AD物語III 第11話 「荘口、アニガメのあと」
2000年、春。
ニッポン放送が誇ったアニラジ番組「第3次アニガメパラダイス」が終了しました。
1996年秋に始まった「岩男潤子と荘口彰久のスーパーアニメガヒットTOP10」。
その血を受け継いだ「アニガメ」が終了になる際、
番組パーソナリティの荘口アナから1つの提案が出されたのです。
「番組スタッフで部屋を1つ借りない?」
当時、この番組についていた男性スタッフは、全部で5人(荘口アナ含む)。
その5人が中心になり、秋葉原に隠れ家を作ろうということになったわけです。
今、日本でもっともヲタクの街は、誰が何といおうと秋葉原です。
その聖地・秋葉原に、隠れ家を持つ・・・・。
ああ、なんとすばらしい計画。
まさに夢のドリーム。
・
荘口さんが秋葉原の不動産屋さんに足しげく通い、
見つけ出してきた物件は、秋葉原駅から徒歩5分。
昭和通りと中央通りの間にはさまれた、まさに秋葉原のド真ん中。
わずか6畳弱のワンルームマンションですが、
窓からは、九十九電気や、T−ZONEのネオンが見えますわ。
マンションから、歩いて1分のところには、24時間営業のコンビニがドドンとそびえ、
近所には、飲み屋の類がひしめきあってます。
秋葉原というと電気街ばかりが目立ち、夜8時頃には店がすべて閉店状態となり、
人っ子一人いなくなるような街・・・というようなイメージがありますが、
昭和通り側の秋葉原は、実はモノスゴイ、飲み屋と風俗の街なんですな。
ああ、まさに夢のドリーム。
・
「家具とかどうしましょうか?」
「まあ、僕に任せておいてください。」
荘口さんの頭の中には「おしゃれなヲタク部屋」というものがあるらしく、
インテリアショップで、次々と予約をしていきます。
和紙でできたブラインド。
ベンチにもなる、キャスターがついた木のテーブル。
そして、シルバーのおしゃれなテレビ台に、
間接照明・・・。
完成した部屋はどこからどう見ても、こじゃれたバーであります。
そこに、大型モニターやら、プレステ2やら、ビデオデッキやらが運び込まれていく・・・。
ビデオデッキも、通常のものではありません。
8ミリビデオとVHSのダブルデッキ。
あらら。荘口さん、5.1chのサラウンドシステムまで組んじゃいましたよ。
まさに、「おしゃれなヲタク部屋」。
「ジュンさん、ジュンさん。」
「はい?」
「部屋のネームプレートを作っていただきたいのですが。」
「へ?」
「マンションの入り口に、部屋のプレートをつけるとこがあるんですよ。」
「ほほー。」
「他の部屋のところには、『○○商会』とか『△△電気』なんてプレートが付いているワケですよ。」
「なるほど。」
「僕らの部屋にも、プレートを付けてほしいな・・・と。」
「僕が作ればいいんですね? どんなの作ります?」
「『篠原重工』。」
「は? あの『篠原重工』ですか?」
「その『篠原重工』です。」
僕らの話している「篠原重工」は、もちろん実在の会社ではありません。
アニメ「機動警察パトレイバー」に登場する、レイバーメーカーの名称であります。
マンションの入り口には、でかでかと篠原重工のロゴが貼られます。
「玄関のドアのプレートはどうします?」
「『マッハ軒』で。」
「・・・・。『マッハ軒』というと、あの『マッハ軒』ですか?」
「その『マッハ軒』です。」
僕らの話している「マッハ軒」は、もちろん実在のお店ではありません。
アニメ監督・押井守の作品に必ず登場する立ち食いそばのお店。
それがマッハ軒であります。
「この『会』の名前は何にします?」
「『温故』で。」
「おんこ・・・?」
「そうです。『温故知新』の『温故』。」
「どういう意味です?」
「我々は、昔のアニメの引用ばかりしています。」
「会話の中でね。」
「故(ふる)きを温めているばかりで、新しきを知ろうとはしていないわけです。」
「なるほど。」
「なので、会の名称は、『温故』です。」
荘口会長は、会の運営費を入金するための口座を開設。
口座の名称は、温故会長・荘口彰久です。
・
こうして、ヲタクの街・秋葉原に隠し部屋が誕生しました。
深夜、生放送が終わると、タクシーで秋葉原へ。
電気街は、ネオンの1つも灯いてません。
まさにゴーストタウン。
近所のコンビニで酒を買い込んで、いざ部屋へ。
間接照明とおしゃれなロウソクの炎で、いい雰囲気。
これが女の子と一緒なら絶対いいムード。
なのに、なぜ、男ばかり?
しかも、PS2に、5.1chのサラウンドシステムまで組んでいるのに、
なぜ、CSでオンエアされたものをエアチェックしたメガロマンのビデオを見ているのか。
メガロマン見終わると、今度は、ガンダムの「第08MS小隊」のDVD。
明け方になっておなか減ってきたら、
近所のカレーショップに行って、カレー、食う。
ああ、まさにヲタクの天国。
・
だがしかし。栄枯盛衰。
かつて、藤子不二雄や石森章太郎など、トキワ荘出身の漫画家さんたちが、
「自分たちの力でアニメスタジオを作ろう!」と、
「スタジオ・ゼロ」というアニメスタジオを作ったことがありました。
結局、いろいろなしがらみがあったのか、スタジオ・ゼロの運営はうまくいかず、
このスタジオは、あえなく解散となり、
「ゼロに始まり、ゼロに帰る。」
・・・という、名言が生まれたのです。
「温故」も、心のよりどころになる番組が無くなってしまったためか、
秋葉原に集合することは次第に無くなり、
夏を過ぎる頃には、めったに秋葉原の部屋に行かなくなってしまいました。
会長の荘口アナも、遊びに行かなくなってしまったらしく、
電気代、ガス代、水道代が、滞納されていきます。
当然、それらはことごとくとめられていき、
「おしゃれなヲタク部屋」は、どんどん廃墟と化していくワケです・・・。
・
2001年3月。アニガメの終了から1年。
温故、解散。
「ゼロに始まり、ゼロに帰る。」
最後まで、温故な引用。
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