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「海賊」〜パ・ド・ドゥ: フォンティーン、ヌレエフ (2005.7.10改)
世紀の舞姫、マーゴ・フォンティーン(1919〜91)が世を去って久しく、もはや伝説のバレリーナになりつつあります。
彼女で思い出されるのはなんと言っても「眠りの森の美女」の「オーロラ姫」です。本人も最も得意としていたそうですが、
私は、1974年、東京バレエ団と共演した舞台を見たとき、舞台に目が釘付けになったのを覚えています。特にローズアダージョの気品、息をのむ見事なバランス、そして16才の姫そのものの可愛らしさは、とても当時50代半ばとは思えませんでした。
彼女の踊りは、優雅さと上品さに溢れており、どちらかというと地味で、高度なテクニックを見せ物のように誇示する踊りは、全くありません。
まさに芸術の中に溶け込んでいるといえるのが、彼女の踊りです。
このフォンティーンが、珍しくテクニックを披露したものとして、キーロフ・バレエ出身の逸材、ルドルフ・ヌレエフと組んで踊った海賊"Le Corsaire"のパ・ド・ドゥがあります。現在ではポピュラーな演目となっている「海賊」のパ・ド・ドゥですが、当時はソビエト以外では知られておらず、はじめて西欧に紹介したのがヌレエフとされています。幸運なことに、この「海賊」のパ・ド・ドゥは、フィルムに残されていました。
日本では、「ヌレエフのロイヤルバレエ」という題で1964年、東京・日比谷「スカラ座」で、10分位の短編映画として公開されました。「シェルブールの雨傘」というフランス映画のロードショーの前座でした。
このとき私は「シェルブールの雨傘」を見るために映画館に行ったのですが、このフォンティーンの踊りに、驚きと感動を覚えたのを記憶しております。
題名の通り、この映画は当時ロイヤルバレエに加わったばかりの天才ヌレエフの踊りを紹介するのが目的でした。従って共演のフォンティーンは、ヌレエフの引き立て役なのですが、彼女自身も素晴らしい踊りをみせています。
フォンティーン自身「ピルエットは苦手」と言っている通り、どちらかういうとフォンティーンの踊りは、上品で叙情的な感じが強く、
バランスの安定感は抜群ですが、ピルエットやフェッテのような速い動きは得意ではないようですが、この時ばかりは、ヌレエフに負けまいと、コーダでは高回転のピルエット、スピードの中でピタッと決まる3回のアラベスクなど、彼女にしては珍しく高度なテクニックを駆使しています。
また、バリエーションでは、イタリアン・フェッテを危なげなくこなしています。
フォンティーンは当時、「彼は23歳、私は42歳。23対42のペアなんて見苦しい。でも私が踊らなければ、誰かが彼と踊ってしまう。勇気を振り絞って踊りました。お互いにしのぎを削って、高めあいました。」(
マーゴ・フォンテーン・ストーリー)と言っていましたが、
この映像を見ると、40歳を過ぎて一時引退も考えた彼女が20才も年下のヌレエフをパートナーに得て、
それまでとは違った、名人芸の見せ場もある作品にも頑張って挑戦しているのが良くわかります。
「ヌレエフは私のもの。若手に奪われてなるものか」といった執念の独占欲というところでしょうか。
このふたりのコンビは「天国で結ばれたようなパートーシップ」と言われて、その後20年間も続き、私達に最高の踊りを見せてくれたのです。
フォンティーン、ヌレエフの「海賊」〜パ・ド・ドゥはビデオ化され、「fonteyn&Nureyef」及び「Royal Ballet」というタイトルのに収められて、ビデオカセットやレーザーディスクで販売されていました。