AD物語II 第33話 「レイニー・ナイト」



〜「アンドロイドアナ=MAICO2010」の想い出1〜
 「コバジュン、寿司食いに行かない?」  「寿司ッスか。」  「そう、寿司。」  「寿司って言うと、『す』の下に『し』の?」  「・・・そうだよ。」  「『し』の上に『す』の?」  「・・・そうだよ。」  「業界的に言うところの、シースーイークーですな?」 「行くの?行かないの!?」  「あ、行きます行きます。いやあ、お寿司なんか久しぶりだなぁ。」  前略、母さん。  それは、1997年、2月のことだったわけで。  突然、テッシーこと、勅使川原ディレクターが、  ボクをご飯に連れていってくれたわけであり。  「いやあ、お寿司なんか、ホントに久しぶりですよ。」  「あ、そう。」  「最近、ご飯、奢ってくれる人少なくなっちゃって(笑)。」  「そんだけ、年とったってことだろ。」  「あ、やっぱ、そーなんすかねー。」  「どーなの。コバジュン的には?」  「・・・ふあ?(モグモグ)」  「春からは忙しいの?」  「いや、ふぉんなにふぁ、いふぉがふぃくないっふ(モグモグ)。」  「よし。ラジオドラマやろう。」  「ほお、いいっふよ(モグモグ)。」  「帯で。」  ブッ!  「おびぃ?」  「きったねぇなあ。」  < BGM 北の国から〜遙かなる大地より / さだまさし >
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 母さん。  勅使川原さんの言い出すことはいつも無茶であり。  ラジオドラマを「帯」でやったことなど、  ボクがADになって以来、聞いたことがないわけで。  ちなみに「帯」というのは、  ウィークディの月曜日〜木曜日(もしくは金曜日)の、  毎日の放送のことを意味しており、  おそらく、ボクが思うところ、勅使川原さんの発言は、  「『ゲルゲットショッキングセンター』で、毎日ラジオドラマを流す。」  ・・・ということを意味しているのだと思われ。  そんなもの、ボクには作れないと思われ。  母さん、ボクにはできません。  「・・・で。どんな内容になるんですか?」  「2010年のニッポン放送の話。」  「ほほー。」  「アンドロイドがパーソナリティやるの。」  「ほほー。」  「男性型アンドロイドなんだけど、欠陥だらけ。」  「ふんふん。」  「それを女性ディレクターがサポートする・・・と。」  「なるほど。」  「で、最後は、アンドロイドがコンピューターウィルスにかかって、死んじゃうと。」  「で?」  「それだけ。」  「・・・は?」  「今、決まってるのは、それだけ。」  「・・・出演者とか・・・は?」  「決まってないよ。」  「決まってないんすか?」  「決まってんじゃん。」  「決まってるんですか?」  「だから、決まってないって。」  「決まってないんすね?」  「決まってんじゃん。」  「・・・決まってんですか? 決まってないんですか?」  母さん。  勅使川原さんの言っていることがボクにはよく分からないわけであり。  どうやら、推測するに、  内容も決まってないのに、  出演者なんぞ決まってないのは、  当たり前。  ・・・ということらしく。  おまけに、内容的に決まっているところは、  「石川よしひろのオールナイトニッポン」の「ハーモナイザー君」の企画と、  「ドリアン助川の正義のラジオジャンベルジャン」の白血病で死んじゃった子の話とが、  マゼコゼになっており。  勅使川原さん、そりゃないぜ。  そりゃないんじゃないか、勅使川原さん。  「そーいうことで、来週までに企画書、書いてね。」  「は? 企画書ッスか?」  「アンドロイドが起動するまでの経緯・・みたいな。」  「・・・。はーい。」  母さん。  寿司をごちそうになっちゃった手前、  断るわけにはいかなくなってしまったわけで。  うまい具合に買収されてしまったとも言えるわけで。
 「コバジュン。寿司、食いに行こう。」  「・・・寿司ッスか。」  「イヤなの?」  「・・・行きまーす。」  1週間後。  再び、勅使川原さんに呼び出され。  また、寿司なわけであり。  業界の「メシ」というと大概、「焼き肉」か「寿司」なのは疑問であり。  「書けた?」  「・・・こんな感じでいかがっすか?」  「ほほー。」
「舞子」起動までの設定案
 西暦2010年、ラジオはメディアとしての価値を急速に失いつつあった。  いや、ラジオだけではなく、テレビの地上波はもちろん、  衛星放送、一時は600チャンネルを超えたケーブルテレビまでもがその勢いを急激になくし、  20世紀の時代遅れなメディアとしてぞんざいに扱われていた。    その原因は20世紀末にアメリカ副大統領・ゴアによって提案された「情報ハイウェイ計画」。  ・・・すなわち「インターネット」の台頭である。    西暦2000年よりインターネットを用いた映像放送が本格化。  これによってまず被害を被ったのがケーブルテレビであった。  500〜600のチャンネル数では数万のチャンネル数を持つインターネットの敵ではなかった。  次に被害を被ったのが衛星放送であった。  複雑な機材と高い受信料を必要とした衛星放送は、  コンピューター端末と只同然の通信料金で受信できるインターネット通信の前ではかすんで見えた。  鉄壁の牙城で「ジェリコの壁」とまで言われたテレビの地上波さえインターネット通信に敗北した。  これは受け手側ではなく送り手側に要因があった。  地方局にネットする必要のある在京キー局は、このネットのシステムそのものに閉口していた。  いつ起こるか分からない回線の断線、  あるいは回線自体のダウンというリスクを背負うことになるこの従来のシステムは、  確かに不完全と言えば不完全であった。  それならば直接視聴者が局の放送にチャンネルするインターネット放送を用いた方がリスクは少ない。  在京キー局がインターネット放送に力を入れ始めたのは当然の結果である。  さらに旧メディアの弱点を露呈してしまったのが、  2002年に東京直下で発生した「東京湾大地震」である。  旧放送システムでは震災に関する情報の伝達が余りにも遅く、その正確さも曖昧であった。  ここにいたり日本政府は、郵政省内に「インターネット放送機構研究会」を発足。  研究会は発足から一週間後、非常時におけるインターネット放送の有効性を発表。  この発表を聞いた国民は電気店に殺到。  人々がコンピューター端末を買いあさる様は、  海外において「日本で再びオイルショック発生?」と報道された。  秋葉原の電気街から売り物のコンピューター端末の姿が全く消えてしまったこの一週間が、  後に「火の7日間」と称されたことからも、  この時期にインターネット放送が急速にお茶の間に浸透していったのは確実であろう。  西暦2004年には、テレビの在京キー局すべてが本放送をインターネット放送へと移行。  従来の地上波は専ら前世紀の番組の再放送用へと使用されることが常識となっていた。  そして西暦2010年。  日本の家庭の99.89%に普及したインターネット放送用コンピューター端末・・・・  「Extra-internet Visual-broadcasting Echo-unit」は「E・V・E=イヴ」と呼ばれ、  国民の生活とは切っても切り離せないものになる。  そんな時代、ラジオというメディアは・・・、  1960年代〜70年代、全盛を誇っていた中波放送は、  「イヴ」の前に風前の灯火であった・・・。  その中波放送局の一つ、ニッポン放送の制作部員・マスダマス(26才)は、  「イヴ」一辺倒になってしまった日本のメディアの現在の状況を打破するために苦悩していた。  そんな折り、マスダマスは街で高校時代の恋人、タドコロ(同26才)に出会う。  タドコロは東京工大の研究員となり「AI」の開発をしていた。  タドコロは苦悩するかつての恋人のために東京工大の地下に封印してある「舞子」の起動を決意する。  「舞子」。  「MIC=X1」プロジェクト・・・その計画は「東京湾大地震」より遥か以前、  1984年のチェルノブイリ原発の暴走事故を重要視した郵政省が、  東京工大に送った「緊急時における放送システムの研究及び開発」と題された書類に端を発する。  その書類には、緊急時にどのような過酷な状況下からでもその現場のレポートを送れるよう、  耐熱・耐火・耐震・耐核・耐放射能等の機能を持たせ、  なおかつ人間の手を介在しないスタンドアローンな中継機器の開発のみならず、  その周囲の避難した人々が動揺することなく落ち着いた行動をとれるよう、  人間の心理までも計算に入れた人工知能による総合放送システムの開発依頼が記されていた。  依頼を受けた東京工大が出した一つの答え・・・。  それがAIを搭載した女性型のアンドロイドの開発であった。  これこそが政府の出した要求事項全てをクリアする唯一無二の計画であるはずであった。  しかしその道は困難を極めた。  しかも「MIC」の開発を待たずして「東京湾大地震」が発生してしまう。  政府は急遽「緊急放送システム」として「イヴ」を採用。  そのシステムは本来東京工大に依頼した基準をクリアするものではなかったが、  ある程度の効果を得ることができた。  かくして「MICプロジェクト」は計画半ばで打ちきりとなった・・・はずであった。  しかしこの時点で「MIC」のシステムは90%完成していたのだ。  残り10%・・・それは生身の人間を相手にした際の心理回路「ジェミニ回路」の不備であった。  タドコロは同僚の研究員の反対を押し切り「MIC=X1」の封印を解除。  「MIC」をマスダマスに引き渡す。  かくて「MIC」は開発コードである「X(エックス)ナンバー」から解き放たれ、  「MIC=2010式」・・・「舞子」として歩み始める。  マスダマスとともに・・・・。
「難しすぎ。」  母さん。  勅使川原さんは、ボクが1週間かかって書いたプロットを、  寿司屋のカウンターに放り出して、  一言つぶやいただけであり。  「あのね。シリアスドラマじゃない訳よ。」  「ふえ?」  「ドラマって言うより、コントなんだな。イメージ的に。」  「・・・。」  「だいたいこれ、『エヴァ』と『キカイダー』と『パトレイバー』じゃん。」  母さん。バレバレです。  「『舞子』って何?」  「ほら、スタジオの調整卓の『マイク』のフェーダーに『MIC』って書いてあるじゃないっすか。」  「ああ。」  「放送用語っぽくていいじゃないすか。『MIC』って。」  「それで、『舞子』ね。」  「いいでしょ?」  「ふうん。」  「『絵子』ってのも考えたんですが。」  「何それ。」  「『エコー』から取ったんですけどね。」  「へえ。」  「でも、やっぱ、『舞子』かな。」  「・・・。」  「どうか、しました?」  「ねえ。俺、男性型アンドロイドって言わなかったか?」  「あ!」  「人の話聞いてねえだろ。寿司食うのに夢中で。」  「あー、えーと、アニメファンの心をつかむには女性型の方がいいかな、と。」  「・・・うーん。」  「そーでしょ? そーでしょ?」  「ま、いいや、これを元に、ライターと話してみるわ。」  「はーい。」
 そして、そのまた1週間後。  ボクはまたまた、勅使川原さんと一緒に寿司屋にいたわけで。  母さん。寿司屋です。  「出演、決まったよ。」  「え? きまっふぁんふふぁ?(モグモグ)」  「・・・誰だと思う?」  「ふぁれなんふふぁ?(モグモグ)」  「丹下桜と緒方恵美。」  ブッ!  「丹下桜と緒方恵美ぃ?」  「きったねぇなあ。」    母さん。  勅使川原さんの無茶にもつきあいきれなくなってきたわけで。  A級の声優さんを引っ張って来ちゃったわけであり。  「ほ、他の出演は?」  「置鮎龍太郎と山崎和佳奈だったかな?知ってる?」  母さん。  「ぬーべー」と「オーガス02」です。  腰が抜けました。  母さん。腰抜けです。  「・・・無茶なんで。」  「再来週、1回目の録り。ヨロシク。」
 < BGM 北の国から〜遙かなる大地より / さだまさし >  それからの2週間、地獄の日々だったわけで。  「舞子」は「MAICO」の名前になり。  内容や収録形式等、大モメの中、  なんとかかんとか、第1回目の収録、そしてオンエアに漕ぎ着け。  「コミック版」の方も同時スタートとなり。  「CD発売」の根回しにもつきあわされ。  苦しい中、僕たちの合い言葉は、  いつか、アニメになって、  ビデオ発売なんかになったら笑っちゃうよね。  ・・・だったわけで。  それが、97年春の出来事でした。
 続く  1999/01/22

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