたありません。もっと早く始めていたらよかったんでしょうけれどもね(^^;)。

 ともかく2ヶ月間、研究所のかたちを作っていくにあたって走り回ってきたのですが、そちらのおもしろさに引かれてしまい、ひとつだけすっかり忘れてしまったことがありました。「初心忘れるべからず」とはよく言ったものです、気をつけていなければ、つい目前にある作業に巻き込まれて、やりおえて充実したような気持ちになってしまい、何のためにやっていたのか忘れてしまうものなんですね。久しぶりに研究に戻って本を広げ、今まで何を研究してきたのか振り返ってみたところ、2ヶ月間も頭の引き出しにしまっていた大きな構想があったことに気が付き、本を広げたまましばらく物思いにふけてってしまいました。

 おおさかパルコープでの調査研究も、環境家計簿の事業化の話も、エコライフ研究所自体も、これから作る博士論文も、自分の中では非常にきれいにつながっていて、その目的を達成するための一作業にすぎなかったわけですね。完璧に忘れてしまっていました。本当のところ人に語るのもためらわれるような身勝手な話ですが、自分の中に「環境問題って解決できるんだろうか?」という素朴な疑問があって、それを明らかにしたいがために今までやってきていたわけです。

 もちろん、環境問題が解決されることを願っているわけですけれど、大学(特に院)の間に学んだ範囲では「問題は解決できない」という結論がかなり容易に導かれてしまうんです。もちろんその前提など批判すればいくらでもできるのですが、「問題が解決できる」ことを結論づけるのは非常に困難なことには変わりありません。これはなかなか面白いテーマだと思い、できたら生涯かけてこの疑問に答えていきたいな、という純粋な知的好奇心から動いている次第です。スタンスとしては研究なんでしょうが、頭の中で考えていても答えが出てくるものではありませんから、「実際に解決に向かっている」という実践をしてみようと、いろいろと取り組んでいます。ですからもし、環境問題は構造的に解決できないという結論がでるのなら、それはそれで結論がでて満足なのかもしれません。

 不思議なところですが「環境問題を解決すること」が目的ではないんですね。どうもそれは他人に強制しているようで自分ではしっくりこないところがあるんです。これでは他人に「なんで解決しなくちゃいけないのか」と尋ねられたときに困ってしまいます。単純に「環境問題が解決できるのか自分が知りたいから」という個人的欲求であれば、誰に遠慮なくできるような気がしています。知的欲求を満たすためには、一生かけても損はないでしょうしね。

 二〇〇年後の世界がどうなっているのか、一万年後にはちゃんと生態系になじんで人類は存在しているのか、できたらこの目で見てみたいのですが、さすがにそれは現代科学が許してくれないでしょう。確信が持てるような証拠を集められたら安心して死ねるんですけれどもね。そのころに環境問題が解決しているのかどうか・・・・実は答えはもうだいたい分かっているんですけれど・・・・・、まあ時間をかけて確かめていきたいと思っています。


お問い合わせ、感想などありましたら鈴木(ysuzuki@mti.biglobe.ne.jp)まで。お気軽にどうぞ。

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