「情報の受け取り側」に関する考え方 

「情報の受け取り側」に関する考え方
さて、「インターネットでの発言の重要性」ということで、情報の発信(発言)側のことは既に書きました。
「発信者」がいれば、当然「受信者」、受け取り側もいます。
ここでは、その「受け取り側の責任」について考えてみたいと思います。
で、先においらの考えを書いておきますと、
基本的に情報を発信する側の責任が絶対でしょう。
インターネットでは、おいらのようなホームページの作り手、ですね。
情報の発信側は責任を持って情報を発信する必要があります。
そして、「受け取り側に責任はない!」とおいらは思っています。
但し、これは「受け取るまで」の話です。情報を受け取り、その上で次の行動をおこすと、そこでは責任が発生するでしょう。
間違わないでください、「おいらが思っている。」だけで、他の人はどう思ってるかわからないし、おいらの考えが正しいかどうかもわからないですから。
でもまぁ、ここまで自分で言い切ってしまう以上、おいらはこの「ヤスオウの館」での発言を慎重に行わなければいけませんね。

ただ、「情報の受け取り側もよく考えなければならない」と思っています。
それは、「責任」とは全く別の話で。
発信されてる情報って、極端な話、「嘘」かもしれないし、「嘘」でなくても「誤報」ってこともあります。
なんで、「その情報を、そのまま受け取っていいの?」「無条件に信じると、騙されるかもしれないよ。」、って注意が必要なのでは?
責任問題はさておいて、それを鵜呑みにして、騙されるのってしゃくじゃないですか?
そういう意味での「情報の受け取り側もよく考えなければならない。」って考えです。

よくおいらがこの手の話題で、例に出す話があります。
「それは極端な例やで。」という意見もあるかと思います。
が、極端でも実話である以上、「極端やから」と例外扱いできないと思います。
その例とは、皆さんも多くの方が覚えていらっしゃる「松本サリン事件」です。
「情報の受け取り側」、これは、なにも「インターネット」に限ったことではありません。
「インターネットはもはや既に巨大なマスコミ」という考えの下、他の情報媒体も含めて考える必要があると思います。
さて、その「松本サリン事件」、おいらなりの解釈です。

---------- 以下 "極端かもしれない" 例 ----------

あの事件、そもそも警察の捜査方法に問題があったのか、なかったのか。それはここでは触れません。
ここで触れたいのは「情報」という話題ですから。
で、その「情報」、報道です、おいらが触れたいのは。
捜査段階で、Kさん(みなさん名前を知ってるでしょうけど、名前を出していいのかどうかわからないんで、ここでは取り敢えず伏せます。)が、「容疑者」として浮かび上がりました。
この時点で各種マスコミは、あたかもその時点での「容疑者」Kさんが「犯人であるかのような」報道を行いました。
いわゆる「ゴシップ紙」(○ライデーとか○ラッシュ)は兎も角、一般新聞、テレビのニュース番組でさえ、そういった報道を行いました。
ここまでが、情報の発信側の行ったことです。
さて、それを読んだ、視た人はどう思ったか?
「新聞、ニュースの報道すること」に疑いを持たなかった人が圧倒的多数です。
これは、情報の受け取り側の取った態度です。
更に一部の心ない人からは、Kさんに対して、「いたずら電話」等、嫌がらせを行いました。
これは、情報を受け取り、次の行動を起こした人です。
しかし、その後、Kさんは結局この事件の犯人では無かったことが判明しました。
「新聞、ニュースの報道すること」に疑いを持たなかった人が今度は各マスコミを叩きました。
その後、各マスコミが、Kさんに謝罪をしたのは、みなさんご存じの通りです。

---------- 以上 "極端かもしれない" 例 ----------

さて、今これを読んでいる方、この「例」に関してどう思われます?
はっきり言って、情報の発信側、マスコミ側の責任は否定できないでしょう。
「誤報」は十分あり得ることですが、この事件では、「誤報」の域を超えていた、とおいらは解釈してます。
それと、その報道をうけて、そのあと「いたずら電話」等、嫌がらせを行った人はどうでしょう?
これはやっぱり責任が生じると解釈します。
ただの「受け身」でない、「行動を起こし」ているのですから。
「行動を起こした」ということは、「情報を発信した」のと同様、責任は発生すると思います。
次に、情報の受け取り側はどうでしょう?
「新聞、ニュースの報道すること」に疑いを持たなかった人に責任はあるでしょうか?
今の世の中、何もかも疑ってかかるときりがないです。正直、全て自分で調べるわけにはいきません。
一応、「新聞」「ニュース」は比較的、信用度、信頼度が高いわけです。
それを信じた「情報の受け取り側」に責任を求めるのは、難しいですし、いや、責任はないでしょう、というのがおいらの解釈です。
逆に言えば、やっぱり「情報の発信側」の責任が重いわけです。
そして、もう一方、「新聞、ニュースの報道すること」に疑いを持たなかったず最後には各マスコミを叩いた人、この人はどうでしょうか?
ここに責任問題はないのかもしれません。おいらもはっきり言ってわかりません。
騙すつもりは無かったにしても結果的に騙してしまった「情報の発信側」を叩く、それは今後「情報の発信側にもっと注意しなさい」と反省を促すもの、として考えるなら必要なことでしょう。
ただ、「情報の発信側」に反省を促すだけでなく、「裏切られた」「騙された」ことに対する反省も必要なのではないでしょうか?
事実、「信用、信頼できると思っていたマスコミに裏切られた」わけですから。
これが、次の「最後に・・・」いかに繋がるのですけど。

さて、最後に・・・
受け取り側の責任は、あまり議論されません。それでいいのでしょうか?
情報を信じ、そのまま受け取ってしまった、これは仕方のないことだと思います。
しかし、その情報を鵜呑みにしてしまったことに対する反省は必要なのでは?
「情報を信じ、そのまま受け取ってしまった」ことに対する経験を次に生かす必要があるのではないでしょうか?
最初に書いたこととずれがあるかもしれません。
また、これを議論するのは、発信側の責任逃れ、に聞こえるかもしれません。
でも、考えてみたら、これを議論しないってのは逆に、「受け取り側は何も考えずにこっちの情報を全て鵜呑みにする」って、情報発信側が考えているからではないでしょうか?
ある意味、発信側が受け取り側を「馬鹿にしている」、とは考えられないでしょうか?
情報発信側の「奢り」ではないでしょうか?

館主ヤスオウも自身も「情報の発信側」でありながら、「情報の受け取り側」でもあります。

そう考えるからこそ、敢えて最後にこういう事を書いてみました。

「インターネットでの発言の重要性」同様、またまた長い文章になってしまいました。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。

追伸 - 追伸で何故こんなことを書いてるのでしょう? -
今、あなたは、「うんうん、なるほど。」とここで書いたことを素直に受け入れてませんか?
素直に受け入れてないなら問題ないです。
もし、素直に受け入れていたなら・・・
ここで書いたことがホントに、館主ヤスオウの本音かどうかなんて分からないですよ。
ここで書いたことに「うんうん、なるほど。」と思ってくださったなら
・・・
それはヤスオウの思うつぼかもしれませんよ・・・


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