アンナ・パブロヴァの「瀕死の白鳥」、プリセッカヤの「瀕死の白鳥」、谷桃子の「瀕死の白鳥」・・・、「瀕死の白鳥」は誰でも踊れるわけではありません。
渡邊順子は、16年目にして、やっと「順子の『瀕死の白鳥』」を踊れたのです。稽古不足の逆境の中から、もがき苦しんで羽ばたいた、執念の「瀕死の白鳥」でした。
バレリーナはアスリートと言った人がいます。固いトゥシューズで飛び跳ね、鋭く尖ったトゥの先端で支えてバランスをとり・・・、トゥの先端から、くるぶし、ふくらはぎ、膝・・・、しいては、腰にまで、途方もない力が加わり、一歩間違えば大怪我というクラシックバレエは、アクロバットにも匹敵する危険な競技ということなのでしょう。
踊り終わった渡邊順子は、正に死力を尽くして至難な競技をやりとげたアスリートという感じでした。
それにしても、渡邊順子さんは2005年6月の悪夢から、よく立ち直れたものです。この時の彼女の姿を私は鮮明に覚えています。「見るからに下手な踊り、こんな踊りなら誰でも踊れると思うでしょう。」と相当な落ち込みようでした。順風満帆だった彼女が初めて味わった屈辱でした。でもこれが彼女を一回りもニ回りも大きくしたのです。挫折で培った「強さ」をバネに再出発、今回の舞台の成功は、この経験が大きく役立っていると思います。
踊る前、彼女は「今回の舞台をビリオドにしたい」と言いました。私は、ピリオドとは終わりではなく区切りと解釈しました。新たな出発点なのです。
パリ・オペラ座は43歳が定年とのこと。「若さの芸術」と言われるバレエ。年齢による体力の衰えはいかんともし難いものです。でもプリセッカヤにせよ森下洋子にせよ、年齢の限界を越えて踊り続けてきました。渡邊順子も体力的には最盛期を越えているかもしれない。でも今回の舞台で精神面の充実と大きな自信を得たと思います。今回の成功を踏み台にして大きく羽ばたいて欲しい。50になっても60になっても「瀕死の白鳥」を踊り続けて欲しい。私もいつまでも見続けたい(それまで私が生きていればですが)。
私が渡邊順子さんを知ったのは2000年。それから十回以上も「瀕死の白鳥」を見てきました。持てる力を出し切った歓喜の舞台、一方、屈辱感、挫折感に打ちのめされたステージ・・・、彼女は貴重な体験をしながら、一歩一歩、着実に成長してきました。ファンとして彼女の一層の飛躍を願ってやみません。
この感想をHPに載せるにあたり、JUNさんから以下のメッセージを頂きました。
掲載させて頂きます。
今年は2月に目黒で踊り、4月には神奈川県民ホールで踊り、
8月にはなんと16年ぶりに仙台で踊ることができました。
いつも私の舞台をご覧になって感想を書いて下さる山口さんの文章を読むのが楽しみです。
【今までで最高の「瀕死の白鳥」】と言う文章には自分自身もうまずくものがあります。
【やっと自分自身の「瀕死が踊れた」】と言うことも山口さんに分かっていただけたことは嬉しいことでした。
【人間の肉体はこんなに魅力的な表現ができるのかと思わせる「瀕死の白鳥」】と言う文章も気に入りました。
もう17回も「瀕死の白鳥」を踊りましたが、やっと自分の踊り形と言う「形」が決まってきました。
ある意味で隠されたテクニック。上手く踊るのではなく、簡単に踊っているように見える、それが隠されたテクニックだと思うんです。
何処までも力を抜くところは抜く。
渡邉順子でなければできない踊りと言うのが17回踊ってやっと生み出されたように思うのです。
ある意味で踊りの職人。
この味を出すには渡邉順子さんが踊らないと・・と言われるような踊りの味。
やっとこの頃、谷桃子先生にバレエを習えて良かったと思うのは、谷先生には谷先生にしか出さない踊りの味と言うのがあって。
それを私自身がやっと理解し、自分の味を見つけることができたことでしょうか。
今まで谷先生と言えば雲の上の方でしたが、この頃はとても身近に感じます。
同じ目線でやっと向き合えるように思うんです。
今までは目線を合わせるのも恥ずかしいような時期もありましたが、やっと谷先生のバレエの技の凄さを深く理解できた時
私自身のバレエの技術にも深みが出てきたように思います。
それが渡邉順子の「瀕死の白鳥」なんです。
JUNバレエスクール 渡邉順子
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注)渡邊順子さんの踊りの感想です。渡邊さんのお許しを得て掲載させて頂きました。無断で複写複製を禁じます。
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