2. 富士山の噴火活動 Eruption of Mt. Fuji

 富士火山(約10万年前から)を中心とする地域には、小御岳火山(約30万年前から)、愛鷹火山(約30万年前から)、箱根火山(約50万年前から)、伊豆東部火山群などが活動し、多量の溶岩とテフラを噴出してきた。この地域は、フィリピン海プレート、ユウラシアプレート、北米プレートが衝突し、重なり、これらのプレートの下へ太平洋プレートが沈み込むという、他には見られない複雑な構造をしている。この複雑な地域は、地殻へ加わるプレートの力が大きく、活発な火山活動の要因となっていると考えられる。この地域は、沈み込み帯でマグマがつくられるマントルウエッジ付近も複雑な構造をしているに違いない。

 
1,997年 巽 好幸 「沈み込み帯のマグマ学」 


 活火山である富士山が噴火するたびに、人々はその生活を脅かされてきた。1,707年の宝永噴火以来静かであり、山麓での開発が進み、生活者が増えている。次の噴火による被害が心配である。
富士山は開発せず、美しい自然をそのまま手を付けずに置くべきではなかろうか。 

 
新富士火山(新期富士火山):約1万年前から活動。
古富士火山(古期富士火山):約10万年前から約1万年前まで活動。
小御岳火山:?〜約10万年前まで活動。
先小御岳火山:約26万年前から約16万年前まで噴火活動。
愛鷹火山:約30万年前から10万年前まで活動。
(吉本、藤井、金子、安田、中田、松本 2,010年)

富士山の活動史 (表1)
 著者の調査結果と
町田1,996年「小山町史 第六巻」、町田1,977年「火山灰は語る」、伊藤1996年「大地見てあるき」を参考にして作成した。

富士火山の新期、中期溶岩活動期 
(約5,000年前〜現在) 
 
新期溶岩(御殿場ー富士宮口溶岩流, 湯船第二スコリア)が富士山頂火口から噴出(約3,000年前〜約2,200年前).
宝永の噴火(300年前), 貞観の噴火(1,155年前)など側火山の活動
その他, 富士山東麓の崩壊(約2,900年前), 側火山の噴火活動など. 
中期溶岩の溶岩流が富士山頂火口から噴出(約4,500年〜約3,000年前).
その他, 側火山の噴火活動など. 
富士火山の黒土層堆積期
(約8,000年前〜約5,000年前)
富士山は, 火山活動が少なく, 気候が温暖で植物が繁茂し, スコリア層を挟む腐植土(厚さ約1m)が, 山麓へ広く堆積した.
富士火山の古期溶岩活動期
(約12,000年前〜約8,000前)
古期溶岩を多量に流出し, 富士山の原形ができた. 猿橋溶岩流(北東山麓), 大渕溶岩流(南西山麓), 大野原(三島)溶岩流(南東山麓)などである. 富士山東麓は, 厚いテフラに覆われ, 高い台地が形成され溶岩流に覆われなかった.
その他, 河口湖, セノウミ, 忍野湖, 本栖湖などができた.
古富士火山の活動期
(約100,000年前〜約12,000年前) 
古富士火山は, 爆発的噴火によるテフラの堆積と溶岩の流出が繰り返され, 大型の成層火山が成長していった.
この時代, 古富士火山の山頂標高は低かったと思われる. (古富士火山の噴出物が, 宝永火口に分布しないことから2,400m以下).
その他, AT火山灰の飛来. 最終氷期で海水面は現在より120m低かった.

(1) 旧石器時代の活動(古富士火山の形成)
Mt. Fuji began eruption activities 100,000 years ago

 10万年前には、既に小御岳火山、箱根火山、愛鷹火山などが存在する。
 小山町付近に分布する厚さ数10mの駿河れき層の堆積面の傾斜、れきの並び方などの研究から、酒匂川は、図のように、西〜南西の方向へ流れ、駿河湾へ流れ込んでいたと言う考えもある(町田 洋)。この考えは、丹沢山地から運ばれる、白っぽい石英閃緑岩や緑色の緑色凝灰岩、緑色片岩などの特色ある礫が愛鷹山の西や東のボーリングで見つかれば確かなことであるが、現在見つかっていない。或いは箱根火山と小御岳火山の間に湖があって、この湖に運ばれたれき層かもしれない。
 10万年前、古期富士火山は、小御岳火山の南斜面に噴火口を開いて、爆発的な噴火活動を開始し、テフラ(火山灰、軽石、スコリアなどの火山放出物)と玄武岩の溶岩を盛んに噴出した。

富士山の噴火活動が始まる前の古地理(10万年前)

(2)縄文・ 弥生時代の活動(新富士火山の形成
Eruption of Mt. Fuji until 2,000 years from 11,000 years ago

a. 多量の古期溶岩噴出(8,000〜12,000 years ago)
 この時代、富士火山は、ケイ酸分の少ない流動性に富む玄武岩質マグマを山腹の割れ目火口からのひんぱんに流出した。その量は約40Km³に達する。この噴火で富士火山の骨格がほぼ形成された。北東方向へは大月市の猿橋溶岩流(約8,500年前)、南東へは、三島市に達する三島溶岩流(約10,500年前)、さらに南西へは富士川、白糸の滝に達する溶岩流などの流出である。
Mt. Fuji erupted large quantities of basalt lava for 11,000 years ago. Then, it became the form of a mountain like the present.

b.富士火山の黒土層堆積(5,000〜8,000years ago)
 この時代、富士山は、スコリアの噴出が数回あったが、噴火活動が静かで、富士山麓では植物が繁茂し、腐植土が堆積した(富士黒土層)

c. 成長期の中期溶岩(3,000〜4,500 years ago)
 富士山は、山頂火口から溶岩と火砕流の噴出があり、海抜高度を増す方向に成長した。

d 御殿場泥流(2,500 years ago),
 富士山は大崩壊し(2,900年前)、多量の土石流が御殿場から酒匂川の方向と黄瀬川の方向へ流れた。この土石流を御殿場泥流と呼んでいる。黄瀬川沿いに流れた御殿場泥流は、三島溶岩を覆い、三島市や清水町の扇状地を形成した(2,500年前)。
 富士山の大崩壊は、噴火や地震が原因と考えられている。文部科学省の調査(2,009年〜2,011年)によると、富士山の東側にある神縄・国府津ー松田断層帯と富士山の西側にある富士川断層帯との間、伊豆半島が衝突した付近に活断層があることが分った。この断層の活動が大崩壊の原因となったかもしれない。

e. 新期溶岩が山頂火口から噴火(2,200 years ago
 山頂火口からの大規模な噴火があり、噴出物は、灰色のスパッターやテフラ(湯船第2スコリア)で、山頂周辺の斜面に広く分布している。この噴火活動により、富士火山は、山頂周辺の急斜面の形成と、標高が増した。

コラム

宝永第一火口壁のアグルチネート

 約2,200年前の富士山頂噴火は, 大規模なもので, 降下テフラが広く分布する(Yu-2 湯船第2スコリア). このテフラは山頂火口からの最新の噴出物である.  その後, テフラや溶岩を噴出する富士山の噴火は側火山で起きている(町田1996.
 この山頂噴火で, 宝永火口付近から富士山頂までの斜面は, 山頂火口に近いので, 飛ばされたスパッターが降下しても高温で柔らかく, 互いにくっつきあって固まり, 急勾配になっている(中田1997. このようなスパッターが次々と重なって溶結した堆積物はアグルチネートと呼んでいる. 富士山の山腹斜面の曲線美は, アグルチネートによる急勾配と崩壊(約2,900年前)の跡を埋めたことによると考えられる.

 
山頂側の宝永第一火口壁  野鳥観察用望遠レンズ400mm使用、 井上 勝氏撮影
 
国土地理院 1 : 25,000 富士山, 須走

アグルチネートの下部は, 高温が保たれ, 含まれる鉄分が酸化し, 赤鉄鉱ができ, 赤褐色をしている. また, 下部は, 柱状節理が見られることから, 一度溶けて固まったと考えられる. この第一火口壁のアグルチネートは, 崩れやすく, 大きな音と砂煙をあげて崩れるのを筆者は何回も目撃した. 写真は201610月に発生した大崩壊のあとである
 富士山頂火口は, 海抜高度が高く, マグマ溜りからの距離が遠い. また, 山頂周辺の斜面が急勾配で, 斜面と火道との距離が小さく, 冷えやすくなった. 結果として, 山頂火口への火道のマグマは, 冷え固まってしまったと思われる. これからの富士山の噴火は側火山で起こると考えられる.

引用文献

兼岡一郎・井田喜明 ―(編)―(1997):火山とマグマ. 火山噴出物と噴火の推移予測, 中田節也 162p, 東京大学出版会.
町田 洋(1996):小山町史. 第六巻 原始古代中世通史編, 103-107p.

(3) 歴史時代の活動
Eruption of Mt. Fuji until now from 800 A.D.

 記録に残っている噴火は、西暦781年以降、下記 f.の表のように多数あるが、そのうち4回は大きな噴火である。

a.延歴噴火(800 A.D.)
 足柄一帯にテフラが堆積し、足柄路が不通になり、新たに箱根路が開かれた。

b. 貞観噴火(864 A.D.) Zyougann Eruption

 貞観噴火は、富士山北西山麓の長尾山付近に数Kmの割れ目ができ、多量の溶岩を流出し、溶岩原を形成した。この溶岩はセノウミと呼ばれる湖に流れ、精進湖と西湖に分けた。(六国史の三代実録による。)青木ヶ原の溶岩原やセノウミに流れ込んだ溶岩を調査した結果、貞観噴火で流出した溶岩の総量は約1.4Km³に達することがわかった (高橋正樹 2006年) 。青木ヶ原丸尾と呼んでいる。
その広い溶岩原には針葉樹と広葉樹が混じった針広混交林の樹海が発達している。(青木ヶ原樹海

c. 西暦 937年の噴火.
 溶岩が流れ、山中湖を形成した。

d. 宝永噴火(西暦1,707年) Mt. Fuji went into violent eruption 1,707 A.D.
 元禄16年(1,703年)に相模湾を震源とする元禄大地震(M8.2)があり、それから4年後、宝永4年(1,707年)に宝永大地震(M 8.4)があって、一ヶ月半後、12月16日にプリニアン式の宝永噴火が始まり、宝永5年(1,708年)1月1日まで噴火活動した。
 宝永噴火の経過は、江戸幕府の新井白石や伊東祐賢などの東京に降る火山灰の観察記録、そして宝永噴火によるテフラの堆積層から、次のように推定する。
 第一火口、第二火口、第三火口を結ぶ方向の割れ目が生じ、はじめの数時間、この割れ目から、カーテン状に蒸気やデイサイト質のパーミス(須走で厚さ1 0〜15cm)を放出した。次に数時間、暗灰色の安山岩質スコリアを放出した。その後、噴火は割れ目噴火から、管状の火道からの噴火へ偏っていった。主となる噴火は、第一火口からのスコリアの噴出である。放出したスコリアの厚さは 須走で2〜3m、小山で1m、横浜でも5cm堆積している。スコリアの総量は岩石に換算して約0.7立方Km、約13億トンと言われている。
 また宝永噴火の噴出物はデイサイト質噴出物から玄武岩質噴出物と変化したことから、マグマ溜りは長い休止期の間に結晶分化作用(ボーエン)や周囲の岩石との混合があったようだ。
 富士山の東麓一帯をおおった厚いスコリアは水をよく吸い、表面は砂漠化し、噴火後300年経っているが、森林は回復していない。森林限界は海抜1,500mと異常に低い。吸い込まれた水はやがて山麓で湧水となる。
 宝永の噴火口は海抜高度が高い方から第一火口、第二火口、第三火口と一直線上に並んでいる。


 宝永噴火の第二火口縁から写したパノラマ写真。   (2,011年9月28日撮影)
写真の向かって左から、一番高い所が富士山頂、中央の大きな火口が宝永第一火口、右端の赤褐色の
山が宝永山である。写真は永年、私が観察と考察をしているフィールドである。
繰り返す爆発的噴火で大きな宝永第一火口ができた。火口の直径は約1,200m、深さは約400mある。
第一火口の中央にある火道から、多量のスコリアを15日間放出した。
This is the crater of Houei's eruption.



宝永噴火の第二火口 2,008年9月12日撮影
第二火口が円形に写っている。
 
宝永噴火の第三火口 2,008年9月12日撮影
第三火口が円形に写っている。

宝永第二火口  2,017年6月17日
2,008年の上の写真には見られなかった、
シラビソらしき幼木が生えていたのに驚いた。
円形に写っていた第二火口が分からなくなった。
宝永の噴出物、白色パーミス、スコリア、非結晶質玄武岩、火山弾、ハンレイ岩、など。
宝永の噴出物 白色パーミス次にスコリアの順で噴出した。
非結晶質玄武岩は石基質で斑晶が見られない。
ハンレイ岩と安山岩は基盤を構成していた岩石がとばされたもの。火山弾は軟らかい噴出物が空中で固結したもの。


宝永山について
 宝永山(2,693m)は、急な斜面で噴火が行なわれたためできた砕屑丘(スコリア丘)と思われる。はじめの強力な蒸気などによる爆発で、富士山の6合目付近の斜面が崩壊し、中期溶岩や新期溶岩は岩砕なだれとなって火口の山麓側へ堆積し、宝永山の土台の堆積物となった。
 空中への放出物のうち、急な富士山頂側の斜面(7合目付近より上)へ降下したテフラは、宝永第一火口へずれ落ちる。宝永第一火口の山麓側へは大量のスコリアが堆積する。宝永山は、このような噴火が繰り返されてできた。放出物は偏西風の影響を受けるので、宝永山の位置は東へ若干ずれている。
 爆発的噴火が繰り返されたのは、急な富士山頂側斜面からのずれ落ちるテフラが火道にフタをした為と思われる。火道のフタにより、発泡による内部の圧力が増し、マグマは爆発的な噴火をすることになる。従ってマグマはゆっくりした脱ガスが十分行われず、溶岩流にはならなかった。
 「宝永山は古富士火山の地層がマグマによって押し上げられてできた」といわれてきた。火口壁調査から、噴火前の火口付近の斜面には新富士火山の中期溶岩や新期溶岩が分布していた。宝永山が押し上げられた古富士火山の噴出物ならば、しっかりした新富士火山の溶岩を押しのけて、古富士火山の噴出物のみ隆起してきたことになり考えられない。宝永山のスコリアは、手にとって観察すると、大部分が宝永噴火の新しい赤褐色スコリアである。
 宝永噴火は、結晶分化作用が進んだ、マグマ溜りの最上部の軽いものから、@蒸気、A少量のデイサイト質マグマ、B玄武岩質マグマの順に噴出したようである。

 
宝永火口より山頂側斜面が安定角以上あると、
放出物は降下したあと、ずれ落ちて火道にふた
をし、次のプリニアン噴火の原因になる。

多くのスコリア丘は安定角以下の斜面にでき、
画像のようになる。例として、富士山の大室山
や伊豆の大室山などがある。


 高温で鉄分を含む玄武岩質溶岩のしぶきは、上空へ噴き上げられ急冷すると黒いスコリアになり、火口から離れたところへ堆積すると黒いままのスコリアとなる。火口へ高温のスコリアが厚さ数百m堆積すると、厚く堆積したスコリア層は、高温状態を保ち、空気に接した鉄分が、酸化しヘマタイト(赤鉄鉱)ができ、赤褐色スコリアになる。また、赤褐色スコリアは熱により溶結する。宝永第一火口底の中央にある赤褐色の小さいスコリア丘や宝永山に広く分布する赤褐色スコリア(赤岩サンプル2)(赤岩サンプル3)は、噴火口という高温の環境で堆積したスコリア層に違いない。
 表2は森下晶(1,974年) 富士山 その生成と自然の謎 p86-87 からの溶岩成分(単位 重量%)表である。宝永山(スコリア)と宝永山の赤岩は、全体を100%とするとほぼ同じ成分であり、いずれも宝永噴火による噴出物と考えられる。

富士山付近の溶岩成分 (表2 重量% )      津屋弘達(1,968年より)

  SiOx  Al2O3  FexOy MgO CaO Na2 2O  H2O TiO2 P2O5 MnO  合計
宝永山 (スコリア) 51.09  17.62 11.06 5.09 9.68 2.80 0.76  0.34 1.38 0.26 0.21 100.29
宝永山 赤岩 50.80  16.19 11.28 5.12 9.78 2.65  0.76  0.37  1.37  0.29  0.24  99.58
第一火口北東壁 49.60  16.96  12.05  5.92  10.03  2.48  0.58  0.62  1.40  0.20  0.21  100.05 
宝永山 軽石   68.25 14.28  4.17  1.41  3.15  3.68  2.82  1.56  0.44  0.16  0.09  100.01 
宝永山黒曜石 63.84  15.82  5.97 1.67  4.88  3.88  2.12  0.45  0.87  0.22  0.17  99,89 
富士山頂 剣ヶ峰 50.25 16.96  12.45  5.34  9.25  2.46  0.76  0.43  1.59  0.21  0.22  99.92 
青木゙原溶岩 49.60 16.14  12.67  4.79  8.80  2.90  0.93  0.69  1.97  0.31  0.23  99.93 
小御岳 53.00 21.50  7.70  2.62  9.96  3.19  0.56  0.33  0.90  0.10  0.15  100.02 

宝永山軽石⇒安山岩質軽石、宝永山黒曜石⇒安山岩質黒曜石、小御岳⇒カンラン石・両キセキ安山岩、
その他⇒輝石・カンラン石玄武岩



「赤岩サンプル1」 2,011年11月1日 

 「赤岩サンプル1」は写真12の
宝永山の下位で採取した。
左半分は水洗いしたもの。
古いテフラや宝永噴火の赤褐色
スコリアや黒いスコリアが含まれ
ている。
 地層累重の法則により、
これらの堆積物は同時に堆積した
ことを示している。


 宝永山のスコリアは噴火の条件によって、黒いスコリアが部分的に分布するが、全体を見ると、溶結した赤褐色のスコリアである。宝永山の赤岩は古富士火山の噴出物に似ているので、見間違えたようである。
 宝永山の赤岩に含まれる放射性元素の半減期から時代測定ができれば明らかになるのだが、現時点では測定できず残念である。

 
写真1 「赤岩サンプル2」       2,017年6月17日
宝永山山頂付近の赤岩を採取する。
噴火口へ厚く堆積したスコリアは、高温の状態を保ち、含まれる鉄分が酸化し、ヘマタイト(赤鉄鉱)ができ、赤褐色になり、ハンマーで穴を掘って採取したが溶結していて思ったより硬かった。
 
写真2 「赤岩サンプル2」      2,017年6月17日 
 写真の穴は、宝永山山頂付近の「赤岩サンプル2」を採取した穴である。 
 
写真3 「赤岩サンプル2」  2,017年6月17日
 溶結したスコリアは、ほぐしながら水洗いした。風化した泥質がない新しいスコリアで、洗うとすぐきれいになる。
 ・ 赤褐色スコリアは全体の約80%をしめる。
 ・ 他のテフラなどが約20%である。
 
写真4 「赤岩サンプル3」   2,017年6月17日
 宝永山北側の斜面(第一火口の南側火口壁)には宝永噴火の
赤褐色スコリアが広く分布する。「赤岩サンプル3」を採取する。 
 写真の手前に高山植物(オンタデ)が生えている。
 
写真5 「赤岩サンプル3」  2,017年6月17日
 発泡した黒いスコリアの表面は赤褐色になっている。
第一火口底にあるスコリア丘の赤褐色スコリアと似ている。
大変新しく、宝永噴火のスコリアに違いない。

写真6 崩壊が進む宝永山の赤岩 2、011年9月8日
 宝永噴火で放出された赤褐色スコリアや赤褐色テフラは山麓側斜面に
火口壁として堆積し、斜面に平行な層理が観察できる。
 
 
写真7 宝永山  2,011年9月28日
 崩れた崖の地層には、宝永噴火に伴う地震によって生じた多くの小さな断層がある。
 
写真8 宝永第一火口壁の赤岩。2,012/09/27
 噴火途中、第一火口へ堆積した高温の赤岩は固結していないので、噴火に伴う
振動や群発地震によって、無数の断層やずれが生じたようである。
 
写真9 宝永第一火口の富士山頂側の斜面と火口壁   2,012/09/27
 富士山頂側の急斜面には、宝永噴火の噴出物が堆積していない。
これは噴出物が宝永火口へすべり落ちた為である。
 
写真10 宝永第一火口壁   2,017/06/17
 北側の宝永火口壁を調べると噴火前の地質がわかる。
 噴火前に宝永火口付近に分布していた岩石は、岩脈に貫かれた
新期富士火山(新富士火山)の中期溶岩や表面を覆う新期溶岩などであった。
 
写真12 宝永第一火口と宝永山。  2,013年9月18日
 火口底には赤褐色の小さいスコリア丘が見える。小さいスコリア丘や宝永山を
構成する玄武岩質スコリアは火口内という高温の環境で鉄分が酸化してアパタイト
ができ赤褐色に変色している。宝永山頂の表面は、温度が下がった状態での黒い
スコリアが堆積している。
 水洗いして調べた「赤岩サンプル1」は、写真の向かって右下に明るく目立つ地点
付近で採取した。
 
写真13 西臼塚からの富士山。右が宝永山  2,011年10月28日
 宝永第一火口付近の出っ張りは、東側の火口壁。

宝永噴火は割れ目噴火から管状火道噴火へ
 宝永噴火は、割れ目噴火から管状火道の噴火へ変化していったと考えられる。
 宝永第一火口、第二火口、第三火口は、北北西から南南東の方向へ走る直線上に並んでいる。この直線の方向は、第一火口の内壁にある岩脈の方向ともほぼ一致している。
 マグマ溜りの周囲の岩盤は、マグマ溜りの圧力やフィリピン海プレートからの力をうけて割れ目ができる。この割れ目に侵入したマグマが割れ目を進めていき、割れ目が地表に達すると割れ目噴火が始まる。板状の割れ目にあるマグマは、管状の火道にあるマグマに比較して周りの岩石との接触面積が広く、熱を奪われやすく、割れ目を保持するには大きなマグマ溜りの圧力が必要である。噴火が始まってマグマ溜りの圧力が減少すると、割れ目を保持できなくなり、冷え固まってしまう。一方、管状の火道のマグマは周囲の岩石との接触面積が狭く、熱を保つことができ、安定した管状の火道を保持できる。結果として、割れ目噴火は次第に管状の火道噴火へ偏っていく。また接近して複数の管状火道が存在すると、直径の大きな管状の火道噴火へ移っていく。
 宝永噴火はパーミスを噴出する割れ目噴火から始まり、スコリアを噴出する 第一火口、第二火口、第三火口など管状の火道噴火に偏っていった。最終的には、直径の大きな第一火口から多量のスコリアを噴出する管状の火道噴火で終わったと推測する。パーミスや黒曜石は、第三火口、第二火口の縁に目立ち、第一火口縁に少ない。従って、第三火口、第二火口、第一火口の順に噴火が移ったという考えがある。しかし、第一火口縁のパーミスは、第一火口から噴出したスコリアが覆ってしまったと考えられる。
(2,016年12月 相原 )
 伊豆大島1,986年の割れ目噴火では、噴火が始まってから2時間程で噴火の激しい部分が特定な地点に集中し、管状の火道噴火へ移っていった。また、キラウエア火山1,983年の場合は、間欠的な噴火を数日間繰り返す間に噴火地点が絞られた.。最後まで噴火し続けた地点には、円形にくぼむ火口と、それを囲む噴石丘が形成された。この円形の火口にマグマを供給したのは、地下に続く管状の通路である。 ( 兼岡・井田 1997)


宝永噴火の経過
@ 蒸気やパーミスを噴出した割れ目噴火から始まる。
Aスコリアを噴出した管状の火道噴火(第一火口、第二火口、第三火口)へ偏移する。
B直径が最大の第一火口から大量のスコリアを噴出して噴火は終った。

 宝永山の噴火は、溶岩の流出こそ無かったが、火山噴火の規則性とも矛盾しない噴火であった。
 
以上は、宝永山についての野外観察からの考察である。ご意見をお寄せ頂きたい。2,017年6月23日 
(三島市大宮町2-4-10 相原 淳、 メールアドレス aihara@mxz.mesh.ne.jp )

e. 歴史に残る富士山の噴火

西暦年(邦暦年) 文献 記事
781(天応1) 続日本紀 歴史に残る最古の記録、富士山が火山灰噴出し、木の葉枯れる。
800(延暦19) 日本後紀 中央火口からの大噴火。足柄を通る東海道が閉ざされ、箱根方面に新道を開いた。
826(天長3) 相模国寒川神社記録 小噴火
864(貞観6) 三代実録 側火山の大噴火、北西に大量の溶岩を流出。青木が原丸火溶岩、せの海を西湖と精進湖に分ける。流出した溶岩の総量は1.4立方Km。
870(貞観12) 相模国寒川神社記録 中央火口からの小噴火
932(承平2) 富士史 溶岩が流出し、礫が降った。大宮浅間神社焼失。
937(承平7) 日本紀略 北麓の側火山噴火
952(天暦6) 富士史 北東麓の側火山噴火
993(正暦4) 富士史 北東麓の側火山噴火、三昼夜噴火
999(長保1) 本朝世紀 南麓の側火山噴火
1,017(寛仁1) 富士史 北麓の3ヵ所で噴火
1,032(長元5) 日本紀略 南側へ溶岩、火山砂礫噴出
1,083(永保3) 扶桑略紀 側火山噴火
1,215(建保3) 明日香井和歌集 噴煙が立ち昇っていた。(藤原雅経)
1,375(天授1) 五百番歌合 絶える事なく噴煙を出していた。
1,511(永正8) 大原日記、妙法寺日記 吉田口付近で溶岩噴出
1,560(永禄3) 日本災異志 側火山噴火
1,621(元和7) 遠江守政一紀行 噴煙を出し続けていた。
1,707(宝永4) 折たく柴の記 1,707年10月28日宝永地震(M 8.4)。
1,707年12月16日宝永噴火がはじまる。(新井白石)

(4) 古富士火山と新富士火山の名称を使わない考えもある。(町田 洋 1,977)

富士山の地質構造についての図

 降下スコリア層の研究による、噴火活動の年代目盛りから、古富士火山と新富士火山を分けるような長い時代間隙は認められない。したがって、古富士火山、新富士火山の名称を用いない。
しかし、8,000年前から5,000年前の間は噴火活動が静かで、植物も繁茂して富士黒土層が堆積した。この時期を境にして富士山の活動を古期と新期に分けられるとした。
10万年前から富士火山は、数百〜数十年に一度くらいの頻度で活動をしてきた火山である。(町田 洋 1977年)

(5) 古富士火山について
 津屋弘達(1,968年)による古富士火山の噴出物とされた火山泥流堆積物と新富士火山の溶岩との境は富士山の南西麓や北麓で露頭が観察され、浸食作用や断層運動がはたらくだけの長期間の隔たりがあるとされた。

 森下 晶(1,974年)は、富士宮登山道の箱荒沢や富士山北麓の鳴沢村のボーリング資料(津屋1962年)から、火山灰砂および角礫岩からなる古富士火山噴出物と、ほとんど玄武岩質溶岩の新富士火山噴出物は連続的に重なっているように見えると述べている。

 町田 洋(1,977年)は古富士火山について次のように説明している。
@ 富士山南西麓は偏西風の風上になり、テフラの堆積が少ない。しかも富士川、潤井川などが流れているので、火山噴出物がすぐに浸食される。浸食面があっても、時代的隔たりの証拠にはならない。また、この地域には富士川活断層がある。
A 古富士火山の噴出物とされる火山泥流堆積物は一部では成層したり、円磨された礫が含まれ、明らかに水流で運ばれたようである。しかし、一つの火山の活動史を調べるのには、こうした直接の噴火起源でないものより、その火山の一時的噴出物を対象とした方がよい。
Bテフラ層の調査から、富士山の活動史にテフラによる年代目盛りを導入し、一つの古富士火山とするような長い時代間隔は認められない。
1,996年9月15日 富士山の自然史セミナー「富士山東麓の火山噴出物と活断層の見学」(案内者 町田 洋)に参加して、上柴怒田の約4万年前から1.5万年前にかけての富士山の降下スコリア層、生土西沢の御岳第一軽石層(On-Pm1)などを見学し、説得力があると思った。

(6)先小御岳火山について

@ はじめに
 東京大学地震研究所では2,001年から2,003年にかけて、富士山の小御岳神社付近の5個所(深さ FJ-1=100m、FJ-2=445m、FJ-3=650m、FJ-4=75m、FJ-5=200m)でボーリング調査をした。ボーリングによって得られた資料から小御岳火山に相当する溶岩層の下に、小御岳火山の溶岩とは異なる化学組成を持つ,古い火山があることがわかった。先小御岳火山と呼んでいる。小御岳火山と先小御岳火山をまとめて、先富士火山群としている。(「先富士火山群」 中田節也、吉本充宏、藤井敏嗣 の要約である。)
 
K-Arの年代測定によると、先小御岳火山の活動は、約26万年前の玄武岩溶岩流出から始まり、16万年前の玄武岩質安山岩そしてデイサイト質溶岩の流出で終わっている。
 小御岳火山の溶岩は、先小御岳火山の溶岩の上に薄い泥層をはさんで観察される。小御岳火山は約10万年前まで活動した。

The pre-Komitake Volcano is characterized by hornblend-bearing andesite and dacite. The pre-Komitake Volcano began with effusion of basaltic lava flows in front of about 260 ka and ended with explosive eruption of basaltic andesite and dacite magma in front of about 160 ka.
After deposition of a thin soil layer on the pre-Komitake Volcanic rocks. Successive effusions of lava flows occurred at Komitake volcano until about 100 ka. (K-Ar age determinations,)
(Yoshimoto M. ,Fujii T. ,Kaneko T. ,Yasuda A. ,Nakada S. ,Matsumoto A. (2010)
                                

 
 
 

A 掘削柱状図から分かること
a. 富士黒土層 (FB):FJ-2の深度10m、FJ-3の深度15mなどに(FB)が出現。新富士と古富士火山の境界と考えている。
b 大室山スコリア(約3,000年前):FJ-2,の深度3.7m、FJ-3の深度5mなどに大室山のスコリア出現した。
c AT火山灰(約3万年前):FJ-4の深度69.2mにはATが出現した。
d  富士火山の溶岩:FJ-1の深度0〜100m,FJ-2の深度0〜95m、FJ-3の深度33mと55mに
  カンラン石斑晶を含む玄武岩溶岩が出現した。
e 小御岳火山の溶岩:FJ-2の深度95〜175mに斜長石、カンラン石玄武岩質安山岩が出現した。
f 先小御岳火山の岩石:FJ-2Aの深度175m〜420m、FJ-3の深度300〜650mには角閃石斑晶を含む安山岩〜デイサイト質の溶岩流、及び同質溶岩片を含む泥流堆積物が出現した。

B 蛍光X線分析結果からの化学組成分布図から分かること
a Group F、新富士火山噴出物と古富士火山噴出物: 同じプロット分布域に入る。MgO,TiO2などに富む。※1
b Group K, 小御岳火山噴出物: MgO-SiO2、TiO2ーMgOなどプロット分布域が狭い。火山活動の期間が短かったと思われる。
c Group P、先小御岳火山噴出物: プロットの分布域が広い。SiO2も安山岩質からデイサイト質まで幅がある。※2

2,014年 相原
※1 古富士火山と新富士火山は溶岩の組成から、同じマグマ溜りからの噴出と思われる。
※2 先小御岳火山(約26万年前〜約16万年前)と小御岳火山(〜約10万年前まで)とは活動年代から、また距離的にも近いので、同じマグマ溜りからの噴火活動と思われる。6万年間にマグマ溜りの化学組成の変化が考えられる。


(7) 太郎坊の露頭について

 太郎坊(海抜約1,500m)付近には1,995年春に雪崩が生じた。雪崩による谷の断面では、噴火の歴史を示すいくつかのテフラ層が観察できる。宝永スコリアは大部分が黒色スコリアだが、下部には宝永火口を構成していた古い赤褐色のテフラと灰白色の軽石(パーミス)が観察できる。宝永スコリアの厚さは約2mある。現在は雑草におおわれ、崩落もあって、写真のようには見えない。

太郎坊(富士登山御殿場口)のスコリア層 富士山、箱根山、八ヶ岳の噴出したテフラの等層線図
太郎坊のテフラ層 The volcanic ejecta of the Taroubou
1,996年9月15日撮影
火山が噴出したテフラの等層線図(数字はcm)
F:富士山のテフラ、 H:箱根山のテフラ、 Y:八ヶ岳のテフラ, Machida 1,975

第四紀の区分
地質時代の名前   洪積世                            | 沖積世
絶対年代 (年前) 100万                     10万     1万
氷河期 ギュンツ氷期  ミンデル氷期  リス氷期  ウルム氷期  後氷期

更新世:第四紀の約175万年前から約1万年前までの地質時代。
完新世:第四紀のうち最近の約1万年間、後氷期で気候温暖な時代。

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