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ヤング4人による連夜の「白鳥の湖」の思い出  (2003.10.20)
 森下洋子,靫啓子,川口ゆり子,武者小路由紀子の夢の競演 

今から40年近くも前の1966年1月、牧阿佐美バレエ団の「白鳥の湖」(全幕)公演で、4人の10代のバレリーナが毎夜交代でオデット・オディールを踊り、話題になったことがありました。 最近でこそ、新国立劇場のこけら落としに、森下洋子、吉田都、酒井はな・・・達が、交代でオーロラ姫を踊りましたが、バレエがまだポピュラーでなかった当時にしては、マチネを含め4回、3日連続で、しかも主役がそれぞれ別というのはとてもめずらしいもので、画期的なことでした。 当時私は大学生でしたが、ふとしたことからバレエの魅力にとりつかれ、バレエ公演に通っていました。バレエはもともと贅沢なもの。入場料も決して安くなく、当時学生の私にとってかなり辛いものがありました。 こんな中、牧阿佐美バレエ団は、大手町サンケイホールで、隔月ベースで定期公演を行っていたのです。私は学生会員になって、毎回500円で見に行っていました。これはバレエ団としても出血サービスだったに違いありません。 これには、日本にバレエをもっともっと広めたいという、亡き橘秋子さんの思いがあったのだと思います。
 
牧阿佐美バレエ団は、当時、ティーンエイジャーバレエ団の愛称で親しまれていました。 プリマバレリーナの牧阿佐美さんを筆頭に、大原永子、斉藤弘子・・・。そして、当時まだ10代の森下洋子、靫啓子、川口ゆり子、武者小路有紀子といった若きホープが続いていました。4人の育ての親は、橘バレエ学校の故橘秋子校長。稽古がきびしいうえに、若いバレリーナたちの精神修養のため、毎冬、寒中に多岐にうたれての水ごりをやったり、座禅を組ませたりのスパルタ教育で有名でした。川口ゆり子だけが”橘学校”へは”中途入学”ですが、他の3人は、いずれも4歳ごろから橘イズムの訓練をうけてきました。 演出の橘秋子校長は、この「白鳥の湖」で、スパルタ教育の一環として、この10代の新進バレリーナに日替わりで主役のオデットとオディ−ルを踊らせたのです。

森下洋子、靫啓子は17歳、川口ゆり子、武者小路有紀子に至っては、まだ15歳でした。 若きバレリーナの火花の散るような技と美の競演、いやがうえにも盛り上がり、新聞や雑誌で結構大きく取り上げられました。 (当時の雑誌の記事がAUTOFOCUS'pageに載っています。) 

4人とも、それぞれ個性豊かに、素敵なオデットとオディールを演じていました。橘秋子さんの4人に対する評価は、 森下の驚くべきうまさ、靭の軽妙、武者小路の典雅、そして川口の根性とのことでしたが、私は、最年少の武者小路有紀子の気品に溢れた繊細な踊りが、特に印象に残っています。
まず、森下洋子は今よりふっくらしていましたが、軽快さは群を抜いていました。これまでにこの役を数回踊っていたそうで、本当に上手だけれど淡々と踊っていた感じがして、訴えるものがありませんでした。 靭啓子(後のゆうきみほ)も、この役は未経験ではなく、美しくテクニックに秀でたダンサーだったと記憶していますが、それが鼻について、あまり好きにはなれませんでした。  川口ゆり子と武者小路有紀子は、二人とも「白鳥の湖」の主役ははじめてて、かなり緊張していたようでしたが、オデットとオディルという大役を果たしたのはさすがでした。 川口ゆり子はとても可愛らしく初々しい白鳥でしたが、私には武者小路さんの印象が強かった為か、余り記憶に残っていないのです。 一番印象に残ったのが武者小路有紀子です。 32回のフェッテアントゥールナンなどは、やや不安を感じたところもありましたが、気品に溢れた大らかな踊りで、しかも繊細な情感は、他の3人にはないものでした。 無事踊り抜いて感極まったのでしょう。カーテンコールで涙ぐんでいたのを覚えています。 彼女は、良い意味で最も日本的なバレリーナで、流石、お祖父さんの文豪、武者小路実篤氏が可愛がるだけのことはあると思いました。 私は、この舞台で彼女が大好きになり、その後もコッペリアなど、彼女の舞台に通いました。でも彼女は結婚してバレエを辞めてしまいました。ご主人は歌舞伎役者の中村梅玉。 彼女は「お祖父さんに勧められてバレエを始めた。」と言っていましたから、武者小路実篤氏も亡くなり、バレエへの情熱が薄れてしまったのかも知れません。 

このあと、森下洋子は松山バレエ団に移籍して清水哲太郎と結婚、ヴァルナバレエフェスティバルで優勝して世界に羽ばたき、靫啓子(ゆうきみほ)はテレビドラマ「レッドシューズ」に出演、いじめられ役を好演しました。川口ゆり子は牧バレエ団のプリマで活躍し、バレエシャンブルウエストを設立しました。こんな4人のバレリーナのオデット・オディルを一度に見ることが出来た私は、バレエファンとしてとても幸運だったと思います。

振り返ってみると、今でこそバレエ人口も増え、多くの方々がバレエを楽しむようになりましたが、40年以上も前のこの時代、バレエは、ほんの一部のマニアだけのものでした。 当時、牧阿佐美バレエ団が隔月で定期公演を続けていくのは、金銭面でもかなり大変なことだったと思います。チケットを買ってもらうために、バレリーナの方々自らが歩き回ったという話も聞きました。 故橘秋子さんや、橘秋穂さん(牧阿佐美さん)の熱意と血のにじむような努力に敬意を表さずにはいられません。

1966.01.28〜30 牧阿佐美バレエ団第21 回定期公演(サンケイホール)「白鳥の湖」
演出:橘秋子 振付:牧阿佐美 出演:森下洋子、川口ゆり子、武者小路有紀子、靭啓子、横山忠滋等
美術:三林亮太郎、照明:松崎国雄、指揮:福田一雄、演奏:東京交響楽団

  森下洋子

  靭啓子

武者小路有紀子・川口ゆり子
楽器のような道具を一切使わず、肉体だけで美を表現するバレエは「一瞬の芸術」です。 「一瞬の輝き」を求めて、日々厳しいレッスンを繰り返すバレリーナ。 踊り終えてホッとした彼女達が、レヴェランスで見せる満面の笑みほど、美しいものはありません。心から「ご苦労さま。夢をありがとう!!」と声をかけたくなる瞬間です。このとき私は彼女たちから、いつも「情熱」と「勇気」を与えてもらったような気分になるのです。
 
現在では、日本のバレエダンサーには世界のトップレベルの方もたくさん居られますし、世界に引けを取らないバレエ団も一杯あります。 この素晴らしい日本のダンサーやバレエ団を一層盛り立てていくのは、我々観客だと思います。 これからも、日本のダンサーやバレエ団を応援していきたい、そしていつまでも、このバレエという人類が生み出したかけがえのない芸術を、心から愛し、楽しんでいきたいと思っています。

(注)文中の記述および写真は、 AUTOFOCUS'pageから、引用させて頂きました。 この場をお借りして、お礼を申し上げます。

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