『テレヴィジョン・シティ』(上・下)☆☆☆(長野まゆみ、河出書房新社92.10月刊)

 発売されてすぐゲットしたのだが、買っただけで満足してしまい、ずっと読んでなかった作品。特集を組むにあたって、ひもといてみた。

 これは、長野まゆみの著作の中では最もSF色の濃い作品だと思う。近未来を舞台に繰り広げられる、少年たちの葛藤を描いた物語である。

 子供しかいない、《鐶の星》と呼ばれる星で、主人公アナナスはイーイーとふたりで暮らしている。彼等はコンピュウタに全て管理された生活を送っている。アナナスは、15億キロ彼方の碧い惑星に住む、両親に手紙を書くのを日課にしている。このふたりと、友人達の謎めいた暮らしが描かれる。(前半は、少々この異世界の説明がくどいが、まあしかたないだろう。)
 ふたりは、仮の両親(彼等はどうもアンドロイドのようだ)をレンタルして、4人で夏休みを過ごすことを計画するのだが、アナナスのきまぐれによって、この計画はおじゃんになる。

 この星は、どういう星なのか。両親の住む星は、両親そのものは本当に存在するのか。イーイーはいったい何者なのか(どう解釈しても、アンドロイドとしか思えないのだが、アナナスは気付かない)。すぐにアナナスの記憶がとぎれるのはなぜか。シルルは、なぜ暗号のメールをイーイーとやりとりするのか。《クロス》とは何なのか。とにかく、わからないことだらけである。

 物語終盤で、いくつかの謎は解明されてくる。が、全てを明示するわけではなく、現実と幻想が交差した漠然とした状態のまま、物語は幕を閉じる。
 かなり、彼女の作品としては難解な話である。読む人によって、謎の解釈のしかたはさまざまであろう。私はいまだによくわからないのだが、アナナスがひとりで、くずれゆく《鐶の星》を脱出して、地球に到着したことは想像できる。彼はここからイーイーにメールを出すが、おそらく彼とは、もう会えないだろう。

 少年達の真実は、いったいどこにあるのだろうか。これは他人から与えられた現状を捨て、真実を求めて旅立つ、少年達の物語である。いかにも長野まゆみらしい、ミステリアスなSFファンタジーであった。

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『ホワイトアウト』☆☆☆1/2(真保裕一、新潮文庫 98.9月刊)

 平成7年に刊行され、吉川英治文学新人賞を受賞した作品である。
 帯に「冒険サスペンスの最高峰」と謳われている。私はこのあたりのジャンルにはそんなに詳しくないので他の作品と比べるとどうだかわからないのだが、確かに傑作であった。

 大雪の中、日本最大のダムが、テロリストに占拠された。彼等は外界と通じる唯一の道路を爆破し、職員を人質にとり、50億円を要求してたてこもる。運良く、あるひとりの職員だけが彼等の手を逃れる。彼は、かつて自分のミスで命を落とした同僚の婚約者のため、彼等に殺された上司のために、たったひとりでテロリストに立ち向かう。

 ここまでくれば、もうわかりますね。これは、厳冬期の日本版「ダイ・ハード」なんです(^^;)。主人公は、冬山に慣れてるということ以外、なんの特技もないただの人。なのに、火事場の馬鹿力的超人パワーを出して、初めて触れる銃を撃ち、吹雪の中を10キロも歩いて麓まで歩き、氷のような水の中を泳ぎ、テロリストにじわじわと恐怖を与えるというヤツなのだ。

 ちょっとすごすぎない?とも思うが、彼は決して立派な正義の味方というわけではない。
 なぜなら彼は冒頭のエピソードで、自分の弱さに負けて、同僚を冬山で遭難させてしまった過去があるのだ。彼は自分をひどく責める。彼は今度の事件でも何度もくじけそうになるのだが、そのたび同僚を死に追いやったことと、テロリストに殺された上司の血で染められた自分の服を見て、自分を鼓舞するのだ。
 自分の弱さときっちり向き合い、必死でそれと闘い、克服しようと努力する。この葛藤が、彼を等身大の人間に見せていて、好感が持てる。

 緻密な描写、緊迫感あふれる展開で、とても上質のエンターテイメントだと思う。人間も脇役までよく書きこんであるし。次はどうなるの?と読み進まずにはいられない、それでいて綺麗で丁寧な文章は、お見事。

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『ダブ(エ)ストン街道』☆☆☆(浅暮三文、講談社 98.8月刊)

 第8回メフィスト賞受賞作。というからミステリなのかと思いきや、私の触感ではこれはどう考えてもファンタジーである。ううむ。メフィスト賞って、どういうコンセプトで選考してるんだろう。よく知らないんだけど。

 主人公は、34、5歳くらいの男性。仕事で訪れたハンブルクでタニヤという恋人ができるのだが、彼女は強度の夢遊癖があった。朝目覚めると、とんでもないところにいるのだ。公園や、屋根の上や、あげくの果てにはアムステルダムにまで行ってしまったこともある。そしてついに、どこにあるのかもわからない「ダブ(エ)ストン」という国まで行ってしまったのだ。彼女からの手紙を頼りに、彼は彼女を探す旅に出かける。

 「ダブ(エ)ストン」は、「世界最後の謎の大地」であり、「誰もいき着くことのできない隠された伝説の地域」である。主人公は、幸か不幸かここにたどり着くことに成功する。が、ここは常識の通用しない、迷宮のような国であった。このあたりから、物語はファンタジーに移行する。

 登場人物誰もがヘンテコで、謎めいている。そして、彼らは皆道に迷っている。この、不可思議な世界をさまよううち、主人公は、迷うことこそが楽しいのだと気づく。
 「なにかを見つけた時も、そりゃ悪くはないが、俺にはなにかを探してる時の方が楽しくて仕方ない。」主人公と友達になるアップルは、こう言う。
 主人公は、ここから出る方法を考えるのをやめ、ずっとここで暮らそうと決意する。結果より、過程を楽しむ生き方を選んだのだ。

 なんだか、妙に主人公の生き方がうらやましく思えてしまうのはなぜだろう。今、私達の生活は結果を出すことだけに追われていないだろうか。彼みたいに、飄々とした風のように生きていけたらさぞ気持ちがいいだろうな、と思った。

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『光の帝国』☆☆☆☆(恩田陸、集英社 97.10月刊)

 立て続けに恩田陸を読んだ。彼女の作品は、1作1作ジャンルが違うので、その違いを楽しみつつ比べつつ読めてなかなか面白い。
 この作品は、無理やりジャンルで分けるならSFだろうか。でも、ワタクシ的にはSFとは呼びたくない。確かに、いわゆる超能力者ものなんだけど、エンターテイメントというか、もっと大きな目で見たいという気がするのだ。ファンタジーの方がしっくりくるかなあ。ううん。恩田陸は、私にとってはノージャンルで楽しめる、宮部みゆきみたいな感触の作家である。

 さて、本作ですが、採点はひさびさの四ツ星!彼女の作品の中ではベスト1!(まだ全て読んだわけじゃないが。)読み進むうち、知らず知らずに、ぼろぼろ泣いてました。ひたひたと静かに寄せる悲しみといったらいいか。でもたぶん、読者を泣かそうと思って書いているわけではないと思う。なんというか、浅田次郎のような確信犯でない気がするのだ。(この人は、こう書けば泣くというのをわかっててわざと書いてるような気がしてならないの、私は)

 これは、「常野」と呼ばれる、不思議な能力をもつ一族の物語である。彼らは、普通の人達にまぎれてひっそりと暮らしている。その能力は彼らそれぞれに異なる。ある者は異常な記憶力を持ち、ある者は遠くの物を見ることができ、ある者は何百年も生きることができるのだ。

 この一族による、10の連作短篇なのだが、それぞれの設定が全く異なり、作者いわく「手持ちのカードを使いまくる総力戦になってしまった」というほどの贅沢な作品である。どの短篇も、読者をうならせるうまさ!不思議で神秘的で、深みがある。話の虜になること請け合い。

 私の好きな話は、「オセロ・ゲーム」、「光の帝国」、「国道を降りて…」。
 「オセロ〜」は、「裏返す」という能力を持つ母と娘の話。「裏返す」の意味は、私にはとても説明できない。読んで!
 「光の帝国」は、こういう能力を持つ子供を集めた山の中の分校の話。時は戦時中。傷ついた心を癒しながらひっそり生きていた子供達。だが、彼らの能力のことが軍に知られてしまい、やがて悲劇が起こる…。これはまいった。泣けたよ。
 「国道〜」は、この作品のラストの短篇。「光〜」にも出てきた人物が登場する。おお!あの子か!と分かった瞬間、また泣けた。

 読後、いい物語を味わったという恍惚感にしばし浸った。これは、とにかく万人にお勧めしたい本。太鼓判!これって、話題になった本なのかな?少なくとも、私は知らなかった。うちの店にあったのはまだ初版だったから、発行部数も少ないと思われる。この傑作を読んでないなんて大損だよ!まだ読んでない方、ゼッタイに読むべし!

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『六番目の小夜子』☆☆☆(恩田陸、新潮社 98.8月刊)

 私の今年上半期のベスト3にランクされた、「三月は深き紅の淵を」の著者のデビュー作。91年の日本ファンタジーノベル大賞の最終候補まで行き、受賞は逃したが、92年に新潮文庫ファンタジーノベル・シリーズの一冊として刊行され、その後長らく絶版だったのを大幅加筆したものである。

 ある高校に密かに伝わる奇妙なゲーム。3年に一度、それは行われる。卒業式のとき、卒業生から在校生の一人へとそっと渡される古びた鍵。その鍵を受け取った者が、今年の「サヨコ」である。
 「サヨコ」として選ばれた者は、誰にも見破られないまま、学園祭のときに上演する劇のシナリオを書かなければならない。その劇がうまくいけば、今年は「成功」。受験に合格する率がとても高くなる。失敗すれば、浪人をはじめ、さまざまな不幸がふりかかる年になってしまうのだ。

 誰が作ったとも知れない、妙なゲームだが、それはまことしやかに代々伝わる。そして、今年。「六番目の小夜子」の年に、同じ名前の転校生がやって来た時から、歯車は狂い出した…。

 この妖しく魅力的な設定のうまさ!これだけでも、面白そうでしょう?ひきずりこまれるように読んでしまった。謎が次々と出てきて、早く先が知りたくてうずうずする、そんなもどかしい気持ちで。

 彼女は果たして何者か?このゲームは、誰がどうやって始めたのか?サヨコとは一体何なのか?高校という、若くパワーはあるが、妙に閉塞された世界の中で、謎はどんどん深まっていく。大人が聞いたら、一笑に付してしまうような他愛ない話なのに、彼らの社会ではそれは信憑性をもって伝わるのだ。この世代独特の感じが、うまく書けている。

 何が起こるかわからないという恐怖が、じわじわと忍び寄り、やがてクライマックスの学園祭当日を迎える。ここのたたみかけるような描写も素晴らしい。なにが怖いのか、自分でもよくわからない、だが意味もなく、わけもなく、ただ怖いのだ。

 そして、明快な結末といったものは提示されないまま、物語は終わる。ぼんやりと謎を残したままで。この終わり方は、「三月は〜」を彷彿とさせる。ほかの作家がこれをやったら、まず間違いなく私は怒るだろう。でも、恩田陸に関しては、なぜだかこれを決して不満足な終わり方とは感じないのだ。なんというか、この漠然と余韻を残す感じが心地よいのだ。物語が終わっても、どこか何かが終わらずに胸に一部分残ったままになっている、そんな感じ。実に不思議な味わいの作家である。

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『気分よく流れる つれづれノート7』☆☆☆(銀色夏生、角川文庫 98.8月刊)

 著者の、毎日の暮らしをつづった、イラスト入りの日記。ネット上ではこういうのっていっぱいあるけど、本になってるのって案外少ないような気がする。もう、本当にただの日記なんだけど、なんだかこのシリーズは好きで、7冊全部読んでいる。今では、「あーぼう(彼女の娘)、大きくなったなあ」などと、まるで友人の近況を読んでるような感じがする。

 一日一日の積み重ねが一年になり、十年になり、その人の一生を作ってゆく。だから、特にどうということもない一日の過ごし方に、その人の生き方が表れるともいえるのではないだろうか。
 彼女は、川の流れに身をまかせるように、風にそよぐように生きている。決して力んだり、無理をしたりしない。今、自分のしたいことに忠実に生きている。寝たい時に眠り、食べたい時に食べ、旅をしたいときに出かけ、といった風なのだ。なんだか、これが読んでいて心地良いのだ。人が、自分の道をまっすぐ歩いているというのは、はたから見ていても気持ちのいいものなのだろう。 

 日記の中にときどき入っている、ちょっと哲学的な思索も、考えさせられるところがある。人を好きになることについてや、他人との距離についてや、その他あれこれ。実にいろんなことを考えて生きているのだ。「ああ、そうだな」と思うものもあり、「うーん、よくわかんない」と思うものもあり。この感覚は、彼女の詩に似ている。

 後ろをふりむかず、いつも前を見て、これからしようと思っている楽しいことを考えている彼女。一杯のソーダ水のような、ほっとなごむ気持ちをくれた本だった。(でも、読む人にとっては面白くもなんともない本かも…。受け取る側の好み次第だろう)

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  『パイナップルヘッド』☆☆☆(吉本ばなな、幻冬舎文庫 98.8月刊)

 雑誌「anan」の巻末に、94〜95年ごろ掲載されていたエッセイの文庫化。彼女の、なんてことない日常をつづったエッセイなのだが、べらぼうに面白い。何度、この本を読みながら笑い声をあげたことか!よくぞまあこんなに、周りに面白いことがころがっているなあと感心する。たぶん、そこにはいつも何かを見つけようとする、作家としての観察眼が鋭く光っているからだろう。

 私は彼女のファンで、小説はすべて読んでいる(エッセイや、対談は読んでないのがあるかもしれない)。
 初期の頃の彼女の小説は、言いたいことや気持ちがストレートで、彼女からの強く大きなボールをバシッと胸に受け止めるような感じがとても良かった。「アムリタ」あたりから、曇りガラスのように、なんとなく言いたいことがぼやけて見えにくくなってきた感がある。なんだか、別な方向に向かってしまっているような気がする。「ハネムーン」なんて、「ばななさん、どうしちゃったの?何があったの?」ってカンジだったもの。

 が、エッセイの方はそれに反比例してますます面白くなっている気がする。彼女の生活は、明るく、元気で、どこかエキセントリックでパワフルである。
 なにげない日々の暮らしの中の、小さな感動、幸せ、怒り。友人たちのこと(類は友を呼ぶということわざの通りに、ユニークな友人ばかり登場する)。時には恋愛や死についての深遠な考えもつづられている。

 そのいちばん奥にあるのは、彼女自身の、前向きな生きる姿勢である。自分の信じるものに向かって、まっすぐに進んでいこうという、強い気持ちである。小説にしても、エッセイにしても、彼女のここに私は惹かれているのだと思う。
 自分の日常がつまらないとお思いの方、一読あれ!あなたの周りにだって、面白いことはたくさんあるということに、きっと気がつくだろう。それは、すべて自分しだいなのだ。ちょっと、元気になれるよ。

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『名探偵に薔薇を』☆☆☆(城平 京、創元推理文庫 98.7月刊)

 これは、第8回鮎川哲也賞の最終候補になった作品の、全面改稿オリジナル版である。「メルヘン小人地獄」と、「毒杯パズル」の二部構成からなる、本格ミステリ。

 第一部の前者は、マザーグースのようなブラックな童話のとおりの殺人が起き、それを名探偵が解決するという話。なんだかグロくて、気味悪い味のする、でも読まずにはいられないといった話であった。事件は名探偵によってけっこうあっさり片付き、一件落着といった感で第一部は終了する。が、これが第二部にとって、非常に重要な意味を持つ事件だったのだ。

 名探偵として登場する、瀬川みゆきという女性キャラが独特である。氷のように、自ら感情を凍りつかせた女。非常に聡明なのだが、そのために過去に深い傷を負い、すべての幸せを自ら遠ざけて、ひたすら真相を解明する名探偵であろうとしている。
 第二部のテーマは、ほとんど彼女の名探偵であるがゆえの苦悩なのだ。読み進むうちに、どんどん話が深く重くなっていく感がある。

 第二部にこそ、この物語の醍醐味がある。推理は二転三転し、最後に、想像だにしなかった真相が暴かれる。それは、彼女にとって、最も辛い、救いのない結末であった。
 最後まで読んで、始めは陳腐だと思った題名の意味もおのずと理解できた。この、悲劇の名探偵にせめて薔薇を、ということだろう。

 ただの謎解きではなく、人間の良心や罪、真実とはなにかというものにまで言及した、なかなか深いミステリだった。

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『すべてがFになる』☆☆1/2(森博嗣、講談社ノベルス 96.4月刊)

 ずうっと前から気になっていた著者だった。なのに、なかなか手に取るチャンスがなく、やっと読めたという感じ。今さらの書評で、どうもすみません。

 森博嗣の著作は、「理系ミステリ」だとよく言われる。初めて聞く言葉だし、いったいどういう意味だろうかと、非常に興味があった。
 読んでみてなるほど、と思った。話の設定、味付け、登場人物の性格、そのあたりがすべて数学的なのだ。冷ややかな、コンピュータの肌触り。みな作り物めいていて、生身の人間の感じがしない。確かに、これは新しいジャンルかもしれない。

 話の設定は、ある孤島の、窓さえない徹底したコンピュータ管理の研究所での、密室殺人。ここの中心であった、天才女性科学者が殺される。それも、手足を切断され、白いウェディングドレスを着た状態というすごさ。一体、この密室でどうやって?さらに第2、第3の殺人が起こり、主人公の犀川教授とその生徒、西之園萌絵がこの謎を解明する。

 確かに、謎解きミステリとしては、よくできているかもしれない。おおがかりな仕掛けが読者を引き込むし、トリックにはしてやられたという感もある。が、どうも私個人にはいまいち感情移入ができなかった。あまりにもすべてが人工的すぎていて、その中身が空洞のような気がしてしまうのだ。現実感がなさすぎるといおうか。
 もちろん、これこそが彼の持ち味だし、この味を好む読者も大勢いるのであろう(実際、よく売れてます、この方の本)。だが、どうも私の好みとはちょっと方向が違うようだ。テイストは全く異なるが、自分の確固たる世界を構築しているという点で、京極とどこか似ている気がした。

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『ひまわりの祝祭』☆☆☆1/2(藤原伊織、講談社 97.6月刊)

 私にとっての、今年上半期ベスト1は、藤原伊織の「テロリストのパラソル」だと先日書いた。この作品は、それに続く彼の(乱歩賞&直木賞受賞後の)第2作目である。

 あまりにも前作が素晴らしすぎたので、その直後に読んでしまったのは失敗だったかもしれない。まだ、あの感動をひきずっていたから、期待しすぎたきらいはある。先入観を抜きにして、これ1作だけ独立させて読めば、もう少し私個人の評価は高かったかも。

 これは、妻に自殺されて以来、自分の殻に閉じこもってひっそり暮らしていた男に、ある日突然ふりかかってきた事件である。彼の穏やかな生活の周囲に、突然わけのわからない人間や組織が現れ、彼を巻き込んでゆく。最初は何が目的で彼に近づくのかもわからなかったのが、だんだんと霧が晴れるように事態の全貌が明らかになってくる。

 話のもっていく方向、主人公の性格、このあたりは前作とかなり似通っている。にしては、あのインパクトには欠ける。なんだか、著者が話の作り方に無理をしてるような気がしてしまうのだ。いまいちストレートでないのかもしれない。
 主人公も、やたら「幼児性」を強調されているが、私が読んだ限りでは決して子供っぽい人ではないと思う。前作同様、一匹狼だし、頭はめちゃいいし。違いを出す為に、わざと入れた気がしないでもない。

 前作の根底には、ある女性の深い愛がずっと地下水のようにこんこんと流れているのだが、今回の話には、主人公の、自殺した妻への愛が深く貫かれている。彼は、名画のことなど、これっぽっちも気にしない。金によって動く人間ではないのだ。だが、謎のままである妻の自殺の原因を知るためには、どんなこともいとわない。
 ラストまで読んで、やっとわかった。この話は、名画発見という事件に隠された、ちょっと世間からはずれたある男の、静かで深い愛の物語だったのだ。ラストの締め方に、ぐっときた。

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『謎のギャラリー』☆☆☆☆(北村薫、マガジンハウス 98.7月刊)

 まず、この本を読む前には、必ず手元にメモとペンをご用意頂きたい。とにかく、面白そうな本の紹介が満載なのだ。あれもこれも読みたくなって、本好きなら、いてもたってもいられなくなること請け合い!急いで、近くの書店か図書館に駆け込むハメになるだろう。

 これは、雑誌「鳩よ!」に連載されてたコラムの単行本化。著者と編集者の対談という形になっていて、北村さんが謎、こわい話、恋などに関するアンソロジーを編むという設定。で、二人であれこれ語りつつ、北村さんがお勧め短篇をいろいろ紹介して下さるという形式になっている。

 6つの章に分かれていて、それぞれにかなりマニアックな短篇が紹介されている。もちろん絶版本もあり。うるうる。悔しい。だが、ここで感動するのは、彼は存在しない本をひけらかすのではなく、入手しにくいものもなんとかして読者にも読んでもらおうと、お勧め小説で本当にアンソロジーを作ってしまったのだ。それが、同時発売の『謎のギャラリー 特別室』。なんとも気の効いた、ありがたい配慮ではないか。おかげで、読者は欲求不満に陥らずに済むわけである。絶対にこちらも読まずにはいられなくなるハズだ。

 今でも流通していて、入手しやすいものは、そうと明記してある。私は、これに紹介されていた「その木戸を通って」(『おさん』山本周五郎、新潮文庫収録)を、速攻で買い求めて読んだ。なんだか、本の中にリンクが張ってあるような錯覚を覚えた。この本を読んでる途中で、他の本を読み、またこの本に帰ってくる。不思議な感覚だ。

 それにしても、人にすすめられる本って、どうしてこんなに面白そうなんだろう。紹介者の、その本への愛が加算するからだろうか。
 お勧め本の選択で、その選者の好みがよくわかる。北村さんは、やはり「謎」というものの虜になっているらしい。まあ、よくもこれだけと思うほどの、古今東西の本への幅広い知識には脱帽する。ホント、この方よく読んでるよ〜。ああ、私も学生の頃から、読書ノートをつけておけばよかった。私、究極の鳥あたまだから。同じ本、買ってくるなっつーの。

 余談だが、私の「7月の特集 勝手なお勧め短篇集」に紹介した作品とダブってるものが2つあったのが非常に嬉しかった(『9マイルは遠すぎる』と、『あなたに似た人』の中の「南から来た男」)。わーい、同じ趣味だ〜!

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『浩子の半熟コンピュータ』☆☆☆(谷山浩子、毎日コミュニケーションズ 98.7月刊

 「PCfan」というパソコン雑誌に創刊号から4年あまり連載されていたものを、掲載されたとおりにそのままの順番で単行本化したもの。
 いうまでもないが、彼女はナゼか濃いファンの男性が非常に多いので有名(?)な、シンガーソングライター。ファンタジックで、メルヘンぽいが、ちょろりと毒もある、そんな歌を歌う人。小説やエッセイもいろいろ書いてて、小説はちょっと歌の世界に似てるが、エッセイは軽妙で面白い。

 彼女は突然思いついて趣味に走ることが多い。が、その中で10年以上続いているのは歌と(笑)、コンピュータだけだそうだ。そう、彼女はなんと14年も前からコンピュータをやってるのだ(動機は、家で誰にも見られずにインベーダーゲームをやりたかったためというから笑える)。その頃の話も書いてあるのだが、あまりにも昔過ぎて、私なんかその頃コンピュータなんぞにまっったく興味なかったので、想像もつかない。フロッピーなんてなくて、テープに入れてたって、どういうことだろう?未知の世界だ。 

 私が読んでて一番爆笑したのは、「真夜中のレレレ」事件。夜中にワープロを立ち上げて、ネタを考えて画面をにらんでいたら、ふれてもいないのに画面に「レレレレレレ」という字が打ち出されたそうだ。これはびびるよね。

 この方、ホームページを持ってるのだが、偉いことに自分でちゃんと全部作ってるそうだ。しかも、作りはじめの頃なんて、1日に2回(!)更新したりしてたそうだ。気持ちはよくわかる。やり始めた頃って、ほんとに面白くてしかたないんだよね。今の私がそうです。ははは。とにかく、パソコンにさわりたくてさわりたくて、もはや中毒になりつつあるかも。

 この方、さらにゲーマーでもあるので、自分のやったゲームについての批評もある。実を言うと、私がゲームにはまったのも、彼女が原因。「ドラクエ3」の曲が素晴らしいというので、それを聞きたいがためだけに始めて…はまってしまったわけです。この方の、ゲームへの愛もすごいものがある。ソリティアにはまった話も爆笑もの。

 マウスが大嫌いで、キーボードをこよなく愛し、ウインドウズに複雑な感情を抱き、昔のパソコンへの郷愁を語るこのエッセイには、パソコン好きなら思わずうなずく話が満載。ファンならずとも、お勧め。 

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『テロリストのパラソル』☆☆☆☆☆(藤原伊織、講談社文庫 98.7月刊)

 この人の本に出会えて良かったと心から思える作家というのは、実は案外少ないものだ。年に一人か二人いればいい方である。私にとっての今年の収穫は、この人、藤原伊織である。この作品は、文句なしに私の今年度上半期ベスト1である(ひょっとすると年間ベスト1かも?)。ああ、直木賞・乱歩賞ダブル受賞の時に読まなかったのが悔やまれる。

 これは第一級のエンターテイメントである。面白い!の一言に尽きる。ここには、エンターテイメントとしてのあらゆる要素が入っている。ミステリあり、友情あり、恋あり、とにかくなんでもありのぜいたくな小説なのだ。

 冒頭、土曜日の平和な新宿の公園で、いきなり爆弾が爆発するところから話は始まる。もうここからいきなり読者はストーリーの虜になってしまう。主人公のアル中バーテンダー、島村は偶然そこに遭遇し、この事件に巻き込まれる。かつて東大で共に学生運動をやっていた友人と、その頃一緒に暮らしたことのある女性がその爆発で死んだことを知り、彼は犯人を捜す決意をする。

 この、主人公のキャラクターが抜群にカッコイイ。暗い過去を持つ40過ぎのくたびれたアル中なのだが、彼は今やほとんど絶滅寸前の、古いタイプの男なのだ。
 自分のプライドに背くことは自分自身が許せない、誇り高い一匹狼。ハードボイルドと言えなくもないが、気取った自己陶酔のハードボイルドとは違う。彼は決してカッコつけて生きているわけではない。むしろ、他人から見たらぶざまな生き方に写るかもしれない。が、彼は自分が危機に陥っていても他人の身を思いやるといった、不器用な生き方しか出来ないのだ。

 彼の過去と、その後の20年の人生の重みが、ラストで読者を強く揺さぶる。要するに、これは心に傷を抱えた一人の男の生きざまの物語といえるだろう。他の登場人物の生き方も、また対照的である。
 次は『ひまわりの祝祭』を読まねば!

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『ユニコーン・ソナタ』☆☆☆(ピーター・S・ビーグル、早川書房 98.6月刊)

 久々に、正統派ファンタジーを味わった。
 著者は非常に寡作なファンタジー作家である。60年に「心地よく秘密めいた場所」(創元推理文庫)でデビューしてから、「最後のユニコーン」(ハヤカワ文庫)他、7作しか出していない。しかも、訳書は本書を含めてたったの4冊である。
 解説の風間賢二によると、『60年代以降のアメリカのモダン・ファンタジーはル・グィンの「ゲド戦記」とビーグルの「最後のユニコーン」を読めばそれで十分』らしい。ということは、ファンタジー界では非常に著名な方なのね。知らなかったわ。

 ある少女が、ふとしたきっかけでユニコーンたちの住む異世界に行くという、設定としては極めてスタンダードなもの。そう、とてもシンプルに素直に書かれたファンタジーといえようか。昔読んだ、児童文学のような懐かしい味わい。美しくて、清らかで、夢がある。

が、著者は現実を否定している訳ではない。むしろ、この混沌とした現実こそ、おだやかなだけの夢世界より素晴らしいと、登場人物(夢の世界がいやで、現実の世界に逃げてきたユニコーン)に言わせるのだ。

 日頃あくせく生きている大人たちには、はっとさせるような言葉や行為が、そこここにあふれている。
 主人公と共に異世界に行った祖母の語る、何もせず、『ただ存在しているだけでいいということ』の幸福。
 このうす汚れた世界で最も美しいもの…夢の世界から逃げてきて、みすぼらしい乞食の老女の姿になったユニコーンに食べ物を差し出す連れの男の献身的なやさしさ。または、盲いた仲間のために、自分の角を売ってしまうユニコーンの、無償の行為。
 忘れかけていたものを思い出させてくれる、美しいものたちがきらめいている。

 明日からは、もう少し素直な目で現実を見つめることができるかもしれない。そんな穏やかでみずみずしい気持ちにさせられた。

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『地球の緑の丘』☆☆☆☆1/2(ロバート・A・ハインライン、ハヤカワ文庫 86.7月刊)

 実はこれ、ダイジマンお勧めのSF短篇集。万人にお勧めしたい、ソフトな?SF(ハードSFより読みやすく、とっつきやすい)である。
 この物語は、著者の考え出した「未来史」である。全三巻で、短篇連作になっており、人間が宇宙に乗り出していく様を、時代を追って描いていくという形式になっている(発表年代はこの順ではない)。どの短篇にも、わくわくするような宇宙への夢と憧れがあふれている。

 まるで見てきたかのような月や金星や宇宙船の様子はちっとも違和感がなく、するりと物語の中に入っていける。かなり昔の作品なのに、文体に古めかしさもない。

 簡潔で親しみやすい文章で描かれる人間たちの営みは、やはり今と全く変わらない。子供は月の上で迷子になるし、宇宙操縦士の妻は夫の身が心配で仕方ない。この、永遠に愚かで愛しい人間というものを描写する暖かいまなざしが、ハインラインの味であろう。

 「鎮魂曲」「果てしない監視」は泣かせる。前者は、月開発会社の大株主の老人が、死ぬ前にどうしても一度月に行ってみたいと、ぼろ宇宙船を手に入れて、老体にむちうって夢をかなえる話。これを読んでいるとき、私も確かに月の上に降り立っていた。
 後者は、上司のクーデターの命令に逆らい、命を張って核攻撃を阻止する、勇気ある士官の話。彼の勇気に涙せずにはいられない。
 月で暮らしていた夫婦が地球に帰りたくてやっとその夢がかなうが、やはり月が恋しくなって、どこが自分の故郷かということに気づく「帰郷」もいい。ああ、私もいつか絶対月に行きたいなあ!

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邪馬台国はどこですか?』☆☆☆(鯨 統一郎、創元推理文庫 98.5月刊)

 この短篇集は、96年の第三回創元推理短篇賞の応募作に加筆したものである。これをミステリとするかしないかで、選考委員はかなり悩んだらしいが、結局は最終選考までいったそうである。

 歴史の中には、まだ解明されていない謎が山のようにある。例えば、表題作の「邪馬台国」にしても、いまだに九州説と畿内説の決着がついていない。そこへ、著者はさまざまな文献を引っぱり出して、綿密な推理と大胆な発想で、「邪馬台国は東北にあった」という、常識をくつがえす新説を導き出してしまうのだ。

 マジメな歴史研究家が読んだら湯気を立てて怒り出すに違いない。それほどに著者の新説は斬新で、すっとぼけている。著者の手に掛かれば、ブッダやキリスト、織田信長などの偉人賢人たちもただの人に成り下がってしまう。人間くさい、ごく普通の人になってしまうのだ。

 だが、一読者として読むには実に面白い。最初はこじつけに過ぎないむちゃくちゃな発想だと笑っていても、たたみかけるような理論攻めにあって、いつのまにか著者のペースに乗せられてしまう。結末を読む頃には、「うんうん、そう考える以外にないよなあ」と納得させられてしまうのだ。

 しかも、設定がバーテンダーと客たちの、酒を飲みながらの与太話というところも、本気か酒の上でのジョークかどっちともとれるようにしてあって、しゃれてる。私のような歴史にうとい者でも面白おかしく読める、歴史エンターテイメントといった感じの小説である。

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『野生の風』☆☆☆(村山由佳、集英社文庫 98.6月刊)

 著者は女流作家というより、恋愛作家といった方がぴったりくる人である。どの著書も、恋愛というものを中心にでんとすえて書かれている。

 この著者の作品は文章にくせがないので、読みやすく、わかりやすい。はっきり言うと筋書きもだいたい読める。だいたい推測どおりに決着する。もう少し変化球を出して、読者の予想を裏切ってみてもいいのではないか、とも思うのだが、彼女はいつもきっぱり豪快なストレートを投げてくる。

これは、孤高の染織家・飛鳥と、野生動物を撮るカメラマン・一馬の物語。ストーリー的には、陳腐の一歩手前なのだが、著者にはそれを補って余りある何かがある。この小説でいうなら、“鮮やかさ”か。
 アフリカのフラミンゴの群れ、青いタペストリー、象の出産の写真を撮るシーンなど、目の前に情景が見えるような錯覚を覚える。これだけ平易な文章で、こんなに鮮明に表現できるというのは、著者の筆力であろう。

 また、キャラクターの性格の“鮮やかさ”もある。周りに合わせるのを嫌い、いつも一人でいる飛鳥。プライド高く、凛とした魂を持つ彼女と、どこか似た志を持つ一馬。この二人の魅力に負うところも大きい。同じ著者の「BAD KIDS」を読んだ読者なら、「あ、あの主人公が大人になったらこんな女性になるだろうな」と思うだろう。

 ドラマティックな恋愛を堪能できるが、いい作家だからこそ、話にもうひとひねりほしいという欲が出てしまう。まっすぐなのが、この著者の良さかもしれないが。次回作に期待したい。

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雪が降る』☆☆☆☆(藤原伊織、講談社 98.6月刊)

 苦しい時やつらい時、たいていの人は自分のことで手一杯になるものだ。周りを見る余裕、ましてや他人を思いやることなど後回しになってしまう。
 だが、この短篇集に出てくる登場人物は皆この例にあたらない。自分がどんな逆境に陥っている時でも、他人を思いやり、なんの得もない無償の行為に走る。そして自らも傷を負う。

 それは彼らが人の心の痛みをよく知っている人間だからである。自分もつらい目にあったことがあるからこそ、理解できる痛み。そのために、自らの身を犠牲にしてまで行動する登場人物たちに、深い感慨を覚えずにはいられない。

 この小説には、六つの短篇が収められている。
 「台風」では、会社で上司から人間の尊厳を踏みにじるようないじめにあった社員が、その上司を刺してしまう。それを知っていて阻止できなかった主人公は、何の関係もない隣の課の課長なのに、辞表を出す決心をする。それは、父親の苦い思い出と、自分自身がダブるからであった。
 昔、殺人をくい止められなかった父。自分も同じ致命的なミスを犯したと、主人公は自分を責める。人間の優しさと誇りを感じさせる、深い一篇。

 他、「雪が降る」「銀の塩」「紅の樹」が秀逸。著者は今年で50歳。年齢の深みが漂う名作。

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『町でいちばんの美女』☆☆☆(チャールズ・ブコウスキー、新潮文庫 98.6月刊)

 ハードカバーで出た当時の本の帯には、「ビートたけし絶賛!」と書かれていたのを覚えている。読んでみてなんとなく理由がわかった。彼の生き方に共通するところがあるような気がしたのだ。

 これは大人のための短編集である。決してコドモは読んではいけない。酒と女にまつわる、限りなく下品で自堕落な人生の寓話とでもいおうか。

 著者は、おそらくどん底を経験したことのある人間であろう。とことん落ちた者にしか書き得ない、人生に対する深い絶望と悲しみを赤裸々にさらけ出している。そこには、日本人好みの甘さや救いは一切ない。この重さ、冷たさに日本文化と海外文化の違いを感じる。

 これは、生半可な読み手なら本に負けてしまうほどの、ヘビーな本である。

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『ガラスの麒麟』☆☆☆☆(加納朋子、講談社 97.8月刊)

 第48回日本推理作家協会賞受賞作。東京創元社刊『'98本格ミステリ・ベスト10』第二位ランクイン。この紹介文を読んで、「あ、これは私の好みかも」と思い、読んでみたら当たりであった。

 この作品は、北村薫の流れをくむ、いわゆる「日常の謎」派に属するといえるだろう。
 17歳の女子高生が、通り魔に襲われて殺される。この事件を皮切りに、6つの謎が連作として綴られ、最後に大きく一つの流れとして完結するという構成になっている。

 常に話の核にあるのは、最初に殺された彼女、安藤麻衣子である。もういない彼女の心理を登場人物それぞれが想像し、彼女の境遇に思いをはせる。それほどに彼女の存在は魅力的で、その心はまさに「ガラスの麒麟」のようにこわれやすく繊細だったのである。

 はた目から見れば、美貌と幸福を兼ね備え、生きる喜びに満ちあふれた十代の少女。が、彼女は実は不安と絶望に侵され、いつも死とギリギリの隣り合わせにいた。話を追うごとに、そんな彼女の心が明らかになってゆく。
 
 探偵役が、女子高の保健室の先生というのも、うまい設定である。かつては自分も同じ女子高生だったため、生徒たちの気持ちが理解できなくともわかる=Bそして、彼女も心に深い傷を負ったまま生きている、不安と絶望に侵された存在なのだ。

 6つの謎を縦糸に、この二人の心理ミステリを横糸に、物語は展開してゆく。話の結末が、みなほろ苦いが泣かせる。著者の、人間という存在によせる暖かな希望が感じられる。

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『覆面作家は二人いる』『覆面作家の愛の歌』☆☆☆☆(北村薫、角川文庫 97年11月刊、98年5月刊)

美貌のお嬢様推理作家、新妻千秋と若手編集者の岡部良介のコンビシリーズ。
同じ著者からなる、噺家の円紫師匠と女子大生の「私」シリーズと比べると、日常謎解きという点では同じなのに、雰囲気が全く異なる。「私」シリーズが、まるで純文学のように清楚で真面目な雰囲気で書かれているのに対して、こちらはポップでユーモアに溢れている。

このお嬢様がとんでもない二重人格である。家の中では優雅で上品、借りてきた猫のようなのに、一歩門の外にでるやいなや、サーベルタイガーになってしまうのだ。言葉遣いは乱暴だし、ケンカも強い、おてんば娘に変身してしまうのだ。なんとも破天荒な主人公だが、二つの性格どちらも実にかわいい。愛すべきキャラクターなのだ。

良介が持ってくる謎を、聞いただけであっさり解き明かしてしまう彼女の名探偵ぶりは、「私」シリーズの円紫師匠さながらである。が、円紫師匠がほとんど自ら動かないアームチェア・ディティクティブなのに対し、彼女の活躍ぶりはアップテンポでユニークである。大立ち回りはするわ、誘拐されそうにはなるわの大騒ぎを巻き起こす。そして、最後は見事に解決。胸をすくような爽快感がある。

そんな笑いの中にも、彼女のふともらす深いセリフなどに、どこかホロリとさせるところがある。この味は、まさに北村薫のお家芸である。コンビ二人の微妙な関係が、三作目ではどうなったのか、楽しみである。(単行本、早く読まねば!)

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『三月は深き紅の淵を』☆☆☆☆(恩田陸、講談社 97年7月刊)

なんとも不思議な小説である。ミステリタッチの実験小説とでもいおうか。この本一冊が、壮大なからくりで出来ているのだ。著者はこれを「入れ子式になった小説」と呼んでいる。「一つの物語の中に、幾つもの話がほうり込まれ、最後に包括されるという形式」である。

著者は91年の第三回日本ファンタジーノベル大賞の最終候補作となった「六番目の小夜子」(新潮社)でデビュー。やはりミステリ畑の人である。この名前で女性というから驚いた。人に聞くまで、てっきり男性だとばかり思っていた。この本を読んでみると、ああなるほど、とわかる仕掛けにはなっているのだが。

著者は、複雑なからくりをこの本に仕掛けている。四章に分かれているのだが、それぞれは全く別の話である。が、どの章にも共通して『三月は深き紅の淵を』という幻の本にまつわる話が出てくる。しかも、章ごとにその本の定義を微妙にずらしてある。「あれ?さっきの話と同じような違うような?」読者はこの不思議な違和感にいつのまにか引きずりこまれてしまう。

また、この本は著者の゛物語″へのオマージュでもある。素晴らしい物語を時を忘れてむさぼり読む、あの幸福。(本好きなら、誰しも覚えがあるだろう。)作者のためでも、読者のためでもなく、語られるべき物語そのもののために物語を書き始めるときの気持ち。そういった著者の物語へのこだわりと愛情が散りばめられている。

全ての章のところどころに謎の人物が出てきたり、突然全く違う物語が出てきたり、さまざまなプロット盛りだくさんなのに、なんの解決もなく終わってしまう。しかし、この不思議さこそが、この本の醍醐味であろう。まさに、著者の理想と思われる「いつまでも終わらない物語」なのである。

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『マーチ博士の四人の息子』(ブリジット・オベール、 ハヤカワ文庫 97年2月刊)


四つ子の兄弟の家のメイドであるジニーは、ある日殺人者の日記を発見してしまう。犯人は、四人のうちの誰かなのだ。殺人者も、自分の日記が誰かに読まれていることに気づく。彼とジニーの日記が交互に書かれ、やがて第二、第三の殺人が起こる。ジニーは懸命に犯人を特定しようとするが、彼は容易にしっぽを出さない。ついには彼女にも魔の手がしのびよる…。

雰囲気としては、アゴタ・クリストフの『悪童日記』に近い。平易な文章で綴られ、最後にあっと驚くどんでん返しが待ち受けている。と思ったら、著者はアゴタ・クリストフ絶賛の作家であった。

緊迫した二人の丁々発止のやりとりにぐいぐい引きこまれ、あっという間の一気読みだった。最後は「やられた!」の一言。あそこが伏線だったのかと気づいてももう遅い。著者に気持ちよくだまされてしまった。これほど大胆爽快に読者をだます技術には脱帽。
これぞミステリ!といった、実にシンプルな筋立ての犯人当て(?)小説である。興味ある方は、ぜひ著者に挑戦してみて頂きたい。

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