一昨年に、道南方面に行きましたから、北海道旅行は2度目です。尤も、40年以上も昔の学生時代の旅行を含めると、3度目ですが。
前回は、会社勤めの娘も一緒ということから、往復は飛行機、道内はバスという、駆け足の旅でした。
北海道に次に行くときは、妻と二人、新幹線と在来線を乗り継いで津軽海峡を越え、列車でゆったりと旅したいと思っていました。それが実現したのが今回の旅行です。
特急オホーツクや特急北斗といった特急列車や、釧網線のオホーツク海岸列車など、北海道の鉄道を、各列車や観光地で美味しいアイスクリームを食べながらの今回の北海道旅行は、鉄道好きでアイスクリーム好きの私にとって、とても魅力的で楽しいものでした。 利用した列車
各列車内と観光地で食べたアイスクリーム
(注)文中の記述については、 出典・・・と記して、フリー百科事典ウィキペディア およびウィキメディア・コモンズから、 引用させて頂いた部分があります。
第1日(9月6日(日))東京→八戸→(青函トンネル)→函館
出発は、東京駅、08:56発の東北新幹線「はやて9号」。東北新幹線は、東京〜八戸間631.9kmを約3時間で結んでいます。
大宮〜盛岡間が昭和57年、平成3年に東京まで開業し、盛岡〜八戸間の延伸は平成14年12月でデジタルATCを採用。
この区間には運用中の陸上トンネルとしては日本一(長さ25,808m)の「岩手一戸トンネル」が有ります。
「はやて」の車両はE2系。盛岡までは、「こまち」と連結した16両編成ですが、盛岡からは切り離して、8M2Tの10両編成で走ります。12:03 八戸駅着。
12:16 八戸駅からは東北本線、津軽線等、在来線の旅。いよいよ、鉄道ファンとしての楽しみが始まります。八戸からは、特急スーパー白鳥9号。 青森駅を経由して、津軽半島を北上、青函海底トンネルをくぐって函館駅へ向かいました。 なお、東北本線の八戸・青森間は、2010年12月の東北新幹線青森延伸の際にはこの区間がJR東日本の経営から分離され 「青い森鉄道線」の延長となる予定です。
特急スーパー白鳥の停車駅は、八戸から、三沢→野辺地→浅虫温泉→青森→蟹田→木古内→終着の函館です。 特急スーパー白鳥は、JR北海道が、八戸駅・函館駅間を東北本線及び津軽海峡線(津軽線・海峡線・江差線・函館本線) を経由して運転している列車で、789系交流電車を使用しています。 この電車は、12 ‰ の勾配が続く青函トンネルを最高速度 140 km/h で運転するため、編成中の電動車の比率を多くして 列車全体の出力を確保するとともに、万一1組の電動車が故障してもトンネルからの脱出が可能な構成としているそうです。 八戸駅を出て三沢を過ぎたスーパー白鳥9号は、防雪林に守られた線路を走り抜け、12:46野辺地駅に着きます。 野辺地駅では、青森方面と下北・大湊方面との分岐点です。「とりめし」の駅弁が人気とか。 かって、南部縦貫鉄道線が、野辺地駅から青森県上北郡の七戸駅を結んでいました。 旧型レールバスの運行が行われていたことで、鉄道ファンなどの間では人気がありましたが、2002年に廃止されてしまいました。
野辺地を出ると、右側に陸奥湾が見えてきました。13:01浅虫温泉駅で列車交換後、青森に向かいました。 青森駅で列車の進行方向が逆転します。私達も座席を回転させました。13:21青森駅からJR津軽線に入ります。JR津軽線は青森・三厩間55.8kmの路線。蟹田で乗務員が、JR東日本からJR北海道に交代しました。 津軽線と海峡線の分岐駅は中小国(なかおぐに)駅ですが、全列車通過のため、特急の停車する蟹田駅が実質的な分岐駅となっているのです。
蟹田駅を出た特急スーパー白鳥9号は、境界駅の中小国駅はあっさり通過。 中小国駅を通過してすぐの新中小国信号場で、 列車は、停車はしませんがゆっくりと、単線の津軽線と別れて、複線の海峡線の左側の線路に入り、最初の津軽今別駅をゆっくり通過していきました。 海峡線の線路は、北海道新幹線の一部分となる事を想定して建設されている為、新幹線規格で、踏み切りはなく、 最小曲線半径は6500m,最急勾配は15‰に抑えられています。上下線とも、路盤に対して線路を左側にずらして設置しています。 スーパー白鳥の座席テーブル裏に青函トンネルの図と通過予定時刻表が貼ってありましたが、青函トンネルに入るまでに7つのトンネルを抜けると、いよいよ青函トンネル突入です。
北海道函館市と青森県青森市を結ぶ津軽海峡線の青函鉄道トンネルは、延長53,850m。1988年竣工。 その全長は、後に作られたユーロトンネルよりも長く、世界一(海面下の部分の延長はユーロトンネルの方が長い)。 津軽海峡を貫く鉄道の計画は古くからあったのですが、1954年の「洞爺丸台風」によって青函連絡船・洞爺丸が沈没し多くの 犠牲者を出したことより、計画が一気に具体化することになったとのこと。 函館から中小国までの青函トンネル全線を含む129kmはJR北海道函館支社が管理運営しています。 青森側の入口から約20kmの地点が谷になっており、その前後には12パーミルの勾配が20-30kmも続きます。 このため、走行する車両にとっては電動機の定格出力への挑戦となります。 青函トンネル向けに新製されたJR北海道の特急スーパー白鳥の789系電車では電動機の定格出力が増やし、140km/h走行を可能にしました。 JR東日本が運転している特急白鳥で用いられている485系では、そのままでは、上り勾配で110km/h弱まで速度が落ちてしまうのですが、 大々的にリニューアルされた3000番台の車両が使用されており、青函トンネル内を140Km/hで走ります。 貨物列車にとってはさらに過酷で、ED79は重連でなければ勾配を登れず、EH500の登場でようやく貨物列車も単機で走れるようになったそうです。
青函トンネル通過には約40分間かかりますが、途中に竜飛海底駅(たっぴかいていえき)を通過します。 青函トンネルの中のこの駅の地名は、青森県東津軽郡外ヶ浜町であり、一部の特急が止まる、本州最北端の特急停車駅です。 ようやくトンネルを抜け出すと知内(しりうち)駅を通過。さらに7つのトンネルを経て、14:36木古内駅に到着します。
スーパー白鳥は、木古内駅から江差線に入り、海岸を走ります。おおむね海岸沿いの高いところを走り、晴れていれば、 右手に津軽半島、下北半島、函館山を望むことができるはずですが、曇っていて見えませんでした。 左手には、丸山が見えました。 五稜郭駅を通過し函館本線に入り、函館到着は15:12。東京駅を出てから、約7時間の列車の旅でした。
続いて元町の散策。前回来た時は雨でよく見られませんでしたが、今回の天気は良かった。
元町には、明治時代の建物が多く残っています。元町公園の上に建つ、コロニアルスタイルの建築物は旧函館区公会堂。
黄色く色づけされた鮮やかな外観が明治期のハイカラムードを漂わせます。
港を見下ろす坂道の、チァミーのコマーシャルに使われたところだそうです。遠くにかっての青函連絡船「摩周丸」が見えました。
函館から宿泊地の湯の川温泉にチェックインしてから、函館山からの夜景を見に行きました。 函館の夜景は前回も見たのですが、やはり函館の夜景は美しい。宝石を散りばめたような光景はため息が出る位でした。
第2(9月7日(月))函館→池田→阿寒湖
函館駅8:30の特急スーパー北斗3号で、函館本線・室蘭本線で南千歳へ向かいます。 函館から、五稜郭→大沼公園→森→八雲→長万部→洞爺→伊達紋別→東室蘭→(鷲別)→(幌別)→登別→(白老)→ 苫小牧→(沼ノ端)→南千歳の順に止まっていきます。 特急スーパー北斗号で使用しているキハ281系気動車は、線路の位置情報をATS車上子が検知、 曲線進入前から徐々に車体を傾斜させ、通過後に復元させる制御付き自然振り子式車両。 急カーブの連続する線路でも、最高速度130km/hで走ります。
特急スーパー北斗3号は、函館を出てすぐ、8:34五稜郭駅に停車しました。津軽海峡線との乗換え駅ということもあり、一部の特急列車も停車します。 五稜郭を出て、大沼から先の森までは、函館本線は大沼公園を経由する"駒ヶ岳(大沼公園)廻り"と、海辺の鹿部、渡島砂原を経由する"砂原廻り"に分かれます。 すべての特急列車が大沼経由なので大沼公園廻りが本線的な存在です。 駒ヶ岳経由の線路は,山腹の樹海を縫って走ります。山深い峠を越えると大沼公園で、車窓からは、大沼湖,小沼湖,駒ヶ岳が見えるはずですが、霧が多くてよく見えませんでした。 9:06「いかめし」の駅弁で有名な森駅を過ぎると、進行方向右側に内浦湾(噴火湾)が広がります。左に断崖が迫り、海に押し出されそうな雰囲気でもあります。 内浦湾は円形の大きな湾で、室蘭市など8市町村が面しています。 噴火湾とも呼ばれていますが、駒ケ岳、有珠山などの多くの火山に囲まれているため、 18世紀末の英国海軍探検船「プロヴィデンス号」船長、W.R.ブロートン中佐が名付けました。 湾航海日誌「北太平洋探検航海記」の中でいきさつを書いているそうです。列車は桂川、石谷、本石倉と内浦湾沿いの漁村の小駅を過ぎていきます。 日本最北の関所があったという山越を通過。ここから先が蝦夷地であり、ここまでが松前藩の支配が及んでいたという ことなのでしょう。9:25八雲に停車後、列車は、室蘭本線との分岐点の長万部へと向かいます。
長万部は室蘭本線起点で、9:43、スーパー北斗は、長万部で函館本線を離れ、室蘭本線に入ります。 室蘭本線の長万部〜沼ノ端間は、函館〜札幌間の幹線の一部として、本州からの寝台特急、貨物なども走っています。 駅弁の「かにめし」が有名で、長万部で「かにめし」が積み込まれます。 入用の際には、1時間前までに車内販売員まで予約を入れることになっており、私も注文しました。
10:05洞爺湖の入り口「洞爺」、10:15有珠山を間近に望む「伊達紋別」を過ぎ、10:29東室蘭に着きます。 ここから沼ノ端間は電化されており、町並みも変わっています。 10:41北海道有数の温泉地「登別」を出ると、日本一長い直線がある白老〜沼ノ端(28.7Km)に さしかかり、列車は、右手に太平洋を見ながら直線区間を快調に走ります。 進行方向左側、つまり山側には、樽前山が見えるはずでしたが、雲が多くて見えませんでした。 11:03苫小牧に到着しました。 苫小牧からは、千歳線経由の札幌方面行き、室蘭本線経由「岩見沢」行き、および日高本線に 乗り換えられますが、スーパー北斗は、苫小牧を出て、沼ノ端から千歳線に入り、左手に新千歳空港をかすめ、11:18南千歳駅に到着しました。 ここでスーパー北斗とはお別れです。
南千歳駅は、1980年に「千歳空港駅」の名称で、国鉄初の空港連絡駅として開業したのですが、 1992年の新千歳空港の新旅客ターミナル開業により、旧旅客ターミナルの廃止に伴い改称となりました。 空港連絡駅としての座を降りた後も、千歳線の本線、新空港支線と石勝線の三線の結節点として、 道南・道東方面の特急列車が全列車停車し、道内各方面への鉄路と空路を結ぶ要衝ですが、秘境駅とでも呼びたくなるような、寂しげな駅です。
南千歳駅からは、12:17、札幌から千歳線経由で来た特急スーパーおおぞら5号に乗車、根室本線、石勝線を通って池田まで行く予定でした。 が、ここでハプニングが起きました。 南千歳周辺が集中豪雨に見舞われ、列車が止まってしまったのです。約2時間半後にやっと規制が解除、14:55特急スーパーおおぞら5号が発車しました。 南千歳から、トマム→新得→帯広→池田と止まっていきます。 特急スーパーおおぞら号は、キハ283系気動車で、スーパー北斗のキハ281系を発展させた振り子式車両で、最高速度130km/hですが、当日は速度規制が出ていて、最高速では走れませんでした。
スーパーおおぞらは、通過駅「追分」で室蘭本線を離れ、石狩と十勝を結ぶ、石勝線に入ります。 前は石勝高原と名乗っていたトマム駅に停車。トマムとはアイヌ語で湿地のこと。 標高538mの地点にあり、道内において旅客を取り扱う停車場としては一番標高が高いとのこと。 リゾート開発が進み、近くにホテルやスキー場があり、乗降客はこれらのリゾート施設の利用者がほとんどとのこと。 無人駅ですが、特急「スーパーおおぞら」の大部分と、「スーパーとかち」と「とかち」の全列車が停車します。
しばらくすると左側に根室本線の線路が見え、まもなく、狩勝峠にさしかかりました。 狩勝峠のこの区間は、かつては、峠(標高664m)の直下は狩勝トンネル(標高534m・延長954m)で結ばれていて、 25 ‰の急勾配が続き、SLの難所だったそうです。 トンネルを十勝側に抜けると眼下に雄大な十勝平野が一望できることから「日本三大車窓」の一つとされていました。 なお、根室本線は1966年(昭和41年)9月に、勾配を緩和した新狩勝トンネルを経由する新線に切り替えられたために、 現在は峠から南へ約4kmほど離れた場所を通っています。狩勝峠越えの旧線の一部(新内駅-新得駅間)は、その後、1979年(昭和54年)頃まで、 脱線事故や車両火災事故などの実験線(通称:狩勝実験線)として使用されていたそうです。 現在は、「北海道の屋根」と呼ばれる日高山脈を貫くため、 北海道島内の山岳トンネルで最長の5,825mの新登川トンネルをはじめ、5,790mの新狩勝トンネル、5,700mの登川トンネル、 4,225mの第二串内トンネル、3,765mの鬼峠トンネルなどの長大トンネルが連続します。 新狩勝トンネル内で、左手から来る滝川からの根室本線と合流します。 新狩勝トンネルは入り口が二つで出口が一つという珍しいトンネルです。 合流点であるトンネル内の上落合信号場を通過、トンネルを抜け、新狩勝信号場を通過すると、進行方向左側に「日本三大車窓」の面影が 残って雄大な十勝平野が開ける予定でしたが、霧が多くて、何も見えませんでした。 列車の行き違いの為に設けられた、広内信号所を通過し、16:35新得駅に到着。 新得駅は、根室本線と石勝線の合流駅となっているんですが、実際には、既に新狩勝トンネルの中で合流しています。 峠を越えてきた列車は、ここからしばらくして十勝平野の中を走り、17:05帯広に着きます。 帯広を過ぎて、17:26池田にて下車。 鉄道の旅は、一旦終わり、ここから阿寒湖方面へはバスでの移動となりました。 池田には、池田町が経営する十勝ワインの醸造場「池田町ブドウ・ブドウ酒研究所」、通称・ワイン城があります。 ここはトカップワインなどに代表される「十勝ワイン」を作っている所です。 ワインの名前から推測できるように、ここは十勝平野のまっただ中にあり、その平野の小高い丘に、平野を見下ろすように立てられているのです。 施設内には、ワインの熟蔵庫や雄大な十勝平野を眺めながら食事が楽しめる町営レストランなどがあるそうですが、今回はバスから概観を見ただけでした。
バスは、池田から道東自動車道を30キロほど北へ走り、足寄インターチェンジを出て、足寄町(あしょろちょう)を通過しました。 足寄は、アイヌ語の「エショロ・ペツ」(沿って下る川)からの由来だそうです。 約1,400km2の面積を持ち、2005年(平成17年)1月まで日本一広い面積を持つ市町村でした。 (現在は、高山市、浜松市、日光市、北見市に次いで第5位)。 また、2006年(平成18年)3月19日まで道内で最も面積の広い自治体でもありました。 しかし町としては2006年(平成18年)3月20日現在でも、日本一広い面積を持つそうです。 松山千春の自伝的小説を映画化した「旅立ち〜足寄より〜」 で使用したロケセット“とかち新聞社(千春の家)”が 一般公開されていて、ロケセットの内部を見学できるほか、足寄町内で行われたロケ風景の写真や実際に撮影で 使用した小道具の展示なども行われているそうです。 本来のスケジュールでは、この後、オンネトーへ行く予定でしたが、列車が3時間近く遅れたため、取りやめになり、阿寒湖へ直行しました。 残念ですが、仕方がありません。 阿寒湖は北海道東部、釧路市にある湖で、全域が阿寒国立公園に含まれ、北海道で5番目に大きい淡水湖です。 特別天然記念物のマリモや、ベニザケの湖沼残留型(陸封型)であるヒメマスが生息し、冬は全面結氷するそうです。 周囲はエゾマツ・トドマツなどの亜高山帯針葉樹林、および広葉樹を交えた針広混交林の深い森に覆われています。 火山地域にあるため温泉が沸き、湖南岸に阿寒湖畔温泉の温泉街が広がっています。到着が遅かったので、ゆっくり見物できなかったのが心残りです。
第3(9月6日(火))阿寒湖→摩周湖→知床→網走
摩周湖を出て、バスで知床に向かいました。知床に着いて、海鮮丼とそばの昼食。昼食の場所から、雲がかかった斜里岳が見えました。 そのあと、知床五湖展望台へ上がりました。 知床五湖の駐車場から高架式の木道で結ばれており、バリアフリー構造で熊よけの電機柵が整備されています。 ヒグマが出没して五湖が閉鎖されても、ここでは湖を見ることができるそうです。バスの発車時間を気にしながら、「一湖」のみ見物しました。
知床を後にし、オシンコシンの滝に立ち寄りました。この滝は、普通の滝のように、水が垂直に落ちてくるのではなく、岩肌を白糸のように伝って 流れ落ちていきます。途中から流れが2つに分かれていることから「双美の滝」とも呼ばれています。 豪快にせまってくるようで、なかなか迫力がありました。「日本の滝100選」にも選ばれている知床最大級の滝です。 この「オシンコシン」というちょっと面白い名前は、アイヌ語で「エゾマツが群生するところ」という意味だそうです。
知床斜里駅から、オホーツク海岸列車に乗りました。オホーツク海岸列車は、知床斜里駅から、網走駅までを海岸に沿って走る列車で、正式名ではなく、観光用にJR釧網本線の一部を、こう称しているようです。 釧網本線全区間通しの列車は、川湯温泉 - 緑間が急勾配(25‰)・半径300mの急曲線・多雪区間であるため、 基本的にキハ54形が単行で運転されていますが、知床斜里・網走間はキハ40形が使用されています。 右手にオホーツク海、左手に濤沸湖という絶景の中を走ります。濤沸湖はアイヌ語で「チカンプトウ」と呼ばれ、鳥がいつもいる湖という意味で、 草原に横たわる馬や牛の姿が見られ、冬になると、厳寒のシベリアの冬を避け、毎年2,000羽のオオハクチョウが飛来し、この湖で羽を休めるので、 白鳥の湖として知られています。 15:20知床斜里発。3駅目だったか?、無人駅の原生花園駅に停車。5〜10月の間のみの営業の臨時駅とのこと。15:49この次の北浜という駅でこの列車を降りました。 北浜駅は、オホーツク海に一番近い駅ということです。
北浜駅からバスで網走へ。程なく、左手に、藻琴湖が見えました。濤沸湖に比べると、かなり小さな湖です。網走市に入り、網走刑務所へ。網走刑務所正門は、大正11年竣工のフランス様式の洒落たレンガ造り。刑務所用地内の粘土を使用し、所内の工場で焼き上げたレンガは周囲の塀を含め総数150万枚とのこと。 続いて天都山に登りました。標高207メートルの天都山は、「天の都にのぼるような心地」ということから名付けられたとか。国の名勝にも指定されている天都山からは、オホーツク海・網走湖・能取湖・濤沸湖・知床連山などが一望できます。 頂上にはオホーツク流氷館があります
第4(9月9日(水))網走→旭川→美瑛→富良野→札幌
特急オホーツクに使用されているキハ183系気動車は、従来のキハ80系気動車への置き換えとして、 1980年代初めに耐寒耐雪機能に留意した開発された北海道専用車両です。列車の分割併合を前提とせず、先頭車は高運転台式非貫通型です。 2001年頃から古い車両が順次淘汰されつつあるものの、使用路線の実情を考慮した仕様変更や改造も多く行われ、 現在でも道内各路線の特急列車に使用されています。 網走を出るとすぐ、右手に、雄大な網走湖が広がります。冬季には、一面氷の白い平面になるそうです。
9:56美幌を過ぎると、一面の畑作地帯の中を走り、10:19北見を過ぎて、11:14遠軽に着きました。 遠軽で進行方向が変わるのが石北本線の特徴です。 つまり、列車は、遠軽駅で、列車は方向転換(スイッチバック)して出発します。 では、なぜ本線なのにスイッチバックするのか。それには、網走へのルートの生い立ちにあります。 札幌〜網走間は現在のルートも検討されてはいましたが、北見峠や常紋峠に阻まれ建設が進みませんでした。 そこですでに開通していた根室本線(現富良野線ルート。滝川−富良野は後年開通)の池田駅から 網走本線(後の池北線、現ちほく高原鉄道ふるさと銀河線)を分岐し到達させました。 この為、当初は札幌−旭川−富良野−帯広−池田−北見(当時は野付牛)−網走、という非常に遠回りなコースでした。 その後遠軽経由の路線が完成し石北本線となったのです。これら複雑な経緯により、本線にもかかわらず遠軽駅でスイッチバックしているのです。 遠軽駅では進行方向転換のため特急も2〜3分停車します。進行方向が逆になるので、ここで座席を回転させました。 窓からは、瞰望(がんぼう)岩が見えました。岩の頂上からは遠軽駅をはじめ、遠軽市街を一望できるそうです。 遠軽を出て、白滝駅を越えると、北海道鉄道最高所の北見峠越えです。 列車は、北見峠の石北トンネル(4356m)を抜けると、北海道最高所(標高644m)の上越(かみこし)信号場を通過し、12:31上川駅に到着。 上川駅は、上川〜旭川間で有人駅はここと旭川駅のみです。特急オホーツクなどすべての列車が停車し、 大雪山国立公園の層雲峡温泉方面への玄関口です。 上川駅を出た列車は、石狩川に沿って走り、車中で、海鮮駅弁「かにめし」の昼食をとり、新旭川駅を過ぎ宗谷本線を走る間もなく、13:11旭川駅に到着。
旭川駅で特急オホーツクを下車し、バスで、美瑛と富良野に向かいました。 ここは、一昨年にも来たのですが、このときは、登別方面から、上富良野、美瑛、旭川という順でしたが、今回はその逆です。 旭川と富良野の中間にあたる美瑛は、北海道有数の農業王国。なだらかな丘に沿って畑が並ぶ風景はおおらかで、日本離れした美しさです。 JR北海道・富良野線の美瑛駅は、山口百恵の「いい日旅立ち」のレコードジャケットにも使われたとのこと。石造りのかわいい駅でした。 バスの車窓からですが、遠くに大雪山や勝岳連邦、美馬牛小学校の赤い屋根が見えました。 とんがり屋根を持つ教会風の校舎は、風景写真家・前田真三氏のモデルで有名になりました。
富良野のファーム富田は、丘一面に広がるラベンダーと、ポピーやカスミソウなど色とりどりの花々で有名な美しい農園です。 ラベンダー栽培は、1958年、現会長である富田忠雄(とみた・ただお)氏に始められ、 高貴な紫色の花と、心いやす香りに魅せられて、年間約100万人もの人が訪れるとのことです。
富良野から札幌へは、バスで移動しました。雲がかかっていましたが、大雪山が見えました。三笠ICへ向かう途中のバスの車窓から、桂沢湖が見えました。 桂沢湖は、桂沢ダムの完成によりできた人造湖です。湖畔には宿泊施設・公園・キャンプ場があり、四季を通じて楽しむことができるそうです。 三笠ICから道央自動車道に入りましたが、入り口近くに、三笠炭鉱のハーモニカ長屋を見ることが出来ました。道央自動車道を走り、18:00頃、札幌駅近くのホテルに着きました。
第5(9月10日(木))札幌→函館→(青函トンネル)→八戸→東京
特急北斗もオホーツクと同じキハ183系気動車ですが、最高速度130Km/hで走るため、 ブレーキ装置を強化した550番台の車両です。正面も貫通扉付きになっています。 札幌を出た列車は、函館本線を東に向けて白石まで走り、複々線の中にある平和をすぎると 高架橋を右側に大きくカーブして南に向かいます。高架橋の新札幌は地下鉄乗り換え 駅でもあり、一部特急や快速なども停車する乗降客の多い駅ですが、特急北斗は通過。 しばらく市街地を走りますが、上野幌をすぎると、のどかな風景が多くなってきます。北広島は、 広島県人により開拓されたため、この名が付いたそうです。列車は丘陵地帯を走り、まもなく高架にさしかかり、千歳を過ぎ、南千歳駅に着きます。 行きに、特急スーパー北斗から、特急スーパーおおぞらに乗り換えた駅です。室蘭・函館方面、帯広・釧路方面、空港への乗換駅とし て交通の拠点となっています。右手に新千歳空港が見えました。
特急北斗8号は、室蘭本線に入ります。 苫小牧を過ぎると、右手に行きには見えなかった樽前山がよく見えました。列車は、日本一直線距離の長い、沼ノ端〜白老間を軽快に走っていきます。
伊達紋別を過ぎたころから、昭和新山と有珠山が良く見えました。
洞爺を過ぎると、トンネルに挟まれた小幌駅を通過しました。 「小幌駅」は、2つの長大トンネルの間に挟まれたわずかな明かり部分に位置しており、3面が険しい坂、1面は海(内浦湾)に接していて、 周辺8kmは道路が通じていないので、鉄道と船舶以外の交通手段では接近が難しい、 いわゆる秘境駅のひとつとして数えられています。
特急北斗8号は、長万部で函館本線に入り、内浦湾に沿って走ります。大沼公園駅に近づくと、行きには曇っていて見えなかった、駒ヶ岳がはっきりと見えました。
五稜郭駅を通過し、12:49、函館に着きました。 12:53 函館発の789系電車特急スーパー白鳥22号に急いで乗り換え、八戸に向かいました。 「白鳥」という列車の愛称には歴史があります。 特急白鳥は、1961(昭和36)年キハ80系気動車によって大阪〜上野と、大阪〜青森を運転する長距離特急として運転開始(のち、上野発着は「はくたか」に改称)。 1972(昭和47)年ダイヤ改正で485系に使用車両が変更され、長らく1往復のまま日本最長の距離を走る昼間特急電車として活躍しました。 しかし、乗客のニーズの多様化などにより、次第に運用が非合理的になり、2001年の改正で雷鳥・いなほに分割吸収されて消滅。これで由緒ある「白鳥」の名前は消えるかに思えました。 ところが、2002(平成14)年、東北新幹線八戸延伸に伴い特急網が再編され、これに伴い、八戸〜函館に特急白鳥が復活したのです。 今回は、往復とも特急スーパー白鳥を利用したので、乗る機会はなかったのですが、 JR東日本が運転している特急白鳥の車両には、国鉄時代に開発された3電源(直流1500V、交流20000V50Hz、交流20000V60Hz)対応の485系交直流特急用電車を JR東日本が大々的にリニューアルした3000番台が使用されており、青函トンネル内は、140Km/hで走ります。 JR北海道の789系特急スーパー白鳥と共に青函トンネル経由で本州と北海道を結んでいます。
五稜郭を過ぎ、江差線に入ると、津軽海峡沿いに走ります。よく晴れていたので、左の窓からは、函館山、下北半島と、これから渡る津軽半島が良く見えました。
まもなく、木古内駅から、海峡線に入り、青函トンネルにさしかかりました。 行きのスーパー白鳥9号は止まりませんでしたが、今回の帰りのスーパー白鳥22号は、13:59青函トンネルの中の竜飛海底(たっぴかいてい)駅に停車しました。すべての車両の扉は開かず、2号車の扉を非常ドアコックで開閉するそうです。
青函トンネルを通過した特急スーパー白鳥22号は、新中小国信号場で、津軽線と合流、蟹田駅に停車し、乗務員が、JR北海道からJR東日本に交代しました。 青森湾に沿って走り、14:51青森に到着し、列車の進行方向が変わりました。途中、浅虫温泉駅で、特急白鳥とすれ違い、15:50終点の八戸に着きました。
八戸で16:06発の東北新幹線はやて22号に乗り換え、19:08東京に着きました。 「航空機ではなく列車を使って、北海道をゆったりと旅したい」、こんな望みを叶えてくれるのに、うってつけのパッケージ・ツアーがありました。
ツアーの名は「北海道絶景車窓の旅・列車でめぐる北の大地」。5日間のツアーのうち、ほぼ4日は列車の旅です。
しかも、その大部分が特急列車。このツアー、東京駅発、8:56と余裕の出発に始まって、
函館、阿寒湖、網走、札幌に宿泊という、無理のないスケジュールでした。
往復は新幹線、在来線は特急の指定席と、ホテルも一流・・・、と豪華で、ツアーとしてはやや高価でしたが、それだけのことはありました。
二日目、南千歳で集中豪雨のため3時間立ち往生というハプニングがありましたが、終わってみれば、これも良い思い出になりました。
ただ、かっての日本三大車窓の面影を残す狩勝峠の景色が見られなかったのと、オンネトーへ行けなかったのは心残りです。
添乗員の田中さん、こんなハプニングにも落ち着いて、とても親切に、適切な誘導をしてくれました。 私たちへの心配りがとても有り難かったし、生き生きとした仕事ぶりが美しかった。 今後も、頑張って欲しいと思います。 |