●特急「おおとり」

・2001年6月9日作成
・2003年7月27日修正
訪れた日 1984年8月11日
 

「網走」−「函館」間660.8qを10時間30分もかけて走った特急「おおとり」。キハ82という老朽ディーゼルカーが活躍していたが、食堂車を連結していた特急らしい特急だった。

食堂車、グリーン車を含んだ6両編成の特急「おおとり」は9時05分に網走を発車した。車内放送のオルゴールが他のディーゼルカーと違い、特急としての格の違いを感じられる。「美幌」、「北見」と止まり、「北見」では増結の3両が前からバックしてきて連結された。これで9両編成となる。新型列車は増結、分離が出来ないので「おおとり」が旧型のまま残っていると聞く。

積み木のような格好の「北見」の市街地の住宅を見ながら列車は走る。石北本線最大の都市だけあって、栄えている。それもつかの間、「留辺蘂」を出ると人家も無いような山間部に突入する。やがて最大の難所「常紋峠」に挑む。列車は今にも止まりそうな速度まで落ちる。その頃合を見計らって食堂車に行く。

常紋峠にある常紋トンネルは、過酷なタコ部屋労働者により1912年〜1914年にかけて建設された。犠牲者は百数十名と言われ、まともに埋葬もされずに、トンネル内のコンクリートの中に埋められているとも聞く。実際、保守、点検の際に人柱が出てきたり、白骨も数多く発見されている。慰霊碑もある。そして、幽霊が出るトンネルとして有名だ。

その常紋トンネルを通過する時に、食堂車で食事をしているのは不謹慎だが、石北線車窓の最大のハイライトは常紋峠なのだ。食堂車で過ごしたいと思っても仕方あるまい。780円の北海定食を食べながらトンネルを抜けた筈である。床下から伝わる苦しげなエンジン音を聞きながら、峠の絶景を眺めながら定食を食べる・・・。鉄道でしか味わえない醍醐味ではある。しかし、客は、途中まで私ひとりだけだった。

遠軽で方向転換。椅子の方向を変える。そして、今度は石北峠にアタック。上川で上り普通客車列車を追い抜く。あちらも面白そうな列車だ。ここからの車窓は木ばっかりで飽きてくる。

旭川で、「札幌」行き、電車急行「カムイ6号」を発見。ここから先は電化区間で、こちらも電車急行に負けないように猛然と速度を上げる。途中で「大航」「東大航」「夕航」と書かれた荷物列車も追い抜く。そして「苗穂」で今晩の寝床となる客車列車の横をすり抜ける。茶色い客車も連結されている。ニス塗りの木製の車内で、昔の夜行汽車旅を味わえるのかと思うと嬉しくなる。

15時00過ぎ、数分遅れで「札幌」に到着、ここで進行方向が再度変わるが、私たちはここで下車。列車は、函館まで、まだ長い、長い旅が続く筈である。

石北本線へ


渋くて好きだったこの型式
北見で3両(所定2両)増結
車内は少し古臭い
食堂車から常紋峠を眺める
食堂車はガラガラだった
滝川で撮影した「おおとり」


http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume/my_hp.gif (6911 バイト)


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