日本の少女達の「お稽古ごと」の人気は、バレエがピアノを抜き、トップになったそうです。また、大人になってバレエを始める女性達が増えているとのことです。西洋で生まれたバレエが、今や日本にも根付いてきたということでしょう。また、ローザンヌ・・・での、日本人の若手ダンサーの活躍も、目を見張るものがあります。
でも、つい半世紀前の1960年代頃は、バレエは、日本では、一部の人たちだけが楽しむ贅沢品で、一般的ではありませんでした。
それでも、マーゴ・フォンティーン主演ポールツィンナー制作の映画「ロイヤルバレエ」が公開されたり、ロイヤルバレエの日本公演が行われたりして、徐々に、バレエは、一般に知られるようになりました。
そんな中、1960年半ば頃から、牧阿佐美バレエ団は、ティーンエイジャーバレエ団の愛称で親しまれていました。
プリマバレリーナの牧阿佐美を筆頭に、大原永子、斉藤弘子、そして、当時まだ10代の森下洋子、靫啓子、川口ゆり子、武者小路由紀子といった若きホープが続いていました。
中でも大原永子、森下洋子は、少女雑誌のグラビアの常連で、バレエを志す少女達の憧れの的でした。
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東京オリンピックの頃から、牧阿佐美バレエ団は、旧大手町サンケイホールで、隔月ベースで定期公演を行うようになりました。これには、日本にバレエをもともっと広めたいという、亡き橘秋子さんの思いがあったのだと思います。でも、お客を集めるのはとても大変で、バレリーナ自身にも切符を割り当てられ、自ら売りさばきに走り回ったそうです。 バレエの鑑賞の会員になると安く観られるということで、私も牧阿佐美バレエ団の学生会員になって、毎回500円で見に行きました。 当時でも数千円が相場でしたので、これはバレエ団としても、かなりの出血サービスだったに違いありません。でも、こうまでしても定期公演を絶やすまいという橘秋子さんの努力が実って、バレエ愛好家が増加し、今日のバレエブームが 到来したのだと思います。 | 旧大手町サンケイホールの舞台 |
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