『GO』☆☆☆1/2 金城一紀 講談社(00.3月刊)
なんてまっすぐなんだろう!そして、なんてしなやかでしたたかに強いんだろう!彼の瞳は、キツく鋭く、でも誰よりもキレイに澄んでいるに違いない。きっとそうだ。
彼は在日韓国人だ。そのちょっと前は在日朝鮮人だった。まあいろいろあって。要するに両親が朝鮮人だったというだけのことだ。で、朝鮮学校に通っていた彼だが、思い立って普通の日本の高校に進学した。そして、…ある日本の女の子に恋をした。
たったこれだけのことなのに、そのために彼が味わった差別はすさまじいものだった。それはもはや私の想像もつかないほど。全くもって彼に責任はなく、理由もない差別。普通なら歪むよ。歪んだほうがはるかにラクだ。が、彼はそうじゃなかった。あらゆる外的苦痛を全身でがしっと受け止め、なおかつ全力で跳ね返し、ぶっとばした。どりゃーっ、てな感じに。傷つきながらも、そうやっていちいち向かってくるあらゆるものと戦いつつ、生きてきたのだ。これがどれほど大変だったことか。いや、大変なんて言葉じゃ軽すぎるし甘すぎる。
全ての外敵をすっとかわして小利口に生きるわけでなく、背を向けしっぽをまいて逃げるわけでもなく、彼はあらゆるものにそれこそ全力で立ち向かって生きているのだ。なんという潔さ。めちゃめちゃカッコイイぞ、コイツ!!(でもお父さんにはかなわない、というところがまたいいのよ!この激烈親子のエピソードは、どれも実に傑作。)
というとすごく暗い話かとお思いだろう。が、国籍と、それにまつわる親や友人や彼女との確執、というアイデンティティをゆさぶる深刻なテーマにもかかわらず、タッチは驚くほどユーモラスでぽっかーんと明るい。それはもう、気持ちいいほど。この「彼女」が、少年漫画に出てくる女の子みたいに男性側に都合よすぎ、というだけのがちとひっかかったが、それもラストでまあ納得、かな。
とにかく、そんじょそこらの青春小説をぶっとばす、彼の強さとたくましさを読んでみてくださいな。背筋が思わずぴんとする一冊。そう、とりあえず「GO」だ!前へ進め!
『壺中の天国』☆☆☆1/2 倉知淳 角川書店(00.9月刊)
先日、『星降り山荘の殺人』で、著者にこてんぱんにやられてしまったので(笑)、そのリベンジとして手にとった新刊。…またしてもやられました(笑)。あれほどの衝撃はなかったけど。
はっきり言って、これ、おたく万歳本です(笑)。おたくで何が悪いんじゃ!何の楽しみもない大人になっちゃうより、幾つになっても自分の好きなことを極め、楽しむヨロコビを知っている大人のほうがゼッタイいいよ!という著者のメッセージには賛成。ただし、フツーの社会生活を営める程度にね(笑)。
主人公の知子は、私とほとんど同い年くらいの未婚の母。10歳になる愛娘と、実の父(娘にとってはおじいちゃん)と3人で、ほのぼのと暮らしている。静かな地方都市の、なんてことないのんびりしたこの町で、ある日、連続通り魔殺人事件が発生する。
電波な怪文書が出てきたり、先ほども述べたおたくな人々がぞろぞろ出てきたり、主人公一家のあったかぶりにほのぼのしたり(その隙間に殺人が起きている)。そういった細部の面白さにすっかり目がいってしまい、これがミステリだということを、ラストまでほとんど忘れてました。あれが全て、全て伏線だったとは!ああ、またしても著者の術中に。ここまで巧妙に練られた本格ミステリだったとは!
著者はやっぱりいろいろ仕掛けしてますからね、どうかひっかからないよう、注意してお読みくださいませ。おたくうんぬんや、アットホームな雰囲気に、ついついまったりとしちゃいますが、惑わされるなかれ。これがテーマじゃないんだな、実は。本書はやっぱりれっきとしたミステリだと私は思います。著者はね、ちゃんとヒントをくれてるんですよ。それは…この本のタイトルです。
『NAGA 蛇神の巫』☆☆☆1/2 妹尾ゆふ子 ハルキ文庫(00.9月刊)
「新世紀SF宣言!」という、強くSFをアピールした帯つきで登場した、ハルキ文庫のSF新シリーズ第一弾のうちの一冊。
本書は現代SFファンタジーである。ある旧家にまつわる蛇神の伝説に、今の高校生ふたりが家の都合でかかわらざるをえなくなる。正月に30年に一度の巫女役をやった涼子だが、なぜか蛇神は一緒にいた従兄弟の渉に憑依する。このままでは渉は…。
日本の昔の神話と、現代が見事にマッチし、なんの違和感もないという素晴らしさ。ひとに憑依する蛇神と、ケータイやパソコンが同時に登場してても、なぜかちっともおかしくない。このセンスは誰にも真似できない、著者独特のものであろう。実は著者の作品を読んだのは初めてだったのだが、これにはかなり驚いた。新宿の高層ビルにエネルギーが集中してる、といった解釈も現代的でマル。
文章はポップな感覚で非常に読みやすく、くいくい読ませる。なによりキャラが生き生きしてる。主人公の涼子はまさに今の女の子。渉も実にクールでカッコイイ(笑)。なのに、そこにもってきて巫女だの蛇神だの、という日本神話の世界である。日頃そのテの話は苦手というか予備知識も全くない私なのに、それが、どうしてこんなにすんなりカラダにはいってきてしまうのか。全く、著者の筆は魔法のごとくである。その魔法が、私の体の細胞ひとつひとつに遥か昔から刻印されていた、かつて古い神々を敬い奉っていた遠い記憶を呼び覚ましたのだろうか。
話の裏にほのかに流れる恋愛感情も、読者をくすぐる。唯一気になったのは時系列が入り組んでること。普通に書いても十分よかったのでは、と思うのだが。
日本神話をポップに2000年バージョンでアレンジした一曲、じゃなくて一冊。ぜひお試しを。 この本を買ってみたい方へ
『紫の砂漠』☆☆☆1/2 村松栄子 ハルキ文庫(00.10月刊)
十夜さんオススメの一冊。SFファンタジー。
紫の砂漠の端に位置する小さな村で生まれ育ち、なぜかその砂漠に強く惹かれる子供、シェプシが主人公。この世界では、子供に男女の性別はない。この世でただひとりの「真実の恋」の相手と出会った瞬間に、男女の性が決定する。しかもこの世界、7歳まで自分の子を育てたらその子を養子に出し、代わりに神の定めた「運命の子」を授かる、という掟がある。神々を深く信仰し、自然を敬い、掟にのっとって素朴につつましく暮らしているひとびとなのである。
何よりこの設定がファンタジック。紫の砂漠に覆われた世界、砂漠をさすらう詩人、〈聞く神〉〈見守る神〉〈告げる神〉の話、尖った耳の村人達。ファンタジー好きにはたまらない話だろう。そして「真実の恋」。これがまたなんともロマンティックではないか。
この世界の構築にあたり、著者はなにか徹底したこだわりを持っているように感じられる。倫理的、とでもいうのだろうか。柔らかなファンタジーの衣でくるまれた、思想的で硬質なもの。
7歳になったシェプシはいよいよ運命の親に出会うべく、詩人に連れられて旅に出る。が、どうしても砂漠への強い憧れを捨てきれないシェプシは、ある決心をする…。
後半、突然SFになったのには仰天。前半の伏線がここで大いに生きてくる。いやホント、こういう展開とは夢にも思わなかったので驚いた。ううむ、あれはそういうことだったのか!ファンタジックな世界観が、一気に宇宙規模に拡大する。こんなに壮大な物語だったとは!
ファンタジーがお好きな方はもちろん、SFファンにもオススメの一冊。 この本を買ってみたい方へ
『コンセント』☆☆☆1/2 田口ランディ 幻冬舎(00.6月刊)
『GO』と並んで、今年一番の注目作、と言ってしまっていいのではないだろうか。目黒考二、村上龍ほか書評家絶賛。とりあえず、今年中に読んでしまおう!と思ってトライ。
もう内容もだいぶあちこちで語られているので今更だが、テーマは「引きこもり」。著者の経験を元にした小説だそう。
40になる兄が引きこもりのあげく、自殺した。主人公のユキは、以来、街角や男の息に死臭を感じるようになる。不安になったユキは、昔大学で心理学を教わった恩師(>ちょっとワケアリ)にカウンセリングを受けにいく。兄の自殺には、「コンセント」というキーワードがあり、そのことがユキの頭を離れない…。
ストーリーを説明するのはちょっと難しい小説。といっても、筋がややこしいわけではなく、どこか茫漠とした感じ。なんというか、現象を主に話が進む、というより、主人公の「心」という目に見えない曖昧なものが主に話が展開していくせいだろうか。ユキが、じわりじわりと心の迷宮に迷い込んでいくさまは圧巻。よくこんなにうまく表現できるものだ、とうなってしまう。冷静に考えればかなり突飛なこと(電波系ってこういうのですか?)を書いていると思うのだが、なんだかすっと納得できるのだ。ユキのどんどん壊れていく気持ちの変化などが。
さっき書いたことと矛盾するが、この小説は兄の引きこもりがテーマではあるが、実は兄の死に対する疑問を解決することによって、ずっと心に抱えていた何かを乗り越えていく主人公ユキの心の軌跡の物語である。これはもちろん著者の「引きこもり」に対する解釈であって、これが正解とかそういう問題では全然ないのだが、少なくとも私には彼女の言うことはよくわかった、と思う。うん、うん、そうか、と相槌を打ちながら読んだ。「コンセント」の概念とか、この弱肉強食の世の中では、ひとの心の痛みがわかるナイーブな人間は「弱者」とみなされてしまうこと、とかいろいろ。ひきこもってしまう人たちは、そのやさしさゆえに、この現実に折り合いをつけることができず、傷つき、自分を守るために殻にこもってしまうのか。それはあまりにも悲しい。彼らにとってなんと生き難い世の中。
つらい話ではあるが、主人公の心の新しい目覚めによって、意外にも読後感はよかった。「現代」の持つ病のひとつを描いた傑作。
『星降り山荘の殺人』☆☆☆☆☆ 倉知淳 講談社文庫(99.8月刊)
…や〜ら〜れ〜た〜!!!(笑)まいった。降参です。文句ナシの☆5つです満点です。「重要な伏線がいくつか張られている」とか「その説に誤りはない」とか、各章のはじめに著者がきちんと正当なヒントを与えてくれているにもかかわらず、見事にひっかかっちまったぜ!!ああくやしい!見事に一本取られました。犯人じゃなく、最初に殺される人は当てたんですけど、ってそんなの当たったってしょうがないって。
と、少々テンション高めで申し訳ありません。こんなに爽快にハメられたのは久しぶりだったので。
いかにも講談社ノベルス(もとはノベルスで発売)らしい、本格推理の一冊。なんたって、雪に閉ざされた山荘での連続殺人、というお決まりの設定ですから(笑)。が、ちょっと趣向が変わっているのは、すべての章の筆頭、四角で囲った枠の中に、著者からのヒントが書いてあるのだ。たとえば冒頭からの引用。「まず本編の主人公が登場する 主人公は語り手でありいわばワトソン役 つまり全ての情報を読者と共有する立場であり 事件の犯人では有り得ない」。もちろんこれはフェア。ウソ書いてない。全ての手札を著者は読者に提示しているのだ。で、「さあ、あなたには犯人がわかるかな?ふっふっふ」という、つまりこれは倉知淳からの、真っ向勝負の挑戦状なのだ!!
うっうっ、アタシね、これでも気をつけて気をつけて読んでたんですよお。なのにね、なのにやっぱり、ひっかかっちゃったんですう!!(涙)ああ、あの犯人がわかったときの、スコーンと場外ホームランくらったようなショックときたら!!茫然自失。夜中にもかかわらず絶叫。地団太踏んでくやしがりましたとも、ええ!(笑)
しかも彼らしいユーモアが随所にあふれてて、おっかしいのよ!主人公の徹底した虐げられぶりなんかも笑いを誘うが、中でも星園詩郎という人物がサイコーにヘン!超ドハンサムで、めちゃキザったらしい。これってなんかミッチー王子(及川光博)そっくり、というかほとんどモデルに使ってないか、倉知淳?(笑)読んだ方、そう思いませんでした?賛同者求む!
もうね、とにかくね、未読の方は読んでみてくださいまし。絶対にゼッタイに、ずえええったいに読まなきゃソンです!!そして、スコーンとだまされてくださいまし!このくやしさを共有しようではありませんか!(笑)
最後に。おのれ倉知淳、覚えておれ。出てる本、全部読んでやる〜!!!!もうメロメロです。アナタは私にとって、サイコーのミステリ作家(のひとり)です!ああ、この世界にミステリというものが存在したこと、アナタの本を読めたことを、心から幸福に思います。
『少年たちの密室』☆☆☆1/2 古処誠二 講談社ノベルス(00.9月)
むむむ、と腕組みをしてうなりたくなるような本格ミステリの傑作。うまい。推理の展開の仕方、話の運び、そして何よりキャラの存在感。小説の人物に、これほど強烈に暗い怒りを覚えたのは、ひさびさである。読了した直後は、本当にムカついてムカついて、この怒りをどこにぶつければいいのだ!!と身もだえするほどであった。架空の人物に怒ってもしょうがないのだが。
もちろん架空の話だが、9月某日、東海地震が発生し、たまたまマンションの地下駐車場にいた6人の高校生と担任教師1名が、そこに閉じ込められてしまう。が、その6人の間には、緊迫した憎悪が渦巻いていた。あるひとりの少年を中心として。この少年が、不良などというカワイイものではないのだ。低俗で性根の腐りきった悪党。弱いものを狙い、暴力にモノをいわせる、最低の、人間のクズ。
そんな不快な汗がじっとり出るような緊迫した暗闇の中、一人の少年が瓦礫で頭を打って死亡する。事故か?殺人か?殺人だとしたら、この中の誰がどうやって?
駆け引きと推理が交錯し、それが実に周到に組み立てられていて圧巻。ミステリの部分については、もう何も言うことなし。彼らと共に埃と冷や汗と喉の渇きを感じつつ、じっくり推理し、犯人を当ててみてほしい。たいがいのミステリ読みには、満足の出来だということは保証する。
ああそれにしても!人間の暗い感情を描くのがなんてうまいのだろう、この著者。この吐き気のするような悪意。自分の欲望しか見えない、利己的な人間。思い出しても虫唾が走る。主人公のやりきれない思いが痛い。どうか、こんな話が小説の中だけであることを祈るのみだ。
『体は全部知っている』☆☆☆1/2 吉本ばなな 文芸春秋(00.9月刊)
「体」をテーマにした短篇集。13の話が納められており、3つ以外は皆書き下ろしである。
吉本ばななって、こんなに淡白だったっけ?というのが正直な感想。昔の彼女の作品は、もっと鮮やかで華やかで、言いたいことがストレートに胸に飛び込んでくるような小説だった。イチゴショートのようにはっきりしていた(若かった、ということだろうか)。今の彼女は、懐石料理のお弁当のようだ。昆布だしがやさしい、あっさりとした口当たりの和食。それが少しずつじんわりと胸にしみてゆく、そんな感じを受けるのだ。
さすがに13話もあると出来のよしあしが若干あって、「ちょっとこれは唐突では?」と思う話もいくつかある。とはいえ、それでも全部読み進むうちに、徐々にどこか心の芯がほわほわっとほぐれていくのが快感で、最後には「まあ、これはこれでいいか」ということに落ち着くのだが。
私が特に好きなのをピックアップすると、「田所さん」「ミイラ」「サウンド・オブ・サイレンス」。「田所さん」は傑作。心がささくれだって、ゆとりを失った時に読んでみたい一篇だ。用もない(というか社員でもなんでもない)のに、毎日出社してきて、ちょっとしたみなの手伝いをしていくおじいいさん。「ビルの谷間の小さな花壇」みたいに、ちょっとそこに存在するだけで、周りの人の心をなごませる田所さん。そんな彼に向ける著者のまなざしの何とやさしく温かなことよ。誰かにやさしくするということは、要するに自分の心が豊かに満ち足りた気持ちになることなのだな、とふと思う。
「ミイラ」はかつて、20代になる直前だった「私」が、近所の顔見知りの青年宅に数日軟禁された体験という、ちょっとぎょっとするような、ものすごく奇妙な話である。が、妙に感性のみが鮮やかに研ぎ澄まされた話で、惹きつけられた。
「サウンド・オブ・サイレンス」は、昔の著者の作品を思い出させるような話。実は自分は養女だった、といった血縁関係の話だ。でも昔のように直球的に書くのではなく、わざと輪郭をぼやかした感じに書いており、ああ、著者の上を時間が通り過ぎたのだな、と思った。そして私の上にも。
昔のイチゴショートも好きだったが、こういう淡白な和食も悪くない。何よりカラダに心にやさしい、そんな気にさせられた一冊。
『あふれた愛』☆☆☆☆ 天童荒太(集英社、11月2日発売予定)
あの『永遠の仔』の著者の、待望の新作。が、これはミステリではない(『永遠の仔』だってミステリと言い切れない部分もあるのだが)。「愛」をテーマにした4つの中篇が収められている。
愛は凶器である。諸刃の刃である。強く愛すれば愛するほど、器からあふれたその愛は相手を傷つけ、わかりあえず、思いはすれ違う。こんなに深く愛しているのに…。最初の3作は、そういった痛い話である。あまりに優しすぎて、ゆえに繊細すぎて、自分の心を痛めつけてしまい、病んでしまう彼ら。このテーマは、『永遠の仔』にも若干通じるところがある。あれは児童虐待に傷つく子供というあまりにも悲惨で異常な話であったが、この話は大人の、もっと身近な、自分の隣で起きていそうな話である。まかり間違えば、自分もこの登場人物みたいになっていたかもしれない。そんな紙一重の危うさを秘めている。本当に人の心は危うい。ちょっとしたはずみで、ガラス細工のように砕けてしまう。
たとえば1作目の「とりあえず、愛」。私だって、この母親と同じく、高いベランダの上で生まれたばかりの娘を抱いていて、「ここで落っことしちゃったらどうしよう」といった想像をしたことは何度もある。のん気でアホな私はそんなことすぐ忘れるが、この登場人物の彼女はそんな残酷な想像をする自分が許せなかった。こんなに愛しい子に、時々恐ろしいことをやってしまいそうな衝動。そして、そんな妻を恐れ疑う夫。やがて徐々に悲劇は起こる。なぜ?どちらも、本当に家族を愛しているというのに。そこがまたなんとも痛い。
2作目の「うつろな恋人」は、ストレス・ケア・センターの入院患者の中年男性と、かつてそこの患者で、今はその近くの喫茶店で働く少女との愛とすれ違いである。
3作目の「やすらぎの香り」は、心に傷を持つ男女が、それでも精一杯支えあいながら生きていこうとする話。ふたりの一生懸命さと相手への思いやりが、けなげで胸を打つ。「がんばって」と心から応援してあげたくなる。きっと彼らなら、つらいことも乗り越えていけるだろうけど。
4作目の「喪われゆく君に」。これは泣ける。ただただ泣ける。というか、読んでいたらいつのまにか泣いていた。前の3作はどれも愛ゆえに相手を痛めてしまうというつらい話なのだが、これは違う。ただひたすらに聖母のような、温かさと優しさに満ち溢れた、相手をまあるく包み込むような愛情。しかも、もう喪われた人への愛情。深く深く、心に染みる物語である。天童荒太はこんなに優しい物語も書けるのか。驚き。(ワタクシ的にはこっち路線が好みだなあ)
よどみなく、流れるように読める文章の上手さはさすが。万人にお勧めしたい一冊。特に4作目は白眉の出来。この中篇を読むためだけでも買う価値がある。誰かを愛したことがある方、まだそういう相手にめぐりあっていない方、どちらも必読の傑作。天童荒太の「愛」、ぜひともご賞味あれ。暴力小説より、ずっとやさしい気持ちになれるよ。あったかいよ。
『海底密室』☆☆☆1/2 三雲岳斗(徳間デュアル文庫、00.9月刊)
さみしい。読後、本を閉じてため息をついた。そんなにまで、ひとは孤独な存在なのだろうか。
『M.G.H.』(徳間書店)で日本SF新人賞を受賞した著者の、新作書き下ろしというふれこみ。読んだ感触も、『M.G.H.』によく似ている。あちらは、宇宙ステーションという密室での殺人だったが、今回は海底施設という密室での殺人と、シチュエーションも近いのだ。主人公の持つ端末の中に、擬似人格のようなものが存在する点もよく似ている。
しかしこの作品は、SF色はかなり薄い気がする。どちらかというと、森博嗣の理系本格ミステリに限りなく近い感じ。『M.G.H.』のトリックはまだSF的だったが、今回のトリックは(以下ネタバレなので略)だし。
深海4000メートルの海底実験施設《バブル》に、主人公のサイエンス雑誌記者、鷲見埼遊が取材に行くことになる。ここでは先日、職員が謎の自殺をとげていた。が、遊が到着するや、連続して殺人事件が発生する。しかも条件はすべて密室。いったい、この限られたメンバーの中の誰が犯人なのか?どういうトリックで?その動機は?
遊と、その古い友人である御堂健人の人格をそのまま入れた端末が事件を解決してゆく、という点ではSF的か。パソコンやネットに常日頃親しんでいる私のような者には、非常にすんなり受け入れられる設定である。ごくごく近い未来に、こういったことが実際に起きてもなんの不思議もない気がする(実際この小説の舞台は、ほんの数年先の近未来である)。夢物語でなく、今の日常のすぐ隣にありそうな話である。
ということは、この設定は非常に現実味を帯びているということだ。「連続殺人」といったものは別にして、だ。そもそのこの殺人からして、もとはといえば「現代人の孤独」が原因といえよう。人間同士のリアルなコミュニケーションが薄くなり、ネットやメールなどを通しての、バーチャルなコミュニケーションのほうが強くなってゆく。隣人よりむしろネットでつながってる友人のほうがずっと親しい、という状態に、あなたも心当たりはないだろうか。しかし、そこにはどこかぽっかりとした孤独がひそんではいないだろうか。
これはたとえば村上春樹の描く孤独とはまたちょっと違う。彼の孤独は、「こんなに近くにいても触れててもどこか淋しい、人間は結局ひとりだ」、というものなのだが、三雲岳斗は、「さまざまなツールにより、現代人におけるリアルとバーチャルの距離感は大きく変化した。近くの人が遠くなり、遠くの人が近くになった。でも、そこにはなんともいいようのない淋しさが存在しないか」と問うている。この静かな問いには、胸を突かれる。
話としては文句なくミステリなのだが、テーマのツボの突き方がSFという、実に稀有な一冊。「未来」というより、「今」を切り取った物語ではないか、と私には思えた。山田正紀の解説が絶妙。