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瀕死の白鳥:渡邉順子、2007年8月宮城県民会館     (2007.8.29)
豊かな詩情、溢れる気品、、ほのかに香るお色気。逆境の舞姫、執念の飛翔。

注)渡邊順子さんの踊りの感想です。渡邊さんのお許しを得て掲載させて頂きました。無断で複写複製を禁じます。

「6月末からバレエに集中できなかったのです」、新幹線の中からの渡邊順子のメールは不安に溢れていました。 2005年6月の悪夢が頭をよぎったのでしょう。アラベスクは決まるだろうか、アチチュードは・・・。 仙台の舞台がを翌日に控え、逃げ出したい気分に襲われたに違いありません。無理もありません。 6月にご主人が病に倒れて入院、彼女はろくにレッスンに通うことも出来なかったのです。バレエは1日休むと友達に分かり、2日休むと先生に分かり、3日休むと観客に分かる・・・、と言われています。 練習をほとんどなしに、彼女は一か八かのぶっつけ本番で臨むことになってしまったのです。私は「大丈夫。自分を信じなさい」と返事を送りました。 気丈にも彼女は「初心に戻って頑張ります」とメールを残して舞台に向かいました。
今回の舞台は、仙台の「宮城県民会館」、渡邊順子の故郷です。故郷で「瀕死の白鳥」を踊るのは16年ぶりです。故郷で踊ることがどんなに勇気のいることか、ある有名なダンサーが語っていました。ツアー公演で故郷て踊ることになったとき、彼女は「故郷で踊るのは嫌い。昔の自分を知っている人が、いっぱいいて胸がキリキリと痛む」と言っていました。この気持ち分かります。 後輩逹は彼女を羨望の眼差しで見るでしょうが、先輩逹の中には彼女に嫉妬を感じる人も居ることでしょう。密かに失敗を期待している人もいるかもしれません。渡邊順子は、1991年に故郷の仙台で「瀕死の白鳥」を踊りました。その後東京に出て結婚しバレエから暫く遠ざかっていました。でもバレエを諦めきれず、2000年に「瀕死の白鳥」で舞台に戻りました。そして今回、再び故郷の仙台の舞台に立ったのです。
16年前の仙台では、渡邊順子はS・メッセレル女史振付の「瀕死の白鳥」を谷桃子の指導を受けて踊りました。この時の映像が残っていますが、谷桃子さんの指導は、それはそれは、厳しいものです。 谷桃子は渡邊順子に、ブーレやアラベスクなど、基本的なパやポーズを、繰返し繰返し叩き込み、ビシビシ鍛えていました。汗だくになりながらも、懸命に取り組む、渡邊順子の健気な姿に胸を打たれました。でも今回は教えてくれる人は誰もいません。 自分だけが頼りです。しかも先輩など、彼女の若い時を知っている人達の前で踊る・・・、有名なダンサーが「胸がキリキリと痛む」と言っていたように、これは相当な重圧に違いありません。 稽古不十分の状態で故郷のステージ。渡邊順子のプレッシャーたるや、大変なものだったに違いありません。
でもこの日の夕方、渡邊順子から「今回のDVDは本当に購入の価値ありですよ。びっくりするぐらいいいと思います」と喜びに溢れたメールが届いたのです。 会心の出来だったのでしょう。彼女はプレッシャーをはねのけて、16年目の「瀕死の白鳥」を成功裏に終えたのです。
私は、この舞台を収録したDVDを今や遅しと待っていましたが、今日やっと届きました。再生した途端、彼女の言葉に納得しました。思わずため息が出て、何度も何度も繰り返して見てしまいました。 すっきりと伸びたポアント、情感たっぷりに刻む細やかなブーレ、しなやかに波打つアームス、それに幾分ふくよかさが加わった肢体から滲み出たほのかなお色気・・・、クラシックバレエの技術を超えて、人間の肉体はこんなに魅力的な表現ができるのかと思わせた「瀕死の白鳥」でした。
「瀕死の白鳥」でダンサーは、観客に背中を見せてブーレを刻んで登場します。今回は今までになく長く背中を向けていました。背中にひしししと観客の視線を感じて・・・。 振り向いて正面を向いたとき、順子さん、一斉に注がれた観客の視線に一瞬たじろいで足がすくんだよう。気が弱い人なら、頭が真っ白になって踊れなくなってしまったかも知れません。でも、すぐに我に返って、静かにブーレを踏み、踊り続けました。プレッシャーを再び故郷で踊れた喜びに変えて・・・。 いよいよ、終盤の見せ場。一度倒れて生死の境をさまよった白鳥が、再度立ち上がって最後の力を振り絞ってのアラベスク。 バランス勝負の難所です。2005年6月にはこれが決まらず不本意な結果に・・・、屈辱を味わいました。 悪夢の記憶が頭をよぎったのでしょうか、いざ出陣とばかり身構えた彼女の表情は真剣そのものでした。でも「決めるんだ!」という意気込みも感じられました。 正面を向きキッと目を見開いて、鋭く伸びた右足のポアントで支えて、グッと堪えて必死にバランス・・・。 「決まった!!」と思った瞬間、足首がガクッと落ちてしまい、決して彼女本来の出来ではなかったのですが、 可愛らしい女性が歯を食いしばって、懸命に頑張って踊る姿は、本当に清々しいものです。 練習不足の中でも、この部分は徹底的に稽古した彼女の努力を感じました。
感動的なのが死に至る最後のシーン。床に倒れて、左足を曲げ右足を後方に伸ばして、背骨が折れてしまいそうなほど大きく背中を後ろに反らして、 もがき苦しみむ白鳥の姿を表現。 思わずゴクッと生唾を飲み込みました。立ち上がったものの再び床に崩れ落ち、今度は右足を折り曲げ左足を前に伸ばしたまま立ち上がれず、そのまま死に至る白鳥。 渡邊順子の背中には汗が光り、ハァハァと息も絶え絶えに胸は大きく波打ち・・・、しばらく動けませんでした。 怒涛のようにわき上がる観客の拍手。ハッと我に返った渡邊順子。必死に立ち上がってレベランス。 額には汗がにじんで、笑みを浮かべて・・・、思わず胸にジーンと来ました。 健気で奇をてらわない死に至る白鳥の演技。今までで最高の「瀕死の白鳥」でした。少なくとも私はそう思いました。
アンナ・パブロヴァの「瀕死の白鳥」、プリセッカヤの「瀕死の白鳥」、谷桃子の「瀕死の白鳥」・・・、「瀕死の白鳥」は誰でも踊れるわけではありません。 渡邊順子は、16年目にして、やっと「順子の『瀕死の白鳥』」を踊れたのです。稽古不足の逆境の中から、もがき苦しんで羽ばたいた、執念の「瀕死の白鳥」でした。 バレリーナはアスリートと言った人がいます。固いトゥシューズで飛び跳ね、鋭く尖ったトゥの先端で支えてバランスをとり・・・、トゥの先端から、くるぶし、ふくらはぎ、膝・・・、しいては、腰にまで、途方もない力が加わり、一歩間違えば大怪我というクラシックバレエは、アクロバットにも匹敵する危険な競技ということなのでしょう。 踊り終わった渡邊順子は、正に死力を尽くして至難な競技をやりとげたアスリートという感じでした。
 
それにしても、渡邊順子さんは2005年6月の悪夢から、よく立ち直れたものです。この時の彼女の姿を私は鮮明に覚えています。「見るからに下手な踊り、こんな踊りなら誰でも踊れると思うでしょう。」と相当な落ち込みようでした。順風満帆だった彼女が初めて味わった屈辱でした。でもこれが彼女を一回りもニ回りも大きくしたのです。挫折で培った「強さ」をバネに再出発、今回の舞台の成功は、この経験が大きく役立っていると思います。
踊る前、彼女は「今回の舞台をビリオドにしたい」と言いました。私は、ピリオドとは終わりではなく区切りと解釈しました。新たな出発点なのです。
パリ・オペラ座は43歳が定年とのこと。「若さの芸術」と言われるバレエ。年齢による体力の衰えはいかんともし難いものです。でもプリセッカヤにせよ森下洋子にせよ、年齢の限界を越えて踊り続けてきました。渡邊順子も体力的には最盛期を越えているかもしれない。でも今回の舞台で精神面の充実と大きな自信を得たと思います。今回の成功を踏み台にして大きく羽ばたいて欲しい。50になっても60になっても「瀕死の白鳥」を踊り続けて欲しい。私もいつまでも見続けたい(それまで私が生きていればですが)。
私が渡邊順子さんを知ったのは2000年。それから十回以上も「瀕死の白鳥」を見てきました。持てる力を出し切った歓喜の舞台、一方、屈辱感、挫折感に打ちのめされたステージ・・・、彼女は貴重な体験をしながら、一歩一歩、着実に成長してきました。ファンとして彼女の一層の飛躍を願ってやみません。

この感想をHPに載せるにあたり、JUNさんから以下のメッセージを頂きました。 掲載させて頂きます。

今年は2月に目黒で踊り、4月には神奈川県民ホールで踊り、 8月にはなんと16年ぶりに仙台で踊ることができました。 いつも私の舞台をご覧になって感想を書いて下さる山口さんの文章を読むのが楽しみです。 【今までで最高の「瀕死の白鳥」】と言う文章には自分自身もうまずくものがあります。 【やっと自分自身の「瀕死が踊れた」】と言うことも山口さんに分かっていただけたことは嬉しいことでした。 【人間の肉体はこんなに魅力的な表現ができるのかと思わせる「瀕死の白鳥」】と言う文章も気に入りました。

もう17回も「瀕死の白鳥」を踊りましたが、やっと自分の踊り形と言う「形」が決まってきました。 ある意味で隠されたテクニック。上手く踊るのではなく、簡単に踊っているように見える、それが隠されたテクニックだと思うんです。 何処までも力を抜くところは抜く。 渡邉順子でなければできない踊りと言うのが17回踊ってやっと生み出されたように思うのです。 ある意味で踊りの職人。 この味を出すには渡邉順子さんが踊らないと・・と言われるような踊りの味。 やっとこの頃、谷桃子先生にバレエを習えて良かったと思うのは、谷先生には谷先生にしか出さない踊りの味と言うのがあって。 それを私自身がやっと理解し、自分の味を見つけることができたことでしょうか。 今まで谷先生と言えば雲の上の方でしたが、この頃はとても身近に感じます。 同じ目線でやっと向き合えるように思うんです。 今までは目線を合わせるのも恥ずかしいような時期もありましたが、やっと谷先生のバレエの技の凄さを深く理解できた時 私自身のバレエの技術にも深みが出てきたように思います。 それが渡邉順子の「瀕死の白鳥」なんです。
JUNバレエスクール  渡邉順子

注)渡邊順子さんの踊りの感想です。渡邊さんのお許しを得て掲載させて頂きました。無断で複写複製を禁じます。


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