SFセミナー2006レポート その1

 2006年5月3日(水・祝)、東京・御茶ノ水の全電通労働会館ホールにて、SFセミナー2006が開催されました。今年も晴れてよい天気、でも暑くはなくて空気は爽やか。10時開場、10時45分開演。総合司会は井手さん。

 :以下のレポは、すべて私の手書きメモから起こしたもので、発言をテープにとったりは一切してません。あくまで自分の記憶から書いてますので、確実にこのとおりにしゃべったというわけではありません。まあこんな感じでした、という程度に会場の雰囲気だけ受け取めてくだされば幸いです。

1、超SF翻訳家対談

2、異色作家を語る〜国内作家編〜

3、ウブカタ・スクランブル

4、ワン・ヒット・ワンダー・オブ・SF


 1コマ目は「超SF翻訳家対談」。出演は3月に『特盛!SF翻訳講座ー翻訳のウラ技、業界のウラ話』(研究社)を出版した大森望氏と、6月に『ぼくがカンガルーに出会ったころ(仮)』(国書刊行会)という待望の初エッセイ集を刊行予定の浅倉久志氏。司会は高橋良平氏。舞台向かって右から大森氏、浅倉氏、高橋氏。

高橋:まずは浅倉さんがSFに出会ったきっかけと、翻訳を始めることになったきっかけを教えてください。

浅倉:(おっとりした口調で)えーと、伊藤典夫さんとの出会いがきっかけでしたねえ。それまでは浜松の織物会社で働いてまして、ペーパーバックは読んでたんですけど、翻訳をやろうなんて思ってもいなかったんですよ。コネもないし(笑)。浜松で、「宇宙塵」の会員になったんですよ。5号か6号くらいまで出てた頃かなあ。で、そのお便り欄にいつも「伊藤典夫」という人の、すごくマニアックなお便りが載っていて(笑)。その住所が浜松市だったので、柴野さんに手紙を書いて、伊藤さんの連絡先を教えてもらったんですね。で、伊藤さんに手紙を書いたら彼がうちに来てくれて。当時、僕は新婚だったんですけど、家に帰ってみたらもう彼が来ていて、高校生が座ってたんでびっくりして(笑)。こんなに若いひとだったなんて。

高橋:伊藤さんの「宇宙塵」のお便りは、いつもめちゃめちゃ厳しくてね。なで斬りというか(笑)。「なんでこれを載せない」とかツッコミだらけでね(笑)。

浅倉:実際にお会いして話したら、向こうはやっぱりものすごく(海外SFを)読んでるわけですよ。そのうち彼は大学受験で東京の予備校に行くんでそちらへ引っ越しまして、そこから手紙をしょっちゅうくれるんですけど、これが神田の古本屋の話ばっかりで(笑)。ここでこんなペーパーバック見つけたとか。そのうち伊藤さんがSFマガジンに「マガジン走査線」というコラムを書き始めて、そのご縁で「何か訳してみるか」といわれてフレデリック・ポールの短篇を載せてもらったんですね。「宇宙塵」にも載ったことあったなあ、年に1回くらいだったですかねえ。(翻訳を)しばらくやってるうちに、これは織物会社より合ってるかと思って、思い切って会社をやめて、東京というオソロシイところに行こうと(笑)。織物会社には16年勤めてましたかねえ。やめるって言ったらもう1年いろとか言われて。でももっと早くやめてればよかったなあ!その1年で、もっといいのがいろいろ訳せたのに!(会場爆笑)

高橋:それはいつごろ?

浅倉:1965年くらいまでは浜松でやってたから、66年からフルタイムで翻訳になったのかな?67年ごろに横浜に引っ越して。公団住宅が見つかったので。それからずっと横浜です。

大森:翻訳の収入は会社の収入よりよかったですか?

浅倉:はい。会社の給料がいかに安かったか(笑)

高橋:その当時の早川書房の編集部の雰囲気はどうでした?

浅倉:建物が古くて、床板の間から下が見えたりしましたねえ(笑)。あの当時は怖い人がいっぱいいて、福島さん、常盤さんとか。当時は編集部に遊びに行くと、机の横でいつまでもダベってましたね(笑)。今はそういう雰囲気じゃなくなりましたが。(翻訳は)何も言わずにいきなり直されちゃったり(笑)。今のほうがチェックは厳しいと思いますけど。当時は原文なんかあたってないと思う(爆)。

大森:原文も浅倉さんが選んでたんですか?

浅倉:それが多かったですね。時々向こうから持ってきたり、伊藤さんが持ってきたりして。

大森:あらすじしゃべって?

浅倉:あらすじ言うのが苦手だったんですよねえ。「とにかく面白いですから!」とか言って(笑)。森さんは原文読んでたから、あの人の企画はもちろんありましたけど。

高橋:『ミュータント』は?

浅倉:あれは福島さんから渡されたの。ペーパーバックを渡されて、当時まだ浜松にいたんですけど、帰りの新幹線で降りるときに忘れちゃって(笑)。あわてて伊藤さんの借りて訳した覚えがあります。

高橋:『重力の使命』は?

浅倉:伊藤さんにすすめられたんだと思いますねえ。

大森:その当時の部数や印税率ってどのくらいでした(笑)?

浅倉:5〜6000部かな。売れるのは7000部とか。10000はなかったと思いますね。印税率は8%で、今と変わらない。

大森:今のポケミスくらいですね。

浅倉:再判はほとんどなかったですね。あの当時、文庫が売れてて、創元で20冊出せば一生食えると言われてましたねえ。

大森:新潮は3冊で一生食えると言われてた(笑)。60年代は文庫全盛時代だったんですよねえ。

浅倉:早川もハヤカワ・SF・シリーズをやめて、文庫に行ったんですよね。

大森:お札刷ってるようなもんだとか言ってましたよね(笑)。

浅倉:『火星のプリンセス』とか、バローズシリーズがすごかったですね。

高橋:浅倉さんが出した初めての企画ものってなんですか?

浅倉:ハリイ・ハリスンの『宇宙兵ブルース』かな。でも福島さんはああいうの、あまり気に入らなかったみたいでしたね(笑)。

高橋:あの翻訳は、ひっくり返るほど面白かったですよ!日本語が、翻訳で出てくるような言葉じゃなくて。

浅倉:そんなこと言われたの初めてだ(笑)。あの頃はまだ若かったし、ノッてたんですかねえ。

高橋:ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』は?

浅倉:あれは早川編集部においてあったのを借りてって読んだら面白かったんで、訳したんです。あの頃、あそこにおいてある本は適当に持って行ってよかったんですよね。

高橋:マイクル・クライトンの『アンドロメダ病原体』は?

浅倉:伊藤さんのSFスキャナーの紹介で、編集部が乗り気になって版権取ったけど、伊藤さんは自分が訳すのは面倒だって言って(笑)、僕のところに来たんです。あれはかなり重版されましたねえ、ソフトカバーで10なん刷りいって。週刊誌が取り上げたくらいで。週刊誌の記者と喫茶店で会って話したのを覚えてますねえ。

大森:伊藤さん以外の翻訳家の方とのおつきあいは?

浅倉:SF作家クラブに途中で入って、深町眞理子さんや小尾芙佐さんなんかと知り合いになりましたね。あとは浜松で「東海SFの会」というサークルで、「ルナティック」というファンジンを出してたんですけど、ここに岡部宏之という方がいて自作のショートショートを書いてたりしたんですが、この岡部さんが翻訳もやるらしいというのを聞いて、SFマガジンに紹介したんです。他は山野浩一さんにNWSFで初めてお会いしたりとか。あとはSF大会ですね。矢野さんとは1970年の万博の時に一緒に見物して、そのときはじめてお話しました。それまで恐れ多くて近づけなかった(笑)。

大森:あのときは国際シンポジウムと万博が一緒になったんですよね。

浅倉:その1年後にジュディス・メリルが来日して、日本のSFを海外に紹介するというので、矢野さん、伊藤さん、森さん、僕でお会いして。そのあとからSF翻訳の勉強会を始めて。メリルの弟子が東京にいて、その人を最初に呼んだんですよね。そのあと、風見さんと伊藤さんと森さんと僕で矢野さんちに行ったり民宿でやったりして、だんだん大きくなっていったんですよ。先生は次々に変わっていって。

大森:『アンドロメダ病原体』は70年代の初めでしたよね。あれは中身はSFだけど売り方もSFとして?万博でSFも盛り上がっていたんですか?

浅倉:そうですね。SFとして売ってたと思います。

大森:翻訳もSFシリーズも売れてました?

浅倉:そうですね。ハヤカワのSF文庫の挿絵入りのスペオペはわりと成績良かったんですよ。そのあとイラストなしの、今の青背になって。読者が増えたってことですよね。その頃は、団塊の世代の読者が圧倒的に多かった。最初は大学生から若い社会人がSF読者だった。それでSF文庫が出て、高校生とかに購買層が広がって、よけいに売れた。

大森:僕が万博の時に小学4年〜6年くらいで。その頃の小学生はSFファンとして洗脳されてますね(笑)。万博世代がSFを支えてたってカンジがします。

高橋:SFが一番面白いジャンルだと思われた時期ですよね。ところで、先ほど「もっと早くやめてれば」っておっしゃってましたけど、あのときやめてれば訳せたのに、という本は具体的には?

浅倉:いやあ、1年くらいではダメですよね(笑)。具体的にはクラークとか、ハインラインとか。

大森:『夏への扉』はオレがやりたかった!とか(笑)?「いいのは福島さんが全部取っちゃって!」とか。

浅倉:僕は新米だから、あまり有名でない作家のが多かったんですよ。だから自分が好きなの持ってったほうが多かった。

大森:ディックは、銀背ではほとんど売れなかったんですよね。

浅倉:そう、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』も初版のみ。『宇宙の眼』は売れたと思うんだけどね。

大森:そのわりにはずいぶん出してますよね。そういえばSFマガジンにペンネームいろいろ使って書いてましたよね。

浅倉:当時はまだ団地のローン払ってたから(笑)。『アンドロメダ〜』出して、少しラクになったけど。

高橋:浅倉さんはコツコツ訳すというイメージがありますけど、月平均でどのくらい?

浅倉:250枚くらいですかね。遅いんです。子供が小さかった頃は土日休みましたけど、今はもう毎日。

高橋:1日4〜5ページですか。ここに来月出る予定の浅倉さんのエッセイ集のゲラがあるんですが、ちょっとその一節を。「雨にも出かけず、風にも出かけず、雪にも夏の暑さにも負け、…(以下略)そういう訳者に私はなりたくなかった。」(笑)

高橋:ヴォネガットは?

浅倉:伊藤さんがすごく好きで、『猫のゆりかご』訳して。次は『タイタンの妖女』を出そうということになって、僕が訳して。割と好き嫌いが分かれてて、伊藤さんは『スローターハウス5』がすごく好きで、他のはどうでもいいって言って譲ってくれて、それで『タイタン〜』を僕が訳したんです。僕はすごく好きだったですね、タイタン。

高橋:そのあとしばらくとぎれますよね?

浅倉:『チャンピオンたちの朝食』は伊藤さんになってたんですよ。「中央公論」の雑誌に冒頭が載ったんだけど、そのあとずっとやらなくて。ずっとあとで僕のところに来たんです。

大森:あれだけ10年かかったんですよね。僕が卒論を書いた本です、あれ(笑)。

高橋:大森さんは浅倉さんをどういうふうに見てたんですか?意識してた?

大森:もちろん!!最初に翻訳者の名前を意識したのが1970年代半ばだったんだけど、覚えてるのは「スロー・チューズデー・ナイト」(火曜日の夜)のSFマガジンに載ったのと創元文庫を比べて、「全く同じなのに訳者の名前が違うのはなぜ?」と考えて、「もしや!これはペンネーム!?そんなことがこの世に!?」って自分では大発見でした(笑)。

浅倉:昔のSFマガジンは、同じ雑誌に同じひとが2つ載ると、必ず別名義にしてたんだよね。

高橋:雑誌作りのセオリーとしてあったんですよね。昔は鉄道で運んでて、国鉄の指定で「雑誌は6名以上の項目の記事が載っているもの」って決まりがあったんですよ。だから名前を増やす、というルールがあった。「大谷」は浅倉さんの本名ですよね、ちょっと違いますけど。

浅倉:森さんが、ハヤカワと創元で同じ名前はまずいってことで、名前を変えたほうがいいと言われたんですよ。

大森:伊藤典夫はいいの?(笑)

浅倉:彼は聖域だから(笑)。

高橋:伊藤さんとのコンビで共訳とかありますけど、あれはどういうふうに企画を?

浅倉:彼とは毎日のように電話してたんですよ。だから改まって企画相談とかやることなかったな。

高橋:無駄話の中から企画がいくつも生まれて?

浅倉:そうですね、彼はアドバイザーみたいな。そんな時期もありましたね。あの頃は毎月1回、今岡さんのとこに行って。

高橋:やりやすかった編集者はいます?逆にどういう人だと困っちゃうとか?

浅倉:え〜〜〜と……(困って口ごもる)。ハヤカワや創元みたいなSF専門のところは、困ることはほとんどなかったですね。逆にSFに関係ないところがいきなりだとちょっと意見が違うことはありました。

大森:講談社の文庫とか?あれは売れたんですよね?

浅倉:そうですね…あんまり覚えがないなあ(笑)。

大森:文化出版局は?

浅倉:ごく短い期間でしたね。あっちから、SFショートショートを出したいと言ってきたんです。でも長いもの入れちゃったようなカンジがするな。

高橋:青春小説とかも出しましたよね?

浅倉:そう、あっちが出したいと言ってきて。伊藤さんにはタマがあったんだけど、僕は本当に困っちゃって。あまり気が乗らなかった(笑)。

高橋:意に染まなかったものは?

浅倉:あまり覚えてないですね。見せられれば思い出すかも。

高橋:大森さんは?

大森:ありますよ!(笑)自分の企画なのに「なんでこんなのにOKが出たかなー」とか思ったり。「普通ボツにするだろこれ!」みたいな(笑)。○○とかね!

高橋:ボツになったけどやりたかったのは?

浅倉:うーん、あまり記憶がないんですよね…。昔読んで面白かった本の記憶が。

高橋:作家の幸・不幸ってありますよね。作家としての印象が薄い、みたいな。

大森:デイヴィッドスンとか、出ないのわかりますよね。あんな難しいの(笑)。

浅倉:翻訳家がどんなのやりたいかっていうと、たいてい「薄くてやさしくて、よく売れるもの」(笑)。

高橋:「未来の文学」で、浅倉さんが選んだユーモアSFアンソロジーが出るんですよね。昔、矢野徹が「宇宙塵」の例会でしゃべったやつ。

浅倉:ヘンリー・カットナー、ジョン・スラデック、ウィリアム・テンとか、昔訳したものを2、3入れる予定です。もう作品は決めてます。でもスラデックは難しい!(笑)

大森;スラデック短篇集という企画もあって、柳下さんに選んでもらって翻訳は浅倉さんに、とか、殊能さんに選ばせて翻訳は浅倉さんとか(笑)。編集は何もしなくても、本は売れる(笑)。

高橋:浅倉さんって、何を任せても大丈夫って気がするんですよね。

大森;ぼやきを30分くらい聞いてあげるだけでオッケー!(笑)「もうできてるんだけど、恥ずかしいから」とかなんとかごちゃごちゃ(笑)。

浅倉:織物会社時代に、納期遅れは必ず返品になったんですよ。だから締め切りには必ず間に合わせるというのが染み付いてて(笑)。

大森:じゃあ伊藤さんなんか全部返品だ(笑)。アンソロジーとか、他の人はまだ全然なのに浅倉さんは一番にできるんだけど、「他の人には黙っといてください」って言ったりね。

浅倉:遅れても、モノがよければいいんですよ。早くても出来が良くなければダメです。

大森:浅倉さんにそんなこと言われると!ここにいられなくなる人がいっぱいいますよ!(笑)

高橋:ではそろそろ、新刊・近刊のお知らせを。

浅倉:来月、ハヤカワからヴァン・ヴォクトの『宇宙嵐のかなた』が出ます。あとは国書刊行会のエッセイ集と、ユーモアアンソロジーですね。

大森:ハヤカワ名作セレクションって、なんか謎じゃないですか?不思議なラインナップですよね?(笑)

浅倉:僕にもわかりません(笑)。突然言われて。

大森:手は入れたんですか?

浅倉:入れたけど…入れようがない(笑)。

大森:一時期、SFが減ってお呼びがかからなくなったと思うんですけど、そのときは流されるままに?

浅倉:そうですね(笑)。

大森:最近僕は翻訳全然やってません。ここ1ヶ月くらい。予定としては、コニー・ウィリスの短篇が4本くらい入ったのを奇想コレクションから出す予定です。それ以外は未定。『エンジン・サマー』の改訳版はいつになるやら…。

高橋:最近の若い訳者はどうですか?

浅倉:昔に比べたら、うまいですね。

大森:昔はエライほうにもダメなほうにもすごかったけど(笑)、今は平均化してるというか。

浅倉:そうですね。昔の都筑道夫さんなんて素晴らしかったですけどね。手も足も出ないってくらい。小尾さんの『順応性』なんてのも、ホントに感心しましたねえ。これは川又さんが最近のアンケートでも誉めてましたね。

 

  ここで会場からの質問。森下一仁さんが発言なさいました。

1、コードウェイナー・スミスの短篇はどうやって分けたのですか?

浅倉:僕は自分のやりたいのはやっちゃったの。あとは伊藤さんの好きなものじゃないを僕が(笑)。僕には合わない作家のような気がして、身を引いたんです(笑)

2、英語を日本語に訳すときに秘訣や特質は?

浅倉:全然わかりません(笑)。英語とは順番が別だということくらいで(笑)。あとは男と女が同じしゃべり方をするので、これはまあネイティブ・スピーカーが読めばわかるのかもしれませんけど。だからパーティーで大勢がしゃべってるシーンなんかは、適当にアトランダムでこっちが男女を決めてます。特質も今のところわかりません(笑)。

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 ほとんど、高橋さんと大森さんのふたりがインタビュアーになって、浅倉さんを解剖するといった趣の企画でした(笑)。浅倉さんの実直で謙虚でほんわかと温かなお人柄のにじみ出る、とてもよいインタビューでした。大森さんの話がほとんどなかったのはちょっと残念でしたが、またそれはいずれ機会があるでしょう。


 お昼休憩のあと(1時間ないのはちょっとキツかった)、2コマ目は「異色作家を語る〜国内作家編〜」。出演は舞台向かって右から牧眞司氏、長山靖生氏、日下三蔵氏、司会は我らがダイジマンこと代島正樹氏。

代島:今回の企画は、去年のSFセミナーにて開催された「異色作家を語る」海外編を受けてのものです。河出書房の奇想コレクションをはじめ、晶文社ミステリ、国書刊行会の未来の文学などのシリーズ、また老舗文庫においても、10年ほど前のSF冬の時代といわれた頃から見ると、短篇がだいぶ盛り返してきたような印象を受けます。特に異色作家を意識したものが、年末のベストなどで高い評価を受けたりしています。晶文社のシリーズは残念ながらストップということですが、河出に受け継がれることになりそうという話も漏れ聞いており、また早川書房60周年記念として、異色作家短篇集も復刊され、また『闇の展覧会』も全3巻でハヤカワ名作セレクションとして昨年復刊しました。ここで、日本人で異色な作家・作品についてお話いただきたいのですが、まずは異色作家とはどういうものなのでしょうか。

牧:もともと僕はへそ曲がりで(笑)、王道や本格、といったのはあまり好きじゃないのね。作品自体が、ってことじゃなくて、そういうふうに位置づけられてるものが。そういうのは他の人が読めばいいので、自分は皆の知らないものを読みたいと。子供の頃からそういうのに自然と惹かれていったのね。で、ジャンルの枠にはまらない、既存の考え方の枠にはまらない、定義からはずれるものが異色作家だと。「異色」という定義があるわけではなくて。ハヤカワの「異色作家短篇集」の中でも、シェクリイとかエリンとか。うまいんだけど理に落ちる、というのよりは、何を読んでるんだかよくわからない、みたいなのが好きなのね。スタージョンとか、ミステリだけどらしくない、純文だけどらしくない、みたいなの。

長山:僕は定番も嫌いじゃないんだけど、骨太なのではなくて、逃げ道になるような作家が好きですね。何が「異色」かって考えて、今回のレジュメにある20冊を選ぶのはすごく悩みました。自分のセレクトは世間の常識からはすごくずれてると思いますね(笑)。日下さんとかのおかげで、今は文庫ですごくいろんな作家が読めるんですよね。でも文庫で読める=ポピュラーという気がするんですよ。僕は70〜80年代頃から自分で本を買うようになったんですけど、その頃やっぱり高いからなかなか買えなくて、「やっと買えた!読めた!」みたいに感激したものをメインに集めてみました。自分が好きでも世間が好まない作家もいるし。

代島:長山さんは漱石の研究でも有名ですが、あれは定番中の定番ですよね?

長山:そう、でも僕の中ではどっちも好きで違和感ないです。SFもSFとして意識したことないんですよ。ミステリも。「面白い小説」としか思ってない。漱石はいくら研究してもボロが出ないんですよ。異色作家はある意味、線の細さが感じられるんですよ。でも漱石は骨太。『それから』の代助なんて憧れでしょ?働かないでブラブラしてて、人妻に手を出して、みたいな。でも読み込むと、家庭内のドロドロとかいったものが出てくるんですよ。

代島:漱石は生き方がある意味異色かも(笑)。日下さんは?

日下:僕は子供の頃は少年物ばかり読んでました。中学で星新一を読むようになって、SFにいって。その流れで筒井康隆とか読んでました。そのあとミステリにハマって。ジャンル意識はわりと強かったですね。古本を集めはじめてから、ハヤカワの異色作家短篇集を読んで、「これ混ざりすぎだろ!」とか思ってました。ミステリ、SF、純文が全部まざってる。逆に「異色」というくくりなら、何入れてもいいんだなと思いました。作品が少なくて、ヘンなものばかり書いた人や、メジャーな人が魔が差したように書いたヘンな話も好きです。たとえばこのレジュメにあげた20冊の中では、生島治郎とか遠藤周作とか。

代島:それはなんか編集者的な読み方ですね。

日下:そうなんですよ、読みながらつい脳内編集をしてしまう。今、実際にその仕事ができて、こんな幸せなことはない(笑)。

代島:歴史的にみるとどうなんですか?

牧:起点としてわかりやすいのは、やっぱりハヤカワの異色作家短篇集。ここで「異色」というカテゴリがつくられてて、逆算されて乱歩の「奇妙な味」というのが再認識されたのね。この短篇集は函入りで月報がついてて、ここで都筑さんが「日本では誰?」みたいなことを書いてて、そこには久生十蘭や大坪砂男が挙げられてた。今はいろいろあるけど、その当時(昭和30年代)には、こういうふうにまとまって読めるのはなかったんだよね。日本で「異色作家」っていう意識はここで始めて生まれて再認識されて、尾崎翠なんかもこれで再発見・再評価された人なのね。海外に比べて国内は、探偵小説は探偵小説の枠組みのなかで、純文は純文で1点ものとしてぽつんとあって、横のつながりや広がりがなかったのね。それは日本の作家の場合、事情が違ったということで。今は日下さんたちがいるので、読者は今が一番読みやすいんじゃないかな。

代島:乱歩の言う「奇妙な味」というのは、具体的にはどのへんを指すんでしょう?

牧:あれは海外のものを指してたんだと思う。サキとか。

日下:そう、変わった海外ミステリのことを「奇妙な味としか言いようがない」って言ったんだよね。吉行淳之介のアンソロジーがあって、あれでポピュラーな用語になった。日本の歴史では、異色作家は系統だったものはないんだよね。桃源社の『大ロマンの復活』シリーズが昭和43年に出て、これはくしくも僕の生まれた年なんだけど、函入りの黒い本で、これが売れておかげで海野十三とかのリバイバル本がいっぱい出たんだよね。僕は桃源社のは古本で買って、ありがたがって読んでた(笑)。立風書房とかもいろいろ出してましたよね。

長山:異色みたいなのは大衆文学からは浮いてて、むしろ純文学よりだったんだよね。北杜夫→星新一という流れがあって、またいっぽうで北杜夫→遠藤周作という流れがあって、ここでまた分かれて遠藤→澁澤、遠藤→吉行淳之介→筒井康隆、みたいな。異端作家というのは、伸ばせば手が届く作家だったのね。でも自分から伸ばさないとダメだけど。そうしてだんだん浸透してきた。

日下:遠藤周作なんかは怪談をいっぱい書いてたりするんだよね。僕はこういう純文学作家の奇妙なのって好きだな。

長山:川端康成でもすごい不気味なのありますよね。なんでこんなの書いたんだろう?みたいな(笑)。内田百閧燒ハ白いけど、だんだん不気味になってくるんだよね。

牧:百閧ヘ異色中の異色ですよね。彼は漱石の最後の弟子で、大正末期にデビューしたんですよ。純文の人って、こういうヘンな話が脳内にポッと出てくるのかなあ。

日下:純文学作家はグループ作るのとか苦手そうですよね(笑)。

代島:発表媒体もバラバラなんですか?

長山:載せるのは大変だったと思いますよ(笑)。ミステリの人はあるけど、純文の人たちは大変だったと思う。つまはじきっぽいですよね(笑)。

代島:このレジュメで紹介されてる中で、SFセミナーなんでSF中心にオススメなのをいくつか紹介してほしいんですが。

牧:異色といわれて思いつく作家は何人か出てくるけど、全部異色作品という人は案外いないんだよね。たとえばパッと出るのは筒井だけど、彼もドタバタあり、ユーモアあり、SFあり、シュールありでしょ。でもちょっとドタバタは違うのではずして、とか考えるとなかなか。ここでは作家をまずあげて、それで作品を当てはめていったのね。まず長野まゆみを入れたかったので、『鉱石倶楽部』(文春文庫)を。理に落ちるのがあまり好きじゃないので、何が起こるかわからない、そういうものを中心に挙げてます。ここだと山野浩一の『殺人者の空』(仮面社)なんかは探して読んだら面白いだろうなと思いますよ。不思議小説として再評価されるべきだと思ってます。河野典生の『ペインティング・ナイフの群像』(新潮社)なんかもリリカルだけど甘くないの。あと三橋一夫の『勇士カリガッチ博士』(国書刊行会《探偵クラブ》)とか。

長山:僕のは戦前作家ばかりですが。牧野信一の『ゼーロン・淡雪』(岩波文庫)なんて、『くっすん大黒』の比じゃないですよ。借金が払えなくてどっかの旅館に逃げてるのに、親が旅館代払ってくれないかなーと思ってたり。あとは鮎川哲也編『怪奇探偵小説集』、紀田順一郎編『現代怪奇傑作集』、澁澤龍彦編『暗黒のメルヘン』、横田順彌『日本SF古典集成』あたり。30年くらい前は、1冊で出てなくて大変だったですね。アンソロジーを読んで、それを入り口にしてた。春陽堂文庫なんかもすごくヘンでしたねえ、昔も今も(笑)。玉石混合だけど。

日下:僕の挙げたのは、ホラーが多いですね。この中でのオススメは畑正憲の『ムツゴロウの玉手箱』(角川文庫)。これ、SFホラー短篇集なんですよ。ぜひ復刊したいですね。城昌幸あたりもまとめた形で復刊したいなあと。アンソロジーをいろいろ出して復刊して、もう元本を探す必要はないよ、としたい。元本欲しくて探すコレクターはどうぞ、これはもう病気なんで(笑)。あとは香山滋、渡辺啓助あたり。

牧:ホントはね、もっと薄いヤツを出したいの。異色中の異色はこれだ!という決定版みたいなのを出してほしい。

日下:出版芸術社の社長はそうしたいみたいなんだけど、ついあれこれ詰め込んじゃうんですよ(笑)。どうせ売れないんなら、いっぱい入れたほうがいいと(笑)。

牧:三橋のなんか、1/5くらいに絞り込んで豪華限定本みたいに作ったら宝物になるんだろうなって妄想が(笑)。

日下:そういうのは次の世代にやってほしい。僕の欲望はとりあえず満足したので(笑)。今、企画が単発ではほとんど通らないので、苦肉の策としてまとめて出したんですよ。たとえば氷川瓏なんてこうしないと絶対出せなかった(笑)。だから15冊と最初に銘打っといて、そこにめくらましを作って入れたんですよ。

牧:木を植えるために森を作ったと(笑)。

日下:まだ出し切れてない人がいるんですよ。切り売りしてない人がいるんで。

牧:長山さんはこういうのあったらなあ!ってのある?

長山:澁澤さんみたいなアンソロジーを読みたいですね。自分でできるかはともかく。これがいい、あれがいいって、自分のそのときの体調によっても違うんですよ(笑)。選ぶのってすごく難しい。自分でやる気はないので、だれかやってくれればいいや(笑)。

牧:僕も(笑)。日下さんもいるし(笑)。筒井康隆の自分好みのやつだけ編集したのとかは作ってみたいな。シュールな筒井だけの作品集とか。星新一なんかも20だけ選んで豪華版にしてみたいな、とかを寝る前に布団の中であれこれ考えて、幸せな気持ちで寝ると(笑)。

日下:僕も考えるのが一番楽しいな(笑)。

長山:書くのはつらいですよね。ゲラはもっとつらい(笑)。

日下:星新一なんかは、新潮は契約があって、他社から出てる作品と混ぜられないんですよ。自分の編集は削るのが難しい。三橋や氷川なんかみたいに、集めればいいってのは簡単なんですよ。削るほうが神経磨り減る。アンソロジーで、ひとり1本って選ぶ人ってすごいと思いますよ。

長山:再評価の大変さって、頭下がりますよね。今文庫はいろいろ出てるけど、豪華本は出さないの?年取ると、小さい字は読みにくいんだよね(笑)。大きい字で、詩を読むように、瀟洒な装丁ので読んでみたい。自分じゃやんないけど(笑)。

日下:国書刊行会で8000円くらいで1500部とかですかね。

代島:このレジュメで、牧さんが三崎亜紀の『バスジャック』(集英社)を出してますけど、他に今の人で注目の人はいます?

牧:最近のはあまり読んでないんだよね。短編作家で日本人で、自分にあう人ってのはほとんどいないんだよ。安部公房、倉橋由美子、あたりかなあ。あ、ここに『田舎の事件』(幻冬舎文庫)で挙げたけど、倉阪鬼一郎は注目。怪奇ともSFともホラーとも幻想ともつかないのを書くんだよね。あと、清水義範。脳から沸いて出た作品みたいなのがたまにあるんだよね。

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 日本における異色作家、という概念はあまり自分にはなかったので、なかなか興味深いお話でした。はじめて耳にする作家の名前もたくさんあり、とても勉強になりました。

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06.5.11 安田ママ