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2025/11/19の記事/2026/4/1の記事/2026/5/10の記事/

◆今週の記事

◆世界は危険なトランプゲーム

 先日の四月バカ更新はおいとくとして、「史点」更新がすっかり滞りがちなのだが、その間にも今年に入ってから世界では大きな動きが次々と起こり、悪い意 味で「歴史的転換点」の年になってしまうかもしれない、という思いを正月以来憂えていて、「史点」を書きたい気分は何度も起きた。まぁ個人的にもいろいろ あったもので、今頃になってまとめて書いてみる。主役となるのは、もちろんアメリカのトランプ大統領だ。アメリカの大統領ってのは元々そうなんだが、この四ヵ月間、トランプの「暴走」「妄想」が報じられない日はなかったような気がする。

 年明けの1月3日にアメリカのトランプ政権はベネズエラに特殊部隊を送り込み、マドゥロ大 統領を拘束してアメリカに連行してしまった。その直前までトランプ政権はベネズエラのマドゥロ政権がアメリへの麻薬密輸に関与しているとして強硬姿勢で恫 喝していたが、いきなり他国に軍隊を送り込んで相手の親玉をふん捕まえるという乱暴なことを実行しちゃったのには驚かされた。
 こうした前例がないわけではなく、1989年のパナマ侵攻とノリエガ将軍逮捕のケースが似てる(麻薬がらみを理由にしたところも)。 ベネズエラの政権があの故・チャベス大統領以来の反米社会主義路線でいろいろおかしくなっているのは間違いないが、麻薬に政権自体がどこまで関わっている かは現時点でも判然としていない。そこを問答無用でいきなり襲って連行して裁判にかけちゃうのは、さすがに国際法違反だろうと多くの国から批判されてい る。おまけにトランプ氏、今後のベネズエラの政権や石油利権についてはアメリカが関与すると明言していて、こりゃまた露骨なまでに19世紀の帝国主義・植 民地主義だなと思わされたものだ。

 その直後から、今度はグリーンランド領有主張のブチ上げがしばらく続き、EU諸国との亀裂がますます明らかとなってきた。それが一段落したと思ったら、 2月末にはイランへのいきなりの先制攻撃だ。イランが核兵器開発を進めているのでは、という疑惑自体はずっと前からあり、これまでも何度か交渉や合意がな される一方でイランとは文字通り不倶戴天の関係にあるイスラエルがイランの核研究者らを暗殺したり直接施設を攻撃したりといった動きもあった。そして 1980年のイラン・イスラム革命以来、イランとアメリカも国交断絶のまま敵対関係を続けてきた。だが今回は、核開発問題をめぐって交渉している最中に、 アメリカとイスラエルがイラン各地を奇襲攻撃、その再興(宗教)指導者であるハメネイ師をその家族もろとも殺害してしまうという挙に出たのにはさすがに僕もビックリした。

 先のベネズエラ同様の他国のトップへの直接攻撃だが、今度は最初から殺害を狙っていた。似た例としてリビアのカダフィ大佐を直接攻撃したことがあるが、 あれは結局殺害には失敗している。今回は交渉の最中というあからさまな「不意打ち」でまんまと「成功」してしまったが、その直前にイランで反体制の動きが これまでになく高まっていたことも報じられていて、指導部を一挙に葬れば耐性そのものがアッサリとひっくり返る、という期待もあったのだろう。どうやらイ スラエルのネタニヤフ首相に吹き込まれて話に乗ったものらしい。

 ハメネイ師の死亡を受けて、反体制の民衆が喜びの声を挙げてるーーという映像が流れたりもした。それ自体がまるっきりのフェイクだったかどうかは分から ないが、イラク戦争の際にも似たような映像があったなぁ、とは思ったものだ。イランのイスラム体制の崩壊を期待してか、イラン・イスラム革命で亡命した パーレビ元国王の息子さんが何やら声明を出しているのも見かけたが、また王位復帰の野心でもあるのかな。さすがにパーレビ王制復活を受け入れるイラン国民 は少数派だと思うんだが。

 その後米軍がイラン各地をミサイル攻撃し、小学校を誤爆して多くの児童を殺傷したりもした(トランプ氏は直後に「イランの仕業」と行ったが間もなく事実上撤回した)。 一連の攻撃で消費された兵器類の数は相当なもので(その中にはイラン側に撃墜された戦闘機もあった)、その穴を埋めるには数年はかかるとの話も出ている。 これだけの大攻撃をやってて「戦争」ではなく「軍事作戦」と言い張ってるのもすごいというか、かつての日本の満州事変から日中戦争、。ロシアのウクライナ 侵攻とおんなじ状況である。

 一連の攻撃でトランプ大統領は「イランを石器時代に戻してやる」とか(これはベトナム戦争時にあのルメイが口にしたことで知られる)「一夜で文明を滅ぼせる」と か、ほとんど悪の大組織の親玉みたいなセリフを次々と口にしていたが、すぐには体制崩壊も起こらず、行ってたほどにはイランも無力化できておらず、世界的 な原油の通り道であるホルムズ海峡がアメリカ・イラン双方に封鎖される形になって世界の経済にも不安材料になってしまった。さすがにそうした事態はトラン プ政権でもマズイとは思ってるようで、停戦交渉も戦闘もゴチャゴチャした膠着状態、というのが現状。どう見ても双方とも手を引きたがってるようにしか見え んが。そんな状況になってからトランプ氏が行ったのは(今度の攻撃は)ちょっとした憂さ晴らし」という、これまたヒドイものだった。


 イランとの紛争に、アメリカを盟主とする軍事同盟NATOを構成しているヨーロッパ諸国の首脳からはかなり厳しいアメリカ批判が飛び、当然ながら協力も してくれないことにトランプ氏は例によって激怒、各国首脳(ローマ教皇含む)を口汚く罵り、EUからの自動車に高関税をかける脅しをかけたり、スペイン・ イタリア・ドイツから駐留米軍を大きく削減したりといった「腹いせ」としか見えない行動に出ている。極右出身であるイタリアのメローニ首 相とは気が合っていたとされるが、彼女からイラン攻撃を激しく非難されてムクたものの、未練がましくサッカー・ワールドカップに出場を決めているイランを 排除し、今大会では出場を逃しているイタリアを出場させようなどいう案まで本気でブチあげて機嫌取りをしようとしていた。もちろんFIFAもイタリアの サッカー協会も拒絶したが。
 そういやハンガリーの選挙ではロシア寄りで非民主的長期政権だったオルバン政権をトランプ政権は応援したが、裏目に出て政権交代になってしまっていたな。


 「西側の親分」がこんな調子なので、ヨーロッパ諸国では独自の安全保障政策があれこれ出てきている。ロシアの隣国であるフィンランドが核兵器の国内持ち込みを容認する姿勢を打ち出したし、フランスのマクロン大統領は核戦力を増強してEU全体をカバーする構想を表明した。いったんやめていた徴兵制復活も動きも出てきているし、イヤな話だがプーチンのウクライナ侵攻とトランプの暴走とにはさまれてはそういう動きになってくるのも無理はない。

 それとはまた別の動きにはなるが、日本の高市早苗首 相はついに武器輸出の全面解禁に踏み切り、自衛隊の階級の呼称も「軍隊」のそれに近づけようとし、非核三原則の修正(主に「持ち込ませず」の部分)にも手 を付けようとしている。今年の11月3日の「文化の日」は日本国憲法の公布日だが、これについても同日が戦前の「明治節」明治天皇の誕生日)にあたることから「明治の日」にしようとする動きが超党派の保守系議員で現実味をもって出てきている。そもそも高市政権は憲法改正の発議を来年にも、と言い出していて(トランプ氏との会談の際に憲法9条を理由にイラン攻撃への協力はできない、と言ってたけど本音は邪魔に感じてるんだろう)、 先の総選挙での大勝もあり一気に実現させようとしている。保守系の…ってことでは皇室典範改正もかなり現実味が出てきていて。伏見宮系の旧宮家男系男子を 養子にとることを可能にする…という話が与野党ともに賛同多そうで、直接軍事とは関わらないがどうしても「戦前回帰」を思わせる怖さを感じている。
 そういや敗戦直後の生まれのタモリさんが数年前に「新たな戦前」なんて言葉を口にしていたが…



◆2026年宇宙の旅

 世界レベルで非常に生臭くキナ臭い話からの気分転換に、遥かな宇宙の旅の話題に移ろう。子どものころから宇宙開発ネタ好きな僕としてはしばらくぶりに心 躍る「宇宙の旅」がこの四月に実施された。あのアポロ計画の最後のミッション、1972年の「アポロ17号」以来、実に54年ぶりに人間を乗せた宇宙船が 月まで飛んだのだ。今回は月着陸こそしなかったものの、月の裏側を回って来て、人類が地球から離れた最遠距離記録を更新している。
 なお、これまでの最遠距離記録は、事故を起こして月の裏側を回り奇跡の生還をし、映画にもなって有名な「アポロ13号」(1970年)で、56年ぶりの記録更新となる。そのアポロ13号の船長をつとめたジム=ラヴェルは昨年この世を去っている。

 アポロといえば、「アポロの月面着陸はスタジオ撮影したフェイク」とする「アポロ陰謀論」が延々とささやかれていて、その主張をする人はしばしば「あれ 以来半世紀ずっと行ってないのはおかしい」と言う。これに対する答えは単純で、当時の米ソ冷戦の中での激しい競争があり、国の威信をかけてとんでもない莫 大な予算が宇宙開発に注ぐことができたが、いったんソ連に勝ってしまえば大金を投じてわざわざ有人月面着陸なんてことをする理由がなくなってしまったから だ。僕が子どもの時に読んだ本では1980年代にも有人火星探査ができてるはずだったんだが…アポロ月着陸の少し前に制作されたSF映画「2001年宇宙 の旅」では1999年に巨大な宇宙ステーションや月面基地があり、2001年には木星まで有人探査が行われているくらいだが、2026年の現在でもまだま だ実現は先。そういやアポロ陰謀論ではその映画の監督であるキューブリックが月面着陸の場面の特撮を作ったことになってたりするんだよな。

 「人類をまた月へ」という掛け声がアメリカであがりだしたのは、ブッシュ(子)政権あたりからだったように思う。それから紆余曲折あってトランプ政権の第一期で具体的にゴーサインが出されて始動したのが現在の「アルテミス計画」だ。 「アルテミス」はギリシャ神話に出てくる女神で、「アポロ」の由来である太陽神アポロンの双子のきょうだいで月の女神。その恋人がオリオンで、今回使われ た宇宙船の名前はそっちからとられている。日本では「かぐや」、中国では「嫦娥」と、月関連の神話伝説ネタの名前をつけたわけだが、いずれも女性というの が興味深い。そういやなんで月探査計画に「アポロ」とつけたんだ?

 話を戻して、じゃあアルテミス計画が進行してるのはカネの問題が解決したからか、ということなのだが、一応そういうことになる。この計画でもアポロ計画 同様中心になってるのはNASA(アメリカ航空宇宙局)だが、日本のJAXAを含めた世界各国の宇宙開発組織が参加、ロケットや宇宙船は例のイーロン=マスクが率いるスペースX社が請け負っているほか、将来的な月面開発まで見据えて世界各国の民間企業が協力するという体制で、こうした国際的かつ民間企業も参加することで半世紀ぶりに月まで人を送り込むミッションが実現したわけだ。

 今回の月周回で帰還する「アルテミスII」ミッションは、かつてのアポロ計画における「アポロ8号」によく似た位置づけになる。アポロ8号にもジム=ラ ヴェル氏が操縦士として搭乗していて、いずれ実施される月面着陸へ向けての情報収集・予行演習をやっていた。アルテミス計画の方も再来年に予定されている 「アルテミスIV」で月面着陸に挑むことになっている。
 またアポロ8号は月の地平線に地球が昇ってくる「地球の出」を初めて目撃、撮影したことでも有名だが、アルテミスIIも逆に「地球の入り」を撮影、さらには巨大な月が太陽を覆い隠す長時間の皆既月食なんてものも観測した。

 アルテミスIIは月を回って割とアッサリと帰ってきてしまった印象もあったが、地球を出て間もない時点で「トイレが故障」というハプニングが発生している。オリオン宇宙船の一つの売りが「完全にプライベートが保てるトイレ」だったのだそうで(つまりこれまでの宇宙船でのトイレ事情はそうではなかったわけで)、アポロ時代と比べて宇宙飛行士が一人きりで用を足せる、あるいは用を足さなくても一人きりになれる空間があるというだけで大変な進歩だったのだ。その肝心のトイレが故障してしまうとは…

 当然ながら故障した者は直すしかない、それも宇宙船の乗組員たちの手で。ただしその細かい指示はNASAのオペレーションルームから送られ、それに従っ て乗組員たちが修理する、というやり方で、アポロ13号で二酸化炭素を吸収するフィルターづくりの逸話をt連想させるものがあった。

 前述のように、アルテミス計画は再来年に月面着陸を実行する予定で、将来的に月面基地建設、それを拠点とする資源開発といったものまで視野に入れてい る。さらにさらに、次の人類の目標として挙げられる火星への有人飛行への準備まで計画の中に入っている。火星となると月どころではない遠距離で、人類の地 球からの到達記録を大きくのばすことになるのだけど、それだけに大変。僕が子ども時代に読んだ1980年代どころか、今世紀中には実現するんだろうか、と 思ってしまう話でもあるが…そういやアポロ陰謀論をヒントにしたとされる映画「カプリコン・1」は火星有人探査をでっち上げる話だったが、あの映画を作っ たころでもやろうと思えばやれそうな話(もちろんフェイクでなく現実の話だ)だったんだよな。



◆はい、地ー図!

 ここしばらく静かになった気もするが、トランプ大統領がやたらとグリーンランド領有にこだわるの、そりゃまぁ北極圏での軍事的優位をとりたいとか資源とかの狙いもあるんだろうけど、グリーンランドが「世界最大の島」だから、というのもあるんじゃないかと思うことがある。北極圏にあるから住人こそ少ないが、一つの陸地としては日本の5.7倍もあるのだ。
 さらに、この島はよく見る世界地図ではやたら巨大に描かれることも印象を強くする。その大きさたるや、オーストラリア大陸をしのぎ、南アメリカ大陸とい い勝負くらいに見えてしまう。これ、小中学校の社会科で習うと思うが、球体の地球の表面を緯線経線が直角に交わるように平面に写しかえてしまうと北極南極 部分が実際よりも大きく拡大されてしまうため「錯覚」で、実際のグリーンランドはオーストラリアの3分の1程度しかない。こうした世界地図は世界各国の位 置や陸地の形が見やすいことからよく使われていて、トランプさんももしかするとこの地図に影響されたりしてるんじゃなかろうか…と最近ますますトンチキな 言動を連発している彼を見てると思ってしまうんだよな。そういやトランプ氏を救世主と盲信する陰謀論者には「地球平面説」支持者が結構いて、彼らは円盤状 の平面地球の周縁を南極大陸が取り巻いていると考えていて、形は違うが緯線経線を直角に交わらせるこの地図でも南極大陸はそんな風に見えちゃうんだよな。

 地球表面を円筒形の平面状に投影し緯線経線を直角に交わらせるこの地図は「メルカトル図法」と呼ばれる。16世紀に現在のベルギーにあたるフランドル地方にいた地理学者メルカトルが 作った世界地図がこの図法をとっていたためにこの名前がついた。当時、アジアやアメリカにまでヨーロッパ人による航海が行われていて、それで集まった地理 情報に基づいてメルカトルは初めての本格的な世界地図を作成した。これはヨーロッパ、アフリカ、アジア、南北アメリカの大陸が描かれていて、今の世界地図 とパット見そう変わらないくらいの出来だ。ただオーストラリアは未確認で、そのあたりに南極大陸とくっついた巨大大陸があくまで想像で描かれている。とも かくその後の世界地図の原型を作ったと言え、彼の名前は図法と共に歴史に残ったわけだ。
  

 メルカトル図法は見やすいが、北極と南極に行くほど実際の面積より大きく描かれてしまう、という弊害は当然よく知られているが、このたび西アフリカにある国・トーゴの政府が、国連に対して「メルカトル図法の使用をやめてほしい」と提案することが報じられ、社会科の講師として大いに興味を引いた。なんでトーゴ政府がそんな提案をするかといえば、「メルカトル図法」ではアフリカが実際より小さく描かれてしまい、アフリカの軽視につながるから」なのだそうだ。

 まぁ確かに、アフリカ大陸はその真ん中に赤道が通っていて、大陸全体は両方の極点からは遠いから、メルカトル図法では特に北半球各地と比べて小さく描か れてしまう。その北半球には欧米諸国など「先進国」が多く、そのために世界地図を見たときにアフリカへの意識が低くなる―‐という意見には一理はある。地 図上の大きさだけでそれが決まるってもんでもないと思うんだけど、近年トーゴのみならずアフリカ諸国ではこうした「メルカトル図法批判」が湧き上がってい て、アフリカ連合(AU)としてもその運動を推進することで一致したそうだ。

 ではメルカトル図法に代わって何が提案されているかといえば、「イコールアース図法」と いうやつがそれだ。その名の通り、地球上の地形を正しい面積で表現できる図法だ。メルカトル図法のように緯線経線を直線で描かず湾曲させ、北極南極へ向け てすぼまるように作図する。植生の分布とか正しい面積表示が必要になる場面で多く使われているが、どうしても端の部分が歪んでしまうため国の配置などを表 現するには少々見づらいきらいはある。特に高緯度にあって細かい国が多いヨーロッパはかなり見づらく、逆に赤道周辺のアフリカはほぼ歪みがなく見やすい。 実際の面積や地形に近い地図を使うこと自体にも利便性はあるとは思うんだけど、この提案って表面的な形の問題にこだわって本質を見失わないかなぁ、という 気もする。

 なお国連の旗のデザインは、どこの国からも文句が出ないように、北極点を中心とした「正距方位図法」(中 心からの距離と方位が正しい地図)で描かれている。これまた社会の授業で日本を中心とする正距方位図法の地図を誰もが見ていると思うが、あれはそれこそ地 球全体を大きく歪んだ形で表示していて、日本から地球の裏側にあたる南アメリカ大陸がやたらと大きく描かれてしまう。この図法で太平洋のど真ん中あたりを 中心にして描くとアフリカ大陸がやたら巨大に描かれることになるけど、それでアフリカの人たちが喜ぶってもんでもないだろうな(笑)。

 
 そんな話題を書き終えないうちに、もう一つ地図ネタのニュースがあったので軽く追加。
 ロシアのプーチン大統領がつい先日、「“日出づる国”は日本ではなくロシアである」と いう趣旨の発言をしていた。例の聖徳太子の国書でもそういう表現があり、そもそも『日本』という国号自体が中国から東にあり、どうやらさらに東の国はな いっぽいということからついたものだ。極東(FarEast)なんて言葉があるように欧米からも日本が東の果てと認識されている(それこそヨーロッパを中 心に描いた世界地図ではそうなる)。文学的表現ではあるが「日出づる国」と呼ぶのもそう間違ってはいないだろう。

 しかしプーチンさん、「日本よりもずっと東にニュージーランドがある」と言い、さらには「我が国のチュクチ自治区の方がさらに東にあり、ロシアこそが “日出づる国”だ」と言ったのである。あーそーですね、はいはい、と言うしかないのだが(笑)、確かにロシアの最東端のチュクチ自治区は東端のベーリング 海峡を日付変更線が通過していて、世界でも最も早く「日が昇る」場所ではある。しかしそれを持ってあんなに東西に長いロシア全体を「日出づる国」呼ばわり するのは…この発言、どうやらウクライナ侵攻に批判的立場にある日本にイチャモンをつけたい、という意図があったみたいだが…
 
 だが実際に世界で最初に「日が昇る」のは180度の経線をまたいで領土がある、太平洋の島国キリバスだ。かつて国土の東西で日付が違ってしまうという 困った国だったが、1995年に国内の時間を統一したため、日付変更線がやたらに東に突き出して世界で最初に日付が変わる国になってしまった。こここそが 「日出づる国」ということになろう。
 そんなツッコミをしたら、プーチンさん、かつてアラスカがロシア領だったことを蒸し返すかもしれない。現在はアメリカ合衆国領になっているアラスカは 1867年まではロシア領で、日付変更線はアラスカ東端に設定されていて、世界で一番早く一日が始まるのはロシアだった、ってことになるんだから。いやほ んと、言い出しかねない感じはあるんだよな(汗)。



◆ある男の生涯など

 このコーナーで取り上げるには、きわめて個人的な、筆者自身の私事といっていい話題になるが、これもまたまぎれもなく「歴史」の一部であるということで 一節を割かせていただく。実は僕の父親が、先日この世を去った。それからかれこれ二か月以上が過ぎ、とうに納骨も済んだというあたりで父の生涯について一 筆書くことにした。これもまた供養のあり方だろう。

 父は1940年(昭和15)の生まれで、今年85歳で生涯を閉じた。生まれたこの年はいわゆる「皇紀二千六百年」、神武天皇が即位してから2600年目ということにされて、当時皇国史観・軍国主義真っ只中だった日本ではまさに挙国一致ムードの異様な高揚が吹き荒れていた。この気分のまま、翌年末の太平洋戦争に突入していくことになる。

 父が生まれたのは宮城県の現在は栗原市の一部となっている片田舎の農村で、農家の三男坊として生を受けた。物心がついたころには父親、つまり僕の祖父は ビルマ(ミャンマー)戦線に従軍していて家にはいなかった。父の幼い時の記憶によると仙台空襲で空が赤く染まる光景を見たといい、近くの鉱山に米軍の空襲 があったりもしたという。
 ビルマに出征していた祖父は悪名高いインパール作戦には参加しなかったらしいが、ビルマ南部方面でそれこそ地獄のような戦場体験をしたらしい。身体には いくつも銃弾の跡が残っていたのを父は見せられたそう出す、日本軍のお約束の極限の飢餓状態も体験、熱病にかかって野戦病院で生死を彷徨っていたら敵軍が その中を素通りして進撃していく、という場面もあったそうだ。

 日本の敗戦後、こうした日本兵たちは続々と復員してきたが、当時の情報伝達事情および各種の混乱もあったから、出征した肉親の生死すらしばらく不明、と いうこともよくあったようで、僕の祖父も一年くらい音信不通であったらしい。どうにか帰国したが連絡方法がなかったようで、実家の近くのやや大きい町まで 来たところで電報で「これから帰る」といきなり伝えた。この電報が届いたとき、幼い父はたまたま庭にいて、母親(つまり僕の祖母)が電報を手に突然大声を 上げて庭を飛び出していったのを目撃している。祖母の葬儀のとき、父は挨拶でこの光景を語り、「今はこの場面を覚えているのも私だけです」と言っていたも のだ。


 祖父の帰還後、父には妹・弟が生まれ五人きょうだいとなった。その真ん中に位置した父は、僕が聞いているところによると勉強はかなりできたらしく(「神 童」と大袈裟に言われたとか聞いたな)、地元一番の進学高に成績二番で合格した。しかし父はなんと進学をキャンセル、「東京へ行くだ」とばかり、半ば家出 状態で東京へ働きに出てしまった。まぁなんでも同じ高校に一番で合格した人がこれまた他の高校に行ってしまい、そうなると成績トップになって入学式で新入 生代表でいろいろやらなきゃいけないのがイヤで…という話も聞くがどこまで真実かは不明。とにかくさっさと東京へ出たい、という気持ちが強かったのは間違 いないようだが、それこそ関係各位に迷惑かけて地元ではちょっとした伝説になったみたい。

 東京へ出た父は、川崎市内の叔父の家に居候し(新婚夫婦だったそうな)、働き始めた。それから何年かしたころ、ふと書店で見かけた一冊の本が彼の運命を大きく変える。その本の著者は清水幾太郎。 戦前以来の思想家で社会学者、当時大きな影響力を持っていた人物だ。僕がだいぶ前に父から聞いたところではその本のタイトルは『社会科学入門』で、父は一 読して「社会にも科学があるのか!」と感動した…というのだが、清水幾太郎の著書リストに『社会科学入門』はなく、『社会学入門』があった。当時「社会科 学入門」というタイトルの本は高島善哉という学者が書いているのでそちらと混同してるのかも、と思うが清水幾太郎というのは確実っぽいので結局判然としない。

 まぁともかく、そういうお堅い本を読んでいきなり勉学の方向に舵を切り、働きながら高校の夜間部に通い始める。この高校時代に山岳部に入り、登山を通じて恩師や親友に恵まれ、これらの人たちとは終生の付き合いとなった。
 高校卒業後は明治大学の夜間部に進学。進んだ学科は史学地理学科だった。同じクラスに、やがて日本赤軍のメンバーとして有名になる重信房子がいた。それこそ組織にオルグされかかっていたらしく、正直父は彼女を嫌っていた様子だが、映画『実録連合赤軍』(若松孝二監督)が公開された時、その中に登場する重信房子とその友人で山岳ベースで命を落とす遠山美枝子らをよく見かけていたと話していたものだ。結局この映画を見ることはなかったけど。
 もちろん、学生運動が盛んだった当時のことだから、父も数多くのデモに参加し、機動隊と激しくやりあったこともある。高校時代のことだが岸信介内閣による安保条約改定の国会強行採決の際には学校の教師が「今こそ行け!」と号令して国会への抗議デモに行ったそうだ。

 さてこの明治大学で、重大な出会いがあった。サークルは哲学研究会に所属したのだが(前にも書いたが昨年死去した村山富市元首相はこのサークルの先輩である)、父が最初に部室を訪ねた際に同じ史学地理学科学生ということで案内したのが、僕の母であった。母は先に大学に入っていたので先輩であり、父の第一印象は「可愛い後輩が来たな」というものだったそうな。実際には父は母より5歳年上だったのだが。
 その後の細かいいきさつは僕もよくは知らないが、二人は学生結婚。こういう流れなので、清水幾太郎の著書なかりせば僕はこの世に存在していない(笑)。
 なお、母は日本史近世専攻で佐倉藩に関する卒論を書き、父は東洋史専攻で卒論はアヘン戦争だった。そのため我が家には清とイギリスの外交関係資料の本とか、陳舜臣の小説「阿片戦争」が本棚にあった。こんな両親だったので僕も弟も史学科に進んじゃったわけで。

 父は大学を出たら田舎の教師になるつもりだったそうだが(一方で当時のこととてゲバラを気取って世界放浪を夢見たりもしていた)。 教育実習までやりながら結局単位が足りず果たせなかった。そして「大学に近いから」という理由でアルバイト気分で入社した中小企業にそのまま勤めることに なった。入社面接の際に「教師になるのですぐ辞めますから」と言い放ったのが社長に気に入られたらしい(笑)。ここに定年まで勤めあげ、ほんの数人しかい なかった創業時の社員の一人として最後は重役にまでなり、定年後も株主としてかかわりを持ち続けていた。また定年後も仕事中毒的なところはあって、パソコ ンと終日にらめっこして株のオンライントレードに熱心に取り組んだり、庭の畑仕事に精を出したりしていたものだ。

 こういう人生を送った人のせいか、息子の僕の進路についても特に何も言うことはなく、ひどく怒られた記憶もあまりない。かなりの子煩悩タイプでもあり、 僕が受験を控えた夏休みにわざわざ谷川岳への登山に連れ出したりしたこともある。これがあの日航機墜落事故の当日だったこともあり、僕には強く印象に残っ ている。
 また、僕には「親より先に死ぬな」ということは強く言っており、これについては守れたことで今やホッとしてるのも正直な気持ち。実は父の兄、つまり僕の 伯父二人はいずれも40代で母親(つまり僕の祖母)より先に世を去っていて、三男である父が祖母の葬儀の喪主をつとめたこともそんなことを強く言った理由 の一つではあっただろう。

 80代に入ったとき、「自分が80まで生きるとは思わなかったな」と言っていたが、自分の父親ながら実年齢よりかなり若く見える人で、晩年ぎりぎりまで ぱっと見は70代より下に見え、僕も90代くらいまで平気で生きるのではと勝手に考えていたものだ。ただ数年前から足腰の方でいろいろ故障も出てきてい て、二年ほど前に存命の妹・弟(つまり僕の叔母・叔父)が訪ねてきて、実質「今生の別れ」を済ましてもいた。

 父の身体に明らかに異常が出てきたのは昨年春のことだ。食欲が極端になくなり、病院で精密検査をした結果、膵臓ガンであることが判明した。この時点で対 処療法的に治療をしても長くて一年の余命、という宣告はあった。当人も「じゃあおしまいですねぇ」と医師に言い、「俺は淡々と受け止めてるよ」と僕に語っ たものd。あ
 と言って別にあきらめるわけでもなく、人生初の入院をして抗ガン剤治療など積極的に受け、その後も入退院を繰り返しつつ割と元気に過ごしてはいた(何も しなければ一、二か月だったろう)。今年の正月まではそこそこ元気でいたが、その正月に長年の友人からの電話に「あと数ヵ月ってとこじゃない?」と口にし たりはしていた。

 いよいよ容体が悪化したのはそれから間もなくで、入院が長引き、2月初めに一度退院したものの、さすがにこれはもう死んでしまうな、とこちらも覚悟しな ければならないほどだった。できれば自宅にいてお医者さんに時々来てもらって最期の日々を…などと考えてもいたのだけど、二、三日でそれは無理と判断せざ るを得なかった。毎週定期の検査のため病院へ運んでいくのもやっとの状態で、僕らがこれは無理とあきらめかけたが父本人があくまで病院に行くと言い切った ので、なんとか連れて行った。このとき車の中で「こりゃまた入院かな…」とつぶやいていたのが、僕が耳にした父の最後の言葉になった。その後、病室を見 舞った家族は「今日の日経平均はいくつだ」と聞かれ、これが最後に聞いた言葉となっている。この話を以前勤めていた会社の会長さんが弔問に来た時に話したら、「いかにもあの人らしい」との感想だった。

 もはや末期なのは明らかで、緩和ケアのある別病院に移る手続きまでとっていたが、もうその時点で意識はなくなっていて、転院どころではなくなっていた。 もはや「危篤」と言っていい状況が十日ほど続き、ついに2月23日(偶然天皇誕生日であった)の午前5時ごろに病院からいよいよ…との連絡があり、僕ら家 族は未明の暗がりのなか車を走らせた。「なんだか昭和天皇が亡くなったときの朝みたいだな」と話しつつ病室に駆けつけると、その時にはもう事切れていた。 キム先生という韓国系の医師が死亡を確認、臨終を告げた。当人もそうだったが僕ら家族も淡々と事実を受け止めて泣いたり騒いだりというしんみりした場面に はならなかった。

 死亡後のベッド・身なりの片付けの間に病棟の廊下の窓から外を見ると、なんとも凄い朝日が地平線から上がってきた。父同様、僕ら家族もいたって唯物論的思考の人間だが、その朝日の凄さには父の最期と絡めた神々しさを感じたものだ(右写真がそれ)。
あとで聞いたが叔母も同じ朝日を遠地で見ていて、やはり同じ感覚を持ったそうだ。そうそう、ちょうど春一番が吹いていて、それも春の訪れを好んだ父と重なるものがあった。

 前述のように父自身は全くの唯物論者で宗教嫌い、自身の葬式など挙げるな、墓もいらん、とよく言っていた。といっても全くその通りにもいかないのが世の 中というやつで、無宗教形式ながら親戚や近所の人を呼んでの通夜・葬儀はやることになり、当初の予定より大幅に費用もかかってしまった。だが叔母・叔父も 宮城から駆けつけてくれ、通夜の席で思い出話をあれこれとしてくれたおかげで、父の生涯を改めて再構築できたような感じで、カネかけてもやってよかったと は思った。なんだか黒澤明の映画「生きる」の通夜シーンを思い起こすところもあったし、父がいなくなった前後の、それほど変わらない日常の継続には小津安二郎の映画「東京物語」を思い合わせたものだ。

 若作りのせいでもっと長生きするかと思っていた父だが、結局はほぼ平均値といえる85年と約半年で世を去った。少しだらしないな、と思ってもしまった が、ギリギリまでそこそこ元気にしていて家族もそれほど苦労したわけでもなく、本人も人生初の大病を一年足らず、それもそれほど長く苦しむこともなくこの 世を去ったのだから、いい死に方だったと言っていいんじゃなかろうか。
 二年ほど前にたまたま無宗教の共同墓地に加入していて、命日からちょうど四十九日(もちろん無宗教なので単なる偶然)にあたる日にそこへ納骨した。筑波山が目の前に大きく眺められる、風光明媚とまでは言わないが素朴で落ち着いた場所で、何事も淡々としていた父にはよく似合っている気もしたし、自宅から遠く筑波山を眺めると、それだけで墓参り気分にもなれるというもの。


 なお、父はかなりの酒好きであり(それでいてそう強くはなかった)、洋の東西あらゆる酒を日頃たしなんでいた。特にウイスキーなど洋酒はいろんなのを揃えてよく飲んでいた。最期のギリギリでも僕に一杯なみなみと注がせていたものだ。
 そんな話を葬儀屋にしたら、気を利かして(?)「末期の水」をウイスキーにしてくれ。棺の中にも紙コップでウイスキーを入れておいた。父の部屋にはかなり飲み残された洋酒のビンが並んでいて、日頃そっちは飲まない僕がそのうちチビチビいただくかな、と考えていた。
 納骨も済んでしばらくしてから、「お父さんのお酒、なんか量が減ってない?」と母が言い出した。僕はまだ一滴も飲んでいない。あの唯物論者の父が酒への未練から亡霊になって飲みに来てる…なんてわけはなく自然蒸発したんだろうけど、まぁそんなことを妄想するのも楽しいではないか。


2026/5/10の記事

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