木月斗

 

僕の今日はまづ飮む方だらう。下戸とはいへぬやうになった。これは全く友人の御陰である。曰く鬼史、曰く北渚、曰く墨水、曰く素石、曰く圭岳、曰く荒井蛙が仕込んでくれたのである。醉來、牛後、秋双等は飮めるやうになってからの交際であるが確かにヘ育はされて居る方である。以上の九氏は何れも劣らぬ酒豪、酒仙である。揃ひも揃うたものである。

 

鬼史は默々として飮み終に醉を知らず底の豪物である。獨酌五合、後ビール二本位、屋鳴震動。

 

 

北渚は鬼史と共に兩大關である。のみ口の舌鼓打ちぬき飮み具合の円熟?は終に頭髮を薄らす。鬼史の如何にとても默然に反して北渚は直ちに美音を弄して「隅田の流れC元の」とやりだす…ヤレ目はん目はん。

 

墨水は蓋綱か、輕き飮み加減はその河豚然たる體格と共に直ちに大酒量家たるを表はす、ドヾ一でもやらうかネ。

 

 

素石、家にありては時々飮む、飮む時は子供に交る交る酌などさして平和に飮む、出でては最も派手やかな飮み塩梅なり。皆もさはげさはげとやり出すと眼は糸の如く、長襦袢あらはに酒を瀧の如くにこぼす、量は鬼史をしのぐ。

 

圭岳は少し廻ってくると大盃々々と呼び、酒戰を挑んで毫もひるまず倒れても盃を離さず素石と同樣のめばのむほど白くく、酒狂の體也、北渚は駄目だ、のみ給へ、唄を唄ふをきけば深山に狼の叫ぶ樣だ。

 

 

井蛙はチビチビやり出す。昔は酒の味を味はず圭岳等の酒は言語道斷だ、チビチビ盡くる所を知らず、議論などをやり出すと相手は黐桶にはまりしも同樣だ。

 

醉來君は二三年來獻酬廢止とて一際取りやりはせぬ、如何なる場合でも斷乎としてその主義を破らぬ、知らぬ藝者など怒ったり、笑ったり、鈍馬な目を見る事ある由、新聞にて拜見す、ウイスキーは上等中等斷へず備へつけてある。

 

 

牛後君は愉快な酒で、陽氣で、雛妓等の擒になって紋付註Dより白い手をぬっと出して赤い友仙の中に交って、山で赤いのーはつつじに椿、サイショネ、ドンドン。

 

秋双はズーズーと水の樣に吸ふ、滿洲仕込で中々やる、我党の花形である、圭岳と趣を異にせるが又大盃の酒戰を辭せざる方にて北、鬼も秋双には敵すべからじとなす、醉 時に滿洲踊をやる。

 

 

道三 子規子在世中の公達なり、今大朝に籍を置く、九浦畫伯即ち道三だ、類を以て集る道三が中々傑作だ、頑として敵に抗せば、微塵も動かず、飮むは飮むは一夜墨水、北渚と鼎座徹宵に及びしとか、道三江戸ッ子を現して、だってくやしいやネとやり出すと手もつけられず。            (明治四十三年)

 

(『春星』昭和313月号、亀田小蛄「斗翁の感想」より抜書)

 

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