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北朝鮮 清津の進水失敗現場を見る  


    2025年5月21日
    金正恩朝鮮労働党総書記が出席して清津で開かれた新型軍艦の進水式で進水に失敗横転する事故が発生した。
   清津市は、北朝鮮 咸鏡北道の道都。朝鮮半島北東部の重要な港湾工業都市。
   ロシア、中国との国境に近く、日本海に面した戦略的な位置にある。
   清津市は、日本統治時代に、周辺の鉱物資源を用いて製鉄業が興され、重工業が発達してきた。
   また清津は、平壌郊外の平城に次ぐ北朝鮮の市場経済の要衝でもある。
   清津には悪名高い強制収容所もある。Chongjin_concentration_camp -wiki / 
   そして対日工作船の母港としても知られる。
   清津連絡所 -wiki /  能登半島沖不審船事件 -wiki /  元山連絡所 -wiki / 
   日本統治時代の朝鮮・・24.清津港(チョンジン)の全景・・絵葉書 - 泰弘さんの【追憶の記】/ 
   "先進海洋強国"の挫折─清津造船所進水式失敗事故の考察 -NOTE / 
  
  
 
 北朝鮮 清津の進水失敗現場  
 
 41.7679105,129.7797142 -Googlemap / 
 
 
 
  崔賢級駆逐艦
  
  
  崔賢級駆逐艦 -wiki / Choe_Hyon-class_destroyer -wiki / 朝鮮人民軍海軍艦艇一覧 -wiki / 
  朝鮮人民軍の兵器一覧 -wiki /  北朝鮮の新型多目的駆逐艦を考察する|NOTE / 
  ロシア新世代艦の為の基地が沿海地方、ムルマンスク地域、カムチャツカに建設される | ロシア海軍情報供給部 / 
  韓国海軍の新型潜水艦が持つ技術的特性と運用上の含意 | 笹川平和財団 / 
   Heavily Armed Missile Destroyer Joins North Korean Navy -navalnews / 
  
  崔賢級駆逐艦
  排水量 5,000トン 、全長 約140~145メートル 。127または130ミリの主砲1門、パンツィリ-ME1門、
  30ミリAK-630近距離ミサイルシステム(CIWS)2門、および誘導ミサイル用の様々なサイズのVLS(誘導ミサイル用 
  垂直発射システム)セル74個(艦首に44個、艦尾に30個)を装備している。
  VLSセルは3M22ジルコンに類似している。 また、この艦は上部構造物に統合された固定パネル型フェーズドア
  レーダーも備えている。 これらはロシアのカラクルト級コルベットに搭載されているものに類似している。
  同艦のVLSセルは、小型セル32個、中型セル12個、大型セル20個、超大型セル10個で構成されている。大型セルには
  巡航ミサイルと弾道ミサイルが搭載される可能性が高い。
  この駆逐艦は、砲塔付き4連装のブルサイ4発射機4基を搭載していると思われる。これらの発射機は、短距離誘導ミサイル、
  対潜水艦攻撃用爆薬、または徘徊型弾頭を発射できる可能性がある。
   艦体中央部には、4連装対艦巡航ミサイル発射機2基と思われるものを収納する区画が設けられている。
  また、両舷には533ミリのDTA-53連装魚雷発射管2基を搭載している。
  電子戦対抗システムは、艦橋上部に2基ずつ計4基の対抗手段ディスペンサーを備えている。艦橋上部には4基のフェーズ
  ドア レーダーが装備されており、その他、レーダー電子支援手段(R-ESM)、レーダー電子対抗手段(R-ECM)、
  敵味方識別装置(IFF)、航行レーダー2基、そして主マストに設置された362型対空・対水上捜索レーダーなど、様々な
  センサーと通信システムが備えられている
  火器管制レーダーは艦橋上部に2基、後部マストに1基設置されている。追加のR-ESMおよびR-ECMアレイは煙突周囲に
  設置されている。また、艦首には船体搭載型ソナー(HMS)も搭載されている。
  艦尾にはヘリコプターや無人航空機(UAV)の運用に対応するための飛行甲板があるが、それらを収容できる格納庫は
  備えていない。公開された写真の分析により、同艦の対空レーダーや兵器システム、エンジンはロシアから入手された
  可能性が高い。2025年4月28日現在、崔賢1号艦は、黄海南道龍淵郡の琵琶串(Pip’a-got)海軍基地に停泊している。
 North Korean destroyer Choe Hyon - Wiki /   
  Naval Bases - Pip'a-got -GlobalSecurity.org /  Pip’a-got Naval Base -wikimapia / 
  
  
  
  清津歴史
  『史記』によると、この地域には扶余、梧河、玉濟、臥楼、靈貂、寿神といった部族国家が存在した。
  次に高句麗の領土となる。668年に高句麗が滅亡した後、唐の支配下に入った。
  渤海の時代には東京龍源府の管轄下にあった。渤海が契丹によって滅亡した後は、金と元の支配下に入った。
  李氏朝鮮時代には小さな漁村であったが、1904年、日露戦争で日本軍が利用した。
  1908年 日本の要求によって万国通商港として開港した。
   日本統治下の1930年代、日本製鐵の清津製鉄所が建設されるなどして工業が発達。
  「北鮮三港」(清津・羅津・雄基)の一つとして、日本海経由で日本内地と満洲とを結ぶ港湾都市として整備された。
  
  日本統治時代の 咸鏡北道庁  咸鏡北道(日本統治時代) -wiki / 
  
 咸鏡北道庁 -wikimedia commons /  
  
  清津現状
  清津市は、北朝鮮の重要な鉄鋼・繊維産業の中心地の一つであり、造船所、機関車工場、ゴム工場がある。
  港湾地域の近くには、清津製鉄株式会社、化学繊維株式会社、5月10日炭鉱機械工場、金策製鉄(旧 日本製鉄)がある。
  平壌の電力は清津石炭火力発電所によって賄われている。この発電所の発電能力は推定150MWである。しかし、資源
  不足のため、清津市の産業は深刻な打撃を受けている。
  それでも、清津市は北朝鮮の対外貿易の24%を占めると推定されており、中国の領事も駐在している。
  この地域は耕作地がほとんどなく、1990年代の飢饉は清津市に大きな打撃を与えた。
  1990年代後半には、清津市は飢饉による死亡率が全国で最も高く、人口の20%に達した。
  1995年には清津市駐屯の朝鮮人民軍陸軍第6軍団によるクーデター未遂事件が発生。
  2008年には、闇市取り締りに対する数件の市民暴動が発生している。
  第6軍団事件  -wiki / 
  
  
  
  

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