● 雪待月 ● 

 

「橘樹(たちばな)神社」 2000.2.12散策

〜神奈川県川崎市子母口(しぼぐち)〜 

 

前々から行きたかった橘樹神社にやっと行ってきました(^^) この神社は高台に位置し、弟橘媛の櫛が流れ着いたと言われています(昔は標高が低かったので、海岸沿いでした)。



      

 

このあたりは『たちばなの散歩道』というコースがあって、「橘樹神社」「子母口貝塚」「富士見台古墳」などの順路を示した道案内の看板があります。おかげで道に迷わずにすみました。


橘樹神社です。わりとこじんまりとしています。
裏には竹林や畑もあり、まさしく村の社といった感じがします。

 

 


神社の境内にある『日本武(ヤマトタケル)の松』。日本武尊がお手植えしたとか。そーか、小倶那はそんなことを(笑)

 

 

左の写真の石碑には「日本武の松」と書いてあります。右の写真の立て札の左側に注連縄で囲われているのが古い松です。
立て札には次のように書いてありました。

御神木 日本武の松

日本武尊の御手植の松と伝へられるこの神木は、繁茂期には回廻り約七・五米、樹高約二十八米にも及ぶ巨松で推定樹齢千八百?*年を経ていたと云はれていたが、明治十一年の暴風雨により枝に折痕を生じ枯死した。(橘村郷土誌による)
現在のものは昭和二十五年に倒壊した樹幹の一部を再び樹立したものである。

*不鮮明なため読めませんでした。

富士見台古墳です。橘樹神社から徒歩7分くらいの住宅地の真ん中にありました。ここも弟橘媛に縁の場所のようです。以下は近くに立っていた看板の説明文です。

子母口富士見台古墳

 この古墳は、道路に面した麓部が大きく削られていますが、築造当初はかなり大きな円墳であったと思われます。
 現在の規模は、墳丘高三・七メートル、墳丘径十七・五メートルです。
 この古墳には、古くから弟橘媛にちなむ話が伝えられています。橘樹神社の社伝では、日本武尊東征の際、尊の身代りに海中に身を投じた弟橘媛の御衣・御冠が、この地に漂着したと伝えています。
 また、『古事記』では「かれ七日ありて後に、其の后の御櫛海辺によりたりき。すなわち其の櫛を取りて御陵を作りて治め置きき」と伝えています。
 真偽のほどはともかく、この古墳にまつわる話として興味深いものがあります。

 

 


このあと子母口貝塚にも行きましたが、ごく普通の公園だったため写真は特に載せませんでした。結局、家を出発してから全部徒歩で1時間くらいでまわることができました。遠子や小倶那にまつわる場所に行って、また「白鳥異伝」を読み返したくなりました(^^)