『リセット』☆☆☆☆ 北村薫(新潮社、01.1月刊)
北村薫の〈時と人〉3部作のラスト。新潮社のPR誌である「波」2001年1月号で宮部みゆきが言ってるとおり、これは単なる恋愛物語ではなくて、もっと大きい、「親から子へ、子から子へと伝えられる命の物語」なのだと私も感じた。そう、ここにあるのは、時間の中に流れる大きな命のうねり。
1章の主人公、水原真澄は太平洋戦争末期の女学生。ちょうど、私の母の伯母と同じ世代だ。ああ、きっと大伯母はまさにこんな青春時代を過ごしていたのだろうなあ、と思いつつ読んだ。この本を大伯母に読ませたら、いったいなんと言うだろうか。
この戦中あたりの女学生の心情を書くのに、北村薫の文体はぴったりだ。現代の若い女性達からは、残念ながら消滅してしまった上品さ、清らかさ。そういうものが実にうまく書けている。なるほど、彼の理想の女性像は、ひと昔前の女性だと考えればぴったりくる。考えてみれば、「私」シリーズの主人公だって、現代にはちょっといなさそうな子だった。ちょっと昔なら、ああいう子はけっこう普通だったのかもしれない。
真澄だけでなく、出てくる人々すべてのちょっとしたことに、今の日本人の失ってしまった何かがにじみ出ている。今でもお年寄りと話をしていると出てくる何か。なんといったらいいのだろう、慎み?奥ゆかしさ?思いやり?自己犠牲?少なくとも、現代にはびこる「ジコチュー」とは180度違うところにあるものだ。こういう昔のひとがもつ美しさに出会うと、私なんぞただのワガママな子供なのではないか、と時々恥じいってしまう。
2章から登場するもうひとりの主人公、村上和彦。これは年代からして北村薫自身だろう、きっと。40代くらいの方が読んだら、懐かしさ炸裂ではないだろうか。そして、ここに真澄の人生が交差する…。
恋愛物語に関しては、ありがちな設定。『ライオンハート』(恩田陸、新潮社)と一ヶ月しか発売がずれてないというのも、ちょっともったいなかった気がする。物語のダイナミックさという点においては、恩田陸にかなわない。ただ、そこはむしろどうでもよくて、先ほど書いた「あの時代に生きていた人々の美しい心」と、「あの時代のことや死んだ人のことを生きている人が覚えている限り、その命は今も心の中で生きてて、ちゃんと受け継がれているのだ」ということ。その2つに深い感銘を受けた。
そう、命は「心から心へ」受け継がれていくものなのだ。大いなる時間の中で。あなたの命も私の命も。
『ウェハースの椅子』☆☆☆1/2 江國香織(角川春樹事務所、01.1月刊)
ひとり。それは何もわずらわしいことはないが、やっぱり絶望的な孤独とひきかえなのか。
38の一人暮らしの女性。仕事も恋人(妻子もち)もあり、それはとても幸福な生活だ。彼はやさしいし、好きなことをして食べていけるし、何の不満もない生活。だが、その裏には絶えず「子供の頃の記憶」と「孤独」と「絶望」がひっそりと影のように寄り添っている。それは時折彼女を訪れる…。
彼女は彼女なりに一生懸命生きている。なのに、その生がどうにもはかなく淡いものに思えてしまうのはなぜだろう?彼女はまるで、かつての記憶と、恋人とのつかの間の時間と、その2つの輪の中に閉じこもって暮らしているようだ。丸く、ひざをかかえて。それはささやかな狂気をともなっているのかもしれない。
幸福であるはずなのに、彼女の生活からは、やはり途方もない孤独を感じてしまう。私にはとうてい耐えられないだろう。幸福と絶望が紙一重であるということが、この小説を読んではじめてわかった気がする。恋愛と絶望が、こんなに近いものだったなんて。
『かめくん』☆☆☆1/2 北野勇作(徳間デュアル文庫、01.1月刊)
北野勇作、初挑戦。なんとも不思議でどこか懐かしい味わいの、のほほんSF。
かめくんは、厳密に言うと動物の亀ではなく、亀を模した2足歩行のレプリカント。レプリカメとも呼ばれる。かめくんは以前勤めていた会社が吸収合併されたため職を失うが、なんとか次の仕事と住まいを見つける。その仕事はなんだか謎で…。
人間の世界に溶け込んでひっそりと暮らすかめくんの、ささやかな日常がつづられる。それはユーモラスで、まったりと心安らぐものである。が、その舞台である人間の世界が、この現実と近くはあるがなんとな〜くアヤシゲなSF世界なのだ。こういうの、超日常っていうんですかね?著者はあえて、それを明確にくっきりとは描かない。かめくんの仕事がなんなのかさえ、読者にもかめくんにも、具体的には何一つわからない。ただ漠然と、なんだかズレた世界。
かめくんは昔の記憶がない。思い出そうとするのだが、甲羅の中にデータが入っていそうなのだが、出てこない。自分はいったいどこから来たんだろう?自分は何なのだろう?かめくんは己の存在について、いろいろと考える。考えてもよくわからないのだが。それでもかめくんは考える。なにか、ここにも深い謎が隠されているような…。
純真で優しくて物静かな子供みたいな心をもった、かめくん。その姿はどこか哀愁をおびていて、切ない。なんだか、そのあたりの街角で、ふいにかめくんに会えるような気がする。いつかどこかで、かめくんに会いたいな。
『失踪HOLIDAY』☆☆☆☆1/2 乙一(角川スニーカー文庫、01.1月刊)
おお、乙一、こういう(フツーの)話も書けるんだあ!(笑)と見直した1冊。しかもすごくいい。ヤングアダルト向きではあるが、オトナもほろりとさせる。
2つの中篇が収められている。最初の「しあわせは猫のかたち」は少年が主人公、表題作の「失踪HOLIDAY」は少女が主人公である。
「しあわせは〜」は、他人とうまくつきあえない不器用な少年の心を描いた、文句なしに☆5つ満点の傑作。ひとり暮らしを始めた主人公と、子猫と、その部屋の見えない住人(?)とのはかない触れ合い。主人公の、自分ひとりだけが世界の明るい部分から疎外されてるような気持ちというのは、多かれ少なかれ誰もが一度は味わったことがある(または現在味わっている)のではないだろうか。だからこそ、皆がこの物語の中に自分を見つけ、胸がちくりと痛むのだ。そして雪村の「際限なく広がるこの美しい世界の、きみだってその一部なんだ。」という言葉に、読者はそっと温かく抱きしめられる。ラストの一文には思わず涙がこぼれた。切なさとさみしさと、生きることへの幸福があふれる、感動の一篇。
表題作は、逆境にもめげない元気で強〜い女の子の物語。この子の図々しさが実にいい味出してる。女性の本質を見抜いてるなあ、乙一(笑)。が、なんだかんだ強がりいっても、彼女も孤独なのだ。で、すねて家出なんかしてしまう。彼女の逃げ込んだ先は、実に意外な、そして妙に心がほんわりする場所だった…。こちらも、ひととの触れ合いの温かさがじんわり伝わってくる、ほのぼの路線。ちょっと驚きの仕掛けもあり。軽妙なタッチが楽しい1篇。
少年少女のナイーブな心を描いた、ハートフルな1冊。羽住都のイラストもキュート。超オススメ。元気になれます。
『ハイペリオン』(上・下)☆☆☆☆ ダン・シモンズ(ハヤカワ文庫SF、00.11月刊)
ぷはあ〜、長かった!や、やっとこさ読了というカンジ。いや、決して苦痛だったわけではない。ただ、あまりにあまりにボリュームありすぎ!(笑)質も量も!こんなにゴージャスな本を作っていいのか!これ、1章ずつだけでじゅうぶん1冊の本が作れると思う。
あなたが高級レストランでディナーのフルコースを頼んだと仮定しよう。前菜のあと、メインディッシュがやってくる。ボリュームもあって味も極上。ああおいしかった、満足満足。すると、もうひとつメインディッシュが運ばれてくるではないか。これもまた違った味でおいしい。ふう、おなかいっぱい。するとまたメインディッシュが!(笑)メイン6皿にもう満腹、助けて〜。しかもデザート食べ終わったら、「今までのはすべて前菜でございまして」って給仕が言うではないか!…『ハイペリオン』はつまりこんな話である(笑)。そう、まさにこれはSF界の満漢全席だ!!
連邦の命を受け、見ず知らずの7人の男女が、巡礼と称して惑星ハイペリオンへ向かうことになる。そこには〈時間の墓標〉というなにやら謎のものがある。7人は、ハイペリオンに行くまでの旅の道中で、それぞれの過去の物語を語る。それは実に空前絶後の不思議な話ばかりであった…。
SF的設定の難しいところは飛ばして読んだことをここに白状しよう(笑)。こう申してはなんだが、あまり細かいことにこだわらなくても、その人間達のドラマだけで十二分に楽しめる。著者は実にエンターテイメントを書くツボを心得ており、序盤から読者の心をぐっとつかみ、徐々にクライマックスに持っていく。ドキドキハラハラ、そしてその結末にふう〜っ、と充足の溜め息。エピソードのひとつひとつにもう胸がいっぱいになってしまうので、この盛り上がりが6回もあると、もう心臓がもちません(笑)。ネタバレはあまりにもったいないので、何も書かないでおきます。とにかくすべてがドラマチック!!
訳者の解説によると、これってSFのいろんな元ネタをご存知の方にはさらに楽しめるらしい。なるほどね。とりあえず、私は3月発売予定の続編『ハイペリオンの没落』の文庫化を待つことにしよう。
『依頼人は死んだ』☆☆☆1/2 若竹七海(文藝春秋、00.5月刊)
今まで何冊か(全部ではない)、若竹七海を読んだ。クールでブラックだなあ、という印象があった。が、これはその中でも最たるものである。いやもう、ブラックなんてやさしいもんじゃない。あまりの寒さに身震いがするほどだ。この連作ミステリの底辺には、どれもぞっとするほど冷たい、人間の悪意が潜んでいる。
『プレゼント』(中公文庫)の続編、といっていいであろう。同じ女探偵、葉村晶が登場する。『プレゼント』未読の方は、ぜひそちらを先にお読みになることをオススメする。つながってる話もあるので。
どれもこれも、著者はラストの数行で読者を冷たくどんっ、と突き放す。まるで、崖っぷちから突き落とすかのように。読者はくらくらと目眩に襲われながら、今読んだことの内容を把握できずに呆然とするばかり。救いのカケラもない、容赦のなさ。「あたしが怖いのは生きている人間だけよ」そんな葉村のセリフに深く頷いてしまう。
しかもこれ、話が終ってない(!!)。続きがめっちゃ気になる終わり方。ああ、続編を書いてくれているのだろうか、若竹七海。このままでは葉村が心配でたまらないではないか!
他の方が、このミステリをどう評価してるのかがとても気になる。ワタクシ的には、衝撃の問題作だと思うのだが。人間というものが、とてつもなく恐ろしく思える1冊。
『螺旋階段のアリス』☆☆☆1/2 加納朋子(文藝春秋、00.11月刊)
ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』を下敷きにした、7篇の連作ミステリ集。タイトルにはみな「アリス」がついている。
50を過ぎたサラリーマン仁木が、もうひとつの人生としてトライしたのは、探偵事務所を開くことだった。そこにある日突然現われ、助手を買って出た謎の美少女。彼女が安梨紗である。仁木は彼女の存在に戸惑いつつも、ふたりして事件を解いて行く…。
安梨紗の醸し出す、どこかふわふわんとした雰囲気についつい惑わされるが、実は案外シビアで苦い話が多い、というのもどこか『不思議の国のアリス』をほうふつとさせる。夫婦間の話が多いのは、もちろん故意であろう。それは彼女の素性と微妙にからんでいるのだが。
さまざまな夫婦のかたちをミステリに託して描くことによって、著者は何を言いたいのだろう。温かい話もあれば、うすら寒い話もある。しかしどれも、それぞれの愛のかたちであることは確かだ。
安梨紗という非現実的キャラクターのせいか、どこかメルヘンめいたミステリ。が、その底に流れるのは、人間の心の奥を見据え、善意も悪意もありのまま包みこもうとするような著者の視線である。わりと軽い読み口の一冊。
『永遠の森 博物館惑星』☆☆☆☆ 菅浩江(早川書房、00.7月刊)
「綺麗ね」美和子の言葉が、まだ胸の中に響いている。美しい余韻をもって。
地球の衛星軌道上にぽっかり浮かんだ、ありとあらゆる「美」のたっぷり詰まった博物館惑星、それが「アフロディーテ」である。ここでは、データベース・コンピュータに頭脳を直接接続した学芸員たちが、それらの芸術品をめぐって忙しく働いていた。ここの3つの部署の総合管轄の「アポロン」こそ、主人公の田代の仕事場なのである。各部署が田代に持ち込んでくる厄介ごとを通し、「美」とは、「芸術」とは、そしてそれを受けとめる人間とは何なのかが語られてゆく…。
天空高くに、宝石のように美しい惑星が浮いている、という設定がまずなによりロマンティック。いいなあ、この発想。うっとりしてしまう。面白いと思ったのは、「美」という、杓子定規で語れない実に曖昧模糊としたもの、ひとによって受け取り方が異なる感情的なものを理解分析するのに、最先端のコンピュータが駆使されているという点だ。テクノロジーと芸術という、この一見背中合わせ的なものが、菅浩江の手にかかるとなぜこうもしっくりマッチして違和感がないのだろうか。
著者の奏でる10の調べは、どれも繊細で、優しさに満ちている。それは、美を感じる人間の心を、そうっと芯に包み込んだ薔薇の花のようだ。抽象画からえもいわれぬ美しいメロディを感じる心、名前のない人形を可哀想に思う心、落ちぶれつつあるダンサーの舞踏をそれでも美しいと思う心、海に溶けた人魚を海ごと抱きしめようとする少年の心…。読者は、ただただほうっと感嘆の溜め息をつくばかり。『雨の檻』を読んだときも感じたが、著者はこういう心の最も柔らかな部分を描くのが本当にうまい作家だと思う。
日常業務の煩雑さにまぎれて芸術のなんたるかを忘れかけていた田代に、妻の美和子は「綺麗ね」とつぶやく。このラストの一篇、「ラヴ・ソング」のクライマックスは実に圧巻。コンピュータより何より、子どものようにあなたの無垢な心で芸術に向き合い、感動すればそれでいいのだ、と著者は締め括る。そう、芸術はまさに「永遠の森」だ。
まさに宝石のような1冊。SFファンならずともぜひご一読を。
『ライオンハート』☆☆☆☆ 恩田陸(新潮社、00.12月刊)
「あのひとに会いたい」。恋愛は、突き詰めれば、このひとことに尽きるのかもしれない。
恩田陸、初の恋愛小説。といっても彼女のことだ、タダのラブストーリーじゃない。時空を超えてただひとりを想い続ける、というミステリアスで壮大な恋物語である。5枚の絵画から、ここまでイメージを膨らませる彼女の手腕はいつものごとく素晴らしい。そう、恩田陸という作家は、何かのヒントからするするっと自分で物語を編み出してしまう天才なのだ。ちなみにこの小説は、『ジェニーの肖像』(ロバート・ネイサン、ハヤカワ文庫)のオマージュとのこと。既読の方にはそれだけでおわかりいただけるであろう。私が本書を読みながら思いついたのは、萩尾望都の「マリーン」という中篇だった(こちらも時を越えるミステリアスなラブストーリー)。
5つの章の始めのページに、章のタイトルと同じ題名の絵画が挿入されており、その絵をモチーフにした物語が書かれている。物語の最初は1978年である。が、そのあと1932年に飛び、さらには1944年へ、と時と場所を軽々と飛び越えて、ある一組の男女のつかの間の出会いと別れがつづられる。その場によって年齢も境遇もさまざまだが、ふたりはいつでも「エドワード」と「エリザベス」なのだ。彼らはいつも擦れ違う運命にある。どれも切なさで胸がしめつけられるようなエピソード。本当にどの話も舌を巻くうまさだが、特に「イヴァンチッツェの思い出」はミステリ的手法が効果的で、あっと驚かされた。
「二本の手は離れていることで、しっかりと握り合わせることができるのです」
ひとは誰でもそうやって、「わたしのライオンハート」を探して果てしなく時をさすらっているのだろうか?だとしたら…それはあまりに切な過ぎる旅ではないだろうか。永遠に、巡り会いと別れを繰り返す終りなき想い。それが究極の恋のかたちなのかもしれない。
時空を飛び越える、というSFな話をミステリタッチで描く、という魅力的な書き方に思わず一気読み。これに恩田陸の恋愛観が入っているとなればもう、面白くないハズがない。ぐいぐい読まされること請け合い。
追記:新潮社のPR誌、「波」12月号の恩田陸インタビューはこちら。ぜひご一読を。「ライオンハート」はケイト・ブッシュという女性ボーカリストのセカンド・アルバムのタイトルだそうです。