さて、この世の中「正しいこと」「間違ってること」なんて果たしてあるのでしょうか?
他、「絶対」とか。
う〜ん、哲学的(^^;)。
でもヤスオウは哲学者やないんで、難しくあれこれ定義するつもりはありません。
確かに、日本には色々法律とかありますし、他にも宗教とか、まぁいろいろありますよね。
それに照らし合わせて「正しい」「間違ってる」ってことは確かにあるでしょう。
でも、それはあくまでその「定義内」でのみ成り立ってるんですよね。
例えば(またこのコーナーも「例え 有り」です(^^;))、ちょっと前に、「マディソン郡の橋」とかいう映画がありましたよね。
(タイトルすらうら覚え。あんまり興味なかったんで)
でそのお話って、たまたまやって来た男とたまたま知り合った女性(奥さん)が恋におちる、ってな話やったと思います。
こん時、この映画で多くの女性が感動し、涙したそうですね。舞台にもなってるし、なかなかええ映画やったんでしょうね。
ところがこの頃、多くの女性が不倫騒動真っ只中の「葉月里緒菜」を思いっきりバッシングしてたんですよね。
片やいい映画を見て「不倫」を認めてて、一方では「不倫」を認めない・・・
さて、「不倫」って間違ってるものなんでしょうか?
あっ、これはあくまで「例」ですよ。ここで不倫の是非を議論するつもりはありませんから。
この例一つとっても、「正しいこと」「間違ってること」って無いような気がするんですよね、ヤスオウは。
「正しい」じゃなくて、「正しいと(その人が)思っている」
「間違ってる」じゃなくて、「間違ってると(その人が)思っている」
っちゅうこっちゃないでしょうか。
もっと極端に言えば、自分がそのこと(その考え方とか)を「好きか嫌いか」、
その意見が自分にとって「面白いいものか、面白くないものか」、「その意見に同調できるか否か」
っちゅうこっちゃないでしょうか。
今回、なんでこんな話題を提供したかというと、ここでインターネットの世界に戻るんですけど、
インターネットの世界のコミュニケーションって、兎角一方的になりがちなんですよね。(「情報の受け取り側」に関する考え方 参照)
そういう世界で、たまにこういった「お前の言ってること(書いてること、やってること)は間違ってる」とか、「俺の(私の)言ってること(書いてること、やってること)が正しいんや」みたいな不毛な争いが、たまに起こってるんですね。
特に館主ヤスオウのように「ホームページを作ってる人」に多いんですよね。
「自分がホームページでやってることは、正しい」って。
怖いですねぇ、思いこみ。まだ思いこみで済んでるうちはいいんですけど、それで不毛な争いになったとき、折れないんですよね。
ヤスオウはいままでそういうホームページをいくつも見てきました。
で、その感想は、「ホームページそのものは兎も角、そういう姿勢が見えるとちょっとそのホームページには立ち寄りたくないなぁ。」って思ったりもします。
全部が全部そうやないけど。
というわけで、まとめにかかりますけど、館主ヤスオウもこの「ヤスオウの館」でやってることが正しいなんて言い切りません。
ヤスオウは「正しいと思って」やってるけど、それは正しくないのかもしれないし。
(ここで、この「ヤスオウの館」隅から隅まで見て「ここに正しいって言い切ってる発言があるやんけ。」って揚げ足取りはやめてねぇ m(_ _)m )
表現に誤解を生むようなところがあれば、ご意見いただければ、直すつもりでいますし。
ただね、やっぱり「おまえ(ヤスオウ)のやってるここは間違ってるから、ちゃんと書き直せ」とだけ意見されても、それはやっぱり対応できないです。
意見するときには、どういった理由で間違ってると思えるのか、そういったことを書いて貰わないと。
それも、「感情的な意見」でなく、ちゃんと論理立てて、その上で「こうした方がいい」って建設的な意見を書いて貰わないと。
そうじゃないと、結局その意見も「その人が思ってる」だけの投書になっちゃいますから。
同じようなことかもしれませんが、「みんながそう思ってるはず」って意見も、やっぱり「みんな」じゃなくて、「俺が(私が)そう思ってる」と意見してもらわないと、ね。
「ほしたら、「みんな」って誰と誰と誰やねん。」ってな、小学生の喧嘩になってしまいますから。
これは、「ヤスオウの館」だけでなく、他のホームページをやってる人に意見するときも一緒やと思います。
ホームページの作り手も、自分がやってることを「正しいと思ってる」し、意見する方も自分の意見を「正しいと思ってる」し。
思ってるどうしがぶつかっても、解決は見いだせず、不毛な争いになりますからね。