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新・白毛女: 森下洋子、清水哲太郎、松山バレエ団   (2011.05.05)
森下洋子、清水哲太郎主演の「新・白毛女」を見てきました。「白毛女」は、1950年代中頃に松山バレエ団創設者の清水正夫(故人)の台本・演出、松山樹子主演・振付で初演されたバレエで、今回はその改訂版です。何でも、当時、松山バレエ団団長清水正夫とプリマで副団長だった松山樹子が中国の映画「白毛女」を観て感激し、バレエ化を志したとのことです。
 
1966年(だと思います)、当時大学生だった私は、松山樹子主演の「白毛女」を見ました。大学生協の売店で、「白毛女」の東京労音公演のポスターが目に留まり、見に行ったのです。当時「白鳥の湖」、「くるみ割り人形」・・・といった西洋のバレエ知らなかった私は、この「白毛女」にとても新鮮な驚きを覚えたのを記憶しています。私は中国の開放をテーマにした「白毛女」には、それほど期待はしませんでした。ところが「白毛女」は、衣装は中国の解放軍などの服装をベースにしていたものの、踊りはトゥで立って踊る純クラシックの技法でした。とりわけトゥで立って、後方に90度足をまっすぐに伸ばし、一瞬と時計が止まったかに思えアラベスクの松山樹子のポーズには、思わずハッと息を呑みました。「白毛女」は中国を舞台にしているにも拘わらず、西洋のダンスクラシックの技法に基づくバレエだったのです。
 
今回の「新・白毛女」。主役の白毛女は森下洋子。世界広しといえど還暦を過ぎてなおプリマとして舞台に立ち続けるバレリーナはきわめて稀です。公私共にパートナーである清水哲太郎の演出・振付けの新ヴァージョンで、森下洋子の舞踊歴60周年を記念として上演することになったとのことです。
 
「白毛女」のテーマは虐げられた農民による祖国解放。悪徳地主が私兵を使い悪事を重ね、ほしいままに貧農を苦しめています。貧農の娘「喜児」は「王大春」というフィアンセがいるにもかかわらず、借金のかたに地主に連れていかれるます。地主による辱めに抵抗する喜児は、地主のもとを脱し、山に逃げ込みます。飢えと苦しみ、すっかり野生化した喜児の髪は真っ白になり、お堂で彼女を目撃した村人は「白毛仙女」と崇めるようになります。喜児は雪山で、同じ境遇にさらされ、苦しみに喘ぐたくさんの女性達と踊ります。このシーンはとても美しかった。そして3年後、地元の村は立派な青年となって戻ってきた喜児の婚約者、王大春に救い出され、民たちと力を合わせて地主を倒し、ふたりが結ばれ、新たな時代が創りだされる・・・・・。もともと「白毛仙女」は実際にあった出来事として、1935年頃から河北省で伝えられています。映画「白毛女」の中で歌われる「北風の歌」はNHK中国語講座のテーマソングでもあり、中国でもいまだに愛されている曲だそうです。
 
45年前に松山樹子が踊った「白毛女」は、人民解放軍によって地主が打倒され、村々が解放され、勝利の赤旗がはためくという政治色の強い内容でした。「新・白毛女」は、これでは現代の時流に合わないということで、村人自身により地主から開放されるというように変更したのでしょうが、日本を凌ぐ経済大国に成長した中国の原点は、革命によって開放された民衆の底知れないエネルギーであるという主張は貫いているように思います。 「どんな時代環境でも決して屈せず、凛と澄んだ魂の輝きを失わない喜児の姿は戦後、何もないなか立ち上がり、道を創った先人たちの姿であり、今後進む私たちの姿そのものと信じます」という東日本大震災からの復興に思いをはせる森下洋子の言葉にも納得でした。また、これまでに、多くの訪中公演を行い、日中友好に努力してきた松山バレエ団の「白毛女」への出演者、関係者の思いも感じられました。ただ、バレエという、舞踊、演劇、音楽の総合芸術として見ると、踊りに技術的な物足りなさを感じたし、京劇を思わせる演技と音楽に違和感を感じました。森下洋子は、表現力の幅広さ、的確さ、還暦過ぎとは思えない愛くるしい容姿には驚きでしたが、彼女特有の、優美な踊り、華やぎ、染みでる優美な情緒が影を潜め、年齢的な衰えを感じてしまったのも否めません。また、歌が加わるので難しいのかもしれませんが、演奏が録音テープによるもので、生演奏でなかったのが残念でした。

    新「白毛女」 (Xin Bai mao nu)

    演出・振付:清水哲太郎

    白毛女・喜児:森下洋子
    王大春:清水哲太郎
    他、松山バレエ団

    2011年5月4日、Bunkamura オーチャードホール

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