AD物語III 第12話 「任天堂の脅威」
えーと、僕は一応、フリーディレクターを名乗っているので、
ニッポン放送だけではなく、他の放送局でもお仕事をしているわけです。
マルチメディア(っていうのももはや恥ずかしいのだが)全盛の現代、
ラジオ局っていうのも、地上波のAM・FMだけではなく、
BS放送、CS放送、インターネット・・・と、多岐にわたっています。
そんな数あるラジオのお仕事のうち、僕が経験した一番変わったお仕事が、
任天堂の衛星ゲームラジオ放送サテラビューです。
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サテラビューって覚えてます?
「ゲームが空から降ってくる」をキーワードに任天堂が満を持して出した通信装置。
スーパーファミコンの下部に装着し、
St.GIGAの衛星放送を使い、データ放送をするという、
時代を10年先取りしたマシンです。
ラジオの音声放送の裏で、データを取得、
そのデータは、画像ファイルであったり、ゲームのデータであったり。
あら、すごい。
これは画期的だ。
ラジオの音声パートを担当するのも、
タモリ、内田有紀、細川ふみえ、伊集院光・・・、
そうそうたるメンバー。
そしてアスキーからは「サテラビュー通信」が発売になります。
番組表や、パーソナリティのインタビューなんかがたくさん載っていました。
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こうして始まった「サテラビュー」。
任天堂的には、非常に力を入れたメディアだったのですが、
やはり時代が追いついてきませんでした!
先進的過ぎました!
時は、NINTENDO64発売直前。
サテラビューは、NINTENDO64対応にすべきでしたね。
すでに旧型機となりつつあったスーパーファミコンの延命策だったのかもしれませんが、
今さら感のあるスーファミのために、高いお金を出してサテラビューを取り付けようなんて人がいなかったのか、
あるいは、その取り付け方法が難しすぎたのか、
根本的に、メディアの宣伝がいまいちうまくいかなかったのか?
サテラビューは、任天堂が思っていたほど、ユーザーを獲得できなかったようです。
そうこうしているうちに、NINTENDO64が発売・・・。
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「っしゃあ! ニューレコード!」
作家の篠原君は、ことゲームに関しては、天才・・・いや鬼才です。
ここは、浅草橋にある任天堂東京支社の1階。
St.GIGAのスタジオと広いリビングルームがここにはあります。
リビングルームには、大きなモニターやら、高価なステレオセット。
もちろん、皮張りのソファーや、ガラスのテーブルなんかが並べられています。
ここで我々が何をしているかというと、
だらだらと、NINTENDO64の新作ゲームで遊んでいるのです!
お昼にサテラビューの番組収録が終わったあと、すぐに家に帰りゃいいのに、
このリビングがものすごく居心地が良いので、ついつい、だらだら。
おまけに上の階の任天堂のデスクに行くと、NINTENDO64を貸してくれます。
「なんか新作ゲーム無いっすかぁ?」
そんな風に聞くと、
「これ・・・まだナイショのゲームなんだけど・・・。」
・・・とかなんとかいいながら、基盤剥き出しのROMを貸してくれます。
当時我々がドはまりしていたのが「ウェーブレース64」というジェットスキーのゲーム。
これをサルのように、ズーッと、やり続けるわけです。
しかも、オーヴァルコースのみ。
ようは、タイムアタックですな。
実際に「ウェーブレース64」が発売になると、
このオーヴァルコースのタイムアタックのレコードがニフティの掲示板でどんどん更新されていきました。
構成作家の篠原君は、この記録を抜くまで、その日、お家に帰らないわけですよ。
なので、当時、「ウェーブレース64」の日本最速記録を持っていたのは彼だったわけです。
しかも、任天堂公認の。
そりゃそうですな。任天堂のビルの中でゲームしてるんだもん。
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ま、こんなことやってると、当然、
「あんたたち、出てってくれ。」
・・・となるわけで。
任天堂のサテラビュー計画は、解散となるわけです・・・。
サテラビューが大好きだったというあなた・・・。
その放送が終わっちゃったのは、
僕たちのせいなんですよぉ(笑)。
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