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#2700 
奥野 2002/04/23 17:10
大河で新撰組ですか…

>武将の肖像画

といえば、武田信玄像にも大きな疑問が持たれているように聞きました。八の字髯の大入道という有名な肖像画、実は能登の畠山氏のものである確率が高い、とか。
しかし、信玄というとみんなあの顔で思い浮かべるようになっているから、学界で定説がひっくり返っても影響は少ないのかもしれません。他にも「桶狭間奇襲」「長篠鉄砲三段撃ち」など疑問が持たれているエピソードに関しても、概説書の類を見ると古いイメージの繰り返しが多いように思います。以前話題になった「武功夜話」もそうですが、一旦ポピュラーになると修正は難しいのかもしれません。

>新撰組

実は最近になって初めて「鞍馬天狗」を読んだのですが、敵役である新撰組は情けない扱いですね。司馬遼などの格好いい新撰組に慣れてしまうと、却って新鮮に感じるほど。戦前には、勤王派にたてついた新撰組を美しく書くのは難しかったものでしょうか。
しかし鞍馬天狗先生、幕府を転覆させるためには卑怯な手段をも辞さずというのがなかなか笑えます。例えば、鞍馬天狗と薩摩藩の同志が江戸を混乱させるべく談合するシーンがこれ。

「…また泥棒や乞食などを使って勝手なことをさせて江戸の秩序を乱すのだ」
「面白い。賊どもにこういう使途があるのは気がつかなかった。何なら京都近傍にいる賊を江戸へ押し出させようか?」
「愉快。そりゃ貴公に頼もう。なるべく凶暴無比な奴を仕入れてくれ。泥棒に知合いがあると、こういう際便利だな。誰かそういう方で傑出した奴があるか?」

…とても正義のヒーローとは思えぬ会話。これじゃ単なるテロリストです。あるいは今のご時世だから、新撰組を対テロ治安機関として描くのでしょうか?まあ、2004年に世界がどう変わっているか分からないですけどね。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/6218/


#2699 
おやかた 2002/04/23 11:52
三谷氏の大河

お久しぶりです。
標記の件ですが、私は結構期待しています。
先日三谷氏の舞台「彦馬が行く」を見てきまして、
竜馬、近藤勇、桂、高杉らの写真を撮った実在の写真師をモデルにした
話なのですが、史実に忠実なエピソードの取り入れ方が
好きでした。
乞食の体で身を隠す桂の汚さ、大村益次郎の額の広さ、
近藤が口に拳骨を入れてしまうなどのシーンで場内は爆笑なのですが、
(多分創作と思ってるんだろうな)私は史実と知っているから、
大笑いできないということが多々ありました。
一応私のように事実を知っている者と、一般のお客さんでは笑う場所がずれてくるのが面白かったです。
また、写真館のPRソングを竜馬が考えるのですが、
その旋律がヨ○バシカメラのCMソングなのです。
さらに、元歌は、勝が渡米した当時にアメリカで流行っていた曲だから、
竜馬に教えた(といえなくもない)事実と、今のCMソングという2重の
しかけがあるとか。
詳しい知識とそれを面白く見せるだけの技量がある三谷さんの大河なら
見てみたいなあと思います。



#2698 
素人筋 2002/04/23 08:13
剣術のソフト

先日、東京神田神保町にある三省堂書店で、新撰組の組員を相手に剣術をしてその腕前を競うソフトのデモンストレーションをみました。説明員の女性が説明している間、若い男性が一生懸命挑戦していました。彼の腕前は上級で、組長の近藤勇に敗れただけでした。このソフトは飽く迄も組員との剣術が主体でゲームをすることであったので、剣法については何も考慮していなかった様です。(女性の説明によると)このストーリーの中に新陰流や北辰一刀流などの特定の剣法が指定できたらもっと面白いのではないかと考えました。しかし、面白いゲームを考えたものだと感心しました。ところで、今、新撰組のイベントが集中しているのは、誕生日がこの時期に集中しているからだそうです。知りませんでした。



#2697 
ホリ−・ハンタ− 2002/04/23 06:22
三谷氏の新撰組

これは、もう、『新撰組・捕物帳』となったりして。
土方歳三が、ブツブツしゃべる古畑任三郎みたいに
志士たちをイライラさせボロを出させウタわせてしまう
という捕物帳。(自爆



#2696 
ムネオ旗 2002/04/23 01:35
追記

 追記 どうせなら、将軍在位中からめちゃくちゃにしてしまいましょう。大黒屋光太夫がラクスマンに送還されてきたら、「ロシヤに行く」と定信にダダをこね、押さえる定信を成敗して国外へ脱出し、ペテルブルクまで行って、エカテリーナに求婚する云々。あとは知らぬ。



#2695 
ムネオ旗 2002/04/23 01:28


 はあ、次の次の大河はしんせんぐみですか。どうもなあ。
 時代物と言えば、徳川十五代のうち、唯一登場したことがない徳川家斉をやってほしいです。この方、脇役。ちょい役にも未だかつて出とらんはずです。家重さえ、「吉宗」で出たというのに(中村梅雀の怪演が光ってました。「葵三代」のヤング光圀もよかったけど)。
 というわけで、家斉を大河でやってほしい。もち主役。題して「大御所退屈男」ないしは「好色一代将軍」。若い頃、松平定信なんかのカタイ連中に囲まれて鬱々としてた家斉が、大御所になった後、やりたい放題しほうだい。美女を求めて三千里。国外に脱出して清やロシヤに出かけちゃう。これだと、毎回毎回、女優をとっかえひっかえできて、視聴率もアップ。役者はやはり、梅雀がやってほしい。こんなんいかが?



#2694 
なな 2002/04/23 01:02
三谷新撰組

最初に見たのがヤフー掲示板だったので、・・・イタズラカキコだと思ってました。
・・・ちょっとおもしろそう。などと、ひっそり思ってみたり。(^^;)
どうせなら、司馬遼太郎の「土方像」を覆し、実は子母沢寛の創作だったという「新撰組始末記」をふまえて、一から「三谷の新撰組像」を作り上げてほしいです。



#2693 
徹夜城(明日早朝出勤の管理人) 2002/04/22 23:32
ううっ、また一日遅れます…(泣)

「史点」は他のネタを書き終えたもののパレスチナネタ三週間分をまとめていたら収拾がつかなくなり、
「ムロタイ」は架空キャラ処理を今回でやっておかなきゃならず苦しんじゃったりして、
結局更新が遅れています。恨むならシャロン首相を恨んでください(爆)。

さて再来年の大河がいきなり発表されましたねぇ(昨年の「MUSASHI」発表が妙に遅かったわけですが)。三谷幸喜の「新撰組」と来ました。いろんな意味で話題を呼んでいます。僕も先ほど大河ファンBBSに書き込んでましたんで重複は避けます。
どうもここ数年の大河は「歴史ドラマ」ではなく「歴史エンターテイメント」を狙っているようですな。



#2692 
ホリ-・ハンタ- 2002/04/22 12:31
何故か気になる、あの騎馬武者の絵

そうですか、いろんな説があるんですね、徹夜城さん。
色々な実在有名人物が候補に挙がっていますが、
被り物も無くマゲも結わずに、刀を首に置いて騎馬で駆ける、とゆう
かなり粗野でワイルドな人物の描写であるところから
それほど身分の高い武士でなく、
名も知られてない、足軽の親方の絵ではないか?
とゆう説も聞きました。




#2691 
徹夜城(また「史点」と「ムロタイ」を日曜に更新できなかった管理人) 2002/04/22 00:33
昔の人の肖像は

>ホリー・ハンターさん
例の「騎馬武者像」を尊氏像として出している歴史の教科書はもう無いんじゃないかと。大河ドラマの段階であの絵は一切使ってませんでしたしね。このところは高師直説が有力らしいですが、決定打には欠けるみたいで。僕も印象は師直っぽいと思いつつ(一束切と思える髪型もあって)、義詮の花押が上方に書かれていることにちょっと不自然さも感じてます。師直と義詮ってあまり接点が無いような気がするので。
あの絵のモデル候補に「細川頼之」の名も挙がっていたことを最近知って「それならお父さんの頼春の方が可能性があるんじゃない?」と思ったりもしました。戦場で奮戦するその様と背中に背負った矢が一本折れていることが「戦死」を暗示しているようにも思えてきます(これについては師直説でも言われていますが)。

>タロイモさん
そうですか、「重盛像」に尊氏説もあったんですね。言われてみれば…って気もします。
相変わらず教科書やテストで「頼朝像」として載るあの有名な肖像画も「直義説」があるんですよね。案外兄弟セットの肖像画だったのかも。

なお、「史点」と「ムロタイ」は明日更新予定です。



#2690 
ホリ−・ハンタ− 2002/04/21 20:22
足利尊氏 の顔

わたしらが学生の頃、日本史の教科書に載ってた
足利尊氏 の肖像画といえば、
長髪をなびかせ抜刀してそれを肩に担ぎ騎馬で駆ける、とゆう
かなりダイレクトな絵が使われてました。
それから、少し年月を経て、実は、その絵が
どうも足利尊氏を描いたものでは無く、人違いとゆう
説が大勢を占めるようになったそうですね?
すると、今は、どんな肖像画になってんの?
教科書の尊氏サンは。



#2689 
タロイモ 2002/04/21 11:12
壇の浦

私も日経の「平家」読んでます〜
私の興味は小説「平家」の壇の浦と小泉政権の崩壊、どちらが先になるのか
興味深く見ていたりします。
今日は平重盛善人説を批判されてましたね〜
そういえば神護寺の「伝 平重盛像」は本当は足利尊氏じゃないかという説もありましたっけ。
確かに等持院の足利尊氏木像とよく似ているんですよね〜>「伝 平重盛像」



#2688 
ホリ−・ハンタ− 2002/04/21 01:25
あ、ウチ、日経も取ってんだっけ

おぉ、これですか、清盛さん の国政改革とやらが
載ってますね、対・中国貿易で儲けて国庫を建て直し〜
いずれルソン、越南へ進出するつもりだったぁぁ清ちゃん
は〜ってありますね。
そんなん、どうして分かるの?池宮さん。



#2687 
徹夜城(ちかごろなぜかSF読み漁りを始めた管理人) 2002/04/21 00:05
「平家」

以前、アール・ケイさんがお書きになっていた池宮彰一郎氏の小説「平家」、日経新聞で初めて眺めました。第350回だったんですが、

「清盛の国政改革は、徐々に進んだ。」

一行目からいきなりこれか。なるほど、噂に聞いていただけのことはあるインパクトでした。いえね、清盛がそれなりに改革をやったというのは否定しませんが、全体的に近代用語が目立つ小説でなんだか読んでいて腰砕けになっちゃうんですよねぇ。歴史評論とかエッセイならこれでいいんでしょうけど。
「国利民福を諮らねば国は立ち直らない」と考えた清盛が宋との貿易を思いつくくだりだったのですが、「海外交易によって、産業を活性化し、富を外国から得る」なんてセリフ(厳密にはセリフではなく心の中の響きみたいなもんですが、いちおう清盛の意図の表現)が出てくるし。「産業の活性化」だの「輸出産業」だの「官僚政治」だのといった単語がこの一回分だけで連打されてまして…うーーん、聞きしに勝るノリですな。
そのうち平家への批判を封じるために「個人情報保護法」だの、大陸からの侵略に備えて「有事法制」だの言い出すんじゃないかと気が気ではありません(笑)。「しょせんは旧体制内での改革だったため行き詰まった」ってオチを考えてるんだとしたら凄いですけど。

ところで以前チラッと書いたトム=クルーズ主演映画「THE LAST SAMURAI」ですが、風の噂によると幕末映画ではなく明治初期の士族反乱(西南戦争あたりがモデル?)がテーマとなるようです。なるほど、それならアメリカ軍人が日本にアドバイザーとして来ているって設定も考えられなくはないですな。



#2686 
昨日は早朝から深夜まで仕事をしていて合間に映画を見ていたるする管理人) 2002/04/19 10:46
迷宮の主

おかげさんで栄耀映画伝言板が賑やかになっておりました。僕もついさきほど「ミスタールーキー」の感想など書いてます。
ななさんもお書きですが、このサイトはとにかく迷宮でして…映画コーナーに行くには「歴史映像名画座」経由で行ってもよろしいですけど、徹夜城のトップページからも行けます。映画コーナーは「近々新装開店」と言い続けてなかなか新装できないというのが真相です。こういう工事中状態がこのサイト全体のあちこちにありまして、管理人はもはや「迷宮」というより「ガウディのサクラダ・ファミリアだ」と開き直ったりしております(笑)。

>原田さん
おお、原田さんが「幻の押井ルパン」の話など書いていらっしゃる(^^)。僕もあれは読みました。それにしても押井監督ってなんだかんだで海外の映像作家に与えた影響はかなりのモンがあるらしいですね。特に「攻殻機動隊」ということになるのでしょうけど、これは原作者の方も影響力が大きいですしねぇ。
…と、しばしば管理人も映画関連ばなしをここでしちゃっているのでした。
そういや「ドラゴンボール」に続き「AKIRA」もアメリカで実写映画化されるとか企画話が流れております。

>奥野さん
「ムロタイ」へのコメント有り難うございます。
企画段階からいわゆる「製作舞台裏」を見せてしまおうということは考えてました。やっぱり歴史専攻のせいかフィクション書いてても「ここはこういう経緯で作ったフィクションだぞ」と断りを入れたくなる性分なんですよ。
以前倭寇テーマの大長編を書いて途中でほったらかしたことがありますが(笑)、各章の細部に渡って詳細な注釈をつけた変な小説でした。フィクションドラマの部分でも「ここの元ネタはこれこれこういう史料にあるんだよ」とか全部書いちゃってまして。実際の小説ではこういうことは面倒だし読み手の中には「気分がそがれる」と思う人も出そうですが、ネット上仮想ドラマというもともとフィクションな企画なのでやってみた次第です。TVドラマでもデジタル放送なんかなら可能だと思うんですけど、製作側が大変かな。

>秦太さん
「雲竜奔馬」の件、詳細な説明有り難うございます。僕も事情は良く知りませんでしたので大変興味深く読ませていただきました。
「幕末編」ってもう一年もやってたんですか(すいません、あまりチェックしてなかったんで)。確かにあのペースではいつ完結するやら分かりませんが、あのペースがいい、というのも事実ですよね。それにしても最終的に我慢できなくなったトム編集部ですが、よくまぁあそこまで作者の独走(笑)を許したような気もします。



#2685 
秦太 2002/04/18 23:58
みなもと太郎『雲竜奔馬』

『雲竜奔馬』と『風雲児たち 幕末編』の関係は、読者にも悩ましい問題です。
掲載誌『コミックトム』が『トムプラス』にリニューアルしたのに伴い、『風雲児たち』がいったん完結し、『雲竜奔馬』が始まったのですが、主人公を竜馬に固定したり、チャンバラシーンが増えたりと、作風も変化しました。この路線変更は編集側の意向が働いたもので、作者としては必ずしも本意でなかったようです。『風雲児』の持ち味を損なう路線変更であり、はっきり言って読者にも不評でした。そのあげく『トムプラス』は休刊し、『雲竜』は30話で打ち切られました。
ところが、『雲竜』の路線変更と打ち切りは、愛読者たちに「自分たちが支援しないと、作品が終わる!」という危機感を浸透させ、「読者のサポーター化」とでも言うべき現象を促しました。それが結果的に『コミック乱』に移籍しての『風雲児たち 幕末編』連載を後押しすることになりました。
『幕末編』の作風は旧『風雲児たち』を継承しており、こちらが真の続編であるのは確かです。『幕末編』開始からもうすぐ1年経つのにペリーがまだワシントンに居るあたり、正しく『風雲児』しています(笑)。
今回リイド社から旧『風雲児たち』の新装単行本が発行されましたが、おそらく『雲竜』がリイド社から出ることはないでしょう。潮出版社が今後増刷する可能性も低いと思われます。
このように『雲竜』は不遇の作品であったわけですが、「なかったこと」にするには惜しい作品でもあります。特に、ペリーとの交渉の切り札としてフランス語版『三国通覧図説』が登場するシーンは、20年かけて描かれてきたエピソード群が魔法のようにつながる、シリーズ屈指の名場面です。
作者は、読者との「語る会」の席上、「『雲竜』で描いた話は『幕末編』で繰り返さない。」と言っていますから、『雲竜』は『風雲児』の外伝・サイドストーリーだと、私は受け取っています。
なお、『雲竜』とは別に作者自費出版の『風雲児たち外伝』も存在し、現在までに6冊が発行されています。



#2684 
2002/04/18 11:18






#2683 
ホリ−・ハンタ− 2002/04/17 23:55
立山

アルペン・ル−トから行くのなら
立山は、快適に楽しめます。ただし、
やはり、魔の山です、現在も。登山とゆう純粋な
冒険をする人々にとってはね、毎年、生きて帰らぬ人
が10人を下回った年があったかな?
そして、立山を目指す登山家は他県者が
県内者より多いような気もします。
県内モノ達は、平野部でさえ冬クソ寒いのに
何が楽しくて行くんだろうと考えるのが一般。
まぁ、つまり、『山があるからさ』とゆうことでしょうが。
しかし、佐々成政の立山越えは超・マユツバ、
映画ホワイト・アウトよりも非・現実的かと。



#2682 
なな 2002/04/17 23:14
…生きていた?

>マナさん
謎が増えちゃいましたね〜。(^^;)
恒性皇子に関するほとんどの情報は、「高岡市二塚に墓がある」「名越時有が甥の北条貞時に殺害させた」「皇子は15歳だったとするページがあった」。
一方の「立山町」の伝承では、「皇子は自害」「乙女7人がお世話をしていた」。
直感なんですが、皇子は一度は生き延びて、高岡からさらに立山の山奥に落ち延びたというのはどうでしょう?
高岡に墓(証拠)があるとしても、立山町の伝承は、伝承とかたづけるには妙にリアルでしょう。恒性寺という、ズバリな名前のお寺の存在も気になります。なんとかして離れた二つの地点の接点を見つけなくてはなりませんね…。
…ってなことで、ほれほれ、立山町に行ってみたくなりませんか〜?>ホリー・ハンターさん



#2681 
マナ 2002/04/17 21:51
壮絶すぎる・・・

なな様、立山と高岡は結構離れてます。立山の伝承は、どうしてそういう話になると思うほど壮絶ですね。とんでもない伝承はやっぱりあるのですね。高岡に皇子が流されたというのだけでも不思議なのに、立山という場所は、それだけでいろいろありそうです。立山曼荼羅とか、地獄谷とか。今年の大河ドラマにも出てくるであろう佐々成政のさらさら越えも確か立山では・・・



#2680 
なな 2002/04/17 19:07
茨城迷宮案内

>鈴之字さん
はじめまして。それでは映画掲示板へご案内いたしまするぅ〜。
「歴史のトップページに戻る」→史劇的な物見櫓の「歴史映像名画座」→歴史映像名画座の「栄耀映画なる回廊のトップへ戻る」→栄耀映画なる回廊の「栄耀映画伝言板」。←ここ。
はてしなく続く増改築…。そう、「徹夜城の多趣味の城」はインターネット上の「ウィンチェスター・ミステリー・ハウス」…なのかもしれない…。なーんちゃって。

>恒性皇子
没年は分かってるようだけど、生年が未詳なんですね。「殺害された時、15歳だった」とはっきり書いているサイトが一つだけあったのですが、この根拠はどこから来ているのでしょうね。
15、6歳で亡くなっているなら…。短編ででも書いてみたいかも。



#2679 
奥野 2002/04/17 16:01
「赤いスキンヘッド」

ロシアのネオナチ問題について、もう少しだけ引っ張ります。
彼らがヒトラーの思想に対して、どこまで本気に共鳴してるかは分かりません。ナチスとかヒトラーとか、すでに人種差別の単なる「シンボル」と化しているような感じです。そうは思いつつも、いざ自分の身にかかわる問題となってみると、やはり迷惑以外の何物でもないですね。せめてヒトラーが厳寒期に生まれていてくれたら、路上でたむろするフーリガンの数も減っていただろうに…
それと、我々のサイトでもちょっと書きましたが、最近はレーニンの誕生日を祝う「赤いスキンヘッド」などというのもいるようです。どんなスタイルなのだか想像もつきません。

数日前の話ですが、キエフでスキンヘッド集団がシナゴーグを襲って建物を破壊、ユダヤ人司祭の息子に重傷を負わせるという事件がありました。これがヒトラーの誕生日と連動してのことか、あるいは中東紛争を関係があるのかはよく分かりません。
ただ、警察はディナモ・キエフ(ウクライナの強豪サッカーチーム)ファン集団の犯行ではないかと考えているとのこと。ロシアでもサッカーファンの暴力問題は大きいですね。他の欧州諸国と比べて、どの程度のレベルなのかはよく分かりませんが。そういえば大学時代に「サッカーの社会史」という講義で、フーリガンの系譜について聞いたことがあります。意外に根の深い問題、との印象を受けました。

>徹夜城様

「室町太平記」更新ご苦労様です。いつも楽しみにしております。僕のような素人にとって、毎号の巻末に解説が付くのはとてもありがたいですね。この点は本家・大河ドラマよりも優れていると思います。テレビではいちいち「今日のエピソードの出典はこれだ」「この史料をこう解釈することで筋を組み立てた」などとやってる暇などないだろうから。

>アール・ケイ様

ロシア人に関しては、スターリン時代を直接知る世代にも相当「復権」派がいるようです。(一応)戦争には勝ち抜き、急速な工業化にも成功したし、社会も今よりはるかに安定していた…云々と。もちろん大粛清や個人崇拝まで正当化する人は少ないですが、「誤りはあったものの偉大な時代だった」という意見は意外に多いようです。
過去に対するこういうアプローチはロシアに限らないし、確かに「過去を一面的に断罪できるものではない」のも事実だと思います。ただ、この立場を押し広げていくと、どんな現象でも相対化できることになりかねないし…歴史を考える上でも厄介な問題でしょうね。もっともロシアの場合、現在の状況があまりにもひどいという固有の問題はありますが。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/6218/


#2678 
原田 実 2002/04/17 08:54
壁が崩れて・・・

なな様、モーグリ様、徹夜城様、コメントありがとうございます。壁が崩れて本が出てきたという話の原典はおそらく『尚書正義』序文、漢代に旧家の壁が崩れ,始皇帝の焚書を免れた尚書の古本が出てきたという話です。『東日流外三郡誌』と同様、天井裏から出てきたというのは、『富士古文献』の由来にもあります(これは大正時代の話)。
『富士古文献』もいわゆる古史古伝なわけで、素性の怪しい本の出所を説明するには便利な話です。
 ただし、和田さんの世代の歴史ファンの間でもっとも話題となり,印象に残ったはずの類話が『武功夜話』発見譚だったことは間違いないでしょう。
 3年ほど前、『武功夜話』も怪しいという話題が出始めた頃、知り合いの編集者と話していて、故・司馬遼太郎の作品だけは『武功夜話』を使った形跡がないといわれ、司馬氏の見識に改めて驚いたことがあります。
 話題代わりますが、押井氏はメジャーになりかけの頃、劇場版『ルパンV世』の企画書を書いて、結局、実現しなかったことがあります(『キネマ旬報別冊・ルパンV世』に要旨解説)。内容は幻の人物ルパンの痕跡を、次元・五右衛門コンビ、不二子、銭型、そして悪玉の四組がそれぞれ追跡し、ついに一同が一つの場所に介してその目前にルパンが現れた時、核爆発が起きて、すべてが消滅するという話だったとか。
実現していたら、シリーズ第一の怪作になったでしょうが、ありはその語のシリーズはなくなっていたかも。後年の押井作品にこの企画書のアイデアはかなり影を落としているように思われます(おっと、この話は映画のところでするべきだったか)

http://www8.ocn.ne.jp/~douji/


#2677 
ホリ−・ハンタ− 2002/04/17 06:53
名越 氏は何故、皇子を殺ったのか?

私が疑問なのは、いくら反乱の火種くすぶる越中
を押さえる反動的な鎌倉幕府・公認とはいえ
田舎領主フゼイの名越 氏が
何故、恒性皇子を殺すとゆう、暴挙に出たかとゆうこと。
かの織田信長だって皇族に手を出すのは控えてたくらいだから
名越 氏が殺害したとゆうのが事実なら大変な暴挙かと。
名越 氏は、義経を見逃した関所の奉行 殿のような
発想が出来なかったのか?




#2676 
鈴之字 2002/04/17 03:02
どうもです。

モーグリさん:
 サイトちらっと見ました。濃いのでゆっくり楽しませてもらいます。
 ちなみに、市街戦と屋内戦ばかりで、機関銃手が頭で、真剣に突入するのでシュールです。
:フィックションでとどめてるから
 そうですね。軍事、歴史小説でイイカれているのはハンパじゃないですから。このサイトの
コンテンツにもなっているけど、おもしろくてもネタとして取り上げる文書くのは大変そう。
ホリー・ハンターさん:
 ども。映画掲示板ってどちらでしょうか。
:押井映画
 あの人、パト1とうる星オンリー・ユー(BDでなく、パート1)だけですから。原作や一般
ウケをちゃんとやったのは(BDはギリギリどっちか)原作者に「オンリーユーが最高です」
と言われてすごい不思議がっている(なんでBDじゃなく?とだろう)あたりイタすぎ。
 映画攻殻は、士郎正宗ファンだから見て予想どおり、原作者もうんざりしてたし。
(攻殻は私はあまりすきでないが)MATRIX・・・
 サイバーパンクとしてもベタすぎで、虚構と現実がネタもベタという点はそっくり。
 ただ、MATRIXはベタでも娯楽として見れるから。
 マイナー指向アニメファンの私に言わせれば、虚構と現実ネタで普通のヒトがみても娯楽として楽しめる「メガゾーン23パート2」を知っているので。あと、士郎正宗なら原作者が監督し
てこれも普通のヒトも楽しめて非常に出来の良い「ブラックマジックM66」見ているんで。
 でも、日本の映画監督ってここずーっとほとんどおかしいのばっかり・・・

史劇的、で思った「日本が作って輸出できる娯楽映像コンテンツ」
3DCG/3Dアニメバリバリで、日本の歴史モノを娯楽指向で作ったら?合戦なんて、ものすごく低コストですごいのが作れる(実写に比べ)カドカワあたりにやってほしいな。

:個人的な嗜好ですが
 私はガキのころから図書館、本中毒でしたが、圧倒的に反文系でした。でも、シリアスな歴史はおもしろかったです、ただ、その刺激の強さに慣れてしまったので、濫読なのに歴史小説のようなモノは手をほとんど出さないでしまtったんです。
 だけど、浅田次郎の「きんぴら」だかで「歴史小説は、一度はまるといくらでも有ることもあって麻薬中毒のようになってしまう」とかなかに有り(ウロ覚え)説得力が有った(笑)ので、人間を止めない程度に楽しむのに参考にさせていただきます・・・
#BBSからズレた事が長くて失礼しました。



#2675 
なな 2002/04/17 00:36
凄絶な伝承

私も野次馬根性で興味が出てきました。>恒性親王
ネットで検索したら10件ほどヒットしました。
まず、恒性親王の伝記が載っているらしい書籍はこちら。
http://www.tokyobbs.or.jp/rekishi/mokuroku.htm#D2
この中の、「竹内宿禰と詠う神人たちの詩」をごらんください。しかし…なんだか怪しげな本がいっぱい…いっぱい並んでいるわ〜。

もうひとつ。「とやまウォーキングガイド」の「立山町」のページがヒットしたんですが、これ、マナさんがおっしゃった「恒性親王の墓がある高岡市二塚」とも違う場所…ですか?
http://www.cap.or.jp/lain/walk/tateyama_09.html
ページ下方、「データ」欄の「メモ」に書いてある「恒性親王にまつわる伝承」がなかなかにおもしろかったです。ぜひごらんになってください。



#2674 
徹夜城(IT進化を多少は遂げた?管理人) 2002/04/17 00:29
つれづれなるままに

↑話題にとりとめがなくタイトルに困るときはこういうタイトルをつけてます(^^;)。
本日からフレッツISDNに進化した徹夜城でございます。しかし貧乏性で書き込み時はやっぱり接続を切っちゃうんだよな(書き込みミス防止と言う面もありますが)。

>古屋三日月さん
「ムロタイ」の感想どうもです。そう言っていただけますと作者としてもありがたいです。
実はあそこにも書きましたが一時「義満は頼之の子だった!」って展開も考えたりしたんですが(疑惑が残る程度にしようと思ってましたが)、さすがにヤメにしたんですよね。顔見る限り尊氏、義詮、義満はやっぱりDNAが受けつがれている気がするし(笑)。あ、そういえばよく「足利尊氏像」とされていた騎馬武者像のモデル候補には「細川頼之」の名も挙がってたんですよね。
もし義満が頼之の子だったりすると、後小松天皇が義満の子だったりして、一休さんが後小松の子だったりして…と連綿と妄想が繰り広げられていったりします(笑)。

>マナさん
レスどうもです。その辺、ちょいと調べてみますね。
「ムロタイ」が義教まで触れるのは…現状ではちと難しいでしょうねぇ。生まれたシーンぐらいは描くかもしれませんけど…

>モーグリさん
長文の書き込み、大変興味深く拝読しました。なるほど、浸透戦術ねぇ、全然知らなかったです。ただ第一次大戦で学んだかどうかと言うのは考えてみると日本だけでなく欧米諸国に関しても疑問点が出てきちゃうような気もしますね。
いわゆる「バンザイ突撃」が追い詰められた戦場での玉砕時などでようやく見られたとは思っているのですが、アメリカ側メディアがそうした日本軍のイメージを形成していったという指摘は面白いところですね。「TACTICS」は一時何冊か買ってました。ゲームネタ関係を読むために。

>原田実さん
こちらの掲示板では初めまして。今後ともよろしくお願いします(^^)。
僕は今度の報道やら何やらで初めて「武功夜話」発見の経緯を知って、「東日流〜」の発見話を連想したりしたんですが(壁が崩れて、の話のパターンは中国でもあったような…)、どうも「武功夜話」の発見話に和田さんのほうが触発されていた可能性が高い、というわけですね。ふうむ。
で、何かと話題になってきたんで『偽書「武功夜話」の研究』買って見ました。ササッと読ませてもらいましたが、なにせ戦国関係には疎くって漫画日本の歴史やら大河ドラマ程度の知識しかありません(メジャー嫌いの傾向があるもんで)。だから細かい検証になると書かれているままに流されていくしかないのですけど、やはり根本的なところとして「原典」の状況が不明確というのが困りますね。確かにいくつか重要な点で明治以後に書かれたとしか思えないところがあるとは思えました。江戸時代から蓄積された先祖顕彰読み物、ってぐらいにとらえた方がいいのかも…?という感想です。
とりあえず「支持派」からの反論が待たれるところですね。

>「風雲児たち」関連
そういえば「コミックトム」が休刊になったあと、「トムプラス」って雑誌が出てそこに竜馬を主人公とする「雲龍奔馬」って連載がありましたよね。チラッと見たときペリー来航とかやってましたが、現在「COMIC乱」でやってる「幕末編」はペリー来航前の段階ですよね。「雲龍奔馬」は「なかったこと」にされちゃってるのかな?



#2673 
ホリ−・ハンタ− 2002/04/16 23:49
恒性皇子

この皇子は、どうやら実在の人物らしく、
後醍醐天皇の第10番目の皇子であらせられるそうで。
天皇が隠岐へ、この当人が何故、京とは縁もユカリも
ない越中へ流されたのかは分かりませんが、
越中は承久の乱の時、上皇方に加担したらしく
鎌倉軍は越中を徹底的に掃討したそうで。
そして、その後、鎌倉幕府が守護として
送り込んだ名越 氏とゆうのは反動的で
地元でも評判が良くなかったそうです。



#2672 
モーグリ 2002/04/16 22:34
確かに『武功夜話』は

原田実さんへ
原田実さんですか、お名前はよく『別冊歴史読本』で知っております。

>『武功夜話』問題
いえ、私も最近になって『武功夜話』の話は聞きました。確かにマスコミでこの問題は登場していませんね。『東日流外三郡誌』はよく『ムー』のようなオカルト雑誌の表紙に出てるので知っていましたが、『武功夜話』がその手の雑誌に出てるわけではないんですよね。

でもよく調べてみると『武功夜話』を参考にしたテレビドラマや小説が登場していて、いつの間にかかなり市民権を得ているようです。図書館で調べてみたら『武功夜話』が全館蔵書にありました。密かにベストセラーになってますね。



#2671 
カンタベリー 2002/04/16 09:06
押井映画

>赤い眼鏡と甲殻機動隊とアバロンとやらを見ましたが
>共通するのは、登場人物がブツブツしゃべる台詞
>何を言ってるのか殆ど意味不明ってことかな。

 あのブツブツいう台詞は、あれはあれで意味があるんですよ。聞く人が聞けば。
 押井映画は「MonstersInc」みたいな万人向け映画ではないので、慣れないと
判りづらいと思いますが。
 「紅い眼鏡」はあれは、不条理劇なのであまりリアリティを求めてはいけません。
あれは主人公が死んだときに一瞬頭をよぎる人生の回想の寄せ集めです。

 「攻殻機動隊」は原作がまた人を選ぶ作品だから、輪をかけてますけどちゃんと
「マトリックス」の元ネタになってたりしますから。

 
 判りやすい押井映画って言ったら何があるかな?
 「ビューティフルドリーマー」と「パトレイバーtheMovie」かな。

「御先祖様万々歳」は小劇場で、不条理舞台劇を見ていると思えば判りやすいです。
どんでんがえしや奈落があるし、舞台劇のおもしろさをアニメで良く再現している
と思います。

「トーキングヘッド」はバックステージが好きな人にはとても判りやすいと思います。
  



#2670 
ホリ-・ハンタ- 2002/04/16 07:45
え〜?!皇子を殺しちゃったの?

どうりで、我が故郷・越中富山の室町期が
呪われたように戦乱が絶えぬわけだわ、天罰か?
名越 氏とゆう守護は鎌倉時代は、ずっと越中を
保守安定無風に統治してましたが、外の紛争に
チョッカイを出したばっかりに南朝方に滅ぼされました。
以来、前田百万石に組み込まれるまで
越中は、安定した守護の統治は無かったそうで。
南朝系の桃井や斯波とか畠山とかの足利幕臣系の守護が
争奪し、しかし、守護代とゆう実行支配の争奪は
関東系の椎名 氏、神保 氏、遊佐 氏の3氏が
争う超セコイ三国志のような状態が戦国まで
ずっと続きます。



#2669 
マナ 2002/04/15 21:47
今さらですが・・・

下の方で書き込んだ恒性皇子のことについてですが、恒良皇子とは別人で、恒性皇子は元弘二年
父後醍醐天皇が隠岐に流された時に越中に流され、幽閉された。後醍醐天皇が正慶二年に隠岐を脱出しそれに足利尊氏が味方したことを知った越中守護の名越氏が恒性皇子を殺害したということらしいのです。
皇子の墓は、高岡市の二塚というところにあり、明治45年宮内省の実地調査を経て、陵墓としてしていされた。その以前は、「太子墓」と呼ばれていたようです。
ちなみに、恒性皇子は恒性法親王とも言い、越中に流される前は、大覚寺門跡であったといいます。
詳しく調べたわけではなく、(調べようとした事もあるが、なかなか史料がなかった・・・)概略だけですが、あしからず。
ムロタイ頑張ってください。できれば、足利義教の時代まで、話してください。最終回にさらっとでもいいので・・・



#2668 
古屋三日月 2002/04/15 18:41
ムロタイ感想

ご無沙汰してます〜(^-^)
花粉症で弱って書きこみできませんでしたが、毎回楽しく視聴してました。
下手なツッコミの入れ甲斐のない、
隅々まで考えられて製作されている内容にはただただ感動しています。

尊氏も死んで第2世代の活躍する時代になり、
お気に入りの基氏がいつ出るか、わくわくしながら読み進めていますが
今回の放映はびっくりしました。

頼之の子の死に、幸子側の嫉妬や春王の兄まで絡めるとは思わなかったので
(単独で扱われるのかな、とばかり)
幸子の迫力や頼之の妻の悲しみなどがよく伝わって来て良かったです。
こういうフィクションは大歓迎です〜。

清氏のこれからの数年間の動向を徹夜城さまがどう描くかとても楽しみにしています。
毎週の放映、大変かと存じますが頑張って下さいね。

http://www.anotoki.com/top/index.html


#2667 
なな 2002/04/15 18:15
びっくり

>原田実さま
ようこそおいでくださいました。もしや、以前からこちらのROMでいらっしゃったのですか?
「武功夜話」偽書説の話題を出してから、「東日流外三郡誌」のことももっと詳しく知りたくなり、ちょうど「Cyber Space」をお気に入りに追加してぼちぼち拝読していたところです。
まさかこちらに書き込みに来られるとは思いませんでした。今後もぜひお立ち寄りください。
…と、思いっきり↓の管理人氏のレスをまたいでしまった。お許しを〜。(^^;)



#2666 
ホリ−・ハンタ− 2002/04/15 18:04
あのう、映画掲示板、寂しい

>はじめまして、鈴之時サン
ここの管理人でも何でも無い私が書くのは恐縮なんですが
貴方の素晴らしい映画評論のカキコはココの映画掲示板で
書いてくれません?寂しいんですよ映画掲示板、
生意気、書いて、すんません、徹夜城サマ。

といいつつ、私もここで映画について。
押井監督作品は、赤い眼鏡と甲殻機動隊とアバロンとやらを見ましたが
共通するのは、登場人物がブツブツしゃべる台詞
何を言ってるのか殆ど意味不明ってことかな。
台詞の意味、クエンティン・タランティ−ノの脚本
なみに意味不明といった感じ。




#2665 
徹夜城(夜のお仕事が多い管理人) 2002/04/15 17:28
出勤前に…

ま、また怒涛の書き込みペースだなぁ…レスしたいネタがいっぱいあるんですけど、書いてると出勤時間に間に合わなくなる。
とりあえず「ムロタイ」更新しました!もうそれこそ「偽書」の世界ですので(笑)、笑って見過ごしてやってください。仮想ドラマは言い訳コーナーが作れるところがいいですな、と改めて思った次第です。
こいつにてこずっていたのでネタ豊富な「史点」更新はもそっとお待ちくださりませ(^^;)。



#2664 
原田 実 2002/04/15 16:27
『武功夜話』発見譚について

はじめまして。『武功夜話』問題は社会的影響力からいうと、『東日流外三郡誌』問題よりも大きいはずなのに、マスコミ的に今まで議論が大きくならなかった〔というかまだなっていない?)のは不思議です。『武功夜話』そのものの真贋とは別の話ですが、『東日流外三郡誌』発見譚で和田家の天井が破れて落ちてきたという話、あれは直接には『武功夜話』発見譚の影響で故・和田喜八郎が思いついたのではないか、と考えております。

http://www8.ocn.ne.jp/~douji/


#2663 
モーグリ 2002/04/15 12:36
はじめまして

鈴之時さんへ
こちらこそはじめまして

>日本が輸出する文化としても、私は彼はイタいと思う。
ただ推井守はあくまで「フィクション」にとどめているのでまだ良心的だと思いますが。軍事関係や歴史関係書籍ではあまりにもひどい軍事知識が散見されます。

>とりあえず、前のほうが長い機関銃もって突っ込んでいって、それの後方支援が自動小銃持ってる
突撃時に機関銃は後方に控えており、前面に小銃を持った歩兵が相互にカヴァーを取りつつ前進するのがセオリーですよね。
分隊火力の主力は(昔も今も)機関銃です。敵は最大の脅威である機関銃を優先的に攻撃しますから、機関銃を前面に出したらアウトです。
下のリンクの写真を見ればわかりますが、日本軍の傘型分隊陣形でも突撃時は軽機を頂点にして前面に小銃を持った歩兵が展開しています。

http://www3.kiwi-us.com/~ingle/topix-2/mop-up.html


#2662 
鈴之時 2002/04/15 07:25
平家の末裔・タリバン(トンデモ歴史本風に)

 ちょっと古いが、タリバンが国旗を白旗(正確には、シャハーダ:アッラーのほかに神は無し、ムハンマドは神の使いなり、と字が書いてあるが)からのの一発ネタ。
 奢れる平和維持軍久しからずとかって(いつかは駐屯を止めるという事)
 平和維持軍が撤退後に内紛が収拾つかなくなったら、源平合戦になったりして。



#2661 
鈴之時(始めまして 2002/04/15 06:15
押井守は戦争とテクノロジーオンチ

 日本が輸出する文化としても、私は彼はイタいと思う。
 前のログで「自衛隊を無茶苦茶無能扱いした」とあった(パトレイバー2)
 見た当時、陸上自衛隊を離れて数年の私は「出てくる人間みんなバカ、というか作っている人間がバカ」と本気で思った。なにせ、あれで「よくできてるでしょ?戦争とかハイテクよく知っているでしょ?」っておもってるのがアリアリ。たとえば、冒頭から実戦装備をして、パトローールするって事は、その命令自体が交戦を徹底的に避けるものだろうが「その部隊が交戦規定をクリアしたら(危険な状況になったらとか)自らの責任と判断で攻撃を始めて良い」という事。
 というか、わざわざ交戦許可を求めつづけて、拒否されたとおりにするドアホが悪玉って。
 コレって典型的にありがちな、軍隊は完全に命令に服従、というののアホな盲信。
 コレじゃあ、上官が部下を何から何まで遠隔操作しなきゃならんでしょ。
 あのヒトのロマン(笑)は、暴動とか混乱とかパニック(特にクーデター)なんだろうけど、軍隊というのは普通なら狂った事を冷静に行うモンなんだろうけど。ニセの東京空爆だけど、仮にバッジシステムのメインルーム?をハッキングしても、東京のあたりは数重にレーダーサイトが囲んでいるけど、そこまで進入できない。だから、各レーダーサイトから無線でガンガン「こっちにはそんなボギーないです」って言われちゃうからバッジシステムだけがおかしいと速気が付く。
 戒厳令の東京、というのも、なまじ絵がキレイだからヘン。駅前に戦車を配置するバカいるか?3トン半(トラック)とジープだろう。戦車なんてまあ暗視装置とかがが使えるからとして、見晴らしの良い所でしょう。
 犬狼伝説ってマンガ(押井守が原作、赤い眼鏡の続編)という、架空の戦後の日本で、パワードスーツみたいなのを着た機動隊が激化する暴動と、というヤツだけど。
 とりあえず、前のほうが長い機関銃もって突っ込んでいって、それの後方支援が自動小銃持ってるというのは、時代劇の合戦で足軽のほうが太刀をもっていて(以下略)みたいなモノです。

 何故、このヒトの作品にこれだけ苛立ちを覚えるかというと、日本映画でありがあちな「カンヌで受賞するのが良いこと」みたいな娯楽否定のスノッブ思考のくせに。「戦争」(そう、現実として大抵いつでも起こっていて、メディアに情報は溢れている)というシリアスなものを素材にしながら、自分のフェテシズムととんでもない認識のコラージュで芸術作品というような事が。

 ここ2年、TVで戦争のニュースとか見ない、ちょっと見て想像してうんざりする。
 まあ、日本は敗戦国だけあって、戦争を活劇にしきるには戦国時代にするか、アニメにするか
怪獣を出すかとなってしまうが(TVや映画では)アニメですらこうなっちゃうと。
 PCで、15年前くらいのTVゲーム−素朴なシューティング−でもするしかないのか?
 と思っていたが、ある程度時間が経った合戦なり戦争で、私が知らないおもしろいモノが山ほど有るんですね、とこのサイトやみなさんの書き込みを見て思った次第(乱文失礼)
#講談とか歴史小説だったら、シリアス風だけど実際は無茶でも笑って許せるだろうし。



#2660 
ホリ−・ハンタ− 2002/04/15 05:57
ナニワ金融道

最近、金融漫画が流行ってるのは不景気のせいか?
筆頭は、元・街金出身の青木氏 とかでしょうが
何かねぇ〜、読んでみても出てくるキャラは皆
ハイエナみたい人々で、自分が、こんな世界に放り込まれたら
3分で自殺しそうな世界、これ読んで快感を感じる人って
多いのかと思うと、何か自分は生理的に生活無能力者かと
思ってしまいます。

青木 氏は何かのコラムで、手塚センセイの功罪とかで
書いてるのを読みましたが
『鉄腕アトムなんざ、ワシに言わせりゃ気色悪いわ
あんなキュ−ピ−人形みたいなのがゼンマイ仕掛けで
人間みたいに動かと思ったら』
ようするに青木氏、曰くは、手塚漫画が日本少年を
中途半端な科学興味を植え付け幻滅させてしまった
張本人と。すると
ホンダの あしも君とかは青木氏は毛嫌いするのかな?



#2659 
秦太 2002/04/15 02:15
怪しすぎるクローンと風雲児たち(関連ナシ)

世界を震撼させたイタリア人医師のヒトクローン成功宣言ですが、その後の報道を見る限り、この話、ちょっと眉唾モノのようです。
なんでも胚は「無限の資金提供」を保障してくれる「アラブの大富豪」のものだそうです(そう言えば第一報はアブダビ発だった)。また、動物実験ではクローン胚が正常に出産・成長する確率はかなり低いのに、この医師は「動物実験で見られた問題が、ヒトの場合生じないことは確実」と科学者らしからぬ断言をしてるんだそうで。
「西欧諸国では不可能な研究が、イスラム国だからこそできた」とも発言していて、これには当然イスラムの医学者からも厳しい批判が起こっている模様。
この研究の背景に、アラブの王族の後継者争いが絡んでいるという噂まで報道されています(さすがにクローンを後継ぎにしようと言う訳ではなく、世界の耳目を集めようとしたんだとか)。
ここまで話が怪しげだと、クローン胚をほんとに作ったのかどうかさえ疑わしく思えてしまいます、少なくとも現時点では。
そういえば、イスラムの人々は、現代の進化生物学や生命科学についてどういった見解を持っているんでしょう?キリスト教文化圏にあるような宗教と科学の軋轢や論争は、やっぱりあちらにもあるんでしょうかねえ?
・・・結局、またクローン話蒸し返してしまいました。

話は変わって、管理人様はじめこちらにも読者が多い『風雲児たち』ですが、実は私もファンサイトに居つかせて頂いているほど熱心なファンです。2回の連載中断の無念を味わっただけに、今回の新装版出版は感慨無量です。
(ちなみに、前の掲載誌休刊の「噂」を最初に知ったのは、アール・ケイさんの某所での投稿を拝見した時だったりします)
ワイド版の装丁、あきらかに新規読者の開拓を狙ってますね。リアルな龍馬と家康の肖像に、時代劇劇画の草分け平田弘史の雄渾な題字。で、中身はドタバタギャグマンガ(笑)。はじめて開いた人、驚くだろうなぁ。



#2658 
長谷川@望夢楼 2002/04/15 01:01
「バミューダ・トライアングル」は捏造

バミューダ三角海域:
 歴史な話題からだいぶ外れるような気がしますが……。
 えーと、まず最初にはっきり言っておくと、いわゆる「バミューダ三角海域」の謎の失踪事件とされるものは、その大半が、それ自体はごくなんということもないただの海難事故(その大半はハリケーンや強風、時化などによるもの。もともとあの海域はハリケーンの本場なのだから当然の話である)を、アメリカの怪奇現象「研究」家たちが寄ってたかって原因不明の謎の事件に仕立て上げてしまったものです。
 ひどい事例になると、遺品が発見され遭難の状況が明らかであるものはおろか、沈没する瞬間を目撃されていたり(来福丸・1925。この事故は当時の日本の新聞でも報道されている)、そもそも事件の起きた場所がバミューダ海域でなかったり(来福丸=ボストン沖、ベラ号・1854年=南大西洋、フレーヤ号・1902年=太平洋など多数)、事件自体が架空のものだったり(パイパー・アパッチ機・1962年など)するものまで「謎の失踪事件」にされている始末です。ちなみに「快晴だったのに突然、白い嵐や濃霧が出現」云々という話も、公式の事故調査報告書では確認できないようです。
(この辺りの話はローレンス・D・クシュ『魔の三角海域』(角川文庫 1975)に詳しい。同書は絶版だが、『トンデモ超常現象99の真相』(宝島社文庫)などでも簡単にその内容が紹介されている。)
 メタン・ハイドレート仮説は一見科学的に見えますが、実際にはバミューダ海域にメタン・ハイドレートが特に大量に分布しているという事実はない上に、そもそも同海域で謎の失踪事件が多い、ということ自体が事実として確認されていない以上、所詮は机上の空論の域を出ません。

『武功夜話』:
 『偽書『武功夜話』の研究』、読んでみました。以下、戦国史の素人で『武功夜話』のことも良く知らない(が、偽書には多少の興味のある)人間のコメントとして。
 確かに各箇所の批判については、後世の加筆や転写時の誤記として説明できそうな部分も多いのですが、問題はむしろその「おかしな部分」の分量がかなりの割合を占める点にこそあるような。
 藤本正行氏の「伝本の書写年代は明らかでないし、素材によったという戦国時代の史料の実物は存在しない。テキストである新人物往来社版の『武功夜話』は、所蔵者の親族による読み下し本で、どこまで伝本を忠実に活字化しているのか、心もとない。その点を検証するために欠かせない写真は、ほとんど公表されていないし、不特定多数の目にふれる展覧会に出品されたこともない」(pp.153-154)という指摘が妥当であるとすれば、もし真作説をとるとしても、それこそまず真っ先に現存状況を十分に明らかにし、正確な成立過程を検討する必要があるのではないかな、と思います。(しかし史料批判の上での当然の前提だよな、これ……。)

http://village.infoweb.ne.jp/~fwjf1899/


#2657 
モーグリ 2002/04/14 21:45
第一次大戦と日本軍

今回は日本軍と第一次大戦の関係について書き込みます(長いですが勘弁を)

よく言われる俗説で「第一次大戦は塹壕戦」というのがあります。実は塹壕戦になったのは西部戦線だけです。東部戦線や中東戦線では日露戦争と同じ大規模な機動戦ですし、バルカン、コーカサス、イタリアでは山岳戦が主体でした。
西部戦線が塹壕戦になってしまった理由は当時の戦術に問題があったからです。第一次大戦まで部隊の最小戦闘単位は小隊(約80人)でした。突撃時は横一列になり、小隊長の命令が届くように互いに1m以下の密集体形で前進しました。さらに「敵の機関銃の脅威を排除する」ため、敵陣地の機関銃ポストを攻撃目標にしていました。その結果、銃剣突撃を行った兵士が次々に機関銃の前に出現することになり、膨大な戦死者を生みました。
そこで大戦後期、連合軍は移動砲台とでも言うべき戦車を開発、強引に機関銃陣地を強襲しました。
対するドイツ軍はほとんど戦車を保有していなかったので、<浸透戦術>と呼ばれる新戦術を開発しました。浸透戦術は小隊より小さい分隊(約12人)で構成された「突撃部隊」(シュトーストルッペン)で敵の防御の弱い部分を攻撃。随伴した歩兵砲で機関銃陣地を破壊、そこから次々に敵陣に浸透していきます。「突撃部隊」は防備の固い機関銃陣地を迂回しつつ塹壕線を次々に通過・浸透、最後は後方の司令部を撃破し戦線全体を崩壊させます。ドイツ軍は最終攻勢<カイザー戦>で浸透戦術を多用、連合軍を崩壊寸前まで追い詰めています。

日本陸軍は第一次大戦の観戦武官の報告から浸透戦術に着目。攻撃法を分隊突撃に変更し、横隊から軽機関銃を頂点にした傘型分隊陣形に切り替えています。また分隊支援用に擲弾筒(一人用ミニ迫撃砲)を配備し、火力支援用に歩兵砲を配備しています。この辺は明らかに「突撃部隊」がモデルだと思います。さらに匍匐前進や伏射を徹底させ、敵に察知されないように夜襲を行っています。これは他国では考えられない徹底振りです。ただし小銃などは従来通りですが。
日中戦争で日本軍は中国軍の上海防衛線<ゼークトライン>(独軍事顧問団によって建造された陣地)を浸透攻撃で突破、何重もの防衛線を突破して南京まで200kmの進撃に成功しています。
張鼓峰事件でも日本軍の浸透戦術でソ連軍は大打撃を受けています。ノモンハン事件ではソ連の縦深陣地で浸透戦術を食い止められましたが、敵歩兵にかなりのダメージを与えています。ノモンハンの反省も「もっと早く・深く・広く浸透せよ」でした。最近のソ連側の資料公開により、従来「日本軍の敗北」だと言われてきた張鼓峰事件やノモンハン事件でソ連軍が大損害を受けたことが判明しています。
太平洋戦争ではジャングルから浸透戦術をかけ、短期間でビルマやマレーの防衛線を崩壊させています。こうした事例を見れば「日本軍の戦法は日露戦争以来の銃剣突撃だった」というのが間違いだと分かります。

雑誌『TACTICS』(廃刊)のコラムによると、アメリカのメディアによって「集団で狂信的に万歳突撃する日本兵」という誤ったイメージが形成されたそうです。そしてこの誤ったイメージは現在もテレビ・小説・映画で再生産されています。実際には前述のように日本軍は浸透戦術が得意だったですし、「万歳」と叫んで突撃したという事実はありません。というより突撃時は徹底した夜間無音突撃で、連合軍から「忍び寄る日本兵」と恐れられていました。

日本軍が火力増強に消極的だったのは事実です。しかし日本軍は第一次大戦から教訓を得たのです。



#2656 
素人筋 2002/04/14 15:58
航空機事故の原因

昔から空の事故で有名になったのが“金属疲労”です。イギリスのBOAC機が発端だったと記憶しています。原因は違いますが、富士山上空で空中分解したBOACのような事故もあります。航空機事故と言うのは中々原因がつかめない、というより原因が連鎖的に発生して事故につながる、ということが多いのではないでしょうか。事故後にボイスレコーダーやフライトレコーダーを回収分析しても事故原因を究明することが出来ない場合もあります。気象状況を再現することは殆どできないと言われています。人為的な単純な操縦ミス程度の原因であれば機械的に判るのでしょうけど。



#2655 
ホリ−・ハンタ− 2002/04/14 11:45
空難・海難・三角海域

>カンタベリ様
はじめまして、ソリトン波とゆうのですか?
覚えておきます、ありがとうござい。

>バミュ−ダ三角海域での遭難は最近は起きてませんね。
米ソの虎の子原潜も数隻、行方不明となったとかは
もしかしたらソリトン波にやられたのかも。
ですが、それだと、飛行機の遭難はどうなのか?
という話しですが、よく目撃情報で
快晴だったのに突然、白い嵐や濃霧が出現
とゆうのがありますが、
最近の研究で、名前は『ハイドロ〜何とかかんとか現象』
とかゆう長い専門用語ですが、
海面下で突然、急激で大量の水分の蒸発が起こり
急激で大きな上昇気流を起こし
上空の飛行機にアッパ−を食らわし
落ちたとゆう説が浮上してきてるそうで。



#2654 
カンタベリー 2002/04/14 10:19
海の牙

>水圧は水深が深ければ高いという関係ですが
>深海で大きな波が起きると深海の高水圧が
>波の最高位でも高圧、つまり、この波により
>浅いとこでも潜水艦を潰すくらいの水圧になり
>不幸にして潜行中の潜水艦と波の上昇が
>重なり水難となった例が結構あったようで。

 これは、塩分濃度が異なる海水層の境界面に生じるソリトン波の
ことではないでしょうか?
 海底地震や地滑りでこの境界面にソリトン派が生じた写真を
学術雑誌で見た記憶があります。
 ソリトン波は群速度と速度が同じなので波に蓄えられたエネ
ルギーが分散せずに進むので、ソリトン波の進行方向に潜水艦
があるとハンマーで叩かれたようにダメージがあるという事で
はなかったかと思います。
 スレッシャー号の沈没原因はこのソリトン波ではないかとい
う推測もどこかで読んだ事があります。



#2653 
素人筋 2002/04/14 10:17
問題は解決できるのか?

歴史・地理・宗教・民族の4つを考えた場合、イスラエルとアラブ人の関係は極めて複雑に絡み合っています。この問題の解決は、どの部分を組合わせてもお互いの希望をすべて取り入れることは出来ません。従って、何を切り捨てるかがキーポイントになると考えます。この中でも最も難しいのは、宗教ではないでしょうか。日本人的感覚からは(私も含めて)宗教が違っていても戦争になることは想像もつきません。また、歴史的見地から、ユダヤ民族とアラブ民族の対立と融合の関係は現時点で果たして見出すことが出来るのでしょうか。また、地理的な面では、領土問題と言うのは、日本もそうですが、お互いに簡単に手放したり諦めたりすることが出来るでしょうか。このように、困難な問題(見たところ解決できそうにない問題)を抱えている訳ですから、問題解決を当事者同士で、もし行えれば良いのですが、本当に出来るのでしょうか。他人事の様で申し訳ないと思います。



#2652 
ホリ−・ハンタ− 2002/04/14 08:42
ラビン首相の暗殺

この方が、右翼的ユダヤ人に暗殺されたとゆう
凶報を聞いた時、驚いた私、アラブ諸国を敵に回し
数多くの中東戦争で有利な状況を成した、
鉄の団結力を持っているかと思われたイスラエルにも
ユダヤ人どうしでも右翼と左翼の闘争があるのかと。

イスラエル軍・情報部に在籍し、軍に背いてアメリカ
へ亡命した或る人物が著作の中で書いてましたが
イスラエルでは、西欧から移民してきた人々と
東欧から移民してきた人々は仲がスゴク悪いとか。
傾向として、東欧系は政府機関・お役所を牛耳り
西欧系は民間大企業・財界を牛耳るという
構造だとか、イスラエルは。




#2651 
アール・ケイ 2002/04/14 02:36
敵も味方も同じ穴のムジナ

『風雲児たち』ってその後どうなったんでしたっけ?
(ただいま検索中…)
何〜ィ、第2部幕末編を連載中ですとーォ(噂は聞いてたけど)
いまさらそんなことを知るなんて遅れてるぅ、…俺がですが(笑)。
みなもとセンセ、ぜんぜんタッチ変わっとりませんな(リイド社のサイトでは部分的に立ち読み?できたりする)。ギャグも変わらないし(笑)。安心しましたが、この雑誌も果たしていつまでもつやら。雑誌が休刊になる前に完結して欲しいのですが、無理でしょうねえ…。

南朝北朝どちらが正当(正統)かなんて、大半の武士にとってはどうでもよかったんだと思いますよ、その当時だって。自分の利権を権威付けてくれる方に付くだけ。状況によってアッチについたりコッチについたり…。そうやって朝廷の権威は失墜していき、今度は朝廷のほうが強いものになびいたりし始めるわけですな。
でも民族や宗教(それも民族がからんだ)による争いに比べれば、どことなくのんびりしているような感があります。それであっても応仁の乱の際のように止めるにやめられなくなるのが、戦争が嫌いで同時に好きな人間の性(さが)やもしれませんね。

ロシア人(のあくまでもごく一部だとは思うのですが)は本音ではスターリン“復権”というのが本音ではないのでしょうか。あれだけの大粛清、大虐殺(信長なんてめじゃないですよね)をやっていても、時間というのは恐ろしいもので、あの時代を直接知らない世代はスターリンの時代(特にその初期)を輝かしい時代だと思い、賞賛し始めている、てなこともあるのでしょうか。ヒトラーうんぬんはそういった現象の前触れやもしれませんね。
もっともロシアは経済学者に云わせると、経済的には最悪期を抜け出したみたいですが…。

連載中に遠藤センセの『男の一生』を楽しみに読んでいた私としては、『武功夜話』偽書論はちょいショックだったりします。ま、(現物を読んだことはありませんが)仮にその記述が全て創作だったとしたら、書いたヒトは司馬遼太郎以上の才能の持ち主だと思いますけどね(笑)。

いまだにクローン人間というと、等身大の大人の人間のコピーがレンジで解凍するみたくチン!と出来上がるんだと思っているヒトが多かったりします。「花街の母」じゃないけれど、♪歳の離れた双子の弟(妹)と…、に過ぎないですけどね。
人間が死にたくない、と思うのは、持って生まれた性であります。その性が変わらない限りは「神の領域」であっても止めようもなく人間は進んでいくんでしょうね。

手塚治虫は、『火の鳥・大地編』の構想(というか書き始めの部分のメモ)を残して亡くなりましたが、その大地編では大戦間時代の中国奥地が舞台の1つとなったようです。くロック(間久部緑郎…手塚スターの1人)が探検隊を率いて、大陸で、「その血を呑むと不死の命を得る」と伝えられる伝説の不死鳥(火の鳥)を捜し求める、というハナシの始まりになるのではなかったでしょうか。たぶん、ロックは選ばれた日本兵に火の鳥の血を呑まして“死なない地獄の軍隊”を作り、世界帝国を作ろうと企む、てな展開だったんじゃないかなーと想像しています(ただし、ちょっと遺作『ネオファウスト』と話がかぶりますが)。
私の見果てぬ野望の1つに、この大地編を(小説形式ですが)私の手で完成させてやろうというのがあります(笑)。上に書いたアイディア、盗んじゃダメよ(誰も盗まないっての(笑))。
人間は仮に不死の命を得ても争いをやめようとはしないのでしょうか。だとしたら、とんだ進化の長者ですよね、バカの極みというか。

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#2650 
徹夜城(新学期体勢に突入した管理人) 2002/04/14 00:46
いやぁ、賑やかだなぁ。

管理人が書き込まなくても勝手に話が盛り上がっている、ああいい風景だな、などとしばらく姿を見せなかった管理人は思うのでした(^^;)。管理人みずからROM状態でしてね、ここ数日。話題には目を通しつつ書き込む暇(精神的ヒマ)がありませんでした。

ってなわけで話に乗り遅れたものも多いですけど、思いつくところをポチポチと。

>「風雲児たち」ワイド版
あー、僕もこれ買いました。実は長年これのファンだったんですけど、なぜか最初の数巻読んでませんでして、今回のワイド版発売は個人的にもちょうど良かったところです。
それにしても最初の方読んで見るとすでにこの段階で「いつ幕末に行くんだ!」と編集者に怒られるネタが書かれてるんですねぇ。それから幕末に到達するまでに約20年もかかるとは読者・編集者はおろか作者すら想像もしなかったでしょう(笑)。しかし固定ファンは相当数いるようで、リイド社が拾ってくれたのもそういうファンのバックアップがあったからといえるでしょうね。
それにしてもこのリイド社ワイド版、「ギャグ注」がさらに充実してますねぇ。困った、あとの巻も買いなおさなきゃいけないのではないか(笑)。

>北陸の南北朝
越中といいますと、大河ドラマでは高橋悦史さんが演じて終盤の名脇役であった桃井直常の本拠地ですね。直常は直義派の猛将で、観応擾乱以後は一応南朝方(?)になるんですが、その後桃井勢はその斯波氏によって壊滅させられます。しかし越中守護の座は細川氏と斯波氏の争奪があたらしく、細川清氏そして細川頼之が斯波高経・義将親子と常に対立関係にあった理由の一つが越中問題だったりします。
ま、この辺は「ムロタイ」で今後描かれるでしょう。したがって斯波氏はおおむね悪役回りですね(笑)。相良さんも書かれてますが、斯波氏は鎌倉時代は足利姓を名乗っていて管領(執事)職につくよう要請されても「それは高などの家来筋がなる職である」と言って断ったという話もあるほど家格とプライドの高い一族であったようです。

ところでマナさん。
>越中が北朝方だったという傍証になると思うのですが、富山の片隅高岡には、
>後醍醐天皇の皇子で幽閉され、後に殺された、恒性皇子の墓や、宗良親王が建
>立した寺がありますよ。
この話、いろんな意味で興味があります。まずその墓は確かに「恒性皇子」の墓
なのでしょうか?後醍醐天皇の皇子に「恒良」ってのはいるんですけどね…この
人、殺されたとしても墓がそんなところにあるというのは妙なんです。
それと越中は南北朝がらみでちと怪しげな話もあるところでして…いま執筆難航中の
「てこ歴」新作がこの辺の話に絡んでくるので興味があるところなんです。

>奥野さん
ロシアの極右の話、僕も新聞で読みました。
ロシア極右がヒトラーに共鳴するっちゅうのも良く分かりませんが、アメリカの高校で起きた乱射事件もヒトラーの誕生日に合わせてでしたっけね(過去に史点ネタになってます)。ほんとヒトラーの影響力ってのはいろんなところで…
最近はイスラエルにヒトラーもどきがいるような気もするんですが。



#2649 
相良義陽 2002/04/13 14:20
斯波氏?

室町幕府きっての名門ですね。「斯波」という家名は鎌倉末期に名乗り始めたもので、
それまでは「足利」を名乗っていました。で、別名・尾張足利。
三管領の筆頭というべき家柄です。応仁の乱の際は斯波義廉と斯波義敏が争って没落、ということですが、
三管領四職の常として京都に出仕しなければならなかったため足下が弱かったんでしょうね。

私の参照したHPでは、斯波義銀が信長に清洲城を追われ滅亡、となってます。
http://www2.harimaya.com/sengoku/buke1.html

http://www.h3.dion.ne.jp/~jtpage/cy/


#2648 
名無し 2002/04/13 10:48
ななさん、ありがと><

ありがとうございます!!
遅れてすみません><
早速、下級神官から当たってみます!!
ほんとに、ほんとに、大感謝です><



#2647 
ホリ−・ハンタ− 2002/04/13 10:46
尾張・斯波家の最期は?

尾張・斯波家の最後の当主とゆうのは
尾張下4郡の織田家に擁立されてたそうです。
それに敵対したのは、尾張上4郡の織田家だとか。
ちなみに信長の家は、下4郡の織田家の
3奉行のうちの一つに過ぎなかったとか。
若き頃の信長は、斯波の最後の当主とは
馬鹿騒ぎを一緒にやる友達どうしだったと
いう話しも聞きました。
なお、この斯波の最後の殿様は
上4郡の織田家の謀略で、失脚、
追放されたとか殺害とか消息は不明。
表面上は、信長が追い落としたようには
なってないようです。

出典)脇田 修 氏、著作『織田 信長』



#2646 
ホリ−・ハンタ− 2002/04/12 23:24
皇子の墓?

えぇ?!そうゆう ご大層なものが何故、富山に?
長年、住んでて全然知らなかった。
とゆうわけで、はじめまして、マナ様

>斯波 氏
斯波とゆう大名は、なんか、室町の歴史で
ほうぼうに出てきますね、越前の守護だった
ときは、朝倉氏と神主の織田氏を従え
尾張の守護も兼任を授かると、織田氏を引き連れて
尾張へ。こうして越前の守護代は朝倉、
尾張の守護代は織田になったとゆうのは
歴史の授業で習った気がします。
何か、興味が沸いてきました、この方面は
断然、徹夜城サンの領域。
斯波の一族って、凄かったんすか?徹夜城さん。
太平記では、斯波 氏って悪役?善玉?



#2645 
なな 2002/04/12 23:21
盛者必衰

>斯波氏
どうも「信長に追い落とされた前尾張守護家」くらいの認識しかありませんでした。
地元でもほとんど無名だと思いますし、斯波氏ゆかりの何々(寺・神社・遺物etc)ってそういえば聞いたことがないですねぇ。
斯波氏について簡略に説明してるのは、こちら。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/siba.html
かつての名門が没落して消えていく…。ここの最後の部分がちょっとせつないでしょ?(TT)



#2644 
マナ 2002/04/12 20:16
連続ですが・・・

>ハリー・ハンターさん
室町将軍が越中に下向していたという話ですが、わたしも聞いた事があるなと思い、家にある「富山県の歴史」(河出書房新書)を見ると、確かに応仁の乱の際に、逃れてきたとありました。
富山も、北朝に付いたり南朝に付いたり、おもしろそうだな。



#2643 
マナ 2002/04/12 20:00
富山は北朝?南朝?

越中が北朝方だったという傍証になると思うのですが、富山の片隅高岡には、後醍醐天皇の皇子で幽閉され、後に殺された、恒性皇子の墓や、宗良親王が建立した寺がありますよ。
恒性皇子の墓は、近所なので、学生時代に見学に行きました。




#2642 
ホリ−・ハンタ− 2002/04/12 17:51
南北朝争乱・越中編

学生時代に聞いた記憶がアイマイなので自信無いですけど
越中は北朝方となって最終的には、斯波 氏の領国に
なったそうで。斯波 氏って全国に領国を持ったのでは
ないですか?、尾張とか。結構、メジャ−な
守護大名なのですか?斯波 氏って。
もっとも、越中の実際の領国経営は、地侍どもが
守護代としてやっておったようで。
ただ、何故か知らんけど、室町時代には
京洛の政争で敗れた足利将軍が
越中へ避難してきたと郷土史に載ってましたが
名前は覚えて無いし、真偽の程は分かりません。




#2641 
建武新世紀 2002/04/12 17:20
あと83人!!(長え・・・)

>ななさん
さっそくありがとうございます。さっきカウンター見たら昨日の倍になってたので、他にも答えてくれた人がいるんですね。ありがとうございます。引き続きお願いします。気楽に答えて下さい。

>ホリー・ハンターさん
南北朝時代は北は陸奥の霊山城から、南は九州の大宰府まで戦乱がありますね。それにこの時代って勝った方に雪崩をうってなびくんで、南北両方の入れ替わりが激しいんですよね。
でも、僕のイメージでは越中富山って北朝方なんですよね。
新田義貞が越前金ヶ崎城に入った後、息子の義顕を領国の越後に向かわせたけど、越中の北朝方に邪魔されている。義貞の死後、越前を撤退する脇屋義助(義貞の弟)も越後に向かえずに、仕方なく反転して美濃に落ちている。
越後は建武の新政以前から新田氏が押さえていただけに、新田にとって越中の北朝方は首根っこ捕まれている存在だったわけですよね。





#2640 
素人筋 2002/04/12 16:59
太平洋戦争における日本の敗因

モーグリさんの言うのが正しいような気がします。日本軍の組織(参謀と各司令官の関係)と戦術・戦略、が大きな敗因であると思います。参謀が現場の事を全く無視して戦略を立てるということを軍部が行っていた事実は明らかです。大きな意味で、基本的な近代戦争の哲学を持たないで戦争に突入したことも敗因の一つではないでしょうか。通常、戦争を始める前に必ず何処まで闘うかを決めるといいます。闇雲に戦うだけという戦争は、戦争が拡大するだけで戦闘行為の終了(勝っていても負けていても)が見えないと思います。



#2639 
奥野 2002/04/12 13:27
極右の季節

モスクワでは、日本を含む各国大使館宛に極右団体から脅迫のメールが届いたそうです。「4月20日、ヒトラーの誕生日に外国人を殺すから気をつけな」という内容。ロシア人がヒトラーの誕生日を「祝う」ってのも不条理な話ですが、実際ネオナチによる事件はよく聞きますね。プーチンの下である程度は安定しているように見えるロシアも、社会面での問題はまだまだ山積みです。しかし他のヨーロッパ諸国でもこの種の事件はなくならず、半ば永遠のテーマの感があります。ヒトラーも罪作りな男だ…と、もちろん彼一人が始めたことではないのですが。

>景虎様

情報ありがとうございました。ご紹介のページを読んでみて、自分の鎌倉時代観にもかなりのステレオタイプが混ざっていたと気づかされました。南北朝時代のことも多く扱われているし、どちらかというと徹夜城さん向けのサイトかもしれませんね。
実際に鎌倉武士や西欧騎士がモンゴル軍と戦った際、どの程度の「戸惑い」を感じたか?これはよく分かりません。ただ、様々な国との戦闘を経験したモンゴル軍に比べ、同質の軍隊との戦いが多かった武士や騎士が不利だった傾向はあると思います(日本に攻めてきたのは、もはやモンゴル軍とは言えないかもしれませんが)。ヨーロッパの場合、攻め寄せてきたモンゴル軍は、これまで考えられていたよりも少数だったとする研究が出てきているようです。

>「武功夜話」をめぐる話題について
 
実際のところあまり詳しく読んでいないので何とも言えないのですが、研究者にとってこの手の史料は悩ましい存在でしょうね。信憑性に問題があるのは分かっている、けど捨てるには惜しい記述も多い…という場合、これを使うかどうか。
僕が学んだ古代ロシア史にも、実は同じような問題があります。古代ロシア史はあまりにも史料の少ない分野でして、後世に創作された疑いのある年代記や伝承・伝説でも、取りあえず「現実を反映している可能性がある」として利用する研究者がいるのです。もちろんその可能性は否定できないでと思います。しかしその場合、自説に都合のいい部分だけをつまみ食する傾向が目立ちます。危なっかしい史料であることを知りつつ、自説の正当化に利用するのは研究者として誠実な態度とは思えませんでした。「武功夜話」の場合、どのような利用のされ方をしてきたのでしょうか。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/6218/


#2638 
モーグリ 2002/04/12 12:59
自動小銃がないから負けた?

『鉄砲と日本人』でもう一つ言っておきたいことがあります。

著者は「日本軍は旧式化した三八式小銃を35年間も使用しつづけた。その間列強は自動小銃を配備していた。日本軍は自動小銃の採用しなかったから負けた」と主張しています。この「日本軍は自動小銃がなかったから負けた」という俗説は歴史マニアなどの間で以前から根強く言われているものです。しかしこれは間違いです。

別に三八式小銃(1905年)は列強と比較して旧式ではありません。、ドイツは1897年採用のモーゼルM98を改良したKar98Kで第二次大戦を戦いぬいていますし、大英帝国のリー・エンフィールド小銃の採用は1902年です。もっと古い例ではソ連のモシン・ナガン(1891年)やフランスのリベル小銃(1886年)が使用されています。これと比較して三八式が旧式であったとは思えません。

それに第二次大戦で自動小銃(厳密には半自動小銃)を全軍に装備したのはアメリカ軍だけです。それ以外の軍隊では一部で自動小銃が使用されていましたが、主力はあくまでボルトアクション小銃でした。そのアメリカ軍でさえM1ガーランド自動小銃が完全に配備されたのは43年以降で、緒戦のフィリピンやガダルカナルでは旧式のスプリングフィールド小銃で戦っていました。大戦末期のフィリピン戦線の日本軍は鹵獲したスプリングフィールド小銃を使用していたそうです。

それに第二次大戦で現代の基準から自動小銃と言えるのってドイツのStG44だけでは?



#2637 
ホリ−・ハンタ− 2002/04/11 22:48
南北朝時代の争乱

あくまで地元史とゆうか郷土史とゆう狭い観点から
邪推するのですが、
日本の南北朝の争乱期って結構、全国規模で合戦が
あるような気がするのですが。
我が県、富山・越中でも、南北朝の代理戦争とゆうか
合戦があったと伝承されてます。
マイナ−な人物ばかりなので個人名は略させてもらいますが
南朝に加担した既成の越中・国司一家と
北朝に加担した新興武家が海辺の国司の城を巡り合戦に。
国司の城は陥落し、越中は北朝方になったとか。
越中みたいなド田舎でも代理戦争があったくらいだから
全国で南北朝の勢力版図の入れ替わりが
めまぐるしくあったのでは?と勝手に妄想するのですが。



#2636 
モーグリ 2002/04/11 22:21
日本軍は白兵主義?

>「鉄砲と日本人」
以前、軍事マニアが集まっている<WARBIRDS>というサイトで「日本軍は白兵主義か?」という質問をしてみました。その結論は驚くべきものでした。
詳しい内容は下のリンクに出ていますが、要約すると

1・欧米は第一次大戦で白兵主義を放棄などしていない。フランス軍は依然として白兵主義を唱えているし、他国の歩兵操典でも白兵戦は否定されていない。実際、独ソ戦では白兵戦が頻発した。

2・日露戦争以後も「歩兵操典」の上位に位置する「戦闘綱要」では火力主義を唱えている。また、「歩兵操典」も同時代の欧米の歩兵操典と比較して大差ない内容であり、白兵主義を鼓舞してはいない。日本陸軍の白兵戦への固執の度合はイギリスやドイツに近く、ソ連ほどではない。

3・太平洋戦争の日本軍のバンザイ突撃は弾薬不足、重砲等の支援が不足している状況下でやむなく行なったに過ぎず、別に好んで白兵戦を行なったわけではない。

鈴木氏が主張している「日本軍が日露戦争以降白兵主義になったが、欧米は第一次大戦後白兵主義を放棄した」という結論に疑問が提示されています。

日本軍と第一次大戦については次回書き込みます。

http://www.warbirds.nu/BBS/c-board/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=601;id=


#2635 
なな 2002/04/11 19:55
いちお、協力しました

下記のアンケートに答えてきました。歴史は好きですが、南北朝時代はそうとう苦手です。
に、新田義貞の出身地ィ???……「福井県」と答えてきちゃったけど……あはは〜。(^^;)
しかも、「南北朝時代のイメージは?」の問いに、「アニメ『一休さん』のイメージが強いです」とまじめに答えてしまった…。ハッ…シマッタ。「一休さん」は南北朝期のお話ではありませ〜ん!_(._.)_
こ、こんな回答でもお役に立てるのかしら。ぶじに卒業なさってください〜。(TT)



#2634 
建武新世紀 2002/04/11 17:12
歴史を愛する人々にお願いを・・・

以前にここに書き込んだコトがありますが、僕は現在修士論文を作成中なんです。テーマは新田義貞と南北朝動乱についてなんですが。
それで、みなさんに御協力をお願いしたいんです。現在「アンケート100人に聞きました!」で、アンケート調査を行っていますが、いかんせん回答率低すぎ!これでは先に卒業してしまいます。いや、卒業出来ないかもしんない・・・
是非、回答に協力を願います。アドレスは
http://www.enquete.ne.jp/hundred/survey/20020406-2/
で、タイトルは「修士論文―新田義貞と南北朝動乱―」です。ひとつ、よろしくお願いします。
・・・・・・・と、ここまで書いたんですが、こんなコトをここに書き込んでよかったんでしょうか?すいません、もし内容がここにそぐわないなら削除して下さい。



#2633 
デルタ 2002/04/11 00:16
「風雲児たち」…笑

橘樹さん、こんにちは。
家康は城攻めが不得手だった……の説、
僕が最初に見たのは、司馬遼太郎さんの「城塞」という小説でした。

家康自身苦手意識を持っていて、
大阪城攻め(夏の陣)では野戦になるように仕向けた、
という設定になっていました。

>みなもと太郎先生の漫画を読んで
「風雲児たち」ですね。今度出たワイド版の単行本、思わず買ってしまいました(笑)

http://www4.ocn.ne.jp/~hosiakar/


#2632 
デルタ 2002/04/11 00:14
クローン人間?

最初に断っておきますが、クローン人間をつくること自体には、僕それほど抵抗がありません。
(かれらを既存の人間の「複製」として扱おうとするから、倫理上の問題が起きるだけで)

が、今度の件は本当にびっくりしましたゎ。
現状で実行してしまうのは、「人体実験」といわれても仕方がないでしょう。
ななさんが書いておられるように、細胞レベルの「年齢」については、
なおも疑問が残っているわけですから。

被験者(とあえていう)のご家族の十分な納得が得られていればいいのですが……。

http://www4.ocn.ne.jp/hosiakar/


#2631 
なな 2002/04/10 19:26
生命は道を見つける?

あのイタリア人医師の行動は、思えば数千人のカップルの支持の上に成り立っているわけで。
人間の本能に関わる部分なので、もうこの流れは止められないんだと感じています。
「ジュラシック・パーク」の"Life finds a way."……の人間版、かなあ。
しかしドリーちゃんのように、生まれて数年で老化現象が始まったら、その時はホントど〜責任取る気なんでしょうか?
子どもの「成長」ならぬ、「老化」を見守る運命となってしまった……これは悲劇でしょう。
先天的に老化が急速に進む病気がありますが……。



#2630 
橘樹 2002/04/10 16:35
家康の城攻めについて

康は城攻めが苦手、と言う説はきわめてマイナーなものなのですね。こんなことで質問してすいませんでした。
元はといえば、みなもと太郎先生の漫画を読んでてこんな記述があり、そういえば他にもこんな
こと言ってるの聞いたことあるなあと思い、思わず書き込んでしまったのです。その後、他に誰が言っているのかと調べましたが、どうしても出てきませんでした。呼んだ記憶は確実にあるのですが。
そんなだから結局根拠も何もない、さらに、さして有名でもない風聞に過ぎなかったのですね。
なぜそんな風聞が流れたかについては、柱国大将軍様の秀吉との対比と言う説に説得力を感じます。



#2629 
素人筋 2002/04/10 13:33
悪の心と善の心

科学・化学技術や医学・薬学技術は進歩に進歩を重ね、思いもよらない事が出来るようになりました。核分裂反応は平和利用だけであれば何も問題が起きませんでした。化学反応を利用して医薬品を造り病気を治すのであれば問題ありません。医学についてもクローン技術は人類のためになるような利用であれば誰も心配はしません。人間には“悪”と“善”が同居しているといわれています。医学を志す人が“悪”の心を持って医術を手にしたとき、そこに“悪魔”が襲ってきます。イタリア人医師はどのような気持ちでクローン技術を人間に試したのでしょうか。医者を志す人は人間としての倫理を最も大切にすることが要求されなければなりません。それが出来ない人は、医者になる資格はないと思います。他の技術者にも云えると思いますが。



#2628 
ホリ−・ハンタ− 2002/04/10 12:18
クロ−ン出産

ついに決行したそうですね?
しかし、くだん のイタリアの医師、自信満々
の記者会見でしたが、
バチカンを意識してのコメントが多かったような。
そりゃ、法王庁は賛成できないでしょうな。
或るアンケ−ト調査で
歴史上の人物の中で、クロ−ン技術で復活させることが
できるとしたら誰を?というのをやったら
首位はイエス・キリストだったとか。



#2627 
中根東竜 2002/04/10 03:39
すいません、書き忘れ・・&補足

すいません、先ほどの投稿で書き忘れがありました・・

>鈴木氏の論証の不当性に関しては以下のページで扱っておられるので、
御覧になると良いのではないでしょうか。

の所、URLが抜けてました・・
以下です。
http://plaza2.mbn.or.jp/~nari/faq60-5.html
しかし、このページで批判されている本は「鉄砲と日本人」だった・・
あの本もうさんくさかったということか・・前言、少し訂正致します・・

>長谷川@望夢楼さん

こちらでは初めまして(かな?)。望夢楼のほうは良く拝見しております。

> 確かに、中根さんもご指摘の通り、学術的な書物も多く出している出版社なんですが……いい意味でも悪い意味でも『歴史読本』のイメージが強いような気がしますね。

結局、そういうことなのでしょうね・・
まあ最近は学術書を出す量が減っているのも関係しているのかな。



#2626 
長谷川@望夢楼 2002/04/10 03:24
研究者の新人物往来社に対するイメージ

 どもども、大変ご無沙汰してます(^^;)。

新人物往来社:
 今谷明『天皇家はなぜ続いたか』(新人物往来社 1991)の「あとがき」に、「出版社の新人物往来社については、研究者の間には、正直な話、批判めいたものもないではない」とあります(今谷氏は続けて「この出版社は所謂外部の圧力に気兼ねすることなく、著者の意志を最大限に尊重して下さる」とフォローしており、もちろんそちらの方が氏の本旨なんですが)。
 確かに、中根さんもご指摘の通り、学術的な書物も多く出している出版社なんですが……いい意味でも悪い意味でも『歴史読本』のイメージが強いような気がしますね。

http://village.infoweb.ne.jp/~fwjf1899/


#2625 
中根東竜 2002/04/10 03:22
武功夜話って難しいですねぇ・・

どうも、中根です。僕の書き込みに反応して頂いた方、ありがとうございます。
まああの後も少し考えてみたのですが、どうも「武功夜話」を偽書と断言するのは
現時点では難しいと思います。偽書として批判している人は文中に誤りが多いことを
主な論拠としておられるようですが、この誤っている箇所を見ると、
どうも偽書として認められるような所がないんですよ。

まあ、ある歴史書を偽書とするときには
1.その資料が書かれた時点で無かった事柄が大量に登場している
2.話がソモソモうさんくさい、あり得ない話が多い
という観点から判断することが多いんじゃないかと考えて居るんですが、
武功夜話は何れも当てはまらない。まあありそうな話が多いようです。

偽書説も、結局は偽書「東日流外三郡誌」のような作為が明確に見られる誤りと言うより、
写しで長い間伝わってきた時の誤記と思われるモノをことさらにあげつらっているような
気がするんですけどね。歴史の訓練を受けていない人が写本で長年伝えてきたために
生じた誤りがよほどあるんでしょう。

>モーグリさん

>それ、買いました。何か「秀吉の一夜城は架空」だそうで、大変なことになってますね。秀吉の一夜城は小学校の頃秀吉の伝記を読んだ時に知ったものでてっきり事実だと思ってたんですが。

これ自体は別にこの本が初めて称えたことではなく、以前から架空とはいわれていました。
そもそも「墨俣一夜城」のお話しそのものが江戸時代の小説・竹内確斎『絵本太閤記』で
言い出されたこと(だったはず)で、それを明治期に不用意に歴史学者の渡辺世祐が
史書に書いてしまったために一般化したものです。架空を証明したのは
藤本正行氏だったと思いますが、それ以前から疑問視はされ続けていたと思います。

ま、これが「武功夜話」と絡むのは「墨俣一夜城架空説を覆す!」として
「武功夜話」がクローズアップされたからなんでしょうけどね。
しかしそもそも成立年代が『絵本太閤記』に近い「武功夜話」を持ち出すこと自体が
おかしいとは思いますが、墨俣城に夢やらロマンやらを感じていた人にとって
架空説はいらだたしいモノであって、それを覆してくれそうな「武功夜話」に
飛びついてしまったんでしょうね。

>それにしても竹中直人の怪演で有名なNHK大河ドラマ「秀吉」を始めとする小説やドラマの多くが「武功夜話」を元ネタにしていたとは。別のサイトによると現在放送中の「利家とまつ」にも「武功夜話」からとったシーンが登場するとか。

武功夜話を元ネタにした小説やドラマは多いです。大河ドラマでも
信長の妻の一人・生駒氏(武功夜話では吉乃という名になっている)や、
桶狭間の合戦で蜂須賀正勝らが今川氏の所へ忍び込んで酒を振る舞い油断させた
部分がよく登場します。今度の「利家とまつ」は特に武功夜話ネタが
多いですね。先日も武功夜話にのみ登場するエピソードがでてました。

まあ、「武功夜話」そのものが臨場感に溢れた血湧き肉躍るお話しなので、
焼き直しただけで小説に出来ることもあり、発見当初から多用されています。
小説化は武功夜話の原型『五宗記』の著者・前野長康を描いた
故・遠藤周作氏の『男の一生』あたりが嚆矢ではないかと思いますが。

>>鈴木真哉氏の論旨
氏は論理がかなり過激なんですよね。

・・過激だけならいいのですが、最近時に怪しげな論証を行われることが多く、
失望しております。鈴木氏の論証の不当性に関しては以下のページで扱っておられるので、
御覧になると良いのではないでしょうか。
なお、「日本軍はWW1に学ばなかった」というのは極端だというのは初耳です。
「鉄砲と日本人」はまだ論証が堅かったような気がするのですが、
よろしければご教示頂けたらありがたいです。

>ななさん

>「原文には”昭和”の地名が書かれていた。実は戦後に書かれた偽書なのではないか?」

これって昭和時代に写したときないし、翻字(原本から印刷物へおこすこと)した
時の誤字ってことじゃないんでしょうか?これだけで偽書とするのは、
証拠不十分ではないかと思えてなりません。



#2624 
素人筋 2002/04/09 13:12
見聞録・見聞集

江戸時代には、この種の読み物が沢山出ています。新しい版では、「世事見聞録」古い版では「見聞談叢」日本随筆大成のなかには、沢山掲載されています。また、地方自治体で出版される「××史史料」の類にも多く含まれています。また、見聞禄ではありませんが、「徳川実記」は色々なことが書いてあって時間つぶしに眺めているのも結構面白いものです。



#2623 
なな 2002/04/09 00:28
偽書の定義

>「武功夜話」
原文と批判本の両方を読んでみないと、これ以上はコメントできないですが、私が気になっているのは最初に書いた一点だけ……。
「原文には”昭和”の地名が書かれていた。実は戦後に書かれた偽書なのではないか?」
地元の郷土史家がかつて指摘したそうです。要するに「東日流外三郡誌」のパターンになることを懸念しています。例の批判本では、紙の材質や筆跡の科学的な測定はなされました?

>素人筋さん
おぉっ!「鸚鵡」をお読みになられたんですか?(^^)
私もひところこのおじさんに夢中になりました。ネットで「鸚鵡〜」と検索すると、意外にたくさんヒットするんですよ。その多くがグルメ関連のサイトなのは、ほほえましいことです。
きっとご存じでしょうけど、朝日家の墓石は現在は名古屋市の市営墓地に集められています。
「私がきっと探し出して、供養するんだ〜っ」と本気で考えたことがあります。(^^;)
いえ、今でもけっこう本気で、いつか「鸚鵡」をもっと有名にして、墓石探検隊の好事家が集まらないかな…などと。

>ミユさん
はじめまして。もしかして「しりとり歴史本」ページの、「物語北欧の歴史」(中公新書)がヒットしたのですか? だとしたら、この本以外の情報をお探しなのでしょうね。
マルグレーテ一世で検索したら、以下のページが一件だけヒットしました。
http://member.nifty.ne.jp/ryo-az/first.html
後は上記のサイトに直接問い合わせた方がいいと思いますよ。同人誌が手に入るといいですね。



#2622 
モーグリ 2002/04/08 23:44
やっぱり話題に

>「偽書『武功夜話』の研究」(洋泉社)
それ、買いました。何か「秀吉の一夜城は架空」だそうで、大変なことになってますね。秀吉の一夜城は小学校の頃秀吉の伝記を読んだ時に知ったものでてっきり事実だと思ってたんですが。
「武功夜話」が偽書だと言われ続けていたというのは知りませんでした。それにしても竹中直人の怪演で有名なNHK大河ドラマ「秀吉」を始めとする小説やドラマの多くが「武功夜話」を元ネタにしていたとは。別のサイトによると現在放送中の「利家とまつ」にも「武功夜話」からとったシーンが登場するとか。

もう2ちゃんねる<日本史板>でスレッドが出来てます。「武功夜話」弾劾裁判状態になってます。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/history/1018105647/

>鈴木真哉氏の論旨
氏は論理がかなり過激なんですよね。『鉄砲と日本人』でも浸透戦術のような戦術の変化を無視して「日本軍はWW1に学ばなかった」という極端なこと書いていますし。



#2621 
ミユ 2002/04/08 22:32


中世の北欧にいたマルガレーテ女王に興味をもっています。北欧三国をまとめ上げた名君だったそうですね。日本では資料が少なくて調べられません。できましたらこの女王について教えていただけると幸いです。



#2619 
中根東竜 2002/04/08 14:01
武功夜話の評価

お久しぶりの中根です。なんか最近、戦国時代のマイナーな史料を
読むことに喜びを感じるようになりました・・

>武功夜話

偽書説はかなり前からありまして、藤本正行氏が「桶狭間合戦の地図が明治以降の
書式に基づいている」ことを指摘されていました。本が出たというのは
初耳でしたが。

実際、武功夜話ってちらっとみてみただけでも、
戦国期の史料としては文章が流麗すぎ、信長公記等の同時代のたどたどしい
文章を読み慣れている身にはなにか不自然な気はするのですよねぇ。
江戸中期編纂後の加筆も相当行われていることは確かだと思います。

ただ、偽書説を主張する鈴木真哉氏の論旨も極端すぎると思いますよ。
加筆部分があったとはしても、プロトタイプのようなモノがあったことは否定できないと
おもうのですがどうでしょう。
織田研究を最近精力的にされている谷口克弘氏は、
「千代女書留」部分に著しい加筆を認めつつも、他の部分は史料としては
扱えるというような意見を出しておられます。そちらの意見の方に僕は賛同しますね。
(谷口克弘氏の論旨は『目からウロコの戦国史』PHP研究所を見て下さい)

なお、新人物往来社から出ているからうさんくさいというのはどうなのでしょうか・・
以前から同社は戦国期の史料に関しては地味で良質な善本を出版しています。
昭和50年頃にはこの手の学術的な本も出していた本屋さんだったんですが、
最近は一般書が多いのか、うさんくさい印象もあるんでしょうか・・

それから、瀧昌義氏の『武功夜話のすべて』もまともな本です。
瀧氏は確かこの本を初めに評価した研究者ですよ。

・・うーん、新人物往来社の回し者みたいな文章だ(^^;)



#2618 
素人筋 2002/04/08 08:44
昔の日記・記録

元禄御畳奉行の日記−尾張藩士の見た浮世−(神坂次郎。中公新書。)の元になる「鸚鵡籠中記」を読みました。江戸時代には、この様な形の記録・日記類が多くあります。その時代に生きている人が直に感じた事を綴ったものとしては、本書は大変面白いものだと思います。本書を読む前に、「甲子夜話」も読んでいましたが、当時の武士は文章を書くのが非常に上手で表現力は現代人に決して劣らないような気がしました。私は、時間が許せば日記類を読む様にしていますが、昔の人が書いた文章は中々難しくて解読するのに時間が掛かります。今は集中的に、昭和戦前期の日記を読んでいます。




#2617 
徹夜城(創作の苦しみ?に悶える管理人) 2002/04/07 23:00
「ムロタイ」難航中。

本日の心身状態および物語の展開自体の難しさで今日一日悶々としておりまして…更新はちょっと待ってくださいね。史実ではそれほど大事件が無く創作部分も多いしそれでいて今後の展開上重要な問題が3個ぐらいからんでいる、という非常に厄介な部分でして。清氏が管領になっちゃえばあとは簡単なんですけどね。
ううむ、「トシマツ」の裏番組の位置をいつまで維持できることやら。いやもうすでに「裏」からは外れてますね。

おかげさんで「史点」も全然書けておりません(^^;)。怒りのボルテージを上げないと書けないネタがあるんだけど今ひとつエネルギーがわいてこなくって(汗)。
その一方で瀬戸内紀行の文をパパっと書き進めていたりします。出来れば今週中に公開したいですね。



#2616 
なな 2002/04/07 22:16
その当時

ネットでよく調べてみると、武功夜話を疑問視する声はずいぶん前からあったんですね。
しかし地元民として、なぜ偽書説を聞いて少なからずショックを受けたのか考えてみたんですが、一因として「伊勢湾台風によって土蔵が壊れ…」云々のくだりがあったことに思い至りました。
伊勢湾台風は、今でもこの地方では特別な響きを持つ大災害なんです。つまり伊勢湾台風を持ち出されてしまうと、古文書発見のいきさつも無条件に信じられるし、仮に怪しいと感じたとしても、とても口にはだせない雰囲気がちまたにある…と思う。逆に言うと、もし偽書を世に出すために伊勢湾台風を利用したのだとしたら、これは許されないと思うわ。
もう一つ、昭和44年に世に出されたこの日誌のことも、先に発見された武功夜話の信憑性にハクを与えたかもしれないと思いました。

元禄御畳奉行の日記−尾張藩士の見た浮世−  神坂次郎。中公新書。
尾張藩御畳奉行・朝日文左衛門重章が18才の時(元禄4年,1691)から45才の死の前年(享保2年,1717)まで、えんえんと書き続けられた日記「鸚鵡籠中記」37冊。なぜか名古屋城の藩庫の中で披見を許されないまぼろしの書として260年以上眠り続けていた。明治になって後も尾張徳川家から公開されず、ようやく昭和40年代になって世間の目に触れることになった。
元禄に生きた酒好き女好きのありふれた侍だが、好奇心旺盛でかつ無類の記録マニアが、当時の世相を赤裸々に書き残している。

藩政や幕政の批判まで書かれているこの日記が、なぜ尾張徳川家の御文庫で保存されていたものか、奇怪な謎なんです。こんな先例があったから、武功夜話も信じられたのかもしれません。

徹夜城さんも指摘された新人物往来社について、こんな記事がありました。

皆さんの中には、
「武功夜話って、何か胡散臭い史料って聞いたけど・・・。」という人はいないでしょうか?
(中略)これは「武功夜話」を出版したS社のやり方にも問題があると個人的に思っています。
この社は「武功夜話」全巻を刊行したという点では意義深いのですが、その「武功夜話」本編を出す前に、「武功夜話のすべて」という、同書から一般受けしそうな部分のみを抜き出した本を、信憑性の充分な吟味のないままに出版しています。これが「武功夜話」全体が色眼鏡で見られることになった、一つの理由であると思うのです。



#2615 
ホリ−・ハンタ− 2002/04/07 06:40
潜水艦の天敵

最近、わたしは海軍知識がやたらと豊富な人と
レスし合うようになって、そこで話題にのぼったのが
潜水艦は無敵か?とゆうお題、わたしは『沈黙の艦隊』
にはあまりハマらなかったので、その人が言うには
潜水艦は、ある特殊な自然現象で沈んだ例が昔は
結構あったそうです。

水圧は水深が深ければ高いという関係ですが
深海で大きな波が起きると深海の高水圧が
波の最高位でも高圧、つまり、この波により
浅いとこでも潜水艦を潰すくらいの水圧になり
不幸にして潜行中の潜水艦と波の上昇が
重なり水難となった例が結構あったようで。

この波はソナ−で確認された映像が
まるで蛇のようであったので
この波が多発する米東海岸では
何とかの大蛇と、恐れられているそうです。



#2614 
景虎 2002/04/07 01:31
元寇

>奥野さん
元寇についてはこういうサイト↓
http://village.infoweb.ne.jp/~fwns5885/histo2.html
がありました。

これによると文永の役の日本軍の苦戦は、主に兵力不足のようで
すね。私は専門家ではありませんから、これが正しいかどうか分
かりませんが。



#2613 
徹夜城(ヘンテコ歴史本の新作がなかなか書き進まない管理人) 2002/04/07 01:02
偽書説ですか

ううむ、なんか戦国関係の板になったような景観ですな(笑)。

>ななさん
「武功夜話」偽書説ですか〜。
書き込みを見てからニュースサイトで簡単な記事を読みました。前に話題になった「鉄砲と日本人」の鈴木真哉さんが共著なんですね。だとすると結構自信がおありなのかもしれない。まぁ実際に本が出たら侃侃諤諤と論争が始まるんでしょう。学術研究者なんかはこの史料をどう扱っていたのか全然知らないんですが、誰か知ってる方書いてみてください。
この記事と江南市のHP(http://www.city.konan.aichi.jp/rekisi/bukouya0.html)で初めて「武功夜話」発見のいきさつを知りました(戦国マニアでは無いもんでどうしてもこの辺疎い)。1959年に土蔵が崩れて発見された…ですか。うーーーん、確かに古今東西の怪しい本が見つかる時のパターンなんだけど…(汗)。解読の末1987年に出版されたのが新人物往来社というのもちょっと歴史専攻者からはあまり信用されなかったんじゃないかという印象を受けてしまいます(あくまで先入観ですよ)。この本に「歴史」が書き換えられるほどの記述もあったそうで、当初から議論はあったことでしょう。
まぁあの「古事記」ですら偽書説が何度か噴き出した経緯がありますからどんな史料でも疑ってみるに越したことはないんです。近年でも「東日流外三郡誌」の例がありますしね。

ちょっと話が違うかもしれませんけど、僕の地元の地方で明治時代に執筆されたと思われる戦国茨城西南部を描いた軍記物がありましてね(『常総戦蹟』だったか…?)。地元の地方史にも引用されたりしてたんですけど、その内容に目を通してみたらモロに「太平記」のパクリがあったり地方豪族間の抗争だというのにやたらにオーバーに血わき肉おどる英雄豪傑話になっちゃってて、「こりゃー信用できんわ」と子供心に思ったものです。とか言いつつ漫画のネタにして賞金もらったりした過去もありますが(爆)。
ただその100%が創作なのかというとそうでも無いのも確からしいんですね。何らかの元ネタがあった上で書いている部分もあるのは確か。「武功夜話」もそのぐらいの話なのかもしれません。

>奥野さん
あのドラマ「ピョートル大帝」は「ドラマとしての面白さ」を前面に押し出したつくりという印象でしたね。実際面白かったですけど(笑)。ただ保守的に凝り固まるロシアを開明的君主が西欧文明へと導く、ってな西欧系の人たちの優越感をくすぐりかねない描き方は気にはなりました。
それとピョートルを破天荒な人物と言うより理想的・開明的君主という面を強調していたきらいがあって、僕的にはピョートルの本当の面白さにもう一つ迫れなかったという思いがあるんですよね。他にピョートルものの映像作品知らないんで一応あれがベストなんですけど(^^;)。



#2612 
ホリ−・ハンタ− 2002/04/06 19:38
家康・攻城苦手説

この説の要因の一つに、秀吉 氏と比べれば
家康 氏は城を攻めるとゆう種類の合戦の機会が
あまり無かったからかもしれない。
しかし、長篠合戦の前哨戦であった武田の諸城の
攻略を成していたことからも、苦手とゆうまでは
いえないかも。そもそも、城を一つ攻め落とすのは
城を一つ建てるくらい労力・財力がいるであろうし
信長は、秀吉は城攻め、家康は野戦が得意だと
思い、使っていたことも一因では?
信長生存時の家康は、信長の同盟者というより
部下であったと思う。



#2611 
素人筋 2002/04/06 17:16
時代劇と天守閣

時代劇に武士は必ず出てくるが、城主であるお殿様も登場する。そして街の中央らしいところに天守閣が現れる。地方ではこれがお決まりであろうが、江戸においてはそうは行かない。江戸城の天守閣は明暦の大火で焼失して以降、再建されなかったのだから。時代劇で、江戸城の天守閣がもし出てきたら、時代設定は明暦の大火以前と言うことになる。でも、時代設定が如何わしいのも多くあるので、そこは娯楽番組として我慢しましょう。



#2610 
なな 2002/04/06 17:15
偽書

墨俣城、しゃちほこ、熱田大宮司と、ご当地ネタが続いていましたが、なんと「偽書『武功夜話』の研究」(洋泉社)なる本が出版されて、話題はふたたび墨俣にもどってしまいました。
夕刊の囲み記事から、
@当時使われていない用語や表現がある。
A引用される書状の形式が時代と合わない
B官職、年号の間違いが多い。
……などから偽書と結論づけた。さらに著者のコメント、
「墨俣一夜城の話は江戸後期に作られ明治になって定着したので、その部分は明治以降だろう」

どうなんでしょう?
理由@〜Bについては、江戸時代の子孫が学問とは関係のないところで編集した物なんですから、これをもって偽書とするのは…?
仮に明治期に作られた偽書だとして、なぜそんな手の込んだまねを?
記事の結びに、「『武功夜話』には、これまでにも郷土史家によって昭和の地名が出てくることが指摘されたことがある」とありました。昭和の地名…。私はこっちの方が気になります。



#2609 
奥野 2002/04/06 16:28
大帝の影に隠れた人々

>徹夜城様

確かにネルチンスク条約はソフィア&ゴリーツィン時代の出来事です。内容的にはロシア側が譲った形の条約ですが、当時の清は押しも押されぬ大国だし、ロシアにとってシベリア・極東の維持は極めて困難だったので、妥当なものと言えるでしょう。初期のシベリア総督は、モスクワから派遣されて任地に到着するまで一年以上かかったこともあるそうで。

あと、ドラマの「ピョートル大帝」では夫殺しの女性が生き埋めにされるシーンがありましたが、実はこの刑罰はソフィア時代に廃止されているそうです。ソフィアはこの他、上流階級の女性が公的な場から隔離されていた習慣の一部を廃止するなど、いわば「フェミニズム的」な政策をとっています(その後、ピョートル大帝がこの動きを加速させるわけですが)。これ以外にも、ソフィア&ゴリーツィン時代には一定の改革が進められているのですが、ドラマではその辺りが描かれず、単なる野望の人な扱いでした。物語としての進行上、仕方のないことかもしれませんが。しかしロシアの女性史上、充分に個性的な人物であるとは思います。

>なな様

やっぱり、時代劇の殿様というものは天守閣に登らないと格好がつかないんでしょうか。姫路城であれ何であれ。アニメ「一休さん」で、義満が金閣寺に住んでいたのと共通するものがあります。

仙台城の場合は、江戸時代に存在していた櫓の再建だから、一応大義名分はあるようです。ただ、地下に埋もれている伊達政宗時代の石垣がその工事で破壊される恐れもあるのですが、地元商工会は再建を熱望しているとのこと。観光客誘致のためには石垣より櫓の方が価値が高いのでしょうが…しかし「伊達政宗の城」を売り物にしておきながら、当時の遺構を軽視するその姿勢には納得できないですね。もっとも僕がこの話を知ったのはかなり前のことだから、今はどう変わっているかよく分かりません。

>景虎様

中世ヨーロッパ・騎士の戦争では、敵を討ち取るよりも捕虜に取る方が望まれたようです。例えば、中世のフランドルで一年くらいダラダラと戦争状態が続いた時期があったのですが、記録に残っている限りこの戦いで命を落とした騎士は7人だけです。しかも死因が「流れ矢が命中」「よじ登っていた城壁から落ちる」「落ちてきた天井の下敷きになって死亡(何だかドリフのオチみたいですね)」「角笛を力一杯吹き鳴らしたため古傷が破れた」等々。戦死というよりは事故死と表現した方がいいようなものばかりです。
理由はいろいろあるでしょうが、特に身分ある騎士だと、捕虜にして身代金を取る方が普通だったようです。さらに、同じ騎士身分同士では一種の連帯感があり、血を流すことは好まれませんでした。逆に、身分の低い雑兵は容赦されなかったわけで、この辺りまで全て考慮に入れた場合に死傷率がどうなるかは分かりません。それでも、近現代の戦争に比べれば低かったはずですが。

要するに中世の戦争では、近代の戦いと目的が異なっていました。騎士や武士といった独自の道徳を持つ人々にとり、敵の殲滅よりも「名誉」という要素の方が重要だったのではないでしょうか。戦争の規模や兵器の威力などを考え合わせると、死傷率の低さも不思議はないと思います。
逆に、こうしたメンタリティを共有しない集団と戦う場合、騎士や武士は案外「弱かった」と言えます。例えばヨーロッパの騎士団と鎌倉武士が、共にモンゴル軍に苦戦しているのは興味深いところです。一騎打ちのような慣行も、対戦する両軍に共通の規範がないと成立しないでしょうね。



#2608 
ホリ−・ハンタ− 2002/04/06 04:59
家康 氏の謎

そうすか、家康 氏は野戦が得意なんすか?
信長 氏は、よく、家康軍を伏兵・迂回別働隊として
使用して合戦に勝ってたようですしね、
姉川や長篠の合戦で。

家康 氏の謎といえば、桶狭間の合戦における
彼の存在だと思いますが。
今川義元は、信長と家康を激突させて
共倒れを狙っていたと思います。
しかし史実は、そうならなかった。
こういう観点から桶狭間を解明する
方法もあってよいかと思いますが。
桶狭間・参戦関係者って、みんな
口をつぐんでいるようで、
勝利の第一人者・信長 氏ですら
この合戦をあまり得意げには
語っていない、家康に
借りでも作ってしまったからか?
そう思えば、程なくして
織田・松平の同盟が結成されたのも
うなづけるようで。



#2607 
なな 2002/04/06 01:27
出たよ〜

調べだしたら、おもしろくなってきちゃった。(^^;)
私は岡本氏と熱田大宮司家との血縁より、岡本氏の熱田神宮下級神職説が有力ではないかと思いました。それで、ヤフーで「熱田 神官 岡本」と検索したら、以下の記事がヒットしました。

... こう(女性名)は熱田社の神官の娘で遠戚の小島氏に嫁いだが、夫の戦死で実 家の岡本宿所に戻っていたところを、信長の伽(とぎ)を命ぜられ、一 夜の交情で信孝をもうけた。幼い信孝とともに小牧山城へ移り住むが ...

残念ながらこのページはURLがリンク切れでした。
しかしながらこれで岡本家が熱田社の下級神官であることが分かりました。
後は、大宮司家と下級神官家の関係を調べるだけです。血縁関係があってなのか否か、分かるでしょう。そのための資料は、残念ながら存じませんが。



#2606 
なな 2002/04/05 23:42
亀山城の逸話

お尋ねの逸話はについては、ヤフーの検索ですぐ出てきましたよ。

そびえるような石垣に多聞櫓に向かって行列が行く雪景色の広重の絵「亀山」と重なる部分を残す亀山城は、昔の二の丸跡には江戸時代の歌舞伎の演目であった「石川兄弟仇討ち」や大手門跡では父の仇討ちをした「小万」の物語が残されている。

系図の方は難題ですね。
藤原秀範(季範?)と聞いて、単純に源氏つながりかと思ったんですが、岡本良勝の出自がはっきりしませんね。ネットで拾えたのは、信長の三男が尾張熱田の良勝の屋敷で産まれたという話だけです。
この両者に血縁関係がある…というのですか?
熱田大宮司家は代々京に住んでいて、神社は下級の神官に任せていたそうです。戦国時代にやっと下向してきて、以後は武家として信長に仕えたそうですね。
血縁関係を調べるなら、熱田大宮司家の千秋家や野田家などの家系図を丹念に調べる。
千秋家の家来の中に、本氏の先祖がいたかもしれません。
熱田という地縁ならば、大宮司家から神社の管理を任されていた下級神官の家を調べる。
手がかりといったらこれくらいでしょうか。私はどちらかというと後者の気がしますが。



#2605 
柱国大将軍 2002/04/05 23:27
城攻め

家康が城攻めを苦手としていたというのは、聞いたことがないですね。出典は何でしょうか。家康は野戦、秀吉が城攻めを得意としていたというのは、よく言われるところです。あるいは、この話が発展して、秀吉との対比で家康の城攻め苦手説がでたものでしょうか。



#2604 
ホリ−・ハンタ− 2002/04/05 19:03
さぁ?

家康 氏は城攻め苦手という世評があるとは
知りませんでした。不思議ですね。
大阪城を攻めた際の信州の真田の城に手を
焼いたり(でも、これは息子の軍か)
大阪城の真田丸での攻防戦で
大軍を擁した徳川が苦戦したこととか、
これらが真田びいきに世に知られて
城攻め苦手のイメ−ジになったのかな?
そういえば家康の生涯の大きな合戦って
桶狭間とか姉川とか小牧・長久手とか
関ヶ原とか野戦が多いですね。



#2603 
橘樹 2002/04/05 15:09
質問です

突然の質問ですみません。ですが、突然思いついて答えが出ず、気になるので質問します。
徳川家康は城攻めが苦手などとよく言われますが、何故でしょうか?そんなに城を攻めあぐんだことがあったのでしょうか?あまりそのような気はしないのですが。何故そんな事を言われるのか、わかる方、教えていただけませんか。



#2602 
名無し 2002/04/04 20:14
系図

自分の家系図調べてたら、偶然ココに来ました。
え〜と、藤原武智麻呂〜熱田神宮大宮司の藤原秀範まで来たんですが、亀山城を建設した岡本宗憲に繋がるデータを探しております><
んで、亀山城っていったらな〜んか格好いい歴史的逸話があったような、無かったような?
データとか、よもやまな話あれば、教えて下さいませ^^



#2601 
ホリ−・ハンタ− 2002/04/03 03:20
西洋の城は怖い

西洋の城は、日本人の其れとは違う要素が一つ、
アチラでは捕虜や政治犯の牢獄がセットとなり、しかも
牢獄を城主の居住区の付近に設置するそうです。
何故なのかは、或る歴史作家が書いてましたが
西洋の武闘派領主というものは戦争、政争に
対する執着が、日本と比べれば強い、
宿敵を捕虜にしたら自分がいつでも見られて
からかえる場所に置き戦いの勝利の余韻に
浸りたい傾向にあるとか。もし
その宿敵が戦死した場合、死体を剥製にし
寝室に飾り剣を持たせ
『君にチャンスをやろう、私の寝首をかいてみたまえ』
というのが寝る前の日課だった領主がいたそうな。



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