『ハンニバル(上・下)』☆☆☆☆ トマス・ハリス 新潮文庫(00.4月刊)

 あれは去年の秋か冬だったと思う。風の噂に、かの有名なサイコ・スリラーの傑作、『羊たちの沈黙』の続編が出る、という話を小耳にしたのは。おおっ、それは読まねばなるまい!なにせ、『羊〜』がとても面白くて、グロが苦手な私をして『レッド・ドラゴン(上・下』さえ読破させるに至った、かのトマス・ハリスの11年ぶりの新作とくれば!そして、ついについに、今年の4月11日、日本中の本読みびとが待ちに待った、『ハンニバル(上・下)』が発売されたのであった!

 結論から言おう。お、お、面白いっ!さすがトマス・ハリス、待ってたかいがあったというもの。しょっぱなから読者をいきなりひきずりこむ導入部といい、もうあっという間にあなたはこの本の虜になること、確実である。思わずこちらまで息が荒くなるような、緊迫の展開、また展開!

 今回の主役は、タイトルの通り、あの猟奇の天才「ハンニバル・レクター博士」である。と、FBI特別捜査官の「クラリス・スターリング」。そして脇役として最も重要なポイントを占めるのは、レクターに対し、世にも恐ろしい復讐を企てる「メイスン・ヴァージャー」である。

 …と、未読の方はここまでね(笑)。これ以上の知識は、この本を読む前には不要です。情報白紙のまま、どうぞこの傑作をお読みください。なぜなら、これは怒涛のストーリー展開と、○○のラストが醍醐味ですので。とにかく、買って、読んで損はありません。ぜひご一読を。ただし、その結末については賛否両論のようですが。

 というわけで、既読の方はこちらへどうぞ。

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『月の裏側』☆☆☆☆1/2 恩田陸 幻冬舎(00.3月刊)

 この小説の中にも堂々とタイトルが出てくるのだが、これは恩田版『盗まれた街』(ジャック・フィニィ)である。と言えば、SFの方々にはおおよそのストーリーはわかっていただけると思う。そうでない方には、「侵略SFモノ」と説明しておけばご理解いだだけるだろうか。が!本家をはるかに越える恐ろしさ!いや、もう本家なんてどうでもいい。ちょっとストーリーが「ん?あの話に似てるなあ」という程度のこと。こちらは鳥肌ものの恐ろしさ。夜中にページを繰りながら、「ひ〜〜〜、こわい〜〜!」と何度口にしたことか。「恩田ホラーの最高傑作!」という帯は伊達じゃなかった。『六番目の小夜子』も怖かったが、あれは茫漠としてつかみどころのない心理的な恐怖であった。が、こちらはダイレクトに現象を目の前に突き出される恐ろしさだ。(ああ、これ以上はネタバレなので書けない!読んで下さい!)これが梅雨時に発売されなくて本当によかった。もし、雨のじとじと降る、蒸し暑い晩などに読んでしまったら…おそらく、まんじりとも出来なかったに違いない。 

 舞台は、箭納倉という水郷都市。街じゅうに、水路がはりめぐらされている。事件はその街で起きた。一年で、三人の老女が失踪し、またひょっこり戻ってきたというのだ。が、失踪中の記憶はない。堀に面した家に住んでいた彼女らに何が起きたのか?事件に興味をもった協一郎、藍子、多聞、高安の4人は、この事件を調べ始める。すると、信じられない事実が浮かび上がってきた。協一郎の飼い猫、白雨のくわえてきた物体、それは…。

 いつも思うのだが、恩田作品の魅力は、物語全体を覆う空気である。この作品でも、如実にそれは表れている。自分が、すっぽりこの本の街の中に入ってしまったのかと錯覚を起こしさえする。どこもかしこも水に囲まれた街。地方都市の、真っ暗な夜の雨。街角を彷徨う猫。雨の午後、図書館にすうっと入ってきた○○。恩田陸の情景描写は理屈ではない。肌感覚なのだ。文章を頭が理解するのではなく、全身の五感が、この描写を肌で感じ取っている、といった感じ。読後の今でも、まだ自分があの梅雨の夜の中にいるような気がする。

 そして、この空気の中に、徐々に恐怖の色合いが濃くなってゆく。えもいわれぬ恐怖がじわりじわりと肌に迫ってくるのだ。全くわからない未知のもの。それが街を覆ってゆく。街の人間を…(またしてもこれ以上は書けません!読んで下さい!)。もう、ラストまで一気読み必須!最後まで読んだら、あなたはこの夏、雨の夜には決して窓を開けて眠ることはできないだろう。もっとハマってしまった方は、長靴を用意せずにはいられないかもしれない。

 余談だが、私は恩田陸作品の中の、本筋とはなんら関係なくところどころに差し挟まれている、小さな挿話が好きである。著者の考えてることが垣間見えて、「ああそうそう、その感じよくわかる!」「へーえ!こんなふうに考えてるんだ!面白〜い!」といちいち反応してしまう。多聞のオセロの話や、藍子の子供時代の話や。そんなところも、恩田陸の魅力のひとつではないだろうか。

 もひとつ余談だが、彼女の描く人物像も、それぞれ味があっていい。特にこの作品では、摩訶不思議なキャラ、多聞がダントツにいい。飄々として、どこかひとと違うところがあって。この物語を魅力的にしている大きな一つの要因であろう。

 とにかくこの作品は非常に恩田陸らしい、SFというかホラーというか(どちらともいえるので、お好みで判断してください)である。ストーリーというより、この物語の雰囲気をとっぷりと味わって欲しい。ワタクシ的には、最近どどっと続けて出た彼女の本の中では、最もいい出来だと思う。特にSFものは読むべし!ゼッタイあなたのお気に召すはず!

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『言壷』☆☆☆ 神林長平(00.2月刊)

 第16回日本SF大賞受賞作品。神林長平の永遠のテーマである「言葉」にとことんこだわった、非常に彼らしい一冊。実験小説ともいえるか。正直言って、『戦闘妖精・雪風』のような、万人向けの誰が読んでも面白いといった、わかりやすい話ではない。が、ある一部の読者には強い共感を呼び起こすであろう。その「一部の読者」とは…そう、パソコンやワープロを使って文章を書いている、あなたや私のことである。

 手書きで文章を書くことをやめ、パソコンやワープロに変えたとき、あなたは自分の思いとその出来あがった文章に、何か言い知れぬ違和感を感じたことはなかったろうか?自分で打った文章なのに、どことなく別の何かが介在したような気がする、そんなことはなかったろうか?もし少しでも心当たりがあるなら、あなたは間違いなくこの物語を読むにふさわしい。

 この本には、「綺文」「似負文」といったタイトルのつけられた、9つの短篇が収められている。共通するのは、「ワーカム」という未来のワープロが登場すること。ワーカムは、それを使う人間の言語感覚をすべて把握し、その著述を支援してくれるネット兼用マシンである。人間にいろいろ質問し、それに答えると「あなたの考えてるのはこういうことか」と、その人テイストの文章作成までしてしまうという、ある意味非常に便利な機械なのである。このワーカムと人間との関係をいろいろな症例をもとにあぶり出したのが、この9つの作品である。

 ワーカムは一見非常に利口だが、機械の悲しさで、人間特有のファジーなものの考えを受け付けない。「私を生んだのは姉だった」という文章を、がんとして受け付けてくれないのだ。「その文章はおかしい」と、どうやっても拒否されてしまう。これに悩んだ作家は、ある方法を決行する…。(「綺文」)

 「言葉が世界を作っている」という著者の主張が、この物語を読むとよくわかる。私たちは、言葉という概念によって、この世界を把握し、理解している。ということは人間の社会は、まさしく言葉によって成り立っているのだ。言葉の定義が代われば、世界も変わってしまう。「綺文」や「戯文」のラストの、くらんと世界がひっくり返るような感覚!これはまさしくSF的感覚である。

 この物語の短篇どれもが、この「くらん」を感じさせるのだ。最初は何気ない話なのだ。まっすぐな糸のように。が、進むにつれていつのまにか糸はもつれからまり、最後にはわけがわからなくなって頭がくらくらする。著者はまるで読者を惑わせるのが目的であったかのように、迷宮に読者を置き去りにしたまま物語の幕をとじる。正直いって、わかるようなわからないような話もある。が、それを無理に理解しようとしなくてもいいのだ(おそらく)。あいまいなまま、このくらくら感を楽しめばいい。なぜなら、人間は機械(ワーカム)と違って、こういったファジーなものをファジーなまま認識するということができる稀有な存在なのだから!

 最後に一文だけ引用。この文章の意味を理解したければ、この本を読むべし。

 「この世に神秘な存在があるとしたら、そう感じさせる唯一のものは、言葉、ただそれだけなのだ。」

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『ネバーランド』☆☆☆☆ 恩田陸 集英社(未刊、7.5刊行予定)

 やったー、恩田陸のゲラだぜ!いつもありがとうございます、集英社様!いやー、面白かったです!読み始めたらあっという間の一気読み!恩田陸はこのぐいぐい感がたまらない。私を惹きつけてやまない何かを彼女は持っている。

 これは、ジャンルで言うとなんだろう?青春小説、でいいのだろうか?冬休み、家に帰らず寮で過ごすことを余儀なくされた3人の男子高校生、プラス1。これは、彼ら4人の冬休み初日から大晦日までの7日間をつづったものである。最初はなんとなくぎくしゃくしていた4人が、一定のルールを作って共同生活をするうち、小さな事件などを経てお互いの傷を知り、徐々に友情を深めていく。

 ちょっとミステリアスなタッチで、すこうし『六番目の小夜子』あたりを連想させる。が、やはり主人公が少年か少女かというところが分かれ目であろう。『小夜子』はもっとぞわぞわした妖しい雰囲気があったが、こちらはどこか爽やかである。あ、でもちょっと別の意味でアヤシイかな。ギリギリの線で踏みとどまってはいるが、登場人物が少年ばかりというところや小さいエピソードなどに、背後にどこか耽美っぽい雰囲気が見え隠れする。「おおっ?恩田陸、こういうのも書くのか!」とちょっと驚き。

 頭も性格もよく、人望もある彼らは、なんの悩みもなく青春を謳歌しているように見える。が、その心の奥には、実は誰にも言えない深い闇を抱えていたことが徐々に明らかになってゆく。青春の光と影。光が鮮やかであればあるほど、その影は濃く深い。彼らの傷はあまりにヘビーだ。でもその闇に押しつぶされたり歪曲したりすることなく、必死に戦っている。そのひたむきさが愛しくて、思わずひとりひとりをぎゅっと抱きしめてあげたい衝動にかられた。

 永遠に子供でいられるところ、ネバーランド。大人たちによって傷だらけにされた彼ら少年たちが肩よせあって生きているこの寮こそ、大人が踏み込むことのできない聖域、ネバーランドそのものなのである。べたつかない、さりげない友情が心地よい。

 なんともほろ苦いが、なぜか読後感は爽やかな青春小説。どこがいいのかうまく表現できないのがもどかしいが、少なくとも、私はこの小説を心から好きだということだけは断言できる。愛すべき物語。

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『もつれっぱなし』☆☆☆1/2 井上夢人 文春文庫(00.2月刊)

 全編、男女2人の会話で成り立っているという、異色の短編集。ぽんぽんと小気味よい言葉のキャッチボールが、思わぬ方向へ転がっていくのがなんともおかしい。

 6つの章に分かれていて、それぞれ「宇宙人の証明」「四十四年後の証明」などのタイトルがついている。登場人物も章ごとに全部異なり、恋人どうし、会社の同僚、人気タレントとそのマネージャー、などさまざまである。ただ、どれも男性と女性というのは共通事項。だからこそ、会話が妙にスリリングで面白いのだ。

 何より私がユニークだなと思ったのは、この短篇のラストがどれも「もつれっぱなし」なところである。つまり、話が転がって転がって「えっ?それでホントのところはどうなのよ?」というところで終わってるのだ。これがニクイんだなあ。どれも、はっきりと結論を明示しないのだ。果たしてその○○○○が宇宙人かどうなのか、彼が狼男なのかどうか。結論は読者のご想像にお任せします、というところか。くーっ、なんとも気になるではないか!

 「四十四年後の証明」はちょっとSFタッチでなかなか。少々おセンチなところが泣かせる。ありがちといえばありがちな話だが。「幽霊の証明」はラストが一番気になる話。ああ、ホントはいったいどっちなんだろう??一番驚かされたのは「嘘の証明」。これは男女だからこそ成り立つ話ですね。ふふふ。あーでも見事にだまされたわ!

 さらっと読めて面白いので、ちょっと軽いものを読みたい方には最適。思わずニヤリとさせられる一冊。

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 『不倫と南米』☆☆☆☆ 吉本ばなな 幻冬舎(00年、3月刊)

 タイトルのとおり、著者が98年に南米に旅行した時の体験をもとにした短篇集。幻冬舎のPR誌「星星峡」に掲載されたものに手を加えた、7つの短篇が収められている。こういった自分の旅行をもとにした彼女の小説は『マリカの永い夜/バリ夢日記』『SLY』に続いてこれで3作目である。正直言って前の2作は、小説としてうまくこなれていず、どうも中途半端で、「これだったらエッセイにしたほうがよっぽどいいのでは?」と思っていた。が、今回の『不倫と南米』は実体験とフィクションが実にうまくからみあっていて、小説としてきちんと完成されたものに仕立て上がっていた。3作の中では最高の出来といってよかろう。

 最初、それぞれの短篇の前後にはさまっている原マスミのイラストと、見開きの南米の写真が少々うるさい気もしたが、慣れてみると案外よかった。原マスミのイラストは短篇の持つイメージ、写真はその短編の舞台そのものである。物語に出てきた情景をうまく補強している。小説、イラスト、写真という3つの媒体のどれからも、南米の力強さ、鮮やかさが浮かび上がってきて、本当にその空気を体験したような気にさせられる。

 不倫中のとある女性が出張でブエノスアイレスのホテルに泊まっていたら、夜中に相手の男性の妻から、「彼は交通事故で死にました」という謎めいた電話が来る話(「電話」)や、自分は35で夫は60という年の離れた夫婦がメンドーサという街に旅行に訪れる話(「プラタナス」)など、さまざまな男女の心の機敏、といったものが、その場の情景をうまくからめながら淡々と描かれている。

 でもやっぱり、書いてることはいつもの吉本ばななである。相変わらず主人公の境遇などはかなりヘビーな設定なのだが、物語としてはそう突飛な展開はなくて、どこか静かな話ばかり。そして、どこかうっすら死の影が見える。彼女の永遠のテーマ、生と死。

 その死の影の中で、対比として輝きを放つ“刹那的幸福感”―これも彼女の小説に必ず登場する―は、やはり切なく心に染みる。自分のつらさにめげることなく、恋人や友達とすごす何気ない時間や、おいしいもの、なんてことない風景や空気、そういった小さな小さな一瞬の幸せを大切に慈しんでいる登場人物たち。それはしゃぼん玉のようにはかなく、すぐ消えてしまうものである。でも、その一瞬の幸福感は強烈で、たとえその人に会えなくなっても(そしていつかは必ず会えなくなるものなんだけど)、自分の心の中にだけはずっと消えずに残っている。そのしゃぼん玉をよりどころに生きているようなところに、私は強く惹かれるのだ。

 一瞬一瞬の情景の美しさや心の輝きを、あたかも一枚の写真に納めるように短篇にまとめた、そんな一冊。

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