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ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート2008     (2008.1.2)

今年も元旦には、テレビの衛星中継で、ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートを楽しみました。今回の指揮者はジョルジュ・プレートル。フランス人指揮者が、このコンサートに登場するのは初めてとのことです。 これまでプログラムはシュトラウスが大部分でしたが、今回はフランス、ロシア、そして北京オリンピックの年ということで中国をテーマにした曲も加えられていました。
ジョルジュ・プレートルはフランス・レジオン・ドヌール勲章とオーストリア学術・文化名誉十字勲章という、フランス国内外双方の最高勲章を受けた、 数少ないフランス人アーティストで、ウィーン楽友協会の名誉会員でもあるとのこと。 ニューイヤーコンサート初登場にして史上最高齢83歳で初のフランス人指揮者だそうです。ところが演奏はダイナミック、とても83歳とは思えませんでした。

私はプレートルには思い出があります。 私が初めて買ったオペラ全曲レコード盤が、このジョルジュ・プレートルの指揮による「カルメン」だったのです。 1965年、私が大学1年の時で、マリア・カラスのカルメン、ニコライ・ゲッダのドン・ホセ、パリ国立歌劇場管弦楽団による3枚組のLPレコードです。 定価6000円は、学生の私にはかなり高額で、アルバイト代を貯めて、やっと買うことができました。 当時のマリア・カラスのレコードの多くはイタリア歌劇で、恩師トゥリオ・セラフィン指揮によるものが多かったのですが、マリア・カラスは若きプレートルに絶大な信頼をおいていたとのことで、 彼女は、ビゼー作のカルメンの指揮者に、同じフランス人の新進指揮者プレートルを抜擢したということです。 このレコードは、カラスの息詰まるような迫力と、軽快でかつドラマチックなプレートルの指揮、それに当時としては抜群の録音の良さで、 「レコード芸術」等の雑誌で話題になりました。プレートルは、それまで日本では、殆んど知られていませんでしたが、これ以後、 フランス音楽の演奏者として名を馳せるようになりました。
 
ニューイヤー・コンサートで演奏されるのは初めてという、ヨハン・シュトラウス2世の「ナポレオン行進曲」でコンサートは始まりました。 フランス関連の曲として、パリのコンサートのために作曲したというヨハン・シュトラウス1世のワルツ「パリ」や、 「ヴェルサイユのギャロップ」、ヨハン・シュトラウスのポルカ「パリジェンヌ」、ヨゼフ・シュトラウスの「ルクセンブルク・ポルカ」等がありました。 2008年ウィーンで開催されるサッカー欧州選手権にちなんで「スポーツ・ポルカ」、北京オリンピックにちなんで「中国人のギャロップ」と、今年のイベントをテーマとした曲も選ばれていました。 ウィーンやオーストリアにとらわれず、国際的とも言える選曲も、斬新でした。 例年通り、バレエも披露されました。ワルツ「人生を楽しめ」がアルベルティーナ美術館前で、アンコール曲「美しく青きドナウ」では、 今回は、録画でなはなく楽友会ホールのロビーから、曲の最後には、まさに演奏会場演奏しているホールの客席にリアルタイムで踊り続ける男女が、 姿を現すという前例のない演出でした。 また、ポルカ「パリジェンヌ」でのスペイン騎馬学校の馬の演技、「トリッチ・トラッチ・ポルカ」では、サッカー競技を模した演出もありました 最後は伝統的な「ラデツキー行進曲」で締めくくり。
 
このウィーンフィル・ニューイヤーコンサート、今回で67回を数えるとか。第1回目はクレメンスクラウスが指揮を務め、その後はヨーゼフ・クリップス、ヴィリー・ボスコフスキー、ロリン・マゼール、ヘルベルト・フォン・カラヤン、クラウディオ・アバド、カルロス・クライバー、ズービン・メータ、リッカルド・ムーティ、ニコラウス・アーノンクール、小沢征爾、マリス・ヤンソンス、そして今年、2008年はジョルジュ・プレートルの指揮でした。

いつもながら思うことですが、地球の裏側で行われているコンサートを美しい映像と音声で生の放送で楽しむことができるのは、何と素晴らしいことでしょう。 思えばこのテレビの衛星生中継はケネディ大統領暗殺という衝撃的な映像で始まったのです。 1962年、アメリカの国際電気通信衛星機構(インテルサット)は、大西洋上にテルスター1号を、太平洋上にリレー1号を打ち上げました。 これらの衛星は地球の回りを約3時間で回り、1963年11月には、このリレー1号を用いて、日米間で第1回の衛星テレビ伝送実験が行われました。 ところが、その時、最初に、米国から日本に、この衛星を用いて送られてきたテレビ映像は、なんと、ケネディ大統領暗殺のニユースでした。 「ジョン・F・ケネディ大統領が、11月22日午後0時半頃、テキサス州ダスス市において オープンカーでパレード中に暗殺された」。 インテルサット計画はケネディ大統領が強力な指導力でスタートしたとのこと。 偶然にも、その暗殺の第1報を日本に伝えたのが、彼が提案した通信衛星であったのは、何か運命の悪戯を感じさせます。 この時私は高校生で、ケネディ暗殺という歴史的瞬間を目の当たりにして、衝撃を受けたことを覚えています。 これから45年。ウイーンフィル・ニューイヤーコンサートやオリンピックなどの生の映像を、地球上どこでも、お茶の間に居ながらにして楽しめるようになったのです。素晴らしいことです。改めて通信とマルチメディア技術の進歩に目を見張ります。
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