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ジゼル:吉岡美佳、フリーデマン・フォーゲル、東京バレエ団   (2009.06.15)
東京バレエ団のジゼルを観てきました。主演は、吉岡美佳と シュツゥトガルト・バレエのフリーデマン・フォーゲル。 清楚なたたずまい、可憐で知的な優しさ、溢れる気品、陶磁器のような繊細な輝き・・・、吉岡美佳は、バレリーナの資質をすべて備えた魅惑の舞姫。 数年前までは、斎藤由佳里と共にバレエ団の柱として、文字通りカンパニーの牽引役でしたが、上野水香が牧阿佐美バレエ団から移籍するや、 その若さと独特のキャラクターに押され、以前より存在感が薄くなってきたように思います。 今回のジゼルの公演も、初日と最終日が上野、中日が吉岡で、上野がメインで吉岡は繋ぎという感じでしたが、 私は迷うことなく、吉岡美佳出演の日を選びました。 10年ほど前、吉岡美佳の清楚な舞台姿に魅せられて以来、何度か彼女の舞台に足を運んで来ましたが、ことジゼルやラ・シルフィードのようなロマンチックバレエのヒロインには、 繊細で、儚げで、叙情的で、良い意味で日本的なバレリーナの吉岡美佳が適役と思っているからです。
 
第1幕の吉岡美佳さん、髪をセンターで分けて後で結わいたヘアスタイルがよく似合って、おとなしやかで聡明そうな お嬢さんの雰囲気。気品溢れる清楚なたたずまい。もうそれだけで、吉岡ジゼルに引き込まれます。 ピークを過ぎた年齢にも拘わらず、若手よりジゼルがハマるというのは、日頃の努力があるからでしょう。 本当に可憐で、繊細で、優しそうで、いかにも大和撫子という感じ。 年齢差は相当あるのに、若いフリーデマン・フォーゲルとのアイコンタクトもバッチリで、 二人の息がぴったり合っていて、相思相愛の恋人同士そのもの。 過剰に恥じらったりしないし、情熱的すぎるわけでもない。至極素直に恋人を信じている感じ。 だからこそ、この後の話の運びがいっそう残酷に思えてくる、そんな吉岡さんのジゼルでした。 持ち前の透明感が生きて、幸せいっぱいの場面でもどこか病弱で、薄幸そうで、思わず手をさしのべて守ってあげたいと 思わせます。 ただ一つ、固いトゥシューズを履いていたのか?、吉岡さんの靴音がやや大きかったのが気になりました。
 
狂乱の場。吉岡さんの激しすぎない演技も私の好み。彼女の踊りは「バレエの王道をいく」という感じで、決して誇張しすぎず、大仰な演技はしません。 抑えた演技の中に、静かに壊れてゆくジゼルの心の痛みを表現しています。 アルブレヒトと腕を組んで踊っていた幸せな時間の中を彷徨うジゼル。 その夢見るような眼差し。そこに突然突きつけられた現実。そして発狂。体は動いてはいるけれど、空虚な空気が漂って、 既に心は死んでいるという感じでした。「狂乱」というには控え目すぎるのではと思わせながらも、 ジゼルの心の痛みを表現できるのは、さすがベテランの域。 「ジゼルを演じる」のではなく、「ジゼルになりきれる」からこそできるものだと思います。 数年まえ、吉岡さんが、exeというサイトの中のインタビューで「舞台に立つことは内面をさらけ出すこと。 内面が充実していないと観客に感動を与える美しい演技はできません。と 語っていましたが、「ジゼルになりきる」とは、このようことなのでしょう。 少なくとも第1幕の吉岡美佳は、やや靴音が大きかった点を除けば、私にとって、理想のジゼルでした。
 
第2幕、ウィリーたちのコールドバレエが終わって、吉岡さんのジゼルが静かに登場。 すぐさま、ウィリーとして目覚めたジゼルが、ミルタに無理矢理踊らされるように、アティテュードでくるくる速く回転する最初の難関に挑みます。 吉岡さん、今にも崩れそう。苦しそうで、力を振り絞って何とか振付どおり踊り終えたという感じでした。 「若さの芸術」と言われるバレエ、年齢による体力の衰えはいかんともし難いのでしょう。残酷なことですね・・・。 でも、これ以降は、まさに吉岡ワールド全開という感じでした。 第1幕ではひたすらか弱くアルブレヒトに守られる感じの村娘、 第2幕ではアルブレヒトを守ろうとする精霊、この立場の逆転が、このバレエの面白さですが、 吉岡さん、この違いをよく理解して、しっかり演じていたと思います。 技術的にも、溜を存分に使い、とても安定しているように思いました。ソロのアラベスクのポーズを保ちながらのゆっくりと回転するパは、 ブレのない安定した軸がとても綺麗でしたし、続く足裁きも細やかで、腕や手先の表現も美しく、体全体の動きが滑らかでした。 アン・オーにあげた腕も、まろやかな弧を描いていました。 見せ場の独りでバットマン・デヴロッペから片足を高く上げ、前につんのめりそうなほど上体を倒していくアラベスク・パンシェでは、足元は殆ど揺れずに高く美しいバランスを保ちました。 もともと吉岡美佳さんのバランスには定評があります。 1998年の眠りの森の美女のローズアダージョでは、 やわらかな笑みを浮かべながら、伸びやかな右足の爪先が美しく、時間が止まったようなアチュードバランスの美しさに、観客は興奮し総立ちになったほど。 10年以上たっても、このバランス感覚は少しも衰えていないようです。 「さすが吉岡美佳」ですが、「さすが」を維持することは、並大抵のことではない、大変な努力があったに違いありません。 なお、第1幕で気になった靴音は、第2幕では消えていました。柔らかいトゥシューズに履き替えたのでしょう。
 
物語の最後、夜明けとともにジゼルは去っていきます。 アルブレヒトは、ふと気づくとそこには1輪の白い百合の花が残っているだけ。ふらふらと立ち上がった彼は墓の上の白い百合を拾い、 はらはらとその百合が腕からすべり落ち、最後は失意のうちに地に倒れ伏します・・・。 夜明けの鐘がなり、ウィリたちが消えるとともに助かるアルブレヒト・・・。 心を揺すぶられた、フリーデマン・フォーゲルの美しい演技でした。
 
拍手が鳴り止まず、何度も何度も繰り返されたカーテンコール。いつまでもこの素晴らしい舞台の余韻に浸っていたいという観客の思いが感じとれました。 死力を尽くして踊り抜き、観客に向かって深々と頭を下げる吉岡さん、涙ぐんでいるようでした。 無事大役を果たし、ホッとして肩の荷がおりた彼女、観客の暖かい拍手を受けて、思わずこみ上げてくるものがあったのでしょう。お疲れさま!!。 贈られた花束から一輪を抜いてフォーゲルに渡し、「上手なサポート有り難う!!」と感謝の眼差しを投げかけ、彼と抱き合う吉岡さん。 フォーゲルは、吉岡さんの額にキス。フォーゲルも吉岡さんのジゼルに満足し、パートナーとしての吉岡さんに心から感謝していたのではないでしょうか。とてもいい雰囲気でした。 こういう場面をみると、バレエっていいな!!と思います。
 
精霊の頭ミルタは、田中結子。薄暗い中で客席に向いて、厳しく光る眼差しに、 怖さと冷たい威厳が漂うようで、よい演技だと思いました。難しい二度のアラベスク・パンシェも危なげなくこなしていました。 なお、第1幕の農民の踊りは、通常ペザント・パ・ド・ドゥと呼ばれる一組の男女によるデュエットですが、東京バレエ団のこれは、パ・ド・ユイットと称して、 4組の男女による群舞?。ウラジミール・ワシーリエフによる改訂振付だそうですが、これは頂けません。 一組の未来のプリンシパルの新鮮な踊りを紹介する・・・が、このペザント・パ・ド・ドゥの目的であり、楽しみだと思うからです。

井田勝大指揮の東京ニューシティ管弦楽団は、数回音を外しましたが、バレエのオーケストラとしては良い方でしょう。 ダンサー達も踊りやすかったと思います。

今回の舞台、私は吉岡美佳から目を離せなかった、吉岡美佳以外目に入らなかったというのが正直のところです。 それほど、吉岡さんのジゼルは素晴らしかった。今までにも、素敵な舞台を何度も見せてくれた吉岡さんですが、 今回は、その中でも最高の出来だったのでないでしょうか。 容姿も踊りも文句なし、非の打ち所がないほどなのに、それを誇張する押しつけがましさを全く見せないストイックなまでの慎ましやかな表現で、 「ジゼルになりきった」のです。 鳴りやまなかった拍手が当然と思える「名演」だった、と言っても過言ではないでしょう。 吉岡さん出演の日を選んだのは正解だった!!!。 期待を上回る最高の舞台を見せてくれた吉岡さんに感謝!!。彼女を一層好きになりました。吉岡美佳さんに、いつまでも踊っていて欲しい、また彼女の舞台を見に来ようという思いを胸に、劇場を後にしました。 
    アダン曲:バレエ ジゼル
    振付 レオニード・ラブロフスキー
    ジゼル 吉岡美佳、アルブレヒト フリーデマン・フォーゲル
    ヒラリオン 木村和夫、ミルタ 田中結子 
    バチルド 坂井直子、公爵 後藤晴雄
    ペザントの踊り(パ・ド・ユイット)
     高村順子-宮本祐宜、乾友子-長瀬直義、佐伯知香-松下裕次、吉川留衣-横内国弘
    井田勝大指揮、東京ニューシティ管弦楽団
    6/13(土)3:00p.m、ゆうぽうと
吉岡美佳、アルブレヒト・フリーデマン主演の前回の舞台の一部が、YouTubeにアップされていました。
  → 2007年9月の映像
DVDで全編を販売してくれると嬉しいのですが・・・・

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