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ロイヤルの創始者ドヴァロアが亡くなりました   (2001.3.10)

 
2001年3月8日、英国ロイヤルバレエの創始者ニネット・ドヴァロア女史が亡くなりました。
102歳でした。彼女は1898年の生まれですから、19、20、21と3世紀を生き抜いたことになります。
 
これで、ロイヤルバレエの基礎を築いた偉大な3人が、皆、亡くなってしまいました。
ディレクターのドヴァロワ、振付師のフレデリック・アシュトン、そしてプリマ・バレリーナのマーゴ・フォンティーンです。 ドヴァロアの描いたイメージが、名振付師アシュトンによって具体化され、それを世紀の舞姫フォンティーンが表現するという構図によってロイヤルバレエが生まれたわけです。
 
ドヴァロアは、1930年代の初め、ディアギレフのバレエリュッスの踊り手でしたが、このバレエ団で彼女が学んだのは、踊り手としての経験よりも、むしろ振付師としての知識とバレエ団の統率力だったそうです。
これが、当時自国にこれといったバレエ団を持たなかった英国に、世界に通用するバレエ団を作ろうという彼女の壮大なヴィジョンに繋がっていったのでしょう。
 
もう一つ彼女の偉大な仕事として、マーゴ・フォンティーンを世に送り出したことがあげられましょう。
1935年頃、ドヴァロア率いるバレエ団(当時はヴィックウェルズバレエ団と言ったそうです)は、それまでプリマバレリーナであったアリシア・マルコーヴァが退団、一座は苦境に立ちました。
このとき、ドヴァロアは、他からバレリーナを持ってくることをせず、ひたすら、まだ駆け出しだった若いフォンティーンが成長するのを待っていました。フォンティーンは、次々にマルコーヴァの持ち役立った役を踊り、期待に応えていきました。そして、1939年「眠りの森の美女」(このときは「眠れる姫」)で、フォンティーンは、プリマバレリーナとしての決定的な開花を持つことになったのです。
私は、20数年前に、幸運にも、彼女の「眠りの森の美女」の生の舞台に接することが出来ました。東京バレエ団の「眠り・・・」公演にオーロラ姫として客演したのです。
絶頂期は過ぎていたとはいえ、ローズアダージョの気品溢れる華やかさは、他の追従を許さないものがありました。
 
私は、今、フレデリック・アシュトンが、フォンティーンの為に振付けた21番目のバレエ「水の精オンディーヌ」のビデオをみています。フォンティーンが30代の終わりの最も脂ののりきった頃の映像で、記録映画の撮影で定評のある、ポールツィンナーの制作です。
この映像を見るにつけ、ドヴァロアという一人の先見にとんだ女性の不屈の意思と、壮大なヴィジョンに敬服せざるを得ません。
また、ドヴァロアの意思を受けてイメージを具体化していき、ロイヤルバレエを築き上げた、アシュトンとフォンティーンという二人の芸術家にも敬服せざるを得ません。
 
現在のロイヤルバレエ団の基盤を築き、英国のバレエを世界一流のレベルに引き上げた3人の偉大な方々、健やかに眠りください。ご冥福をお祈りいたします。

 

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