AD物語II 第18話 「パイン・サラダ」



〜 「絶対音感」のお話 〜
 先日テレビで、「絶対音感を持っている人が苦悩する。」  ・・・というような話をやってました。  「絶対音感」を持っている人は、音を聞くと、  それが「ドレミファソラシド」の何の音か、  一瞬で分かってしまうわけです。  「絶対音感」を持っているお友達が身の周りにいる人は、  ためしに横で、ナベやらコップやらをガンガンたたいてみましょう。  きっと、「ナベは『レ』」「コップは『ソ』」、というように、  すかさず答えてくれるはずです(?)。  ところが、「絶対音感」を持つ人は、  『音を聞くと頭の中でそれを「ドレミ」にしないと気がすまない病気』  ・・・に、かかってしまってるようなものです。  繁華街などの、音がたっぷりの場所に行くと、  片っ端から、頭の中で「ドレミ」に変換してしまうので、  気が狂いそうになる。  ・・・というのが、「絶対音感を持っている人の苦悩」だそーです。  僕は生まれてこのかた「音楽」というものに興味を持ったことがないので、  「絶対音感」などというものには、無関係でございました。  ところが、この10年間の「AD人生」で、  すっかり体の芯にしみついてしまった「音」があります。  ・・・それは、  1KHz  ・・・の音でございます。
 1KHz・・・1キロヘルツの音。  みなさんも聞いたこと、ありますよね?  無い?  またまたぁ。聞いたことありますって。絶対。  「聞いたこと無い」と言い張るあなたは、  明日の朝、5時に起きて「NHK教育」のテレビでも見てください。  え?  そんな時間にテレビをつけても「カラーバー」しか映って無いって?  その通り。  その「カラーバー」と一緒にテレビから「ピー」と流れてくる音。  その「ピー」が「1KHz」の音なんです。  この1KHz。  放送局では「基準の信号音」になってるんですね。  中継先からの音をチェックする場合なんかでも、  「1K(いちけー。略してこう呼称する)くださーい。」  なんて指示が、本社からきたりするわけですな。  録音するテープのド頭にも必ず、この1KHzの信号音を入れます。  これを怠ったりすると、恐い女性ディレクターから、  「なんで1K入れてないのよ。基本でしょ、基本!」  てな具合に怒られちゃったりするわけですな。  ま、こーゆー具合に、放送局で働く人間は、  この1KHzという音を、何千回、何万回と聞いてるんです。  放送局の人間は「1KHzだけの絶対音感を持つ人間」  ・・・といっても過言では無いでしょう。  そーすると、どーゆーことになるか。
 その日、僕は、朝11時に目がさめました。  冷蔵庫から、牛乳のパックを取り出し、コップへと注ぎます。  コップを傾けつつ、窓の外に目をやります。  日はもうだいぶ高くなり、庭の木々に光を注いでいます。  「・・・今日もいい天気だ。」  そんな事を思いながら、テレビのリモコンを手にしました。  赤いボタンを「ポチッ」と、押します。  「ぶうん。」  聞こえるか聞こえないかの、かすかなうなりをあげて、  テレビのスイッチが入りました。  とたんに、テレビから「ピー」という信号音!  1KHzだ!  僕の体が反応します。  副腎から一気にアドレナリンが分泌されます。  「1KHzは、仕事の音。」  そのように訓練されています(笑)。  この音を聞くと、反射的に体が仕事モードに切り替わるのです。  我が家のテレビは、オンボロなので、  スイッチを入れると、音のほうはすぐに聞こえてくるのですが、  画面がなかなか映りません。  時計に、一度、目をやります。  11時15分。  こんな時間にテレビで「カラーバー」が流れてるのか?  そんな筈は無い。  きっと何らかの「放送事故」があったんだ。  多分、画面には「しばらくお待ちください。」の文字があるに違いない。  そして、音声で「1KHz」の信号が送られてるんだ。  一瞬で、僕はそう判断しました。  わくわくしながら、ぼうっと浮かんでくる画面を見ていると、  そこに映っていたのは・・・・、  リコーダーを吹くミノ先生でした!
 ミノ先生。  天才音楽家(僕の中では)。  「アマデウス」という名の猫を飼っています。  小学校3年生向けの教育番組「笛は歌う」の講師をつとめています。  どーでもいい情報でした。  僕の頭は混乱していました。  さっき聞いたのは、間違いなく「1KHz」の信号音。  なぜ、「1KHz」の信号音とともにミノ先生の顔が?  何はともあれ、画面にミノ先生が映っているということは、  どうやらこれは「放送事故」では無く、  「NHK教育」の「笛は歌う」が放送されているらしい。  僕の混乱をよそに、  画面のミノ先生は、生徒役のトシ君に指示を出しています。  ちなみにトシ君は、リコーダーが吹けないくせに、  ギターを完璧に弾きこなす、よくわかんないキャラです。  ラジオ番組もやってます。  また、どーでもいい情報でした。  話が横道にそれすぎです。  画面のミノ先生は、生徒役のトシ君に指示を出しています。  「じゃあ、今度はトシ君が吹いてごらん。」  「はい。やってみます!」  「そおっと息を吹き込むんだよ。」  トシ君が、リコーダーに息を吹き込んだ、その刹那! 「ピー」  スピーカーからまた「1KHz」の信号音が!  「やったあ。僕にも吹けたぞ。」  画面のトシ君、大満足。  「うん。ちゃんと『シの音』が吹けたね。」  ミノ先生も、大満足。  「おいおい、どーなってんだよぉ。」  TVの前で、僕、大混乱。
 状況を整理しましょ。  僕がテレビをつけた瞬間、耳にした音は、  「1KHz」の信号音などでは無く、  「NHK教育」で放送中の「笛は歌う」で、  ミノ先生が吹くリコーダーの「シの音」だったのです。  「1KHz」とは「シの音」だと、  その日、初めて知った僕でした。
続く  1998/08/06

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