AD物語II 第31話 「サタン・ドール」



〜「ダブルバインド-The Looking Glass Of Perfect Blue-」の想い出〜
 1997年、秋。  ニッポン放送が誇る驚異のアニラジ番組、「スーパーアニメガヒットTOP10」が、  3時間半という、前代未聞の大型アニラジ生ワイド番組になりました。  これに伴い、番組内で放送する完パケ番組も一新。  「銀河鉄道999」と「ダブルバインド〜The Looking Glass Of Perfect Blue〜」という、  2つのラジオドラマが始まることになったのです・・・。  それまでの、アニメガ内の完パケは、  アニメガ以外のニッポン放送のスタッフが作っていたのですが、  「世の中、不景気まっただ中、アニメガのためにそんなに人員をさいちゃイカン!」  ・・・ということなのか、  めでたくここに、アニメガ内の完パケまでも、  アニメガスタッフで作ることと相成りました。  当時、アニメガに就いていたディレクターは、  チーフの神田D、セカンドの田所D、サードの早崎D、  そして、ADのこのボクです。  ここで、スタッフが2つに分けられることになったわけです。  「銀河鉄道999」は、声優陣が大御所ということもあり、  チーフDの神田さんが担当。  必然的に「ダブルバインド」の方は、  セカンドDの田所クンが担当することとなります。  新人でサードDの早崎クンは、経験を積んでおくために(笑)、  両方の番組に就けられることとなりました。  残るボクは・・・というと、  「999」チームと、「ダブルバインド」チームが、  取りっこということになりますな。    こういうときの田所Dの動きはまさに電光石火です。
 「ジュンさん、ジュンさん!」  「あ〜?」  「秋からヒマ?」  「あ〜。」  「ヒマなの?」  「あ〜・・・」  「忙しい?」  「あ〜。」  「どうなの?」  「今んとこ、現状と変わらず・・・かな?」  「あ、そう。」  「あ、日曜日の夜、『お台場ラジオ会館』とかいう番組に就きそう。」  「ああ、あのパソコンの番組だ。」  「そう、それ。」  「あと、何やってんだっけ?」  「『オールナイト』2本と『ガバッと』と『MAICO』と『アニメガ』と・・・。」  「あー、もういい、もういい。」  「『中居クン』と・・・あ?」  「ラジオドラマやろ。」  「え−−−−−−−−−−−−−−−−−。」  「だいじょぶ。だいじょぶ。」  「え−−−−−−−−−−−−−−−−−。」  「効果音とかはもらうことになってるから、万事OK!」  「え−−−−−−−−−−−−−−−−−。」  「BGMも、映画のと同じの使うし。」  「え−−−−−−−−−−−−−−−−−。」  「ジュンさんは、ダビングの手伝いだけしてくれればいいから。」  「え−−−−−−−−−−−−−−−−−。」  「効果音もBGMも作らなくていいんだよ。」  「え−−−−−−−−−−−−−−−−−。」 「主演、岩ちゃん。」 「やるやる。やらして。」  ・・・田所クンは、汚ねぇ。
 岩ちゃん主演というのを聞いて、ほいほい了解してしまったのですが、  いざ、フタをあけてみたら、このラジオドラマのきついこときついこと。  この年、春から始まった「アンドロイドアナ・MAICO2010」を担当してたので、  ラジオドラマというモノを作り慣れているつもりだったんですが、  「MAICO」はラジオドラマっていうよりも、  どっちかというとラジオコントとしての色合いが強かったんですな。  本格的なラジオドラマは、日芸の学生時代に何度かやったことのあるものの、  仕事しては、事実上、これが初めてみたいなもんです。  しかも!  「ダブルバインド」の脚本家が、映像の脚本家であるためか、  原稿上の表現が、非常に映像的なのです。  例えば・・・、  エレベーターに乗ると、そこには新聞の切り抜きが張ってある。  見ると、それは、殺人事件の記事である。  不審に思いつつも、エレベーターを降りて歩き出すと、  背後から誰かが追けてくる足音がする。  怖くなって走り出すと、足音も走り出す。  ・・・みたいなシーンは、映像さえあれば、  一発で、見ている人に状況を理解させることができるのですが、  音だけだと、非常に難しいモノになってしまいます。  細かく細かくSE(サウンドエフェクト=効果音)を入れても、  何がなんだか分かりません。  いかにしたら、聞いている人にこの状況を理解させることができるのか。  我々の課題はいつもこの一点に絞られてました。  「ダブルバインド」の原稿は、だいたいいつも、  A4用紙で、10ページくらいの台本でした。  声優さん達の声を録音する際には、4話分収録して3時間くらい。  これはまあ、なんてことないんですが、  このナレーションに、効果音や音楽をかぶせる「ダビング作業」に異常に時間を食うわけです。
 毎週日曜日、夜の9時。  「ダブルバインド」のスタッフが、眠い目をこすりながら、集合してきます。  「あー、かったる。」  「眠いねぇ。」  「朝までには終わらせようね。」  「頼むよー。そんなにはやりたくないよー。」  「俺なんか、朝7時から、ここにいるんだからー。」  「さ、始めるよ。」  こうして始まったダビング作業は、遅々として進みません。  ダビング開始から、2時間経過。  「MAICO」なら、1週間分のダビングが全部完了しちゃいます。  だが、しかし。  「ダブルバインド」は、10枚の原稿のうちの、1ページはおろか、  10行くらいしか、進んでません。  おいおい!一体いつ終わるんだよお。  さらに1時間経過。  「あ、ヤバイ。」  「ジュンさん、どうしたの?」  「『妻』の時間だ。」  「あ、そうだね。」  「ちょっと、席はずしてもいい?」  「行ってらっしゃーい。」  「うぉっしゃー!」  ダビングをしている23Fの3スタから、  スタジオ管理室にまっしぐら。  120分のカセットテープをムンズとつかむと、  一目散に24Fまでダッシュ。  制作デスクでラジカセを1台見つけたら、  窓際までそれを移動。  ラジオのチューニングを1134kHzにあわせて、  深夜0時の時報を待ちます。  『文化放送が0時をお知らせします。ポッ・ポッ・ポッ・ポーン』  カセット録音開始!  セーフ!  間に合った!  ラジカセをそのままに、23Fの3スタに戻ります。  またまた「ダブルバインド」のダビング作業に戻ります。  一体何をしていたかというと、  帰りの車の中で聞くために、  当時文化放送で放送されていた、『心の妻』の番組・・・、  「岩男潤子の少コミナイト」と「緒方恵美の銀河に吠えろ!」を、  カセットに録音していたのでした。
 大苦戦の「ダブルバインド」のダビング作業。  それは、毎週深夜2時〜3時までかかり、  スタッフ全員、ヘロヘロになってお家に帰るのでした。  中でも、最も苦戦したのが、1997年11月16日(日)の夜のことです。  いつもは、お台場ニッポン放送最大の第3スタジオでダビング作業をしているので、  1人あたりの私有面積も大きく、ダビングのストレスを軽減してくれていたのですが、  この日は、ある特番のため、その3スタを追い出され、  中規模クラスの4スタで作業をしていたのです。  あ、ちなみに、ニッポン放送のスタジオは全部で8つあって、  1スタ/2スタが、生放送用のスタジオ。  3スタが、準生放送用で、なおかつ最大のスタジオ。  4スタ/5スタ/6スタが、中規模スタジオ。  7スタ/8スタが、小規模スタジオ。  ・・・となっております。  3スタなどは、スタジオ内に、10人が入ってもへっちゃらですが、  4スタ・5スタは、5人ぐらいでチョイつらめ。  7スタ・8スタなどになると、2〜3人で、もう、すし詰め状態です。  まあ、そんな状態で始めたダビングですので、  スタッフのストレス、溜まる溜まる!  おまけに、3スタには5台あるテープレコーダーが、  4スタには、4台しかない!  スタッフのストレス、溜まる溜まる!  そして、何より、我々にストレスを与えていたモノ。それは・・・、  サッカーワールドカップ  アジア第3代表決定戦  日本VSイランの試合  ・・・だったのです!  そう。  何故に、我々が、常宿の3スタを追い出され、4スタに移らざるを得なかったのか。  それはひとえに、この日、  サッカーのアジア第3代表決定戦「日本VSイラン」の試合があったためなのです。  ニッポン放送では、この日、日本代表が「ワールドカップ出場」ということになったら、  すべての番組を解除し、明け方まで「サッカー特番」を放送することになってました。  本来、日曜深夜は、25時30分(1時半)で、放送終了。  翌朝まで、放送休止となるのですが。  サッカーに関しては、Jリーグの発足以来、  ラジオでの中継権利を持っているのは、ニッポン放送以外には無いのです。  ただでさえお祭り大好きのニッポン放送がこの機会を逃すはずがありませんわな。  スポーツ部のスタッフは、もう、気が気じゃありません。  「日本代表」のこれまでの軌跡をまとめたダイジェストドキュメントや、  栄光のゴールシーンをまとめたテープを作らなくちゃいけません。  狭っ苦しいスタジオや、テープレコーダーが4台しかないスタジオでは辛かろう・・・と、  我々が3スタをスポーツ部にあけ渡したのでした。  ま、それも、日本代表が負けて、ワールドカップ出場ならず・・・となったら、  全部、徒労に終わっちゃうんですけどね。  そんなこんなで、4スタで始めたダビング作業。  いつものように夜の9時から始めたのですが、  これがまた、いつもにもまして、作業が進まない!  何故か!  スタジオの中にあるテレビは、当然、日本代表の熱戦が映されています。  ダビング作業をしながら、それを横目でチラチラと見ているんですが、  日本チャーンス!  ・・・とか、  日本ピーンチ!  ・・・とかになると、全員の作業を進める手が止まり、 「おおおーぉっ!」  ・・・とかになっちゃうワケですよ。  延長Vゴールになってからは、  もはや、誰も作業を進める気なんぞナッシングです。  日本代表の戦いに、全員が、一喜一憂。  野人こと岡野がVゴールを決めた瞬間!  ニッポン放送の社内中から、 「ごおおおおおおおおおお!」  ・・・という歓声が轟いたのは言うまでもありません。  なんだ。みんな、仕事しないでサッカー見てたのね。
<参考資料>

大本営発表:大日本帝國陸軍の勝利

 日本ワールドカップ初出場決定!  さ、お仕事、お仕事・・・となるかというと、さにあらず。  今度は、代表メンバーの、インタビューを食い入るように見ています。  「岡田、顔、おもしれー!」  「呂比須、喋り方、ヤベー!」  「KAZU、怒ってるー!」  ・・・などと、またまた一盛り上がり。  おいおい、ダビングしなくていいのか?  ふと気づくと、時刻は、深夜の1時を過ぎています。  作業は、全体の25%も片付いていません。  まさに顔面蒼白です。  結局、「ダブルバインド」のダビングが完了したのは、  朝の5時を回っていました。  これが後の世に言う、 「ダブルバインドの一番長い日」  ・・・です。
 この「ダブルバインド」のラジオドラマは、  のちに、CD化され、発売されたのですが、  こちらの方は、セリフだけがラジオドラマ版と同じで、  ダビング・ミックスは、新たに別のスタッフが行なったモノです。  本来、「ダブルバインド」は、企画の段階では、  「ドラマと音楽の融合」  ・・・というのが、  「パーフェクトブルー」の制作者や、代理店からの要求だったのですが、  我々は、その新たな試みよりも、  「リスナーが聞きやすいドラマ、わかりやすい作品」  ・・・に主眼をおいて、ドラマ作りを進めてきたので、  出来上がった作品は、企画書のモノとは、大きくかけ離れたモノであったのでしょう。  CD化された「ダブルバインド」が、  いわば本来の「ダブルバインド」の姿なのかも知れません。  ボクらにしてみれば、懸命にダビングした作品がCD化されなかったのは残念ですが、  これも1つの「ダブルバインド」なのです。  ラジオ版の「ダブルバインド」とは、我々にとっては、  リスナーにとって、分かりづらい作品となったとしても、新たな挑戦を試みようとする、  「パーフェクトブルー」スタッフや代理店からの要求。  ラジオはまずリスナーありき。リスナーにわかりやすい放送を!という、  ニッポン放送編成部の要求。  この2重の拘束。  ・・・まさに、 「ダブルバインド」  ・・・だったのです。
 続く  1998/12/25

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