AD物語III 第13話 「再会、潤子よ」



 あれは、アニメガが終わってすぐの初夏の頃のコト。
 だから、98年の6月くらいだったかな?
 当時編成所属、現在(2002年2月)営業部所属の河野クンから呼び出しを受けた。
 場所は新橋のコーヒーショップ。

 「どーも。」
 「お疲れ様です。すんませんこんなところで。」
 「今日はなんですの?」
 「ちょっと打ち合わせを。」
 「はあ・・・。他にも誰か来るの?」
 「ええ。ジュンさんも良く知ってる・・・、」
 「ども!お久しぶりです!」
 「あら、西尾さんじゃないですか。」

 軽やかに登場したコワモテのお兄さん。
 声優・歌手の岩男潤子さんが所属する事務所「スターボード」の社長さん、西尾さんだ。

 「さて、皆さんそろったということで。」
 ・・・と、河野クン。

 「はあ・・・。」
 ・・・と、西尾さんとボク。

 「このたび、ニッポン放送で、インターネット放送を開始することになりました。」
 「ふむふむ。」
 「スポンサーは、角川書店さん。」
 「ふむふむ。」
 「この放送を、『allnightnippon.web』と呼称することになりました。」
 「ふむふむ。」
 「当面、番組は1つしか予定していないのですが。」
 「ふむふむ。」
 「そのパーソナリティに岩男潤子さんを起用したいと思いまして。」
 「ふむふむ。」
 「『岩男潤子のallnightnippon.web』として、番組スタートしたい・・・と。」
 「おお!」

 今や、ニッポン放送の中に「デジタルメディア局」という部署も出来、
 インターネット放送なんぞは日常茶飯事に行われているわけですが、
 その当時は、「編成局編成部」という小さな一部署が、
 編成の本来の仕事のついでにそのあたりの担務をすべて請け負っており、
 他局に目を移して見ても、
 その当時、インターネット放送に力を入れていたのは、
 コナミと、St.GAIA(ステーションガイア)くらいでしたかねぇ・・・。

 ま、おいしそうなパイにはとりあえず飛びついておくというニッポン放送は、  インターネット放送への参入を開始したわけですが、  スポンサーはかろうじて見つけてきたものの、番組を作る人がいない。  海のものとも山のものとも分からないインターネット放送に、  ニッポン放送純正社員を割く余裕は無い。  そこで白羽の矢が立ったのが我輩というわけです。  スポンサーはアニメ系出版社の角川書店。  番組は、アニメやコミックを扱うような内容にしたい。  当然パーソナリティは声優さんだろう。  じゃあ、アニメガをやっていた岩男潤子さんにお願いしよう。  そんなら、ディレクターは、コバジュンだろう。  ・・・と、まあ、そんな経緯でボクのところに話が来たのは間違い無い。  ボクがディレクターを担当し、岩男潤子が喋るとなれば、  放送作家は自動的に決まっています。  VOXエンターテイメント社長・正岡ケンイチロウである。
<おなじみ正岡ケンイチロウ氏>
 番組は月に1度の録音。  15分目安の番組を月に4本放送する。  1本のうち、半分は角川書店のグッズを扱ったコーナー、  あとの半分は、岩男潤子のフリートークという構成。  さらに4本のうち1本は、アニメガの時に組んでいた荘口アナウンサーとのトーク、  ・・・と、いかにもボクが作りそうな番組。
 ま、こうして始まった、「岩男潤子のallnightnippon.web」なんですが、  実にいいかげん。  なんせ、放送じゃないので、  時間制限ってモノが事実上無いわけですよ。  4本の完パケのうち、  15分に満たないモノもあれば、  30分近く喋ってるものもある。  本来の地上はオンエアならば確実に編集するような箇所も、  もったいないから、そのまま残してしまう。  そんなことをしていると、当然、スポンサーさんにも睨まれるわけで。  ニッポン放送的に早すぎたと思われるこのプロジェクトは、  わずか半年で、その幕を下ろしてしまうのでした。  ちゃんちゃん。  ああ、もったいないコトしたなぁ。
 続く  2002/02/16

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