ファイル:和田岬灯台(赤灯台)を見る wadamisakitohdai.jpg
 Size:262KB width:800px height:600px Mime Type :JPG   2023年5月24日
   和田岬灯台だが、兵庫区和田岬ではなく須磨区須磨海浜公園にある。
  明治4年木製で兵庫区の和田岬砲台横に建てられた。明治17年現在の鉄骨製に建て替えられた。昭和38年廃灯となり、須磨区須磨海岸に移築。
  この2代目灯台は現存する日本最古の鉄製灯台で、平成10年、国の登録有形文化財に指定された。
   幕府は安政5年(1858年)に列強5カ国と修好通商条約を結び、文久2年11月12日(1863年1日1日)までの開港を約束した(安政五カ国条約)。
  だが、攘夷派の孝明天皇、公家らが強く反発。条約勅許が得られず実施できなかった。このことで公武間の緊張が高まり、安政の大獄や桜田門外の変などの
  引き金となっ た。文久3年(1863年)、長州藩は馬関海峡(現・関門海峡)を封鎖、航行中の米、仏、蘭の艦船に砲撃を加えた。(下関戦争)
  文久3年(1863年8月)には薩摩藩と大英帝国の間で(薩英戦争)。元治元年(1864年)には、英、仏、蘭、米の連合艦隊が、長州藩の砲台を砲撃。陸戦隊が上陸
  占拠した。(四国艦隊下関砲撃事件)。
   開国以後、列強は、灯台設置を強く求めた。慶応2年(1866年)江戸条約で、観音埼灯台、野島埼灯台、樫野埼灯台、神子元島灯台、剱埼灯台、伊王島灯台 、
  佐多岬灯台、潮岬灯台。慶応3年(1867年)大坂条約で、 江埼灯台、六連島灯台、部埼灯台、友ヶ島灯台、和田岬灯台。が設置されることになった。
  
  
  
  
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