「司馬遼太郎をやさしく読む」

 

司馬文学にあふれる「漢(おとこ)の美学」

 そうした司馬作品の中で筆者がとくに好きだったのは、司馬さんが描くところの"漢(おとこ)の美学"であった。この部分は主人公に語ってもらったほうがいいので作品から少し引用してみる。

 たとえば『燃えよ剣』の土方歳三は、

「・・・・歴史というものは変転していく、そのなかで、万世に易(かわ)らざるものは、その時代その時代に節義を守った男の名だ。(略)たとえ御家門、御親藩、譜代大名、旗本八万騎が徳川に背をむけようと、弓を引こうと、新撰組は裏切らぬ。最後のひとりになっても、裏切らぬ」

 この言葉通り、武士道の節義を貫き、「誠」の旗印を掲げて、それに殉じるのである。

 あるいは『峠』の河井継之助は、

「人間なる者がことごとく薩長の勝利者におもねり、打算に走り、あらそって新時代の側のつき、旧恩をわすれ、男子の道をわすれ、言うべきことを言わなかったならば、後世はどうなるのであろう。──それが日本男子か」

 と、徳川恩顧の筋を通し、官軍と壮絶な戦いをくりひろげ全滅していった。

 そしてまた『世に棲む日日』では、松陰を育てた玉木文之進が、

「痒みは私。掻くことは私の満足。それをゆるせば長じて人の世に出たとき私利私欲をはかる人間になる。だからなぐるのだ」

といい、少年寅次郎から私情を捨て去り、武士として公に生きる人間に鍛えあげた。

これらの台詞は本文中に詳述してあるのでこれ以上述べないが、こうした"漢の美学"に関する台詞が司馬作品の中には随所にちりばめられているのである。

もちろんこれは司馬さん自身の求めた美学であり、それは簡潔にいえば「男たる者、安危を問わず、打算に走らず、志に生きる」(中国・後漢末の仲長統の言葉。男子たる者は、安全とか危険に関係なく、また損とか得とかも勘定にいれずに、自分の決めた志に生きるの意味)ということである。

司馬さんの作品を大別すると戦国時代と幕末維新を舞台にしたものが多いが、とくに後者の幕末維新物には、この"漢の美学"が顕著に現れてくる。

「戦国から幕末に到るまでの日本人は、人間というのはどう行動すれば美しいのかということばかりを考えていたような感じがありますね。(中略)『人間はどう行動すれば美しいか』であって、『どういうふうに成功するか』ではないんです。(中略)『聖人は成敗利潤を問わず』という行動主義者が現れて、ただ自分の行動を美しくするということだけで出てくる人間が現れてくる。それは日本人の特殊性というよりも、むしろいわゆる江戸教養時代が、三百年続いたとしたら、その三百年の縮図みたいなものが幕末に出てきているんではないか、そういう感じがするんです。だから幕末の人間像、つまり侍たちを書くということはやはり、日本人の理解のうえで非常に大事だと思っていたんです。」(集英社文庫『歴史と小説』所収「維新の人間像」より)

その侍の美学をとくに強調した作品が『燃えよ剣』と『峠』であるが、中でも『峠』の河井継之助については、「幕末期に完成した武士という人間像は、日本人がうみだした、多少奇形であるにしてもその結晶のみごとさにおいて人間の芸術品とまでいえるように思える。」(『峠』あとがきより)として、見事にそれが活写されてある。

                           司馬さんの「憂い」そして「願い」