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白毛女: 松山樹子、松山バレエ団   (2009.12.05)
松山樹子は1936(昭11)年より、オリガ・サファイア女史にバレエを習い、日劇のバレリーナとして踊っていました。彼女のファンだった清水正夫氏(故人)と結婚、1947年青山にあった幼稚園を借りたスタジオを発展させて、二人で松山バレエ団を設立しました。 1970年代になって、松山バレエ団には、森下洋子が牧阿佐美バレエ団より移籍、松山樹子さんの息子の清水哲太郎と森下洋子が主役を踊り、年間に60回以上も公演を開く大規模な組織に成長しました。この松山バレエ団で海外とのかかわりで最も深いのが中国。中国の映画「白毛女」を見てバレエ化したことが緑になり、1958年以来、十数回もの訪中公演を行っているそうです。
 
私は、1966年(だと思います)に、松山樹子主演のバレエ「白毛女」を見ました。私は当時大学生でしたが、大学生協のショップの「東京労音」のポスターで松山バレエ団の「白毛女」東京公演の案内を目にして見に行ったのです。
「白毛女」のテーマは虐げられた農民による祖国解放。悪徳地主が私兵を使い悪事を重ね、 ほしいままに貧農を苦しめています。貧農の娘「喜儿」は大春というフィアンセがいるにもかかわらず、 借金のかたに地主に連れていかれるます。地主による辱めに抵抗する喜儿は、とうとう地主のもとを脱し、 山に逃げ込みます。厳しい自然環境の中、食べ物といえば山のお堂のお供え物だけ。 それを食べ命をつないでいました。飢えと苦しみ、そしてすっかり野生化した喜儿の髪は真っ白になり、 お堂で彼女を目撃した村人は「白毛仙女」と崇めるようになります。 ある日、地元の村は八路軍により地主から解放されます。八路軍にはあの許婚の大春も参加していました。 「白毛仙女」を捕まえてみると、なんとそれは自分の愛する喜儿だったのです・・・。 もともと「白毛仙女」は実際にあった出来事として、1935年頃から河北省で伝えられています。 映画「白毛女」の中で歌われる「北風の歌」はNHK中国語講座のテーマソングでもあり、 中国でもいまだに愛されている曲だそうです。
当時も私はバレエに興味をもっていたのですが、牧阿佐美バレエ団が政財界の後押しで大手町サンケイホールで定期公演を行っていたものの、他のバレエ団は公演を行うのも大変な時代で、見る機会は少なかったのです。 松山バレエ団は名前を知っていました見たことはなかったし、松山樹子さんの踊りは、テレビで見ただけでした。また私自身、「白鳥の湖」、「くるみ割り人形」・・・といった西洋のバレエにしか興味がなかったし、当時良く見に行った牧阿佐美バレエ団の定期公演も これらしか演目に取り上げませんでした。まして「白毛女」については全く知りませんでした。 そんなわけで、「東京労音」による松山バレエ団の「白毛女」を見たのは偶然でしたし、幸運でした。 この時強烈に印象に残ったのが、このバレエが中国を舞台にしているにも拘わらず、西洋のダンスクラシックの技法に基づくものであったこと。私は当時は(今もそうですが)、純クラシックの踊りしか興味がありませんでした。コンテンポラリーは理解できないし、コンテンポラリーの踊りも踊り手も少しも美しいと思いませんでした。英国ロイヤルバレエの振付師、故フレデリック・アシュトンが言ったようにバレエは優雅でなければならない。 優雅にクラシックバレエを踊るバレリーナにこそ美しさを感じました。必ずしも衣装がクラシックチュチュやロマンチックチュチュでなくとも、 繊細なトゥで立って優雅に踊る舞姫の姿を見ると、ワクワクして心が躍りました。そんなわけで、中国の開放をテーマにした「白毛女」には、それほど期待はしませんでした。 ところが「白毛女」は、衣装こそ中国の解放軍などの服装をベースにして、およそクラシックチュチュやロマンチックチュチュとはかけ離れていたものの、 踊りは、トゥで立って踊る純クラシックの技法でした。とりわけアラベスクのポーズの美しさでした。トゥで立って、後方に90度足をまっすぐに伸ばし、一瞬と時計が止まったかに思え、思わずハッと息を呑み、会場から拍手が沸きました。こんな松山樹子さんの美しい踊りと、演出の妙で、2時間があっという間に過ぎてしまったのです。松山樹子さんは、ご自分のバレエ人生は、「ダンスクラシックの美しさの追求」、かつ「テクニック+感受性」だと語っています((バレエの魅力:講談社、1978年刊)。松山樹子さんは、戦後間もない頃、小牧バレエ団の「眠りの森の美女」に客演したマーゴ・フォンティーンのローズ・アダージョの美しさにショックを受け、ご自分でローズ・アダージョを踊った時、アチチュードのバランスを徹底的に追求し稽古をして本番に備えたそうですが、それこそ「テクニック+感受性」の追求であり、「白毛女」の踊りにもその努力の美しさが生きたのだと思います。

松山樹子さんは、「私は、30年位前から、創作バレエを手がけてきました。もちろん日本の民謡や民族舞踊を取り入れたからといって、それだけで日本の民族作品として人々を感動させられるものになるとは思っていません。創作バレエの中に、現代を生きる日本人の苦しみや、未来へのビジョンを盛り込んできたつもりです。それは本当に難しいことだし大それたのぞみでもありますが、現代から逃避せずに、真正面から対決したいという思いで一杯でした。創作バレエにおけるこうした姿勢こそ、『私の生きるあかし』だったのです。」と語っています。「白毛女」は、松山樹子さんのこんな思いの具体化であり、その後彼女は、「白狐の湯」、「赤い陣羽織」、「高野聖」・・・といった創作バレエを発表することになるのです。さらに彼女は「まだまだ一般の方々は、バレエというと真っ先に『白鳥の湖』を思い出されるのではないでしょうか。もちろん『白鳥の湖』は完成度の高い素晴らしい作品には違いありませんが、バレエの世界はもっともっと広いということも知って頂きたい」と述べています。この私は、この「白毛女」を見たことによって、「白鳥の湖」、「くるみ割り人形」・・・といった純クラシックのもの以外に、「火の鳥」、「春の祭典」といったバレエも、少しずつ見れるようになり、モーリス・ベジャールのバレエも興味を持つようになれたのです。
松山樹子さんは、同じ「バレエの魅力」の中で、 「気の遠くなるような厳しい訓練の日々を経てこなければ、満足な美の表現は出来ません。そうしてやっと獲得した美も、踊りの一瞬一瞬の動きのうちに消えてしまう。バレエは瞬間芸術なのです。」そして、「私はこうした瞬間の美を求めて、何十年もひたすら燃え続けてきましたが、今静かに振り返ってみると、むなしさに打ちひしがれるような思いになります。バレエのもつ限りない魅力と美しさが、容易に手に入らないものだという絶望感と、それにもかかわらずひたすらに美の極致をもとめている心とが、ないまぜになって押し寄せてくるからです。努力しても努力しても掴みきれない空しさ。私のこれまでの人生は、こうした空しさと、空しいと知りつつなお乗り越えていこうとする美への朝鮮との、繰り返しでつらぬかれてきたと思っています。」と語っています。 この頑張りと完璧を目指す心は、日本のバレエ界を牽引してきた、弟子であり身内でもある、森下洋子、清水哲太郎夫妻に引き継がれてきたのだと思います。

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